【閑話】幸せを願う人たち
「いや、参りましたな。一瞬、肝が冷えました」
「ええ。本当に……。人を侮ってはならぬと、改めて教えられました」
帰路のタクシー。
玲の父と一条は、ようやく肩の力を抜いたように苦く笑う。
二人の脳裏には、先ほど交わされた結花の祖父の口上が、今なお鮮明に残っていた。
『本日より、孫は御家へ参じ候者。何卒、末永うお導きくだされ』
『御両家の弥栄を、心より寿ぎ奉る』
あれは単なる挨拶ではない。
古い土地に残る名家だけが受け継いできた、家と家を結ぶための言葉だった。
家庭調査の記録で、土地柄は把握していた。
「まさかご存知だとは……」
「地方にもまだ残っているものですね」
「嬉しい誤算です。これなら当家受け入れ許可の裁可も早まるでしょう」
「玲君たちは?」
「あぁ……。これから『お嬢さんを私にください』をやるそうです」
玲の父親は口角を上げて答える。
「それはそれは……。では結納前に私にも非公式に頼もうかな?娘の親としてそのセリフを夫婦で聞くのが夢でした」
一条は楽しそうに笑う。
「ではそのように愚息にも伝えましょう。縁組の日にちに合わせて、改めて縁談を申し込むことにいたしましょう」
「ええ、最短で婚姻まで進めるには、その方がよろしいでしょう。どちらもご当主に何度も御出座願うと余計な虫まで寄ってきますからね」
「確かに、確かに」
二人は顔を見合わせて笑う。
景と馨の婚姻を機に、分家筋では縁談が一斉に動き始めていた。
未婚の子を持つ家は、少しでも良縁を得ようと水面下で動く。
朝比奈家も、その渦中にある。
だが、玲は違った。
息子が、自らの意思で選んだのは、ただ一人。
制約ばかりの人生で、唯一、自分自身で決めた伴侶だった。
――ならば、親として認めてやりたい。
初めて会った彼女は、経緯はどうあれ『箱根芸者』だった。
職業に貴賤はない。
そう言い切るのは簡単だ。
だが、その建前だけで済む世界ではない。
現実には、必ず横槍は入る。
家柄を重んじる者ほど、そこを突いてくるだろう。
朝比奈は隣りに座る一条氏を横目に言う。
「こちらからお願いした話でしたが、本音を聞かせてください」
「気になりますか?」
「ええ。我々鷹司にとっては都合が良すぎて……」
「そうですね。我々鳳院にとって、候補は少なくとも三家ありました」
「……ほう」
「ですが、家格だけでは足りません」
「契約結婚という形を受け入れ、なお家を支えられるお嬢さんかと言えば……。私どもは難しいと考えました」
「昨今の多様性やらで親も子どもに家の制度を教えきれず、甘やかしてばかりです。その価値観では契約結婚は務まりません」
「自分が一番だと考える女性を朝比奈家へ縁付かせても夫婦として鷹司家引いては馨様のサポートまで出来ません」
「……そうですね」
「鳳院家は葵を鷹司本家に入れてもらった恩がある。しかしそれで葵は鳳院の縁者ではなくなった。コチラとしても悩んでいたんですよ。どうにかして、馨様をサポートできる鳳院家の縁者はいないかと……渡りに船とはこの事ですね」
一条はなんでもないように笑う。
「彼女は、私どもが求めていたものを、すべて揃えていた」
「鷹司の宝石を守れること」
「朝比奈の執着を受け止められること」
「そして馨様と葵との関係を壊さないこと」
「足りなかったのは、縁付かせられるだけの家格だけです」
「なるほど、鷹司の宝石までご存知でしたか」
西の鳳院。
その筆頭たる一条の情報網は、想像以上だった。
「しかし、朝比奈の執着とは?初めて聞きましたよ?」
「今代のご当主夫妻はどちらも噛み合ったから良かったと評判ですよ?朝比奈さん」
「……兄貴か」
「ええ。朝比奈家の長男が鷹司家のご当主が生まれた時から生涯守ると決めた話は有名です。執着以外の何物でもない」
ハハハと軽く笑う一条に朝比奈は顔を覆った。
「我々は契約の世界で生きているが、不幸を作り出したい訳ではないのです」
「それに、あんなに素直で、肝が据わって、可愛い娘なら是が非でもと願うのは当然ではありませんか?」
「確かに。私も娘に欲しいと思いました」
「軽井沢では愚息の出来の悪さに夫婦で嘆きました。嫁を取り逃したのかと…。今となっては笑い話です」
「驚きましたね。ただ、彼の本気を見れたのでよかったと思いました」
そう言って一条は苦笑した。
【長谷川家にて】
結花が連れてきた『彼氏』は父の目から見ても悔しいが何も文句をつける事が出来ない程の好青年だった。
結花の話をするたびに一度は結花と目線を合わす。
そしてこちらの質問に過不足なく即答する頭の回転の良さ。
礼儀正しく、笑顔がさわやか。
イケメンなどと軽く言えない美形。
想像の遥か上の人物だった。
本当に悔しい。
だが、あれほどの男を連れて来られては、父親として文句のつけようがなかった。
結花たちはその後用事があるとすぐに帰っていった。
夜、親父に呼ばれて夫婦揃って久しぶりに実家へ行った。
「わざわざすまないな」
「いや、親父。急になんだ?」
「まぁ、座りなさい」
珍しく応接室に通される。
怪訝に思いながらソファーに座った。
お袋がお茶を出して、親父隣りに座る。
「お前たちに改めて話がある。今日、結花と玲君から挨拶があったと思うが……」
「あぁ、それなら来た。結花、すごい男を連れて来たな……。初めは結婚なんてまだ早いと反対するつもりだったがな……」
「なに言ってるの、あなた!最初からもう頭ペコペコしてたじゃない!」
隣りに座る嫁が声をあげて笑いながら言う。
「最初はびっくりしましたけど、結花を常に見ている姿に安心しました」
「そうか、そうか」
そう言って親父は少し黙った。
「どうしたんだ?今日は……」
「反対はしていないんだな?」
「あぁ、出来るような空気じゃなかった」
俺は親父に苦笑する。
「よし。話は……結花は養女に出す」
「は?」
「え?」
「いや、待ってくれ。なんで今養女なんだ?話がわからんだろ……」
「そうですよ、お義父さん!急に養女だなんて……」
「今日は、ここに結花たちと一緒に彼の父と一条さんが来られた」
「一条さん?」
「玲君の家に結花が嫁ぐには、家格が足りん……。そこで一条さんが、」
「いや、待ってくれ。結花たちが結婚前提に付き合っている事は聞いた。だけど家格?なんだそれ?」
「この時代に、家がどうのって……。一昔前のドラマでもないでしょうに。ねぇ?あなた」
「お前たちはそう言うと思い、わしが話をした」
「親父!!俺たちの娘だぞ!?そんな、勝手に話を進めるなよ!!結花には、そんな男は止めろって言う!養女なんて俺は認めないからな!」
すると親父は暫く俺の顔を黙って見てため息を吐いた。
「あのな、結花はもう自分で自分の事が決められる。全てわかって此処に来たんだ」
「だけど…」
「お前たちの気持ちはわかる。自分たちの子どもだ。わしが決めたのは腹立たしいだろう。だがな、これはあの子の幸せのために必要な事だ」
「結花のために……」
「あちらの家はウチとは比べ物にならない程にしっかりした旧家だ。しきたりや本家、分家がしっかり残っている」
「一条さんは結花の後ろ盾になってくださるとお約束いただいた。結花に足らんものを教え、導いてくださる」
「……」
「結花はお前たちが十分愛して育ててくれた事はわかっている。ただ、それだけでは済まない人を好きになった」
「普通なら叶わぬ恋で終わった」
「だが、今、結花の周りにはその恋を支えて下さる方々がおるのだ。娘が心から望んだ事を親として黙って見守ってくれないか?」
「……」
「あの……、養女になったら結花との縁は?」
「大丈夫。先方さんは許してくれている」
「そう…ですか。よかった……」
「ただ…、結花から呼ばれない限りは控える方がいいだろう……」
「なんでだ?親父」
「お前たちとは生きている世界が違う。ルールのわからないところへ自分たちの価値観で話をしても通じないぞ?」
「それにな、お前たちは家族を守るためによく働いてきた。だからこそ、結花はここで育てた。その事は結花もよーくわかっとる」
「今までと同じように、あの子を信じて送り出してやれば、それで十分ではないか」
「……」
隣りから嫁のすすり泣く声が聞こえる。
「娘の晴れ姿は見られるのか?」
「ああ、先方さんが親族席を用意して下さる。皆で行こう」
隣りで泣く嫁の肩を抱き、
「良かった、娘の晴れ姿は見れるんだ。良かった……」
そう繰り返すしかなかった。
後日、一条氏が弁護士と共に親父の家に来られた。
親父が見守る中、一条家の事、結花の今後について説明を受けてから契約書に夫婦連名でサインした。
「結花さんの事は一条が確かにお預かりします。養女や嫁に行ったところで、こちらで育った事には変わりありません。これからは私達ともどうぞ末永くお付き合い願います」
そう言って一条氏は深々と頭を下げてから帰って行った。
「結花、大変な人と結ばれちゃったのね……。私、もっと一般的な人だったら……」
「もう、言うな。それに、あの日。結花は玲君と並んで幸せそうに笑っていたじゃないか」
「そうね。そうだったわ!」
「母である事は変わらないんだぞ?」
「これから結花が母になる日が来たら、一番に支えてやれるのはお前だ」
「だから、結花が遠慮しないように、これからもいつもどおりでいてやろう」
「あなた……。見直した!」
「そうか?」
「ええ。あなたの事、また好きになったわ」
そう言って娘とそっくりな俺の嫁は静かに笑った。
お読みくださって、ありがとうございます。
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