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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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結花がいないところで

「……私、教授のところちょっと行ってくる」

 結花は、半ば逃げるみたいに立ち上がった。

 鞄を掴み、早足で歩き出す。

 これ以上ここにいたら、絶対に何か見抜かれる。

 そんな気がした。


 後ろから、呑気な声が飛んでくる。

「行ってら〜」

「頑張ってねぇ〜」

 絶対分かって言ってる。


 結花は、振り返らないまま片手だけ振った。

 冬の空気はまだ冷たい。


 だが、歩いていると少しだけ熱くなる。

 キャンパス内の端へ向かいながら、結花は小さく息を吐いた。


「……なんなのもう」

 思わず漏れる。

 彼のせいだ。

 あの部屋、あの空気、あの匂い。

 全部、まだ身体へ残っている気がする。


 端末が、小さく震えた。

 結花は、少し迷ってから画面を見る。

『昼、ちゃんと食べた?』

 短いメッセージに結花は、思わず立ち止まった。


 そして、困ったみたいに少し笑う。

「……ほんと、なんなの」

 胸の奥が、くすぐったかった。



 結花の背中が見えなくなると、残された三人は顔を見合わせた。

 それから一人が、ぽつりと呟く。

「……アレ、もう?」

 灯が、ニヤリと笑う。

「賭ける?」

 そして、三人同時に、

「せーの、」

「「「まだ」」」

 数秒遅れて、全員吹き出した。

「賭けになってないじゃん!」

「全員一致なの何?」

 笑い声が、冬の空気へ溶ける。

 三人とも分かっていた。


 “何か”は、あった。


 結花は、前より柔らかい。

 どこか、安心した顔をしている。


 なのに同時に、妙に落ち着かない。

 あれは……、『恋してる女』の顔だ。


 美里が、ストローを弄びながら呟く。

「でもさぁ……結花、絶対大事にされてるよね」

 奈緒も頷く。

「分かる」

「なんか……ガツガツ感ない」

「むしろ、囲って温められてる感じ?」

「まさに、それ!」

 また笑いが起きる。

 だが最後に、美里が少しだけ真面目な顔で言った。

「……ちゃんと、好きなんだろうね……」

 その言葉に、二人も静かに頷いた。


 結花が、あんな顔で笑う相手。

 多分、相当大事にされている。


 結花が見えなくなると、三人の空気は少しだけ静かになった。


 冬の冷たい風が、ベンチの周囲を抜けていく。


 奈緒が缶コーヒーを揺らしながら言う。

「もうそろそろ、王様呼んで来ないとね」

 灯が、苦笑混じりに頷く。

「先輩の卒コン、もう日ないもんね」

「もうすぐクリスマスだし」


 卒コン、就活に進路。

 全部が、一気に押し寄せている。


 その中で、奈緒が少しだけ視線を落とした。

 何か言いづらそうに、指先で空いた缶コーヒー弄る。

 それから…。

「……あのさ、」

 二人が、自然に奈緒を見る。

 奈緒は、少しだけ笑った。

 でも、どこか困った顔だった。

「私さ……東央エンター、内定でた」

 一瞬、空気が止まる。

 だが次の瞬間、美里と灯はほとんど同時に小さく頷いた。

「そっか」

「……うん」

 驚きより、納得に近い反応。

 奈緒は、少し俯く。

「結花を、利用したかな。私……」

 その言葉へ、灯が先に口を開いた。

「いいんじゃない?」

 奈緒が顔を上げる。

 灯は、空を見ながら続けた。

「そういう業界でしょ……」

 美里も、小さく肩を竦める。

「よかったじゃん」

 そして、少し間を置いてから

「でも、すぐに結花へ報告は……」

 奈緒は、静かに首を振った。

「うん。もうちょっと後にする」

 その気持ちは、二人も分かる。


 今の結花は……。

 卒コン、将来、始まりかけた恋愛。

 色んな物が、ギリギリで重なっている。


 美里が、困ったみたいに笑った。

「ごめんね。すぐに祝ってあげられなくて……」

 奈緒も、少しだけ笑う。

「しょうがない」

 やや俯きながら、呟く。

「みんな、余裕なしで戦ってるんだもん…」

 冬の空気の中。

 三人だけが、少しだけ大人みたいな顔をしていた。


 ベンチへ座ったまま、三人の話題は自然と卒コンへ戻っていた。

 美里が、スマホを弄りながら唸る。

「何させる?今年は……」

 灯が、すぐ横から覗き込む。

「美里は?いつものロリータ系でいいじゃん」

 すると美里が、珍しく首を振った。

「いや、今回は変えたい!」

 奈緒が、少し驚いた顔をする。

「ロリータ大好きなアンタが珍しいね。何で?」

 美里は、思い出したみたいに言う。

「この前の、ベビードール……」

 灯と奈緒が同時に、

「あー」

と声を漏らす。

 美里は、熱が入ったように続けた。

「あれで思ったんだよね。あの子、足綺麗じゃん?」

 灯が、即頷く。

「うん。魅せる長さあるよね」

「そう!」

 美里は完全にスイッチ入ってる。

「だから、華流ファッションどうよ?」

 奈緒と灯がすぐスマホで検索を始める。

 流れてくる結果。

深紅、チャイナドレスアレンジ、シアー素材、

 ロングスリット、黒と赤の縁、マント風羽織……溢れる情報類。

 数秒。

 二人とも真顔で画面を見ていたが、先に灯が顔を上げた。

「……いや、いいんでない!?」

 奈緒も、思わず笑う。

「有り寄りのアリだよ」

 美里は机叩きそうな勢いで、言う。

「でしょ!?」

 そして三人の脳裏へ、同時に浮かぶ。

 卒コンステージ中央。


 神秘的なイントロ。


 照明。

 長い脚。

 翻る布。

 三人は同じ顔になる。

「勝ったな」

 美里が、端末を掲げながらニヤニヤする。

「丁度、推しブランドの新作で華流出ててさ。私用に買ったんだけど……」

 灯が、嫌な予感しかしない顔をする。

「あー……その顔」

 奈緒も吹き出す。

「絶対、結花着せる気じゃん」

 美里は満面の笑みで、

「当然」

 そして勢いそのままに

「王様は本格派なの用意して…。深いスリットでガーター、優勝でしょ?」

 灯は即座に机叩く。

「優勝」

 奈緒も、スマホ見ながら真顔で頷く。

「しかも、神秘でしょ?」

「絶対合う」

 三人の脳内、完全一致。


 黒と深紅、揺れる布。

 脚線から覗くニーハイとガーター。


 まっすぐな長い髪。

 “ゆいかのロングトーン”


 灯が、想像して頭抱える。

「待って、王様また観客殺す気?」

 美里は言う。

「先輩達の卒コンだよ?最後くらい、派手に散ってもらわないと」

 奈緒は、

「掲示板、サーバー落ちそう…」

 三人はそろって爆笑。


 灯が、端末を閉じながらニヤリと笑った。

 その顔が、完全に悪い。

「今回は、私の愛用ブランドの紐パン用意するわ」

「よろしく」

 美里は即答する。

 奈緒も、吹き出しながら頷く。

「王様、泣くんじゃない?」

「いや、死ぬ」

 三人は完全に悪い顔をしていた。


 そこへ。

「……何?」

 背後から、訝しげな声が割って入る。

 三人が振り返る。

 結花だった。


 教授の用事を終え、戻ってきたらしい。

 結花は、三人の顔を順番に見る。

「なんの話?」

 沈黙の三人。


 一瞬で『隠せ』の空気になる。

 美里は真顔へ戻し、

「卒コンの話、衣装だよ」

 結花、少し嫌そうな顔をして、

「……その顔、絶対ロクでもない」

と言う。


 灯は肩を竦めて、

「褒め言葉」

 奈緒は、笑いを堪え切れていない。


 結花が、さらに怪しむ。

「待って。何企んでるの?」


 美里はニコッと笑う。

「王様を優勝させようかなって…」


 結花は顔を顰めて言う。

「嫌な予感しかしない…」


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