ご縁を探して
車内は静かだった。
窓の外を、夜の高速道路が流れていく。
後部座席で資料へ目を通していた
鷹司景が、ふと手を止める。
隣に座る朝比奈玲は、珍しくぼんやり外を見ていた。
何気ない流れだった。
本当に、何気なく。
「景さん、」
「なんだ?」
「“次、いつ会える?”って聞いたら、」
景は資料を捲りながら、適当に相槌を打つ。
「ああ」
「“ご縁があれば”って返されたんですが…」
一拍。
景の手が止まる。
玲は気付かない。
「“ご縁”って、何ですか?」
静かだった車内へ、
沈黙が落ちた。
数秒。
景がゆっくり顔を上げる。
「……お前、誰に言われた?」
玲がそこで初めて、僅かに眉を寄せた。
「何故分かるんです?」
景は答えない。
代わりに、玲をじっと見る。
その顔が、あまりにも真面目だったからだ。
「いや、普通に分からないんですが……」
玲は本気で困っていた。
「縁があるなら、具体的に予定を決めればいいだろう」
景がとうとう片手で顔を覆う。
「お前なぁ……」
珍しく、心底呆れた声だった。
玲は意味が分からない。
景は深く息を吐く。
「それはな」
数秒考え、
諦めたように言う。
「やんわり逃げられてる」
玲が止まる。
「……逃げる必要、ありました?」
「あるだろ……」
即答。
景は頭痛を堪えるように額を押さえた。
「お前、自分がどんな立場か忘れてないか?」
玲は黙る。
忘れてはいない。
だが、それとこれに何の関係があるのか、
本気で分かっていない顔だった。
景はその顔を見て、ふと笑う。
「ああ、これは重症だな」
「何がです?」
「お前、もう落ちてる」
玲の眉が僅かに寄る。
景は面白そうに続けた。
「しかも無自覚で」
景の意見はよくわからない。
執務室へ戻る途中だった。
エレベーター前。
資料を抱えた後輩社員を見つけ、
朝比奈玲は何気なく声を掛ける。
「少しいいか」
「はい?」
後輩は足を止める。
玲は数秒考え、淡々と口を開いた。
「“次、いつ会える?”と聞いて、
“ご縁があれば”と返された人がいるんだが……」
後輩が瞬きをする。
「……はぁ、」
「これの意味、分かるか?」
沈黙。
後輩の脳内で、何かが高速回転した。
誰の話だ?
いや、待て。
この人が、何を聞いている?
玲は真顔だった。
本気で聞いている。
後輩は恐る恐る口を開く。
「えっと……その人、女性ですか?」
「そうだ」
「……」
後輩は視線を泳がせる。
逃げるか。
誤魔化すか。
いや、ここで変なことを言うと死ぬ。
「その……やんわり濁されてる、感じかと……」
玲が僅かに眉を寄せた。
「濁す必要があるか?」
後輩は心の中で叫ぶ。
ある。
めちゃくちゃある‼︎
だが口には出せない。
「いえ、その……
角を立てない断り方というか……」
玲は黙り込む。
本気で考え始めた。
後輩の背中へ、嫌な汗が流れる。
数秒後。
「そういうものか…」
玲が小さく呟く。
「はぁ……」
後輩は曖昧に頷いた。
玲はそのまま考え込む。
「ちなみに、」
後輩がびくりと肩を揺らす。
「それって完全に脈がない時の返答?」
後輩は死を覚悟した。
「……いや、
その……相手との距離感とか、立場とかにもよるかと……」
玲が視線を上げる。
後輩は必死で続けた。
「本当に嫌なら、もっとはっきり断る人もいますし……」
玲は再び黙る。
後輩は思う。
——誰だその女。
勇者か?と。
珍しく、朝比奈の実家へ顔を出した日だった。
食後。
リビングには穏やかな空気が流れている。
朝比奈玲はコーヒーを片手に、しばらく黙っていた。
向かいでは、母が雑誌を読んでいる。
今日は、公休日らしい。
玲は数秒迷い、ぽつりと口を開いた。
「母さん」
「なぁに?」
「“ご縁があれば”って、どういう意味ですか?」
ページを捲る手が止まる。
ゆっくり、母が顔を上げた。
「……誰に言われたの?」
玲が僅かに眉を寄せる。
「何故まずそこを聞くんです?」
「女の子でしょう?」
即答だった。
玲は黙る。
その反応だけで、母は全てを察した。
「あら…、そうなの」
面白そうに笑う。
「玲がそんな事を聞くなんて……」
「質問に答えてください」
母はカップを置き、少し考えるように首を傾げた。
「そうねぇ……」
穏やかな声が続く。
「便利な言葉よ」
「便利?」
「ええ」
母は笑った。
「また会いたい気持ちもある。
でも、自分から約束するほどではない」
玲の視線が止まる。
「断ってる訳でもない…」
「そう」
「肯定でもない」
「そうね」
玲は黙り込む。
母はその顔を見ながら、少し楽しそうに続けた。
「でも、嫌いな相手には使わないわよ」
玲がゆっくり顔を上げる。
母は微笑んだ。
「本当に嫌なら、もっとはっきり切るもの」
リビングへ静かな沈黙が落ちる。
玲はコーヒーへ視線を落とした。
母はそんな息子を見て、ふと目を細める。
「玲、」
「何です?」
「その子、逃げてるわね」
玲の眉が僅かに寄る。
「……やはり」
「でも、完全には逃げてない」
母は楽しそうに笑った。
「だからあなた、こんなに引っ掛かってるんでしょう?」
「意味が曖昧なんです」
「女の子って、曖昧な生き物なのよ」
母はにこやかに返す。
「特に、本気で線を引いてる時ほど」
玲が視線を上げる。
母は穏やかに続けた。
「その子、賢い子なんでしょうね」
玲は答えない。
だが否定もしない。
「あなたから来るなら受け止める。
でも、自分からは行かない」
母は笑った。
「ちゃんと両方に逃げ道を残してる」
玲は静かにコーヒーを飲む。
母はそんな息子を見ながら、
楽しそうに目を細めた。
「玲、頑張らないと逃げられるわよ」
「別に追ってません」
即答だった。
母はとうとう吹き出した。
「その顔で言う?」
夜。
書斎の扉が開く。
朝比奈玲が顔を上げると、そこには父が立っていた。
「少しいいか?」
「……どうぞ」
父はソファへ腰を下ろし、玲をじっと見る。
その視線に、玲は嫌な予感を覚えた。
沈黙。
数秒後。
父が静かに口を開く。
「お前、“ご縁”って聞いて回ってるそうだな」
玲の動きが止まる。
「……母さんですか?」
「楽しそうだったぞ」
完全に面白がっている声だった。
玲は小さく息を吐く。
「別に、大した話では」
「女か」
即答だった。
玲は黙る。
父はその反応だけで察する。
「ほぉ」
妙に感心した顔になる。
玲は本気で帰りたくなった。
「……何故皆、そんなに食い付くんです…」
父は笑った。
「お前が、そんな話をするのが珍しいからだ」
玲は視線を逸らす。
父はそんな息子をしばらく眺めた後、
ふっと口元を緩めた。
「で、」
「……はい」
「何故、“ご縁があれば”になったと思う?」
父は教師のように聞いてくる。
玲は少し考える。
「距離を取られた」
「半分正解だ」
父は静かに続けた。
「その子は、お前に選ばせてる」
玲が眉を寄せる。
「選ばせる?」
「自分からは行かない。
だが、お前が来るなら拒まない」
父は肩を竦めた。
「賢いな」
玲は黙る。
父はその反応を見て、小さく笑った。
「玲」
「何です?」
「お前、もうかなり気に入ってるだろう?」
「……」
否定しない。
それがもう、答えだった。
父は珍しく、穏やかな目をした。
「なら、今度はお前が動け」
玲は静かに視線を落とす。
“動く”。
その言葉だけが、重く残った。
大学帰りのカフェだった。
就活帰りの学生達で混み合う店内。
リクルートスーツ姿の長谷川結花が、
紙カップを両手で抱えながら、ぽつりと零す。
「次、いつ会える?って聞かれた」
向かいの友人が瞬きをした。
「誰に?」
結花は数秒迷い、視線を逸らす。
「……お客さん?」
「疑問形なの何?」
「いや、なんか、
普通のお客さんって感じじゃなくて……」
曖昧な説明だった。
友人はじっと結花を見る。
「で?」
結花はストローを弄りながら、小さく肩を竦めた。
「“ご縁があれば”って答えちゃった」
数秒の沈黙。
次の瞬間。
「重っ!」
「えっ⁉︎」
「お前、その返し重いわ……」
結花が目を丸くする。
「え、そうなの?」
「そうだよ!」
友人が思わず身を乗り出す。
「何その、昭和の別れ文句みたいな返答!」
「だって……」
結花は困ったように笑った。
「変に期待させるのも違うかなって……」
「でも嫌ではないんだ?」
結花が止まる。
友人は見逃さない。
「うわ、今止まった」
「止まってない!」
「止まった」
結花はストローを噛み、視線を逸らした。
窓の外へ、夕方の人波が流れていく。
「……なんか、変な人なんだよね……」
小さく呟く。
「偉い人なのに、妙に普通っていうか……」
友人がじとっと見る。
「それ、危ないやつじゃん」
「いや違うの」
結花は慌てて否定した。
「ちゃんとしてる人なの。
ちゃんとしてるんだけど……」
そこで言葉が止まる。
思い出す。
電車。
SPIの問題。
スナック富士。
笑った顔。
——もう一度、する?
結花は勢いよく顔を覆った。
「うわぁぁ……」
「何!?何されたの!?」
「されてない!!」
耳まで真っ赤だった。




