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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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朝比奈玲は彼女を部屋に呼びたい

「玲、今日は家に来なさい」

 父からの通話だった。

 静かな声。

 怒鳴る訳でもない、感情を荒げる訳でもない。

 だが確実に拒否は出来ない声色。

 玲は数秒黙った後、

「……はい」

 それだけで、通話が切れる。

 玲は端末を伏せ、小さく息を吐いた。


 早いな、と思う。

 いや。

 当然か。

 軽井沢であれだけ盛大にやれば……。

 玲は端末を閉じる。

 そして、山積みになった仕事を片付け始めた。

 

 稟議書、決裁書を即決、未決と振り分けていく。

 今日の玲は妙に機嫌がいい。

 普段以上のキレとスピードに判断待ちの書類はどんどん捌かれていく。

 部下達は若干困惑していた。

 怖くはない。

 むしろ穏やか。

 なのに、禁欲的に整えられたスーツ姿から漏れる色気が凄い。

「室長、なんか今日……」

「見るな。仕事にならなくなるぞ…」

 社員の間で小声で囁き合う。

 そんな周囲を完全に無視して、玲は定時ぴったりでパソコンの電源を落とした。

 珍しい。

 ほぼ奇跡。


 玲は立ち上がり、上司の席へ向かう。

 景が書類から顔を上げる。

 玲は淡々と告げた。

「実家に帰ってこいと、父から連絡がありまして…。何かありましたら、端末の方へお願いします」

 景は数秒、玲を見る。

 そして、片方の眉だけをゆっくり上げた。

 何があるかを完全に察している顔。

「今日はない」

 一言の返事。

 玲は小さく目を細める。

「行ってこい」

 その声音が、面白がっていた。


 実家へ戻ると、使用人が静かに頭を下げた。

「お帰りなさいませ」

 玲は短く頷き、そのまま応接室へ向かう。

 扉を開けた瞬間、僅かに目を細めた。

 めずらしく、両親が二人揃って静かにソファーへ座っている。

 向かいには一条夫妻の姿もあった。


 これは、完全に“家の話”だ。

 玲は一条夫妻に向かい、静かに一礼した。

「お呼びでしょうか」

 父がゆっくり頷く。

「玲」

 低い声。

「それで、先方さんへ挨拶するのはいつだ?」

 単刀直入だった。

 玲は少し考え、答える。

「現時点では、未定です。彼女が今、実家へ戻っていますので…。こちらへ帰って来てから、調整したいと思っています」

 父は静かに頷いた。

「そうか」

 だが、その空気は重い。

 すると、隣で黙っていた母が突然口を開いた。

「貴方…」

 玲が視線を向ける。

 母はかなり真剣な顔だった。


「強引に話を進めたのではないのでしょうね!?」

 玲が一瞬黙る。

 母の視線が鋭い。

「成年とは言え、まだ学生さんでしょ?」

「その辺は……!」

 玲はそこで、珍しく少しだけ視線を逸らした。

「ええ」

 静かに返す。

「彼女からも、承諾は得ています」

(何度も、何度も確認した)

 脳裏へ浮かぶ、泣きながら頷いた結花。

 恥ずかしそうに『承知しました』と返した顔。

 思い出した瞬間、玲の口元へ僅かに笑みが滲む。


 その変化を、両親は見逃さなかった。

 母が静かに天を仰ぐ。

「あぁもう……」

 父は一つ咳払いをし、話を戻した。


「それでだな…」

 玲が姿勢を正す。

「先方へ説明する際は、私も同行する」

 玲は思わず、父を見る。

 朝比奈家の父は、基本的に鷹司本家から動かない。

 その父が、自ら同行すると言った。

 つまり、朝比奈家として正式に動くという事だ。

 父はそのまま続ける。

「先方の意向を確かめてから、養子縁組について説明したいと思っている」

 玲の目が、僅かに細まる。

「……わかりました」

 父は頷く。

「海外の御当主にも、既に話は通してある。日時が決まり次第、連絡しなさい」

 静かな声。

 朝比奈家はもう、完全に結花を迎える前提で動いていた。

 そして、玲は一条夫妻に先日、話を中座した事を詫びる

「いや、話し合いが上手くいったのであれば構いません」

 と苦笑した。

「我々は一度結花さんと話をしたくて参ったのです。娘として受け入れる準備もございますので…」

「承知しております。愚息がここまでお待たせするとは…。一条さんには何度もお手数をおかけして申し訳ございません」

 父は玲を見て少しだけ顔を顰めた。

「私共にとってはこのご縁はとても喜ばしい事で、まずお話をいただき感謝しているのです。ご本家筋の候補もありましたでしょうに…」

「鷹司の方からも馨様との縁を強力にしたいという意向がございました。思い切ってこちらからご相談してよかったと思っております」

 両親と一条夫妻がお互いに笑みを深める。

 その後、玲は結花が一度帰京するタイミングで一条夫妻と会食する約束をした。


 夜。


 僅かに発生した仕事を終え、静かな部屋へ戻った玲の端末へ通知が入る。

 画面へ浮かんだ名前を見た瞬間、玲の表情が少しだけ緩んだ。


『仕事、お疲れ様。』

 短い一文。

 だが、今の玲にはそれだけで十分だった。

 続けて表示されるメッセージ。


『お祖父ちゃんがね、お父さんより先に話を聞くって』

『日時は玲さんに合わせるから、連絡欲しいって言っていたよ』

 玲はその文面を、静かに読み返す。


 “玲さん”。

 まだ少しだけ、慣れない呼び方。

 けれど、その文字だけで胸の奥が熱くなる。

 玲はソファーへ深く腰掛け、端末へ返信を打った。


『その件は、家からも父が同行する』

 数秒止まる。

 父が動く意味を、結花がどこまで理解するか。

 少し考えた後、玲はそのまま続けた。


『結花のスケジュールと合わせて、一緒に考えよう』

 送信。

 数秒後に既読になる。

 玲はその小さな表示を見ながら、無意識に口元を緩める。

 今までなら、仕事の連絡だけだった。

 必要な事だけ。

 だが今は違う。

 “何もなくても連絡していい”そう言った意味が、少しずつ形になり始めていた。

 

 結花が下宿先へ戻ったのは、軽井沢で玲と別れてから五日後の事だった。

 久しぶりのアパート。

 狭い玄関。

 少し湿った空気。

 洗って置いたままのマグカップ。

 現実へ戻ってきた感覚がする。

 結花は大きく息を吐き、スーツケースを部屋の隅へ置いた。

 

 実家では、最低限の事だけを話した。

 地元銀行の内定。

 そして『紹介したい人がいる』という事。

「えっ、結花が彼氏連れてくるなんて初めてじゃない!?」

 母は完全に浮かれていた。

 夕飯を並べながら、顔が明るかった。

「どんな人!?さっき年上って言ってたよね?優しいの?」

 質問が止まらない。

 一方で、父はかなり複雑そうな顔をしていた。

「今、彼氏はタイミング的にどうなんだ……」

 苦虫を噛み潰したみたいな表情だった。

 就活中の学生、まだ卒業はしていない。

 これからの進路を模索中の娘。

 そんな時期に、突然現れた“年上社会人”。

 父としては、不安しかない。

 結花、昔から恋愛話を殆どしなかった。

 そんな娘が、“紹介したい”と言った。

 それだけで、本気なのは分かる。

 だからこそ余計に、父は難しい顔をする。

 結花はそんな両親を見ながら、苦笑していた。


 結婚については、まだ話さなかった。

 言えなかった、が近い。

 まだ、玲のいる世界を両親へどう説明すればいいのか分からない。


 家格。

 養子縁組。

 本家。

 分家。

 財閥。

 全部、結花の普通から遠すぎる。


 だから今はまだ、 “彼氏を紹介したい”それだけで止めた。

 玲は、実家にいる結花の話を電話口で静かに聞いていた。

 玲からは結婚に向けて会わせたい人がいると言った。

「結花が都内に来れるタイミングで会食をするから」

「ご両親?私、どうしよう…」

「いや、両親なら何も考えなくていい。ただ結花の養父母になる予定の方だから…。とりあえず俺の家においで。一緒に考えよう」

 そう言って通話を終えた。


 それから数日後。

 二人は玲の部屋で改めて今後の予定を確認していた。

 まずは、養子縁組先のご夫婦と会食する。

 それから、玲と玲の父がスケジュールを組んで結花の祖父と会う。

 養子先の候補は強羅で会った馨さんの祖父の秘書、一条氏。

「穏やかそうな方だったけど、馨さんを甘やかしてなかったよね。私、緊張するかも…」

 都内のデパートで購入した清楚なワンピースを皺にならないようにクローゼットに仕舞いながら、素直な気持ちを口にする。

「彼らは結花の事を非常に気に入っていたから大丈夫だよ。いつもどおりで…」

 玲は、結花が会食で少しでも印象を良くしようとあれこれ悩みながらの買い物に付き合った。

 手にする品はどれも彼女に似合っていた。

 女性の買い物に付き合った経験がないので、全て買えと言うと、

「ごめん疲れたよね。すぐ選ぶからあっちの椅子で休憩してる?」

 と誤解された。

 思い出しながら、笑う。

 そんな自然な事が結花がいると出来る。

 玲は、少しでも生活の中に結花を感じていたいと思う。

 玲は少し考え、自然な口調で言った。

「結花。実家にしばらく戻るつもりだったなら、授業はもういいんだろ?」

 結花は頷く。

「うん。必要単位は取れてるから。あと卒論で、月に何回か通うだけかな。後はサークルの集まり」

 玲はそこで、静かに次の言葉を続けた。

「なら、ここで生活しないか?」

 玲は、まるで当然みたいに言った。

 結花が顔を上げて玲を見つめる。

 数秒、結花の思考が止まる。

 玲はそのまま続ける。

「ゲストルーム、結花用の書斎にしていいから…」

 静かな声。

 だが、内容はとんでもなく重い。

 結花は完全に固まった。

「……え?」

 玲は淡々としている。

「卒論やるなら、環境あった方がいいだろ?通学も、ここから通えるだろう?」

 更に続ける。

「必要なら、本棚も机も入れる」

「……」

 結花は口を開けたまま、玲を見る。

 玲は本気だった。

 しかも本人は“囲っている”自覚が薄い。


 生活しやすい環境で、勉強する。

 まだ結花の就活も都内の会社全てが終了した訳ではない。

 全部含めて、自然に結花を自分の空間へ組み込もうとしている。

 結花は、ようやく言葉を取り戻した。

「……玲さん」

「ん?」

「それ、半同棲って言うんだよ……」

 玲は少しだけ考える。

 そして、

「駄目か?」

 真顔で聞いた。

 結花は思わず、顔を覆った。

「そういう所なんだって、もう……!」

お読みくださって、ありがとうございます。

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