守るということ
玲は仕事を定時で片付け、実家に戻った。
「おかえりなさいませ」
朝比奈家の執事に尋ねる。
「今日は父か母は在宅か?」
「本日はご両人とも在宅でございます」
「そうか……。本家宿直でなくてよかった」
玲は家族用のリビングに向かった。
「あら、玲。連絡もなく、どうしたの?」
「父さん、例のご令嬢が東央の本社前で鷹司一族を侮辱しました……」
父は、わかっているとため息を吐く。
玲は眉間を押さえる。
「次期御当主様のお怒りは尋常ではありません」
「……聞いている。朝比奈の失態だ」
「婚約の打診は断ったんですよね?」
「もちろんだ。最初から数に入れていない……」
「景さんからは俺の婚約者候補だったと……」
「それは、婚約が具体的になる前の話だ。葵さんの縁者として、鷹司と鳳院を結ぶのにどうかと候補になったが、すぐに親子の因縁が酷くて無かった事になった」
「西の醜聞として、秘匿されていた」
「大奥様はご存知では?」
「そうだ。だから、奥から待ったがかかった」
「鷹司は政治経済は強いが色恋についての情報集めが弱い。そもそも、『ただ一人』や『宝石』以外に興味がないからな……」
父は小さく息を吐く。
「御当主は海外生活が長く、この小さな池の蛙たちがどうなろうが、気にもしない」
「大奥様がご実家やご自身の縁で情報を集めてくださるが……」
「それで、西側のパイプが必要と?」
「そうだ。馨様が鳳院から鷹司に入ったおかげで随分と西側の情報が取れる。ただ、やはり私たちの世代の話が……」
「一条夫人ですね」
「そうだ。一条は鳳院を支える要だ。特に情報に関しては、あの家に敵う家はそうない。今、結花さんがその技を継いでいる。学生と家事。大変なところにこの騒ぎだ」
「父さん、警備をつけましたが、後はどうすれば良いんですか?どうすれば、彼女を守れるのか……」
玲は自分の経験の少なさに初めて弱音を吐く。
父はそんな玲をじっと見つめて、
「玲。守るというのは、閉じ込めることじゃない」
玲にそう言い聞かせた。
「……」
「結花さんの生活を奪えば、それは橘の思う壺だ」
「では……」
「お前は今まで通り、結花さんが学校へ行き、友人と会い、買い物をして、お前と出掛けられるようにしろ。そのために家がある」
「……家が」
「一人で守ろうとするな。朝比奈も、一条も、鷹司もいる。何より結花さん自身を蚊帳の外にするな」
「……はい」
本当は自分の側で自分が守りたい。
だが、それがただのわがままでしかない事はわかっている。
「彼女たちが一体誰を敵に回したのか……じきにわかるだろう」
父はそう言うとソファーに深くもたれた。
※※※
「なんなの?一体!私を誰だと思っているのよ!」
むしゃくしゃする気持ちで車から外を見る。
「私を一体いつまで待たせるつもりかしら!」
「あの……お嬢様……」
「何!?」
「正面玄関が施錠されたようです」
「だから!?」
「彼はもう帰宅されたのでは?」
「――っ!! もう!!」
彼女は手近にあった物を、次々と運転席へ投げつける。
「見落としたのね! この役立たず!」
小物がシートにぶつかり、車内に乾いた音が響く。
「……申し訳ございません」
「いいわ、今日は家に帰ります。お母様にお話して彼に私をあまり蔑ろにしないように伝えなくては……」
車がゆっくりと動きだす。
※※※
「お母様、やはり怪文書が回り始めました。
出所はいつも同じですね……。SNSを見る限り、あのお茶会にいた取り巻きの一人で間違いないです」
結花は『さゆり』として箱根で毎日何百人という宴会に出て仕事をしていた。
その中で人の顔を覚える事が苦にならないと気づいていた。
「それだけ?」
母は頬に手を添えて首を傾げる。
「発信した本人と、最初に拡散した人間は別かもしれないわ」
「発信と拡散はいつもこの二人が固定で行っています。それにこの二人の家は後妻と頻繁にお茶会をしていますね」
結花はネットから拾ってきた情報をまとめる。
SNSで『R.N.E.P.R.S――レプレス貴婦人たちのお茶会』と題した投稿に関係者全員の顔が写っている。
畑や土臭いと自分を罵り、一条の両親を侮辱した物言い。
あの時、顔は確認した。
「それから、今日は東央の正面玄関で瑠璃さんの気分をひどく害したようです。それをたまたま、鷹司氏と玲さんが確認しました」
「あら、まぁ……。瑠璃さんはお茶会でも気分を悪くされていたけれど……。結花は何故かわかっているの?」
「はい。主家の挙式・披露宴の時に瑠璃さんと葵さんをお預かりしました。その時に……」
「それは、いいわね。合格よ。何気ない会話こそ覚えておきなさい」
母は綺麗な笑みを見せる。
「差し出す情報は最小限、拾える情報は最大限。慣れない内は勝手に取捨選択しないように」
「はい」
『今、大丈夫?』
結花の端末に玲からメッセージが入った。
結花はすぐに通話に切り替える。
「玲さん、お疲れ様です。こっちは大丈夫だよ」
「……結花、ごめんね。俺の事で……」
玲の声が珍しく沈んでいる。
「ううん、大丈夫。玲さんがちゃんと私を巻き込んでくれてるから、お母様が良い教材だって張り切って指導してくれてるの」
「私も、わかりやすい目標がある方がやりやすいし……」
結花は明るい声で話す。
「でもさ。今、わかったんだよね……」
「何が?」
「SPI。AさんとBさんは不仲ですってヤツ。いつ使うの?って嘆いてた……」
「あぁ、電車でね。結花は『知らんって言いたい』って言ってたな……」
玲は、あれから随分と結花と過ごした気がするが、やっと一年を過ぎただけだ。
「アレ、私もう解るようになった!凄くない?」
「凄いよ。本当に、凄い。ありがとう」
こういう何気ない会話で、結花は玲の落ち込んだ気分を上げてくれる。
「あの時のカツサンドとビーフシチュー。また食べたいな」
「うん。落ち着いたら行こうよ!それとね、もうすぐ学祭あるんだ」
「ゆいか、出るのか?」
「ううん、今年は出ない。だからね、学校の中、玲さんと歩きたいんだけど……いいかな?」
「もちろん。結花の母校、見たいし」
「よかった!じゃあ、スケジュール送るね」
「うん、よろしく」
二人は今日の出来事を話せる範囲で喋る。
玲はこんな日こそ結花の存在がありがたかった。
職場と家しか居場所がない自分に、結花は日々の細かな出来事を話してくれる。
驚いたこと、困ったこと、楽しかったこと。
玲の知らない世界を、いつも明るく見せてくれる。
「ええ!そりゃ、高橋さん気の毒だよ!」
後輩とのやり取りを笑いながら、同じ出来事を自分と違う目線で捉えている。
「そうかな?」
「そうだよ!玲さん、にぶい。今度、お菓子買って渡そうね」
あっという間に時間が過ぎていく。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
音のしなくなった端末をリビングのローテーブルに置く。
早く、結花の温もりを毎日感じたい……。
そのために、玲は今やるべき事を考える。
お読みくださって、ありがとうございます。
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