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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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限りある時間

 軽井沢以降、玲との婚約の話は具体的に進み始めた。

 それに伴う挨拶回りに、就職活動、卒論のための登校。

 結花の毎日は目まぐるしく過ぎていく。

 少しでも結花と一緒にいようと、玲は当然みたいな顔でゲストルームへ本棚とデスクを入れ始めた。

 怖いくらい手際がいい。

 生活用品まで自然に増えていく。

 結花は途中から、

「もういいか……」

 と諦める。

 どうせ止めても増える。

 

 そのまま半同棲に持ち込むつもりの玲だったが、

「結花さんは当家でお預かりしております。教育もございますし、嫁入り前ですので、生活は当家で」

 一条夫妻にきっぱりと言い渡され、あえなく諦めた。

 正式に一条家の養女となった結花は、その日を境に生活の場を一条家の東京屋敷へ移した。


 久々のサークルの集まりだった。

 大学近くの居酒屋。

 扉を開けた瞬間、懐かしい声が飛ぶ。


「結花ー!」

「久しぶり!」

「うわ、黒髪増えた!」

 四年生になったバンドメンバー達は、皆どこか顔つきが変わっていた。

 派手だった髪色は、黒へ戻る。

 男子たちは、スーツにネクタイ姿。

「ウケる」

「お互い様でしょ」

 そう言って笑い合う。


 少し前まで、ライブだ、打ち上げだ、徹夜だ、と騒いでいたのに。

 今はもう、皆“社会へ出る顔”になっている。


 そしてそれぞれの近況報告が始まる。

 奈緒と灯は、既に内定が出ていた。

「えっ、もう!?さっさと言ってよ!お祝いしたのに!」

 結花が頬を膨らませると、灯はケラケラ笑った。

「だって結花、余裕なかったし?」

「そりゃそうよ」

 結花は真顔で頷く。

「今も余裕なく、日々お祈りと戦っていますけどなにか?」

「結花つおい……」

 その言い方がおかしくて、一同が吹き出す。


 笑い声と騒がしい空気が少し前のように懐かしい。

「私さ!」

 皆が美里に注目する。

「やっぱり、音楽やるわ」

 空気が変わる。

 美里は笑いながら続けた。


「てか、今やってる。レーベル所属した!!」

 一瞬だけ周囲の音が静まる。

 次の瞬間に、

「えっ!?」

「すご!」

「マジで!?」

 歓声が上がる。

 美里は少し恥ずかしそうに笑った。


 結花は心から頷く。

「うん。美里って、アーティスト似合うよ」

 その言葉に、美里が少し照れた顔をする。


 すると、灯がニヤリと笑った。


「ちなみに、K大生が彼氏ね!」

「みさとー!!」

 叫んだのは、結花だった。


「先にそれ言ってよ!!詳しく!!」

 一気に恋バナの空気になる。

 美里が、

「やめてって!そんな話ないよ?!」

 と笑い、周囲も盛り上がる。

 結花も笑う。

 久々に、心から笑った。


 就活も、将来も不安はまだある。

 でも今だけは、ただ馬鹿馬鹿しい話が楽しかった。


「そういえばさ」

 少し騒ぎが落ち着いた頃、奈緒がぽつりと言った。

「下の子たち、ちょっと揉めてるの聞いてる?」

 結花がきょとんとする。

「いや……最近学校あんまり顔出してないし。誰からも連絡来てないから……」


 すると、奈緒と灯が微妙な顔を見合わせた。


「……ホント?」

「え?」

 結花が瞬きをする。

 何を聞かれているかわからない。

 灯が困ったように頭を掻いた。


「なんて言うかさ……」

「〝ゆいか”が、良い意味でも悪い意味でも影響デカすぎたんだよね」

 その言葉に、結花が固まる。

 灯は結花の様子を見つつ続ける。

「皆、ゆいか中心で音作ってた部分あったから……」

「だから今、自分たちの音が作れなくて揉めてるって」

 結花は話を聞き終えると、数秒黙る。

 そんな風に考えた事、なかった。

 自分はただ、必死だっただけだ。


 歌って、皆で音を合わせて、ライブして。

 それが楽しかった。

 知らないうちに、支柱みたいになっていたのかもしれない。

 結花は少しだけ困ったように笑う。

「そっか……」

 それから、静かに続けた。

「でもさ……」

 皆が顔を上げる。

「それは、自分達で乗り越えなくちゃ、仕方なくない?」

 静かな声。

 だけど、どこか大人びていた。

 正論すぎる答えに灯が苦笑する。


「だよな!?」

 男子メンバーの一人も、小さく頷いた。

「俺らに頼って、どうすんの……」

「もう卒業よ?俺ら」

 その言葉に、場が静かになる。

 誰も、続けて喋れなかった。

 皆、同じ気持ちだからだ。


 終わる。


 この時間は、永遠じゃない。

 学生でいられる時間も。

 “いつものメンバー”で集まれる日々も。

 全部、少しずつ終わっていく。


 だからこそ、今この瞬間が全て愛おしかった。

 重くなりかけた空気を、灯がパンッと手を叩いて変える。

「ところで!」

 わざとらしく声を張る。


「一番、皆がツッコミたかった事を発表しまーす!!」

「やめなさいその前振り」

 奈緒が笑いながら止めない。

 灯は完全に楽しそうだった。


「結花ちゃーん!」

 その響きに結花は嫌な予感しかしない。


「阿闍梨とどうなった?」

「……」

 結花が止まる。

 周囲が一気にニヤついた。


「K大のコンパ後から、続報ないし?」

「今日は雰囲気違うし?」

「学校来なくなって、どこ行ってんの?」

 質問が飛び交う。


 結花は一瞬固まった後、勢いよく返した。

「就活に決まってるじゃん!」

「へぇー……」

 灯がニヤニヤする。

「でも前ほどの悲壮感ないじゃん」

「前、ガチで死にそうだったし?オワタ、オワタって」


「今、なんか……」

 奈緒が結花をじっと見る。

「女っぽくなった?」

「わかる」

「なんか空気が柔らかい」

「え、やだ……」

 結花が顔を覆う。

 すると灯が、机へ身を乗り出した。

「で?」

 おしぼりをマイク代わりに結花の前に差し出す。

「……ご想像にお任せします?」

 結花は惚けた。

 だが、その瞬間。

 一同、

「うわぁ……」

 という顔になる。


「何その余裕……」

「絶対なんかあった!」

「え、逆に怖い」

「阿闍梨、還俗した?」

 矢継ぎ早に声が飛ぶ。

 結花は笑いながら、

「もう、そんなんじゃないって!!」

 と言いながら烏龍茶を飲む。

 だが、完全に否定しない。

 皆にはそれだけで、答えとして十分だった。


「ていうかさ!!」

 結花が、とうとう耐え切れなくなったみたいに言う。

「その“阿闍梨”って、何なの?」

 騒がしい一同が一瞬止まる。

「K大の人とか、みんな阿闍梨、阿闍梨って!!」

「私、そんな身近にお坊さんいた?」

 その瞬間、爆発的な笑いが起きた。

「知らなかったの!?」

「本人認識なし!?」

「マジかよ!」

 結花は完全に困惑して眉を下げている。

 灯が腹を抱えながら言う。


「いやだって、あの人、完全に阿闍梨だったじゃん!」

「禁欲系っていうか、仙人っていうか」

「高級感あるのに、俗世へ興味なさそうな顔してる」

「女に興味ない感じなのに、妙に色気だけあるし……」

「しかも近寄り難い!」

「あと怖い。近寄るなオーラ」

「わかる」

 皆が頷く。

 結花はぽかんとしていた。

「えぇ……そんな風に見てたの?」


 奈緒がニヤニヤしながら、追撃する。


「しかも、結花相手の時だけ微妙に空気違ったんだよねー!!」

「そうそう!」

「阿闍梨なのに、ゆいか見る時だけ人間味あった」


「だから、“堕とせる女いるんだ”ってK大の掲示板で噂になってたんだよ」

 結花がその事実に固まる。

「待って、そんな事になってたの!?」

「なってた!!」

 皆が声を合わせて即答する。


「しかも、K大コンパで迎え来た時、完全に還俗寸前だったし!?」

 灯が煽るように言うと再び爆笑。

 結花はとうとう顔を覆った。

「もうやだ……!」

 頭の中には、軽井沢で自分をタクシーから引きずり出した玲の顔が浮かぶ。


——還俗。

 確かに。

 もう完全に、していた。

 結花の手からはみ出した耳が、真っ赤に染まっている。


 初夏の夜風が心地よかった。

 また皆で集まろう。

 そう約束はした。


 けれど、この日と同じ時間は、もう二度と戻らない。


 社内の昼休み。

 珍しく、玲は社員食堂へ来ていた。

 周囲は若干ざわついている。


 最近の玲は何故か機嫌がいい。

 怖くない。

 でも色気が増してる。


 結果、余計近寄り難い。


 そんな中。

 玲の端末へ、通知が入った。

 画面を見ると結花からだった。


『玲さん、阿闍梨ってあだ名ついていたの知ってました?』

「……なんだそれ」

 思わず、声に出た。


 向かいに座っていた後輩の高橋がビクッと肩を揺らす。

 よりによって、今日一緒に昼へ来てしまった事を既に少し後悔していた。

 しかし、玲が珍しく明確に困惑している。

 高橋は興味本位で恐る恐る聞く。

「先輩……どうかしました?」

 玲は端末を見たまま、低く呟く。

「いや……」

 数秒考えたが、玲は答えが浮かばない。

「なんか俺、一部界隈で“阿闍梨”って言われてるらしくて……」

 高橋は止まる。

(あぁ……)

 心の中で、全力で頷いた。

 むしろ、今知ったんですか?

 周りから見たアナタの評価は箇条書きにできますよ。

 近寄り難い、禁欲的、感情読めない。

 職場と家と出張先を往復するだけ。

 修行僧みたいにプライベートがない。

 完全に1000日修行した阿闍梨。

 しかし最近、そんな浮世離れした阿闍梨が“還俗した感”との噂まである。


 だが、それを口にしたら社会的に死ぬ。

 この先輩に完全に無かった事にされる。

 高橋は全力で表情筋を制御した。


「……はぁ」

 とまるで反応していないような返事を頑張った。

 かなり頑張った。

 だが、残念な事に口角が死ぬほど震えている。


 玲はそこでようやく顔を上げ、じっと高橋を見る。


「……お前、何か知ってるな?」


 終わった。

 高橋は心の中で、自分の運のなさを嘆いた。

お読みくださって、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
当の本人達が今更知る、阿闍梨感!笑 どんだけ俗世から浮世離れしてたんだ玲さんよ!笑 そして、名残惜しい大学生活。 揉めるほどゆいかに依存してた後輩たち。 みんなそれぞれ、巣立っていくんだなぁと思う…
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