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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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82/108

一条家養女の儀

 京都駅に、黒塗りの車が停まっていた。


 まるで鏡のように磨き上げられた車体には、自分の姿が映り込む。

 結花が近づくと、白手袋に制帽姿の運転手が静かに一礼し、後部座席のドアを開いた。


 一条夫妻に促されるまま、車へ乗り込む。

 今日向かう先は、一条家でも朝比奈家でもない。


――鳳院家。


 京都の街並みを抜け、やがて人家もまばらになる。

 深い緑に包まれた閑静な一角。

 その最奥に、長い塀と重厚な門を構えた屋敷が佇んでいた。


 やがて、門が音もなく開く。


 車は手入れの行き届いた日本庭園に沿って進み、長いアプローチの先にある車寄せで停まった。

 外側からドアが開けられる。

 同じ装いの者たちが、左右に分かれて一行を出迎えていた。


 一条夫妻が軽く一礼する。

 結花もすぐにそれに倣った。

 言葉を交わす者はいない。

 結花は夫妻の後に続き、案内されるまま本邸へ入った。


 待合室へ通され、しばらくすると煎茶が運ばれてきた。

 一煎目は、ぬるめに淹れられている。

 柔らかな甘みを含んだ茶が、乾いていた喉を静かに潤した。

 結花は茶碗を置き、勧められた菓子へ手を伸ばす。


 幼い頃、祖母に連れられて西大寺の茶会へ何度も足を運んだ。

 抹茶の席とは違うが、煎茶席の流れにも覚えがある。


 菓子をいただいた頃を見計らうように、二煎目が運ばれてきた。

 今度は一煎目よりも熱く、わずかな渋みがある。

 しっかりとした菓子の甘さを、二煎目の茶がすっきりと整えていった。


 結花の所作に迷いはない。

 一条夫人が、それを横目で静かに見ていた。

 そして、小さく一つ頷く。


 待合室の襖が静かに開いた。

「お待たせいたしました。御出座でございます」

 案内の者に続き、長い廊下を歩く。

 行き着いた先には、真っ白な襖。

 音ひとつ立てず、それが左右へ引かれた。


 部屋の奥は一段高く設えられている。

 御簾が静かに垂れ、その手前と奥には几帳が置かれていた。

 人影は見える。

 だが、その姿ははっきりとは見えない。

 まるで時代が、千年ほど巻き戻ったようだった。


 一条夫妻が几帳の前に座る人物と相対するように、静かに正座する。

 結花も一歩遅れて、その後ろへ控えるように座った。


 誰一人、口を開かない。


 やがて案内役が深く頭を垂れた。

「お取り次ぎ奉ります」

 一条氏は正座のまま膝を進め、取次の前で深く頭を垂れた。

「畏み畏みも白さく。一条の家、長谷川結花を養女として迎え奉り、末永く家門を支うる娘となさしめんことを願い奉る。ここに謹みて言上仕り候。何卒、御裁可を賜り候わんことを」

 御用取次は正座のまま膝を進める。

 御簾へ向かい、両手を揃えて深々と額づいた。


「畏み畏みも白さく。一条家よりの言上、謹みて御前へ取り次ぎ奉る」

 その後、しばし、静寂が落ちる。

 御簾の奥から、低く落ち着いた声が響いた。


「聞き届けたり」

 御用取次が静かに一礼する。

「これにて、一条家御養女の儀、相成り候」


 一条の母が静かに立ち上がる。

 結花へ小さく目配せすると、几帳の後ろへと促した。

 結花は一礼し、その後に続く。

 もはや長谷川家の娘としてではない。

 一条家の娘として、その席へ着いた。


 一条の父は結花達が座る几帳の前に場を移し座る。

 その後、朝比奈の父が入室し、一条の父と相対するように座り口上を述べる。

「畏み畏みも白さく。朝比奈の家、一条家御養女、結花姫を嫡男玲が室として迎え奉りたく、ここに謹みて言上仕り候。何卒、御裁可を賜り候わんことを」

 一条の父は静かに一礼した。

「一条の家、朝比奈家よりの御縁談、謹みて受け奉る。御裁可を仰ぎ奉る」

 御用取次は御簾へ向かい、深々と額づく。

「畏み畏みも白さく。朝比奈家、一条家、両家の縁組、謹みて御前へ取り次ぎ奉る」

 静寂。

 御簾の奥から、

「是や良し」


 御簾の奥で、微かに衣擦れの音がした。

 その後、御簾の奥の気配が消えた。


「ご案内いたします」

 襖が音もなく開く。

 そのまま別室へと案内される。

 そこは先ほどとは対照的な、重厚感のあるモダンな洋室だった。

 千年前へ遡ったような厳かな空気は消え、穏やかな時間が流れている。


「おお、よう来てくれた」

 振り向いたのは、強羅で会った馨の祖父、鳳院家の当主だった。

 その隣では馨の祖母が柔らかく微笑んでいる。


「さゆりちゃん、会うのは久しぶりじゃのう……いや、今は結花さんと呼ばんと叱られるかな」

「はい。箱根は廃業しました」

「そうじゃった。わしの推しが二人もおらんようになってつまらん。箱根へ遊びに行く楽しみが減ってしもうた。ユリは元気か?」

「はい、瑠璃さんは相変わらずです」

「さあさあ、緊張したやろう。ここへ座ってお菓子でもお食べなさい」

 祖母が優しく結花に声をかける。

「せやけど、人の縁はわからんもんやな……」

「馨が鷹司さんとこへ嫁いだから、わしは推しの二人と親戚や。えらいこっちゃ」

「あんさん、その話は何度目ですか?もう耳にタコですよ」

 そう言って祖母が笑った。

 そして、朝比奈の父へ、

「馨はまあ、何処へいっても自由にやっとるやろうけど……。葵はどないしとりますか?ご迷惑おかけしていませんやろか」

「迷惑どころか……。馨さんと一緒に新たな事業を展開して、鷹司に新しい風を吹かせています。馨さんの発想を、見事に形にしております」

 朝比奈の父は二人を思いながらニコリと笑う。

「それはよかった。結花さん、これから馨と葵をよろしくね」

「はい。お力になれるように努力します」

 結花は控えめに笑った。

 一条の母はその様子に満足そうに頷く。


 祖父が穏やかに頷く。

「一条、あとの事は鷹司さんとこと、あんじょう決めなはれ。内々の事はウチが黙らしとくさかい」

「はい。御前様」

 一条の父が一礼をする。

「御前様、お時間です」

 秘書らしい人物がやってくる。

「なんや、もう時間か。もうちょっと話したかったんやけど……。結花さん、一条の娘はわしの孫みたいなもんや。困った事があればお祖父ちゃんに相談し」

 そう言って一度結花の手をしっかり握り、部屋から退出した。


「内々の事とは、やはり?」

 一条の母が確かめるように祖母の顔を伺う。

「我こそは……。と勘違いしとる家があるんよ。もしかしたらちょっかいかけにくるやも知れんけど、ほっとき。相手にしたらあかんえ?」

「承知いたしました。何かありましたらご助力願います」

「それでよろしい」

 その会話を結花は黙って聞きながら、少し胸の奥がざわめくのを感じた。

お読みくださって、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
今回の話、鳥肌総立ちでした! 1000年前に戻ったような……映像が目に浮かぶようでした。 そして鳳院家のご当主の貫禄たるや。覇気を感じました!覇気を!! お祖父さんにギャップ萌えです← このゾクゾ…
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