母娘
『今、大丈夫か?』
結花の端末に彼からのメッセージが届く。
夕食を終え、自室で一条の母から出された課題と格闘していた結花はすぐに通話に切り替える。
「玲さん?仕事、お疲れ様」
「結花、今日は学校だったか?明日もか?」
「そう、練習あるから当分通うつもり……。急にどうしたの?」
「……そうか。夫人は今家にいるか?手が空いていたら代わって欲しい」
「……うん、待ってて。お母様!」
階段を降りて、家族用のリビングで寛いでいた一条の母に足早に駆け寄る。
「結花、どうしたの?」
「お母様、玲さんが話をさせて欲しいと……」
母に通話が繋がっている端末を渡す。
母は一瞬だけ困惑した顔をした。
「代わりました。一条でございます」
「夜分に失礼します。急なお願いですが、明日から結花の登校に送迎をつける事は可能ですか?」
「まあ、藪から棒になんですか?」
「先日、お見えになっていたお嬢さん。彼女があれから鷹司家に居座り、ウチの母に追い返された話は結花から聞かれましたか?」
「ええ。馨様が激怒されたと、他からも聞いております」
「そのお嬢さんが、本日、私の婚約者を名乗って会社に押しかけて来ました……」
「まあ!」
「私の方も警備を強化しようと考えておりますが、一条家も対策を。何かあってからでは遅い……」
「橘が道理を弁えないなんて……」
「後は私から結花に説明します」
母が端末を結花に返す。
そして、何かを考え込んだ。
「玲さん?代わりました」
「お母様には伝えたけど、例のお嬢さん。おれの婚約者を騙って、いろいろな所へ接触している。念のために結花は行動に気をつけて欲しい。具体的には学校の登下校に送迎を頼んだ」
「え?そうなの?でもただのお嬢さんだよね?大袈裟じゃない?」
「何かあってからじゃ困る……」
「……何か、あったんだ?わかった。受け入れます」
「ごめん。結花の自由を制限して……」
「大丈夫。私は大丈夫だから……」
「それと、変な噂が回り始めた。俺たちは婚約は解消しない。これはもう、家の問題だから」
「うん、わかってる」
「それに愛してるのは結花だけだ」
「……うん」
「これは何があっても変わらないから。だから惑わされるな」
「わかった」
その後、玲に学校であった事などを軽く話してから通話を終えた。
彼と通話中にリビングから移動した母が、戻ってきた。
「お父様に話をしたわ。こちらの警備を強化してくれるそう。それと登校や買い物も警備をつけるわ」
「……はい」
結花は母の顔を見つめ、聞きたい事を切り出す。
「お母様。橘とは何者なんですか?」
母は手を顔にやり、首を傾げた。
「そうね……。どこから話ましょうか……」
そう言って、母は少し言葉を詰まらせる。
「前に葵の話はしたかしら?」
「強羅で玲さんから少しだけ聞きました。瑠璃さんと一緒で鷹司家に籍を移さないといけなかったと……」
「……そう」
「橘家は古い家よ。千年も続く名家。でもね、いつの時代も時流に乗り損ねて家格はあるけれど、他の要素が足りない、言葉を選ばずに言えば『旨味の少ない家』だったの」
「だから、葵の母親は一般家庭から迎えられた。今の当主が一目惚れして、葵の母親を口説いて。橘の当主、今じゃあんなに太って、影が薄いけれど……。当時はイケメンで王子様みたいだって人気があったのよ。ファンクラブまであったんだから……」
そう言って当時を懐かしむように笑う。
「葵の母親は才色兼備。だから最初は気にもかけてなかったそうよ。でも橘が余りにもどこでも追いかけるから、周りが絆されて……。葵の母親に随分と圧力をかけたそうよ」
「そして、葵の母親は自分のキャリアプランを全て捨てて、橘の家に入った。すぐに葵が生まれたわ」
「件の姫が橘を見初めたのは、葵の母親が妊娠中の時だった」
「やんごとない姫は橘を手に入れるために形振り構わず、経済を締め上げ、権力を振り翳した」
「そして、臨月の妻を追い出し、橘の全てを握った」
「捨てられた方は着の身着のままよ。当時、帰る実家もなくて……。後はわかるでしょ?」
「……はい」
箱根の姉さんたちが明るく語った、身の上話が蘇る。
よくある出来事。
そして繋がる、強羅で見た瑠璃と葵の幼少期。
母親から、見返すためだけに育てられた話。
「……じゃあ、あのお嬢さんは、お母様と同じことをしてるつもりなんですか?」
母は、
「おそらくね」
と頷く。
※※※
玲は自宅マンションから呼び出したタクシーを会社の裏口へつける。
この手もじきに使えなくなるだろう。
そう思うと頭が痛い。
橘を調べるほどに彼女たち親子の異常さがわかる。
そこに、母親の実家からの援助が物事を一段と厄介にする。
この援助が金銭だけならまだしも、一門の政治家を使って権力を盾にする。
寄生している連中を煽って噂をばら撒き、さも自分たちが正義であると周りに認識させる。
嫌なやり方だ。
大人たちが厄介と言う理由がわかる。
玲は一つため息を吐いてから本日の仕事に取り掛かった。
昼休み。
「どうして!私は彼の、朝比奈玲の婚約者だと言っているじゃない!?何故こんな扱いをうけるの?私は橘家の人間よ?こんな扱い、母に話したらと酷い目に遭うわよ?その前にここを通せば、この件はなかった事にしてあげる!」
「……いえ、社内規則ですから」
今日から会社の入り口前に警備員が常時二名体制でついた。
何かあった際にすぐに駆けつける控え要員もすぐそばにいる。
要人警護に慣れた彼らは、彼女の言葉に耳を貸さない。
「覚えてらっしゃい!お母様に言いつけてやるんだから!」
鼻息荒く、喚く令嬢の側を一人の女性社員が通る。
それは昼休みを公園で過ごした瑠璃だった。
「アナタ!そこの人!ちょっと待ちなさい!」
「……わっ私ですか?」
「まぁ、貧相な人。こんな人がここの社員?まぁ、良いわ。アナタ、朝比奈玲をご存知?」
「朝比奈さん……ですか?」
「そうよ!私、彼の婚約者なの……」
「……え?」
「そうよね、彼ったら秘密主義だからまだ会社には言ってないの。驚いた?」
「……はい」
「アナタ、ちょっと彼を呼んできてちょうだい!婚約者が会いに来ているって」
「え……っでも……」
「グズグスしないで!アナタなんて私の伝言を伝えられる事を光栄に思いなさい!」
「あの?」
「さっさと行きなさいよ!グズ!」
「……はい」
勢いよく罵声を浴びせる初対面の女性に、瑠璃は眩暈を覚えた。
まるで、生前の母親を思い出す。
ロビーにある受付を過ぎたあたりで、気分が悪くなった瑠璃の前を鷹司景と朝比奈が偶然通りかかった。
景はすぐに瑠璃を見つけ、異変に気がついた。
「……こちらへ。君、大丈夫か?」
「……」
すぐに言葉にならない瑠璃の様子に、人目を避けるように奥まった場所へ移動する。
「……瑠璃、何があった?」
「あの、朝比奈さんへ……伝言が……」
「私にですか?」
「婚約者さんが会いたいと正面玄関前でお待ちです。……でも婚約者は結花ちゃんですよね?」
「ええ、変更しませんよ」
「……よかった」
「瑠璃、大丈夫か?」
「はい、景さんのおかげで……」
「何があった?」
「彼女があまりにも母と同じ口調で話すのでフラッシュバックしました」
力なく笑う瑠璃に景は眉間に皺を寄せる。
そして、とても冷たい声で
「朝比奈……」
とだけ言う。
「申し訳ございません……」
玲は頭を下げることしかできなかった。
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