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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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私が選んだ

 玲は結花と共に一条家へ向かう。

 残暑は厳しいが、暦はすでに秋。

 マンションを出た時にはまだ明るかった空は、いつしか夕暮れ色に染まり、長く伸びた二人の影が並んでいた。


 一条家の車寄せには、一台の車が停まっている。

 車体も、ナンバーも、一条家で見慣れたものではない。


 来客か――。


 玄関前へ車を寄せると、一条家の使用人が迎えに出てきた。

 玲は鍵を預け、結花と並んで玄関へ向かう。


 使用人が結花へ静かに耳打ちした。

 結花は一瞬だけ表情を曇らせると、小さく頷く。


「玲さん、先に部屋へ――」

 そう促し、玲を自室へ案内しようと歩き出した。


 その時だった。


 本来なら閉ざされているはずの応接間から、怒声と、女性の泣き声が漏れ聞こえてきた。


 思わず驚いた結花に、使用人たちが顔を見合わせ、小さくため息をつく。

「お嬢様と朝比奈様は、お早めに自室へお向かいください」

 有無を言わせぬ口調だった。

 言われるまま、二人は階段を上がる。


 その時。


 応接間の扉が、再び勢いよく開く音が響いた。

 軽い足音が、廊下を駆ける。


「嫌です! 到底認められませんわ!」

 階下から聞こえてきたのは、聞き覚えのない若い女性の声。

「どうか、お気持ちをお鎮めください」

 使用人たちが困惑しながら宥める声が続いていた。

 

 身を隠すように結花の部屋へ入る。

 扉を閉めかけた結花は、一瞬ためらった。

 そして、階下の様子が聞こえるよう、扉をわずかに開けておく。


 玄関ホールで、女性は泣き喚いていた。

「私は、彼と家庭を築くことだけを夢見て、今日まで努力して参りました。それなのに、なぜですの? どうしてあなた方が、朝比奈家と縁を結ぶのですか!」


「一条でなければならないなら、私が養女に入ります。パパ、いいでしょ?」

「……それは、まぁ……」

「……出来なくも、ない……」

 彼女の父と思われる男性の声が聞こえた。


「あなた方は、一体どういうおつもりで我が家のことを勝手に決めるのですか」

「越権行為も甚だしい。一条は非常に不快である」

 きっぱりと、一条氏が反論する。

 それでも、先ほどから泣き喚いている女性は止まらない。

「もともと、子もなく、鳳院の筆頭とは名ばかりではないですか!」

 その一言に、階下は水を打ったように静まり返った。


 彼女の嗚咽だけが響く。


 やがて。


「……お帰りくださいませ」

 

 ほどなくして、親子が持ち込んだと思われる荷物を、使用人たちが足早に車寄せへ運び出していく。


 次々と車へ積み込まれ、そのまま親子ともども押し出すように門外へ送り出された。


 重い表門が閉じる。

 その直後だった。

「塩! 塩撒いといてちょうだい!!」

 一条夫人が、珍しく大きな声を上げた。


 玲と結花が階段を下りて目にしたのは、大きな袋に入った清めの塩を抱え、玄関を後にする執事の姿だった。


「お母様……」

 結花が労るように、一条夫人のもとへ向かう。

 玲は困惑したまま、その場に立ち尽くしていた。

 一条家に何があったのか、想像はつく。


 だが――。


 ――あれは、誰だ?

 玲には、まるで心当たりがなかった。


「ああ、玲君も来ていたか……。つまらないものを聞かせてしまって、悪かった」


「いえ……」


「とにかく、座ろう。今日は家で君たちと夕食をと思っているが、その前に少し時間をもらってもいいだろうか?」


「もちろんです」


「ところで、玲君。先ほどの親子について、面識はあるかい?」


「いえ、まったくありません。父親の方は、何かの会合ですれ違った可能性はありますが、言葉を交わした記憶はありません」


「……そうか」

 一条氏は、少し考えるように黙った。

「朝比奈家で、幼少期に婚約を交わした女性はいないかい?」

「いえ」

 玲は即答した。

「結花さんと婚約を交わした今だからお話できますが……私はもともと、恋愛結婚をするつもりはありませんでした」

 一条氏が黙って耳を傾ける。

「本家か、親が持ってきた縁で結婚する。激しい感情などなくても、お互いに与えられた役目を果たし、その中でほどほどに幸せに暮らす。次代を育て、家を繋ぐ」

 玲は一度、結花へ視線を向けた。

 そして、わずかに微笑む。

「それが、自分に相応しい人生だと思っていました」

 一条氏は静かに頷いた。

「ですが、結花に出会って、その価値観が根底から覆りました」

 玲は結花の手を取る。


「自分から欲しいと思い、初めて手を伸ばした相手が結花です」

 結花の指先が、わずかに震えた。


「東央の粉飾決算が明らかになり、景様と馨様の婚姻が早まった頃、一度、鷹司家の御前様から縁談の打診を受けました」

 ヒュッ、と結花が息を呑む。

 玲はその手を包み込むように握った。


「ですが、その直前に結花を見つけてしまった」

 玲は淡々と続ける。


「相手が誰なのか、聞くこともなくお断りしました」


「本家からの縁談であっても、それより先に私自身が相手を決めた場合は、私の意思を優先する」

 玲は一条の父をまっすぐ見る。

「それが、私が家と交わしていた契約です」

「そうか……」

 そう言って、一条氏はしばらく何かを考えるように黙った。


「……玲さんも、契約あったんだ……」

「あぁ。古い家の子どもには、大抵何かしらある。まぁ、義務と権利みたいなものだね」


 結花の問いに、玲は軽く答える。


「私は……一条家と……」

 そこまで言ったところで、一条氏が結花を見て首を振った。

「結花は、一条の娘として朝比奈家へ嫁ぐ。それが契約になる。だから気にしなくていい」

 一条夫人も静かに頷く。


「それに、両家の主家にもご報告し、正式に整った婚約です。今さら破談になどさせません……」

 その瞳には、はっきりとした決意が滲んでいた。


「先ほど、ここにいた親子だが……。一応、鳳院の筋ではあるんだ。ただ、成り立ちが少し厄介でね……」


「あっ。もしかして、鳳院で聞いた“我こそは”の人たちですか?」

「まぁ……そうだね」

 一条氏が、少し笑いを堪えるように頷く。

「だったら、私は相手にしません。鳳院の大奥様から、関わってはいけないとご教示いただいていますので」


「結花……」

 結花のあまりに明るい声に、皆の毒気が抜かれた。


「玲君。東央さんにも、何か動きが出るかもしれん」

「はい。その時は父と主家に相談しながら対処します」

 玲は結花の手を取り、しっかりと握る。

「今さら、顔も知らない婚約者など御免ですから」

 そう言って、一条夫妻をまっすぐ見つめた。

お読みくださって、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
お!この子とバトルかな!?(ポケモンみたいに言うな) 寝てしまってたせいで読むのが遅くなりましたが、これは面白展開だ! 私こそが婚約者なのよ!的な? 結花の箱根仕込みのカウンターが今から待ち遠しいで…
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