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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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29/77

友人美里から見た長谷川結花と学祭2年生②

結花2年の学祭後編です。

 幕が落ちた瞬間、悲鳴みたいな歓声が上がった。

 そこにいたのは、いつもの結花じゃない。


 黒。

 赤。

 フリル。

 重い厚底ブーツ。

 ツインテールが、照明を裂くように揺れる。


 そして——声。

 高く、鋭い。

 なのに、軽くない。

 耳へ刺さるというより、腹を抉られる。

 空気ごと震わせるような、圧倒的なパワー。


 細い身体のどこにそんな声が入っているのか、意味が分からなかった。


 しかも“ゆいか”は止まらない。

 厚底ブーツで、ステージを駆ける。


 走る。

 煽る。

 笑う。


 マイクを握り締めたまま、客席へ視線を投げる。

 その度に、歓声が跳ね上がる。


 まるで、最初からそこが自分の場所だったみたいに。


 私は、シンセを弾きながら、少しだけ怖くなった。

——なんで今まで隠れていたんだろう、この人は…。

 そんなことを思った。


 さっきまでのロックが、まだ身体へ残っていた。


 歓声。

 熱。

 ドラムの振動。

 その空気を、“ゆいか”は一度静かに切る。


 シンセが入る。

 今度は、鋭い電子音。


 照明が変わる。

 赤から、紫。

 そして青。


 不安定に揺れる光。


「次、ボカロ!?」

 客席がざわつく。


 だが、イントロが流れた瞬間、空気が変わった。


 “ゆいか”が、ゆっくりマイクを口元へ寄せる。

 さっきの紅みたいな、叩きつける声じゃない。


 もっと、剥き出しだった。

 愛されない。

 不公平。

 普通じゃない、たくさんのコンプレックス。


 まるで、心の奥をそのまま抉り出すみたいに歌う。


 なのに。

 その声は、折れていない。


 むしろ、燃えている。

——それでも生きてやる、そう叫んでいた。


 私はシンセを弾きながら、客席を見た。

 驚いた。


 泣いている。

 女の子だった。

 しかも、一人じゃない。


 俯いて、涙を拭っている人が何人もいた。

 その光景に、少し鳥肌が立つ。


 “ゆいか”は、ただ上手いんじゃない。

 人の触られたくない場所を、無理矢理引き摺り出す。


 なのに、最後には、

「それでもいい」

と肯定してしまう。

 

 だからみんな、泣くのだ。


 照明が、さらに落ちる。


 赤も、紫も消えた。


 残ったのは、淡い白と深い青だけ。


 さっきまでステージを駆け回っていた“ゆいか”が、今度は静かにこちらへ歩いてくる。

 そして、私のシンセの隣へそっと腰を下ろした。


 会場が、息を呑む。


 厚底ブーツを揃え、俯いた横顔はさっきまでとは別人みたいに静かだった。


 アコースティックギター。

 ピアノ。

 余計な音が、何もない。


 その中で、“ゆいか”がマイクを持つ。


 そして——

「わたしは神の子」

澄んだ声だった。

 叫ばない。

 刺さない。


なのに、逃げ場がない。


 腐敗した世界。

 救いのなさ。

 世界からの孤独。


 こんなはずじゃなかった人生。

 どこにも行けない痛み。


 それを、まるで祈りみたいに歌う。


 客席は、完全に呑まれていた。


 誰も動かない。

 歓声すらない。


 ただ、聴いている。

私は鍵盤を押しながら、横を見る。


 “ゆいか”は、泣きそうにも見えた。

 でも同時に、誰より強く見えた。

 光の届かない場所で、それでも生きている人間の声だった。


 最後の音が、静かに伸びていく。


 ピアノ。

 ギター。

 そして、“ゆいか”の声。

 細く、長く、祈るみたいに空気へ溶けていく。


 完全な静寂だった。

 誰も動かない。

 拍手すら、起きない。


 起こせない。


 まるで全員、まだ曲の中へ取り残されていた。

 私は、鍵盤へ置いた指をしばらく動かせなかった。


 やがて“ゆいか”がゆっくり顔を上げる。


 そして——。

 ぱっと笑った。


 まるで、さっきまでの空気をわざと壊すみたいに。

「最後の曲だよ!」

 その瞬間、少しだけ客席が揺れる。


 ドラムセットからシンバルが勢いよく鳴る。


 私は反射みたいに、次の音を入れた。


 そして、“ゆいか”が歌い出す。

「わたしが私の事を愛して何が悪いの?」


 客席のどこかで、吹き出す声がした。

 沈み切っていた空気へ、小さな笑いが広がる。


 あまりにも、温度差が酷い。


 さっきまで、世界の終わりみたいな顔で歌っていた女が。

 今度は、首を傾げて笑っている。

 スカートを翻し、ぶりっ子ポーズに軽いステップ。


 そのギャップに、みんな耐えられなかったのだろう。

 けれど。

 “ゆいか”は、楽しそうだった。


 ライブが終わる頃には、もうSNSが壊れていた。

 最初は、普通の学祭タグだった。

「今年の軽音サークル良かった!」


 そんな、よくある投稿。

 でも途中から、明らかに流れが変わる。

「“紅だァ!”で鳥肌立った」

「やばい、あれ学生???」

「最後のあざといの何???」

「情緒壊された」

 タイムラインが、一気に“ゆいか”で埋まり始める。

 動画も上がる。

 ただ、誰も最初からは期待していなかった。

 だから、まともに撮れていない。


 照明は暗い。

 音は割れている。

 歓声も混ざる。


 それでも伝わる。

 高いのに、腹を抉る声。

 ステージを駆け回る、厚底ブーツ。

 神の子で座り込んで歌う横顔。

 そして、最後にスカートを翻して笑う姿。


 全部断片的なのに、脳へ残る。


 特に伸びていたのは、「神の子」だった。

「この人誰?」

「泣いてしまった」

「怖いくらい引き込まれる」

「神様みたいだった」

 そんな投稿が、次々流れる。

 だが同時に、

「最後、可愛すぎて意味分からん」

「同一人物???」

「情緒返して」

も、大量に流れていた。

気づけば学祭タグとは別に、

「ゆいか」

という単語だけが、独り歩きを始めていた。


 でも当の本人は、楽屋裏で頭から水を被りながら、

「あぁ〜、喉終わった〜」

と笑っていた。


 後日。


 学食で、ポテトを摘みながら、私は一度聞いてみた。

「結花さ、今までみんなの前で歌った事ないの?」

「あるよ」

 結花は、うどんを啜りながら普通に答える。

「音楽の授業とか」

「……周り、なんか言わなかった?」

 結花は、きょとんとした。

「言う訳ないじゃん」

「なんで!?」

「いや、もっと凄い人いっぱいいたし」

 また始まった。

 私は、半分呆れながら聞く。

「例えば?」

 結花は、指を折り始めた。

「先輩、今覆面歌い手」

「は?」

「同期、高校生シンガーソングライターだった」

「待って」

「後輩、民謡日本一」

「何その学校!!」

 結花は、ケラケラ笑う。

「あと、のど自慢ファイナリスト多かった」

 私は、思わず机へ突っ伏した。

「なんなの、その化け物学校……」

「田舎だから、逆にチャンス多かったのかな?」

 そう言って、結花はうどんを食べる。

 まるで、本当に普通の話みたいに。


 でもその後、少しだけ声色が変わった。


「……凄いの。分かるぐらいには、みんな努力してたんだよね」

 私は、顔を上げる。

 結花は、箸を止めたままぼんやり窓の外を見ていた。

「毎日、学校でもずっと練習して」

「人生全部かけてる、みたいな人もいた」

 静かな声だった。


「……でもさ、」

 少しだけ、笑う。

「それでも、ダメになる人達も見てたから……」

「……」

「だから、自分が!って誇れるほど努力してないし…それほどではない、って思っちゃうよ」

 結花は、肩を竦めた。

 私は、何も言えなかった。


 あの日。

 学祭で、人を泣かせて。

 SNSを壊して。


 “ゆいか”なんて名前まで、勝手に付けられた子が。


 本気で、そう思っている。

——この子、本当に自分を知らない。

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