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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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朝比奈玲は歩み寄る

 小田原駅まで。


 車内に、会話は無かった。

 無理に何かを話そうとすれば、壊れてしまいそうで。

 だから二人とも、静かなまま。


 ただ。

 重なった手の熱だけを、共有していた。


 山を下り、街の景色が増えていく。


 信号。

 人影。


 現実が近付いてくる。


 それでも玲は、手を離さなかった。

 結花も、離さない。


 やがて、

「着きましたよ」

 運転手の声が、静かに車内へ落ちる。

 二人とも、そこで初めて現実へ引き戻された。


 玲が、ゆっくり手を離す。

 結花の指先へ、熱だけが残った。


 玲は、財布ではなく慣れた手付きでICカードを取り出す。


 短い電子音。

 運転手が開けたドアから結花が先に降りる。

 続きけて玲が降りる。


 昼前の小田原駅。

 人の流れ。

 観光客の声。

 箱根とは違う、生活の空気。


 玲は、そんな周囲など見えていないみたいに結花の隣へ立った。

 人の流れの中。

 結花は、少しだけ玲を見上げた。

 玲は、いつものように静かだった。

 小田原まで来ても、まだ帰る気配がない。

 その事実が、妙に胸を熱くする。


 結花は、少し迷う。

 迷って。

 でも結局、口から思わず出た言葉。

「……よかったら家、来ます?」

 言った瞬間。

 何を言ったのか理解して、耳が熱くなる。


 玲が、ゆっくり結花を見る。

 数秒。

 本当に、数秒だけ黙った。

 

 結花、少し慌てて続ける。

「あの、変な意味じゃなくて……!」

「その、小田原まで来てもらったし……」

「お茶くらいなら……」

 玲は、まだ何も言わない。

 ただ、結花を見る目だけが少し危ない。


 やがて、玲は小さく息を吐いた。

 そして、困ったみたいに少し笑う。

「……結花」

 低い声で小さく、

「煽るな」

「……っ、そんなつもりは……!」

 結花は、耳を赤くしたまま慌てて視線を逸らす。


 玲からの、

『煽るな』

が、思った以上に破壊力あった。


 心臓が、うるさい。

 結花は、逃げるみたいに一歩下がる。

「じゃ、じゃあこれで……!」

 そのまま踵を返そうとした瞬間。

 腕を、掴まれた。

「っ!」

 強くはない。

 でも、逃がさない力。


 結花が振り返る。

 玲は、さっきまでよりずっと近かった。


 人通りのある駅前。

 なのに、ここだけ音がない。


 玲は、結花の腕を掴んだまま数秒黙る。

 まるで、自分を抑えているみたいに。

 やがて低く、掠れた声で言った。

「……帰したくない」

 その一言だけで…。

 

 結花の思考が、全部止まった。

 小田原駅前。

 人の流れの中。

 玲は、まだ結花の腕を掴んだままだった。

 結花も、振り払わない。


 ただ、少しだけ困ったように玲を見る。

 玲は、少し黙った後ふいに聞いた。

「明日、休み?」

 結花が、目を瞬く。

「え?あ、はい」

 少し考えてから答える。

「授業も、仕事も入ってないけど……」

 玲は、小さく頷いた。

 そして、まるで今決めたみたいに言う。

「じゃあ、行こうか…」

「……え?」

 玲が、真っ直ぐ結花を見る。

「東京」

 何を言われたのか、結花の思考が止まる。

「東京!?」

 思わず声が上擦る。

 玲は、少しだけ目を細めた。

「嫌?」

「いや、嫌じゃなくて……!」

 結花は完全に混乱している。

(だってついさっきまで、小田原駅前で解散する空気だった)

 それが急に東京。

 スケールが飛ぶ。

 結花は、玲を見る。

 玲は、冗談を言っている顔じゃない。


 本気だ。

 その事実に、胸が変な音を立てる。


 玲は、少しだけ掴んでいた手を緩めながら静かに続けた。

「まだ、一緒にいたい……」


 新宿行きのロマンスカー。


 グリーン車には、何組かの家族連れと、旅行帰りらしいカップルが、まばらに座っていた。


 騒がしくはない。

 だが、完全な静寂でもない。


 箱根帰り特有の、少し緩んだ空気が流れている。

 玲は、当然のように結花を先に通し、窓側の席へ座らせた。

 結花も、まだどこか夢の中みたいな顔のまま小さく礼を言って座る。

 発車のベルが響く。

 ゆっくり動き出す車窓。


 小田原の街並みが、少しずつ遠ざかっていく。

 それでも結花は、まだ現実感が薄い。

(だって、数時間前まで強羅で仕事をしていた)


 それが今、朝比奈と並んでロマンスカーで東京へ向かっている。


 意味が分からない。

 思考が追い付かないまま、膝の上へ置いた手にまた熱が重なった。


 玲の手だった。

 まるでそれが当然みたいに、自然に。

 指を絡める訳でもなく、強く握る訳でもない。


 ただ、そこにある事を確かめるように。


 静かに、重なる。


 結花は、そこでまた思考が止まる。

 玲は、何も言わない。


 窓の外を見ながら、ただ結花の手だけを離さない。

 それが余計に、心臓へ悪かった。


 車内で、お互いの事を少しずつ話す。

 結花は、もう一度『長谷川結花』と言う本名。

 そして、お互いの誕生日など。

 これまでのお客と芸妓の関係ではあり得ない、お互いのプライベートな話題。

 「私は4月生まれなんで、友達を呼んで誕生日会するのが微妙なんですよ」

 「何日?」

 「18日。ね?新学年になってまだ友達になりきってない時期でしょ。だからプレゼント交換とか憧れた。朝比奈さんは?」

 「俺は2月14日」

 「バレンタインじゃん!チョコとプレゼントめっちゃ貰ってそう!」

 結花は玲の机の上に山積みされたプレゼントを想像して笑う。

 「なんか、毎年雪崩れてそう…」

 「いや、社会人なんて特別じゃない限り、誕生日なんてどうでもよくなるから言わない」

 「でも、チョコは否定しないんだ?」

 玲は結花の話題の喰いつき方に満足しながら薄く笑う。

 「ウチは景さんがいるから、社内は基本的に禁止。でも、プライベートなら受け付けるよ?」

 「トモチョコなら、交換してあげますよ?」

 そう言って結花も笑う。

 絶えず続く穏やかな会話。

 新宿駅まで、二人は時間を忘れて過ごした。


 新宿へ着く頃には、空は重たい曇天へ変わっていた。

 灰色の雲が低く垂れ込め、今にも雪が落ちてきそうな空。


 ホームへ降り立った瞬間、ピンと張るような冷たい空気が頬を刺す。

 箱根の方が、きっと気温は低かったはずなのに。

 結花は、小さく肩を竦めた。

 山の寒さとは違う。


 東京の冬は、空気が硬い。

 人の多さ。

 ビル風。

 止まらない雑踏。


 色んな熱が混ざっているのに、冷たい。

 結花は、無意識に玲の隣へ少し寄る。


 玲は、そんな結花を一瞬だけ見て何も言わず自分のマフラーを外した。

 そして当然みたいに、結花の首へ掛ける。

「え、大丈夫です」

 慌てる結花へ、玲は短く言った。

「俺は平気」

 そのまま、結花の肩を軽く引き寄せる。


 新宿駅の喧騒。

 流れていく人波。

 誰もこちらなんて見ていないのに。

 結花だけが、この距離感に落ち着かない。


 ビル風が冷たい。

 けれど、隣にいる男の体温だけは驚くほど熱かった。


 人の流れは止まらず、信号が変わる度に大量の人間が街を横切っていく。


 結花は、少しだけ玲へ寄った。

 玲は、その動きを当然みたいに受け入れる。


 そして通りへ手を上げた。


 黒塗りのタクシーが、滑るように停まる。

 玲がドアを押さえ、結花を先に乗せた。

 続いて自分も隣へ座る。

 暖房の効いた車内。


 曇った窓。

 運転手がバックミラー越しに尋ねる。

「どちらまで?」


 玲は、迷わず答えた。

「スカイツリーまで」

 タクシーが、ゆっくり走り出す。


 新宿の高層ビル群。

 クリスマスシーズンの雑踏。

 灰色の東京。


 窓の外を見ながら、結花は小さく息を吐いた。


「……東京って、凄いですね」

 玲が、少しだけ笑う。

「今更?」


「だって、こんなにちゃんと来た事なくて……」

 結花の視線は、忙しなく窓の外を追っていた。


 巨大な広告。

 イルミネーション。

 ビルの灯り。

 知らない街。

 知らない空気。


 でも、隣にいる玲は、驚くほど落ち着いている。

 その事実に安心した。

続きが気になると思っていただけたら、ブックマーク・評価・感想をいただけると嬉しいです。

玲の頑張り95点。ここの回はテスト出まーす

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