お祖父ちゃんと一緒
一条氏と朝比奈の父、それに玲と結花が、結花の祖父を訪ねたのは、それから間もなくのことだった。
玄関の引き戸が開く。
「お祖父ちゃん、今日はありがとう。こちらは私とお付き合いしている朝比奈玲さん。それから、お父様と一条さんです」
紹介を受け、祖父は穏やかに笑みを浮かべた。
「長谷川結花の祖父でございます。遠いところをお越しいただき、ありがとうございます」
深く一礼する。
玲も、一条氏も、朝比奈の父も丁寧に頭を下げた。
「どうぞ、こちらへ」
祖父は三人を応接間へ案内する。
決して豪華な家ではない。
だが、磨き込まれた廊下も、季節の花が飾られた床の間も、家主の几帳面さを物語っていた。
祖母が皆にお茶を振る舞い、
「何もないところですが、ごゆっくりしていってくださいね」
そう微笑んで一礼すると、静かに部屋を後にした。
「ありがとうございます」
一条氏が礼を返し、皆もそれぞれ湯呑みに手を伸ばす。
湯気とともに立ち上る、香ばしい茶葉の香り。
「あぁ、美味い」
朝比奈の父が思わず声を漏らした。
「今年の新茶です。近所で分けてもらったものですが」
「新茶ですか。それは寿命が延びますな」
一条氏も柔らかく笑う。
穏やかな空気が流れる。
だが――。
「さて、御用向きを伺いましょう」
祖父の一言で、部屋の空気が静かに張り詰めた。
「まずは私からご説明いたします。朝比奈玲の父でございます。本日は、愚息と結花さんとのご縁についてお願いに参りました。その前に、我が家についてお話しさせていただければと存じます」
朝比奈の父は姿勢を正すと、主家である鷹司家と分家である朝比奈家の成り立ち、そして両家の立場について、要点を押さえながら説明していく。
祖父は一度も口を挟まず、静かに耳を傾けていた。
「……なるほど。だから、家格ですか」
深く刻まれた皺が、さらに寄る。
祖父はしばらく考え込むように湯呑みへ視線を落とした。
少しだけ、沈黙が場を包む。
「結花は、ごく普通の家で育ちました。その……家格や作法、社交のしきたりなど、我が家では教えてやれることにも限りがあります」
祖父は小さく息を吐いた。
「この子が苦労するのではないかと、それだけが気掛かりです」
「そのことで、私から一つお願いがございます」
一条氏が穏やかな笑みを浮かべて口を開く。
「不躾なお願いではございますが――」
「結花さんを、我が一条家の娘として迎えさせていただけないでしょうか」
応接間が静まり返る。
「え?」
祖父は戸惑った声を出した。
「いや、その……。それはどういう事でしょうか?」
「はい。では、続いて私どもの話をさせていただきたく存じます」
一条氏は、一条家が主家・鳳院家の分家であること、そして両家の立場や、主家の娘である馨と鷹司家との関係について、要点を押さえながら静かに説明していく。
「もちろん、我が家にも利がございます」
一条氏はためらうことなく続けた。
夫婦には子どもがおらず、一条家には将来家を継ぐ者が必要であること。
結花を娘として迎え、朝比奈家へ嫁いでもらうことで、一条家と朝比奈家の縁がより強く結ばれること。
そして、その縁は結花の将来を支える後ろ盾となり、一条家にとっても何ものにも代え難い財産となること。
「ですから、この話は決して一方的な善意ではございません。我が家にも得るものがあるからこそ、こうしてお願いに参りました」
一条氏は話せる範囲の事情を包み隠さず、祖父へ誠実に語った。
「わかりました」
祖父はゆっくりと頷いた。
「こちらとしては、ありがたいお話です。ですが……、一条さん。私どもは何をお返しすればよいのでしょう」
「いいえ。我が家こそ、ご縁をいただく立場でございます。結花さんに娘として来ていただける。それ以上に望むものはございません」
祖父はもう一度、深く息を吐いた。
「いやはや……。孫から少し話は聞いておりましたが、予想よりもずっと大きなお話でしてな。正直、まだ実感が湧きません」
しばらく黙って玲を見つめる。
「……玲君だったか」
「はい」
「君は結花をどうするつもりだね?」
「はい。生涯をかけて共に歩みたいと思っております」
「結花の事を支えてやってくれるかね?」
「もちろんです。ですが、支えられているのは私の方です」
玲は結花を見つめ、ふっと笑みを浮かべた。
結花は頬を赤く染める。
「彼女のいない人生は、もう考えられません。そう思えた女性は、結花さんが初めてです」
二人の様子をじっと見ていた祖父は、
「……そうですか」
そう言ってゆっくりうなずいた。
「わかりました。結花、よかったな」
そう言って目尻の皺を深める。
その笑顔は、幼い頃から何度も見てきた祖父の笑顔だった。
「……うん」
結花は小さくうなずいた。
祖父のその笑顔を見て、胸の奥で張り詰めていたものが、ようやくほどけていった。
「それで、今後は我々はどうすればよろしいですかな?」
「必要な書類はこちらでご用意いたします。その際、ご両親からもご署名をいただきたく存じます」
「承知しました」
少し間を置いて、祖父が口を開く。
「……家族として、これまでどおり付き合ってもよろしいのでしょうか」
「もちろんでございます」
一条氏は穏やかに微笑んだ。
「離縁ではございません。新たな家族が増える、そのようにお考えいただければ幸いです」
「……そうか、そうか」
祖父は嬉しそうに二度うなずいた。
「婚姻に関わる儀式につきましては、一条家で執り行わせていただきます」
「いや、それはありがたい」
祖父は照れくさそうに笑う。
「結納返しとなると、恥ずかしながら我が家では十分なお支度ができませんでな……」
「どうか、そのようなお気遣いはなさらないでください」
「披露宴では、ご親族のお席をご用意いたします。ぜひ皆様でお越しください」
「ありがとうございます」
「皆さん、お昼になりましたよ。一度休憩されてはいかがですか? よろしければ、お食事にいたしましょう。田舎料理ばかりですが、召し上がっていってくださいね」
祖母はそう言って、最初の膳を応接間へ運び入れた。
「お祖母ちゃん、私も手伝うね」
結花は素早く立ち上がり、慣れた足取りで台所へ向かった。
その姿を見て、玲は自然と口元を緩める。
言われる前に立ち上がり、当たり前のように祖母を手伝う。
そんな何気ない仕草に、この家で積み重ねてきた年月が見えた。
「いや、長谷川さんのご内儀はお料理がお上手だ。大変美味しくいただきました」
「まあ、お粗末さまでした。お口に合ったようで何よりです。よろしければ、お茶のおかわりもどうぞ」
「ありがとうございます」
「玲さん、良かったら結花のアルバム見ませんか?」
「……!お祖母ちゃん!!」
「それは是非とも!」
和やかに食事を終えると、祖母が結花と玲を別の部屋へ呼んだ。
二人が部屋から出たところで大人たちは話に戻る。
「それで……、ご両親にはこの件はなんと?」
「倅は、家長制度のことは教えず育てました。まさかこんな田舎にご縁があるとは思っておりませんでしたからな。あっても地域の有力な方ぐらいだと思っていました」
少し笑った後、決意した目を二人に向けた。
「この件はそちら様にご迷惑をお掛けしないよう、私が責任を持って息子夫婦に話を致します。ですからどうぞ結花の事を頼みます」
「もちろんです」
祖父は一度立ち上がり、改まって両手を床につける。
「朝比奈様、一条様」
「本日より、孫は御家へ参じ候者。何卒、末永うお導きくだされ」
「御両家の弥栄を、心より寿ぎ奉る」
両者は一瞬だけ目を見交わした。
そして静かに表情を引き締める。
一条氏は祖父と同じように床へ膝をつき、深く頭を垂れた。
「謹みて、拝受いたします」
「長谷川様の御心、末代まで忘れ申さず」
「この御縁、一条家にて末永う相守り申すこと、お誓い奉る」
結花は、そんなやり取りがあったとは知る由もなかった。
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