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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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47/77

結花(さゆり)はユリ姉さんと宴席に向かう

「ママ、行ってきます!」

「しっかりお稼ぎ!」

 そう言って送り出される。


 17時迄に到着するように手配したタクシーにさゆりはユリ姉さんと乗り込む。


 いつもと違う白粉の香り。

 タクシーの天井に鬘が当たらないように少し態勢が不自由な姉さん。


 ふと隣を見る。

 黒留袖。

 白い襟元。

 そして日本髪の鬘。


 ユリ姉さんは少しだけ首を傾けて座っていた。

鬘が車の天井に当たらないように。

慣れないのか、いつもより姿勢が固い。


 それなのに、綺麗だった。


 宴席で見る和装姿とも違う。

 いつもの姉さんとも違う。


 黒留袖の重み。

 白く整えられた襟足。

 静かな存在感。

 まるで時代劇から抜け出してきた人みたいだった。


「姉さん」

「ん?」

「重くない?」

 思わず聞く。


 ユリは少し考えて、

「重い」

と素直に答えた。


 思わず吹き出した。

「やっぱり」

「首が疲れそう…」

「だよね」

 二人で笑う。


 そうして笑う姿はいつもの姉さんなのに、目を離すとまた知らない人に見える。


 綺麗だな。

 素直にそう思った。


 芸妓のユリ姉さんは自分の中で、最初から一番綺麗だった。


 でも今日は違う。

綺麗というより―

 近寄り難い。

 そんな言葉の方がしっくりきた。


 十七時。


 襖を開く。

ユリ姉さんと並んで座敷へ入る。


 視線が一斉に集まった。

 自然と背筋が伸びる。


 ユリ姉さんが静かに頭を下げた。


「本日は、箱根強羅へお越しいただき、誠にありがとうございます。はなのやより参りました、ユリでございます」

 柔らかな声が座敷に響く。

続いてさゆりも頭を下げる。

「同じく、さゆりでございます。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます」


 口上が終わり、宴が始まった。

だが――。


 いつもとは空気が違う。


 すぐに気付いた。

 接待の席ではない。


 男の人ばかりの宴席でもない。

むしろ女性が多い。


 上座には鷹司氏。

 その隣には若い女性が二人座っている。


 一人は思わず目を奪われるほど華やかな美女。

 もう一人はその後ろに控えるように座る、落ち着いた雰囲気の美女だった。


 他にも祖父母ほどの年齢の夫婦が二組。

 親世代と思われる人達が何人もいる。


 そして――朝比奈さん。


 見知った顔に少しだけ肩の力が抜けた。

そんな中、

「ユリさん!」

 元気な声が上がる。


 鷹司氏の隣にいた女性だった。

どこから出したのか、手には一枚のポスター。


 見覚えがある。

期間限定で掲示されていた、ユリ姉さんのポスターだ。


「サインください!」

 まるでアイドルの握手会みたいな勢いだった。


 ユリ姉さんが珍しく困った顔をする。


 それでも差し出されたペンを受け取り、さらさらと名前を書いた。


 流れるような綺麗な文字。

「ありがとうございます!」


 女性は満面の笑みだ。

 本当に好きなんだなと思う。


「貴女もどう?」

 突然声を掛けられた。

「え?」

「きらり妓さん」

 思わず固まる。


 ユリ姉さんの隣に並んでサインなんて。

そんなの畏れ多い。


 慌てて胸元から名刺を差し出した。


「こちらで……」

 女性はきょとんとした後、受け取った名刺へ視線を落とす。

「はなのや、さゆりちゃんね」

顔を上げる。

「貴女も可愛いわ」

 にっこりと笑われた。

 その笑顔に、何故だか少しだけ照れてしまった。


「今日は、地方いないの?」

 派手な美女、馨さんが期待に満ちた目で尋ねる。


「ユリさん、立方でしょ?」

 ユリ姉さんは少し困ったように笑った。

「今日は地方のお姉さん方は生憎……」

 そこで言葉を濁す。


 思わず口を挟んだ。

「え? ユリ姉さん、踊れるんですか?」

「こらっ、さゆりちゃん」

 珍しく、即座に止められた。

しまった。

 何かまずいことを言ったらしい。


 けれどユリは何事もなかったように微笑む。

「このとおり生憎私も、箱根踊りは勉強不足です」


 そう言って静かに頭を下げた。

「精進します」


 踊れない。

そう言っているようでいて、言っていない。


 綺麗なかわし方だった。

 だが馨さんは諦めていない。

「じゃあ、さゆりちゃんは?」

「私は金毘羅と野球拳担当です」

 少し胸を張って言う。


「さゆりちゃん」

 ユリ姉さんが珍しく真顔になる。

「それはお遊びだから……」

 思わず肩を竦めた。

 小声で自分も踊れる箱根の踊りを提案する。

「ヨッシャは?」

「群舞だから無理よ」

 ユリは苦笑混じりに答える。

 完全に話題を流そうとしていた。


「お姉さん、ごめんなさい」

 そう言いながら自然にお酌をする。

 杯を勧める手付きは滑らかで、話題を変えるのも慣れたものだった。


 馨さんは少し残念そうな顔をしたものの、

「そっかぁ」

と素直に頷いた。

「お姉さんは、芸妓遊びがお好きなんですか?」

 空気を切り替えるように尋ねる。


 すると馨さんは、ぱっと顔を輝かせた。

「そうなの」

 嬉しそうに頷く。


「可愛いし、綺麗で…」

「夢みたいでしょ?」

 自然な手付きで酌を受けながら語る姿は、完全に楽しんでいる人のそれだった。


「私は祇園に馴染みがいてね」

「本物ですか!」

 思わず身を乗り出す。

 馨さんが楽しそうに笑った。


「旅先では、その土地のお姉さんを呼ぶの。楽しいのよ」

 本当に好きなのだろう。

 声が弾んでいる。


「民俗学者みたいですね」

 納得して言うと、馨さんは少し考え込んだ。

「……確かに近いかも」

 真面目に頷く。

その様子にユリが小さく吹き出した。


「馨様…」

 控えめな美女、葵さんが言う。

「芸妓は展示物ではありませんよ?」

「分かってるわ」

 馨さんは即答する。

「無形文化遺産よ。文化って地方で全然違うの。言葉も、遊びも、空気も……。だから面白いのよ」

 熱弁だった。

 好きなのが伝わってくる。


「好きになったきっかけは何ですか?」

 さらに尋ねる。


 その瞬間だった。

馨さんの目が輝いた。

「それ、聞いちゃう?」


「見せちゃおうかな!」

急に声の温度が上がる。


「見たい! 見たい!」

反射的に乗っかる。


「葵ちゃん、準備して!早く!」

「……布教活動ですね」

 葵さんが、静かに立ち上がった。


「かしこまりました」

 慣れた様子で控えの間へ消えていく。


 そして数分後。

荷物を抱えて戻ってきた。


 馨さんは待ちきれない様子でそれを受け取る。

まるで宝物を扱うように。


「これはね」

 嬉しそうに機材を抱き締める。

「私がこの方を見た時から好きなの!ずっと探しているのよ!可愛いんだから」

 そう言って再生された映像は、

 昔ローカル局で放送されていた番組だった。


「ビデオからDVDに移して、今はUSBでも持っているの!」

 馨さんは得意げに胸を張る。

 その熱量に、思わず圧倒される。


 ―この人、本気だ。


 音楽と共に、一人の子どもが現れた。

藤の枝を持ち、小首を傾げる。

愛らしい仕草。


 まだ幼いのに、完成された目線。

「お姉さん、この子のこれって藤娘ですか?可愛い!」

「そうなの。何度見ても飽きないの」

 馨は満足そうに頷いた。


「それで最後がね……」

 映像は終盤へ進む。

子どもが困ったような顔をする。


そして。


「コマーシャル……」

 小さく呟いた。


 映像が終わる。


「可愛い……」

「これは確かに」

「よく残っていたな」


 周囲から感想が上がる。


 その中で、ふとユリ姉さんを見る。

どこか違和感があった。


 顔色が悪い。

 白粉の下からでも分かるほど、血の気が引いている。


 酌をしようと差し出した指先が、僅かに震えていた。


「姉さん?」

 声を掛けようとした。


 その時だった。


「瑠璃」

 低い声が座敷に落ちる。


 思わず振り返る。


 鷹司氏だった。

場の空気が止まる。


 ユリ姉さんも目を見開いていた。

 鷹司氏は差し出されていた徳利を受け取る。

そして……、

 震える手ごと包み込むように握った。

「落ち着け」

 静かな声。


 叱るでもなく。

 諭すでもなく。


 ただ言い聞かせるような声だった。


「大丈夫だ」

 ユリ姉さんの肩が僅かに揺れる。


 貼り付いたようだった笑顔が、ほんの少しだけ崩れた。

 長く息を吐く音が聞こえた気がした。


 何が起きたのか分からない。


 ただ…。

 目の前にあるのは、芸妓と客の距離ではなかった。

それだけは皆が分かった。


 そして。


「……瑠璃?」

 馨さんがゆっくり瞬きをする。

 首を傾げる。


 その声で、座敷の空気がまた止まった。


 私は思わずユリ姉さんを見る。


 ユリ姉さんは笑っていた。

いつものように。


 けれど。

今だけは、少しだけ泣きそうに見えた。

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