告白できなかった理由(わけ)
「お久しぶりです。お元気そうですね」
玲とともに訪れた都内のハイラグジュアリーホテルのラウンジ。
待ち合わせていた一条氏は、結花が口を開くより先に、朗らかな笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。軽井沢ではご挨拶もできず、失礼いたしました」
結花も柔らかく微笑み、軽く頭を下げる。
「あなた、私にも紹介してくださいな」
一条氏の隣に立つ夫人が、夫の肘を軽くつついた。
結花は改めて二人へ向き直る。
「改めまして、長谷川結花です。どうぞよろしくお願いいたします」
「一条です。こちらは妻の煕子です」
「煕子です。はじめまして、結花さん。お会いできるのを楽しみにしていました」
煕子も穏やかな笑みを浮かべ、結花へ手を差し出す。
結花もその手を取り、自然と笑みがこぼれる。
その様子を見届けた玲が、静かに口を開いた。
「では、参りましょう」
四人はラウンジを後にし、予約していたレストランへと向かった。
個室へ移動すると、食前酒が運ばれてきた。
一条氏はグラスを手に取り、穏やかに口を開く。
「我々のご縁と、各主家の繁栄を願って。乾杯」
「乾杯」
四人のグラスが軽く触れ合う。
一口含み、一息ついたところで、一条氏が切り出した。
「軽井沢では、どうなることかと肝を冷やしました。しかし、話し合いがうまくまとまったようで安心しました」
玲は落ち着いた表情のまま応じる。
「ご心配をおかけしました。結花さんと、ようやく交際できました」
「それは何よりです」
その言葉に、煕子夫人がくすりと笑う。
「婚約のお話をしていたのに、『ようやく交際』だなんて。結花さんも困ってしまいますわよね?」
「……はい」
結花は少し考え、小さくうなずいた。
「彼の気持ちが分からなくて……。私が先走ってしまいました。ご心配をおかけしました」
「それは違いますわ。何もおっしゃらない殿方が悪いのです。そうでしょう、あなた?」
一条氏は苦笑を浮かべる。
「何事にも段取りというものがある」
「ええ、それは分かっていますわ。でも、それは家同士のお話でしょう?」
煕子夫人は穏やかな笑みを浮かべた。
「女性は、お相手のお気持ちが分からないまま婚約のお話だけが進むと、不安になるものです」
「……」
「『好きです』の一言くらい、先に伝えて差し上げてもよかったのではなくて?」
玲は何も答えられなかった。
結花は、うんうんと何度も頷く。
「結花さんも、想いは言葉にしなくては、殿方には伝わりませんよ?」
「はい。承知しました。これからは、お互いの気持ちをちゃんと言葉にできる関係でありたいと思っています」
和やかに会食は進んだ。
思い出話に花が咲き、笑い声が絶えることはない。
やがてメインディッシュも終わり、デザートと食後の飲み物が運ばれてくる。
そこで、一条氏が静かに姿勢を正した。
「さて、本題に入ろう」
その一言で、個室の空気がわずかに引き締まる。
「結花さん。突然の話で驚くだろうが、君を我が家の養女として迎えたいと考えている」
結花はゆっくりと瞬きした後で頷く。
「はい。玲さんから聞いています。結婚に必要だと……」
「君は未だに家格やしきたりというものを愚かな風習だと思うかい?」
「いえ、確かに私にはまだ理解出来ていない部分はあります。ですが、田舎の祖父母に育てられたので、本家や分家についての複雑さは少しだけわかります。鷹司家や朝比奈家とは比べられませんが……。田舎でも冠婚葬祭は煩いんです。私はごく普通の家庭で育ちました。その私が一条家の養女となることで、ご当家にご迷惑をお掛けすることはありませんか?」
「君の懸念はもっともだ。失礼を承知で言うが、君のご家庭については少し調べさせてもらった。そのうえで問題はないと判断している。だからこそ、今日、こうして君にお願いしている」
「……。あの、失礼ですが他のご親族の皆様は?」
「あぁ、まだ話していなかったね。我々夫婦には子どもがいない。愛しあっていても、縁がなかった」
一条氏はふと煕子夫人を見る。
煕子夫人は一条氏に微笑む。
「……」
「私たちは、今まで分家筋からの養子も考えた事はあった。だが、うまくいかなかった」
「いずれは鳳院家分家筆頭を他家に譲り、一条家の最後の当主となるつもりだったが……」
一条氏は静かに玲へ視線を向ける。
「しかし、それでは本家と分家の力の均衡が保てない。恥ずかしい話だが、内部で諍いの種になる。困っていた時に朝比奈家からこの話を頂いた」
一条氏は穏やかに笑う。
「もちろん、それだけで君にお願いしているわけではない」
「強羅で初めて君を見て、君の胆力に舌を巻いた。あの時の複雑な状況でも、君は取り乱すことなく笑顔でその場を収めていた。あの後朝比奈家から君の事を紹介されて……。すぐに煕子に話をした」
煕子夫人も結花を見て、
「ええ、夫から娘に欲しいと打ち明けられました。今まで子どもの話は積極的ではなかった人なのに」
煕子夫人がコロコロと笑う。
「そして、軽井沢で君とゆっくり話をしたかったのだが……」
玲は苦笑しながら、
「申し訳ございませんでした。こちらも不測の事態でして……」
「まぁ!!あの場にいた皆様、驚かれていましたよ?」
「あの、ご迷惑をおかけしました」
結花はいたたまれずに一条夫妻に頭を下げたあと、玲を見上げた。
玲も結花を見つめ、
「あの時、皆様があの場にいてくださらなければ、私は彼女の手を離していたでしょう」
そして結花の手をしっかりと握る。
一条氏はそれを見て、
「結花さん。玲君が君に話をしなかったのは、タイミング的に出来なかったからだ」
「はい」
「あの時期に気持ちだけを優先していれば、君に対して失礼な言い方になるが、玲君は君を愛人という立場に置くしかなかった可能性もある」
結花はハッとした顔で玲を見る。
「家の契約と、個人の想いは必ずしも一致しない」
「……はい」
「それについては、嫁入り前に我が家で少し学んでもらえないだろうか?」
「願ってもないお話です」
「よかった。妻も娘ができると大変喜んでいてね。いろいろと迎える準備をしている」
「御本家に馨様がお嫁入りされましたので、あまり時間がありませんが、私はあなたを本当の娘と思い接していきたいと思っています」
「どうぞよろしくお願い致します」
結花は改めて一条夫妻に深々と頭を下げた。
一条氏は深く頷いた後に、
「ご実家への説明と手続きをしたいと思っているのだが、朝比奈家に伺って構わないかい?」
「あの、玲さんには話をしたのですが……。結婚の話はまず父ではなく、祖父にお願い致します。娘の口から申し上げづらいのですが、父は家同士の婚姻に理解がないのです。その点は祖父から父へ話をしてもらうのが、長谷川家では一番円満だと考えています」
「わかりました」
「日程については朝比奈の父から一条さんの都合を伺うようにと事付かっております」
「そうですね……」
一条氏と玲は二、三日を挙げて結花の実家に向かう日を決めていく。
煕子夫人は結花を見て優しく微笑んだ。
「私、娘が出来たらやりたかった事がたくさんあるのです。お茶や買い物など、楽しみだわ」
「はい。私も楽しみにしています」
結花も笑った。
「おやおや、もう遊ぶ予定が?父も連れて行っておくれよ?」
更に笑いながら一条氏も会話に加わる。
「ええ。でもたまには女子会にさせていただきますよ?」
「わかった。では今日はこの辺りで……」
「はい、お時間いただきありがとうございました」
玲が一条夫妻に頭を下げる。
それを見た結花も同じく深くお辞儀する。
「では、またね」
そう言って、夫妻は席を立った。
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