都内で行動中
面接の前日。
玲の仕事終わりに合わせて、結花は都内で待ち合わせの場所に移動した。
一泊の荷物の入ったスーツケース。
彼と会うのは、バレンタインだった彼の誕生日以来。
彼の仕事が落ち着く時期は来ない。
プライベートな通知は明らかに減った。
会える嬉しさと、彼に無理をさせているとわかる罪悪感。
改札口で、彼が待つのが見えた。
立っているだけで目を引く。
いつもどおりの彼の姿に会えた嬉しさが勝つ。
二人でゆっくりと食事を済ませて、彼の部屋へ行く。
「さて、もう寝ろ。寝不足にならないように」
そう言って結花をゲストルームへ追い立てる。
自分はリビングで持ち帰りの仕事をこなし、いつものように主寝室で寝た。
朝の時間は玲の方が早い。
オートロックなので鍵はいらないが、
「これ、合鍵持ってて。なんかあったらここにいていいから」
と結花に押し付ける。
彼女は一瞬戸惑った顔をしたが、
「荷物、ここに置いて後で取りに来てもいいですか?」
と確認する。
「もちろん、かまわない。時間だから先に行くけど、頑張ってこい」
「いってらっしゃい。気をつけて」
と応えがあった。
玲は、昼まで珍しく機嫌がよかった。
仕事の切れ味は、いつも以上。
判断は速く、指示も正確。
部下達は、
(今日の朝比奈さん、怖さ三割増しだな……)
と思いながらも、資料修正速度を上げていく。
上司の鷹司景は、上がってきた資料を受け取りながら苦笑した。
「機嫌がいいな」
「そう見えますか?」
「切れ味が良すぎる時は、大抵機嫌がいい」
玲は否定しない。
今朝の、
「いってらっしゃい。気をつけて」
を思い出していた。
結花が、自分の部屋にいて、一緒に朝を過ごして、面接へ向かった。
まるで近々訪れる未来を体感するようで、それだけで気分が軽くなった。
だが…。
定時前、端末が震える。
表示された名前に、自然と手が伸びた。
『無事、終了しました。緊張してちゃんとできたかわからないけど、ベストはつくしました』
そこまでは、良かった。
玲の口元も、少しだけ緩む。
次。
『それと、荷物を取りに伺いました。朝、預かったお家の鍵はコンシェルジュの方に預けています』
指が止まる。
視線が、その一文で止まった。
『今新百合ヶ丘を過ぎたあたりです』
もう、帰っている。
玲は無意識に、小さく息を吐いた。
景が、その変化を見逃さない。
「どうした?」
「……帰りました」
「?」
「鍵を返して」
景はまじまじと玲を見て沈黙する。
それから、堪えきれないように笑う。
「朝比奈」
「はい」
「お前、何て言って鍵を渡した」
玲は答えられない。
“いつでも来ていい”そう伝えたつもりだった。
だが、肝心な言葉を、何一つ言っていない。
だから結花は、鍵を返した。
きちんと。
迷惑にならないように。
景は肩を揺らしながら、資料へ視線を落とす。
「そりゃ帰るだろう」
玲は静かに眉間を押さえた。
その後、玲はホワイトデーの3月14日の予定を確認した時、すでに結花の夜の予定は決まっていた。
のんびり、結花を後回しにしていた自分が悪い。
そう思って、
『何時でもいいから会いたい』
と送信する。
結花からは、
『ホントに何時かわかりませんよ?』
と念押しの返信があった。
玲は拒否されないことに安堵した。
3月14日。
当日は三人で都内に昼ごろに到着した。
普段行けないオシャレなランチを楽しみ、買い物を楽しむ。
少し前までは生活が苦しくて余裕がなかった。
夜の仕事を頑張って、昼も倹約していたので、4年卒業までの生活費を考えなくても大丈夫な程の余裕ができた。
それは、東央をはじめとする企業の宴席が箱根で開催される事が多かった事。
自分にもたくさんの指名が入った事は理解していた。
アフターヌーンティーを楽しみながら、思い出す。
美里も同時に思い出したらしい。
「そういえばさ、ココでしょ?阿闍梨が水被っていた所って」
「阿闍梨?」
結花が不思議そうな顔をする。
美里は吹き出し笑いながら、
「あの、ドチャクソ イケメソ。どなたかしら?」
結花が、
「存じませんわ」
と笑いながら答える。
その場にいなかった灯に美里が
「ほら、去年。ゴスロリイベントのお茶会に結花連れて行ってさ。そこで阿闍梨が結構な美女に頭から水かけられてた。それを見てた結花が、ハンカチだけ渡してたのよ」
「へえー」
「あの頃は向こうが結花の名前を知らなかったんだよね」
「出会う人ってそんな場所で偶然でも出会うんだ。面白い」
と灯も笑う
「だから阿闍梨ってなに?」
「結花の暫定彼氏?長身スーツさん。あだ名が今、阿闍梨だって。ウケる」
「なんで?」
「煩悩を根性で止めているからでしょ」
「暫定、彼氏って。彼氏でも暫定でもないから…」
「はい、はい」
そうやって話している間に、コンパの開始時間が近づいてきた。
指定された待ち合わせ場所へ向かうと、向こう側もすでに来ていた。
スーツではない、少しラフな大学生と社会人の中間みたいな男達。
その中に、懇親会で見た顔も混ざっている。
「あ、来た」
「時間どおりじゃん。行こっか」
自然な流れで店へ向かう。
予約されていたのは、照明が暗めの都内らしいオシャレな店だった。
半個室の席へ通される。
「何飲む?とりあえず乾杯しよう」
「俺、まとめて頼むわ」
「苦手なものある?」
男側が、慣れた手つきで場を回していく。
結花は、その様子を少し不思議な気持ちで見ていた。
今までは、自分が回す側だった。
長谷川結花 は、箱根では“さゆり”。
仕事ではまず宴会の空気を見る。
程よく酒を勧め、飲めない人にはそれらしく見えるように調整する。
当たり障りのない会話を繋き、 盛り上げる。
そして誰か孤立しているか見る。
全部、自然とやっていた。
でも今日は違う。
「結花ちゃん、お酒平気?」
「これ美味しいよ」
「その店よく行くの?」
向こうが、こちらへ気を遣う。
それが、妙にくすぐったい。
隣で、美里がそんな結花を見てちょっと笑っている。
“普通の大学生”をしている結花が少し珍しかった。
「遅れたわ。ごめーん」
後から一人、軽い調子で席へやって来た。
懇親会で少しだけ話した男だった。
席へ着くなり、結花を見て笑う。
「ゆいかちゃん、久しぶり。今日はエロい服じゃないんだ?」
その軽口に、周囲が少しだけ笑う。
だが結花は、特に驚かない。
そういう言葉には慣れている。
少し肩を竦めて笑う。
「ごめんね、お兄さん。毎日あの格好だとお兄さんも飽きるでしょ?」
自然な返し。
空気を止めない。
その瞬間、男は少し面白そうに目を細めた。
「たしかに。今日の普通が逆に新鮮だわ」
その言葉に、結花は少しだけ視線を逸らす。
ライブで見た〝ゆいか”は強くて派手で人を惹きつける女。
でも今日の自分は、ただの大学生。
そのギャップを、初めて面白がられた気がした。
「で?あの後は楽しんだの?」
グラスを揺らしながら、男が笑う。
〝ゆいか”の懇親会での最後の記憶。
玲に連れて行かれた、あの場面を指している。
結花 は、少しだけ目を細めた。
「さぁね?」
軽く笑って返す。
「お兄さんこそ、私以外と楽しんだんでしょ?」
慣れた軽口。
踏み込みすぎず、でも引かない。
その返しに、男は吹き出した。
「懇親会じゃ喋んなかったのに、今日はよく喋るな。おもしれー」
それは本音だった。
あの日の“ゆいか”は、どこか気が張っていた。
触れれば切れそうな空気。
でも今日は違う。
普通に笑って、普通に飲んで、普通に会話している。
そのギャップが、妙に男心をくすぐる。
そして結花自身も、少しだけ不思議だった。
今までは、“さゆり”として会話を回していた。
相手が欲しい言葉を探して、空気を作って、酒を注ぐ。
でも今日は、ただ話をしているだけ。
同年代の男達と、友達みたいに。
「今日、ここにいるって事は…。あのおっさんは彼氏じゃなくて保護者?」
軽い口調。
だが、どこか探るような目をする。
懇親会で、結花を連れて行った男――
朝比奈玲 の事を言っている。
結花は、グラスを持ったまま少しだけ肩を竦める。
答えない。
否定もしない。
その反応に、男は目を細めた。
「ふーん」
面白そうに笑う。
完全に察した顔をする。
そして、テーブルへ少し身を乗り出す。
「じゃあさ」
低く落とした声。
「この前の続き、やってもいいんだ?」
舐めるような視線が、結花を辿る。
でも、あの日みたいな危うさはない。
今は、人目のある店内。
周囲には、美里や灯もいる。
それでも男は、わざと境界を踏みに来る。
試すみたいに。
結花は、そんな視線を受けながらゆっくりグラスを置いた。
そして少し笑いながら、
「お兄さんさ…、人の嫌がる事。するタイプ?」
男は一瞬だけ止まり、それから肩を竦める。
それから、堪えきれないように笑った。
「いいね。今日はちゃんと喋るじゃん」
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