宴と終わり
結花は二つのブーケを抱えたまま移動し、隣に立つ玲を見上げた。
白い花々が、腕の中でふわりと揺れる。
「私、二つも貰っちゃった」
そう言って、結花はケラケラ笑う。
「二回結婚できますね!」
その瞬間。
側にいた玲の両親が、僅かに身体を固くした。
特に玲の母は、
「あらまぁ……」
みたいな顔で視線を泳がせ、玲の父は静かに咳払いをした。
だが、玲本人だけは冷静だった。
「違いますよ……」
淡々と返す。
結花が、きょとんと目を瞬く。
玲はそのまま、何でもない事みたいに続けた。
「結婚相手が、二倍幸せになるって事です」
一瞬、周囲が静かになる。
玲の母が、今度は別の意味で固まった。
だが結花だけは、全く気付かない。
「へぇー……」
素直に感心したように頷く。
「倍に幸せだったら、いいなぁ」
そう言って、また笑った。
瑠璃達の入場からすでに涙ぐんでいた結花は、泣き過ぎてマスカラが落ちている。
目元は見事にパンダだった。
なのに本人は、全く気にしていない。
ブーケを抱えたまま、無邪気に笑っている。
玲はそんな結花を、静かに見下ろした。
久しぶりに会った結花は、少し変わっていた。
痩せた。
頬の丸みが薄くなり、顔立ちが以前より大人っぽい。
たった一ヶ月弱会わなかっただけで。
ちゃんと、“社会へ出る女”の顔になり始めている。
だが、笑う瞬間だけは変わらない。
無防備で、柔らかくて、人懐こい。
そのギャップに、玲の胸の奥が妙にざわつく。
だからこそ、今日改めて気付いた。
結花は、会えない時間もちゃんと前へ進んでいたのだと。
自分の知らないところで…。
場所を変えて行われた食事会は、昼食には少し遅い時間帯だった。
挙式より少し人数が増えただけの小さく穏やかなものだった。
身内と、本当に近しい人間だけ。
柔らかな灯り。
静かなピアノ演奏。
瑠璃は、光沢のあるブルーのドレスへ着替えていた。
深い青。
照明を受ける度、水面みたいに色が揺れる。
景の隣で笑う瑠璃の姿は、どこまでも華やかだった。
一方で、馨の隣へ座る葵はマットな質感の深い赤。
派手ではない。
だが、目を奪う色だった。
並ぶと対照的なのに、不思議と調和している。
多分、互いのパートナーが一番似合う色を知っているからだ。
四人並ぶ姿を見ながら結花はぼんやりそう思った。
余興として結花は歌を歌った。
長く愛される定番のウェディングソング。
最初は、軽く場を和ませるつもりだった。
けれど、歌い始めた瞬間、自然と感情が乗った。
結花は知っている。
瑠璃が、最初は景を怖がっていた事。
彼の執着や独占欲に怯えて逃げ出した夜。
彼の立場を懸念して消えかけた時間。
そして。
強羅で見せた、あの覚悟。
景もまた、何度も探して、手を伸ばして、失いかけて、それでも瑠璃を離さなかった。
馨達も同じだ。
偶然みたいな奇跡を、幾つも重ねて、今日へ辿り着いた。
だから……。
歌いながら、胸が熱くなる。
“おめでとう”
その言葉だけじゃ、足りなかった。
幸せになって欲しい。
ちゃんと、最期まで隣に居て欲しい。
そんな願いが、自然と声へ混ざる。
静かな会場。
誰も喋らない。
ただ、結花の歌だけが響く。
途中から、瑠璃はもう泣いていた。
景が困ったように笑いながら、ハンカチを渡している。
だが、景本人の目も少し赤い。
葵も静かに涙を拭い、馨はそんな彼女の肩を抱いていた。
そして、歌が終わる。
最後の音が、静かに消える。
しん、とした空気。
その後。
小さな、すすり泣く声だけが響いた。
歌い終わった瞬間、結花は込み上げた感情がとうとう堪えきれなくなった。
結花はマイクを持ったまま、小さく俯く。
ぽたり。
涙が落ちる。
静まり返った会場に、小さなすすり泣きだけが残る。
結花は慌てて笑おうとした。
「っ、ごめ……」
だが、声が震える。
それでも、深く一礼する。
拍手が起こった。
優しく、長く続く拍手。
結花は少し照れ臭そうに笑いながら、席へ戻ろうとする。
その時だった。
「アンコール!」
朗らかな声。
景の祖父だった。
「もう一曲!」
「そうだそうだ!」
長老達が完全に乗り始める。
景が頭を抱え、馨が吹き出した。
「じい様達、完全に出来上がってるな……」
瑠璃は涙を拭きながら笑っている。
結花は目を丸くした後、困ったように玲を見る。
そんな結花を見て玲は小さく肩を竦めた。
——諦めろ。
会場の空気は、幸せな沈み方をしていた。
だから結花は、空気を変えるみたいに息を吸う。
「じゃあ……」
少しだけ悪戯っぽく笑う。
「景さん、馨さん」
急に名指しされ、二人が顔を上げた。
流れ始める、ポップなイントロ。
一瞬遅れて、何人かが曲に気付いた。
「えっ」
「うそ、これ!?」
「可愛い選曲!」
景は嫌な予感しかしない顔をしていた。
そして結花は、さっきまで泣いていたとは思えないくらい、楽しそうに笑った。
結花は、マイクを握ったまま少し照れたように笑った。
「——姉さん達の扱い方です。ちゃんと覚えてくださいね?」
会場がくすりと笑う。
さっきまで涙に包まれていた空気が、少しずつ柔らかく変わっていく。
結花は、わざと肩を竦めながら歌う。
女の子は面倒で、気分屋で、急に拗ねる。
好きだからこそ、言葉にしなくても察してほしくて、
でも本当は、ちゃんと『好き』って伝えてほしい。
強がるくせに寂しがりで、平気なふりをする。
小さなことを覚えていてくれるだけで嬉しくなる。
——だから、大事にしてね。
そんな、可愛らしい“取扱説明”。
長老達は大笑いし、女性陣は頷き、景は苦笑しながら瑠璃を見る。
瑠璃は涼しい顔をしているが、どこか満足そうだった。
馨は隣の葵を見て、
「……勉強になります」
と小声で呟き、葵に脇腹を軽く小突かれる。
玲だけは、静かに結花を見ていた。
楽しそうに笑いながら歌う姿。
けれど時折、こちらを見る視線。
——あなたは、ちゃんとわかってる?
そう問いかけるような、柔らかい眼差し。
その眼差しを受け止める。
大丈夫だ。
これから、自分は結花に充分伝える時間がとれるはずだ。
少し、彼女を不安にさせていた事はわかっている。
やっと、全てを伝える環境が整った。
これから始める。
玲は曲を聴きながら、想いを強める。
だが、玲は曲の終盤でふと気付く。
結花はずっと、難しいことを望んでいたわけじゃない。
特別な宝石も、豪華な言葉も、完璧な未来も。
ただ、不安な時に隣にいてほしい。
ちゃんと名前を呼んで、好きだと伝えて、手を離さないでほしい。
そんな思いを込めて歌っている。
曲が終わる。
明るい余韻のまま、会場から大きな拍手が起こった。
結花はぺこりと頭を下げ、悪戯っぽく笑う。
「ちゃんと復習してくださいね?」
その言葉に、景達が笑い空気が一気に和やかになる。
けれど玲だけは、なぜか胸の奥を静かに抉られるような感覚を味わった。
結花は、食事会の余韻がまだ残る中、控室へ戻った。
先ほどまでの賑やかさが嘘みたいに部屋は静かだった。
鏡の前へ座る。
イヤリングを外し、髪を解く。
ゆっくりと、結婚式用のドレスを脱いだ。
春色の柔らかな布地。
今日一日、特別な時間を一緒に過ごした服。
丁寧に畳み、鞄へしまう。
代わりに袖を通すのは、見慣れた普段着。
少しだけくたびれた、自分らしい服。
結花は鏡を見る。
華やかなメイクを、クレンジングで落としていく。
涙で崩れたマスカラ。
初めて箱根に出勤した時に教えてもらった、ユリ姉さんとの思い出のラメ。
艶の強い口紅。
全部消して、いつもの薄化粧へ戻す。
コンシーラーだけ、少し丁寧に重ねた。
疲れた顔は、完全には隠れない。
それでも、さっきまでの“結婚式の結花”より、少し安心する。
誰もいない部屋で、一人支度を終える。
静かな時間。
楽しかった。
本当に。
でも、夢が終わるみたいでもあった。
結花は小さく息を吐き、荷物を持って部屋を出る。
フロントで、預けていた大きなスーツケースを受け取る。
重い。
これからの生活が、全部詰まっている。
スタッフが気遣うように、
「お持ちしましょうか」
と声を掛けてくれるが結花は笑って断った。
「大丈夫です」
自分で持つ。
そう決めたみたいに。
そのまま、静かなロビーを抜ける。
外はもう、夜の空気だった。
軽井沢の冷えた風が、頬を撫でる。
ホテル玄関には、数台のタクシーが並んでいる。
結花はその一台へ近付いた。
スーツケースを引く重い音だけが、静かに夜へ響く。
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