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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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朝比奈玲は決める

 帰りの車内は、静かだ。

 エンジン音だけが、低く流れている。


 隣の席では、不機嫌を隠そうともしない男が窓の外を見ていた。


 流れる夜景。

 だが、視線は何も映していない。


 後部座席で、さゆりが小さく鼻をスンスン鳴らして泣いていた。

 

 脱衣所では、あんなにも強く立っていたのに。

 全部、飲み込もうとして。

 全部、理解しようとして。

 推しのユリの為に用意したあれこれは、姉のためになったのか。

 それともただ傷つけただけなのか葛藤し、自分の中の矛盾で自分を傷つけても、立っていた。

 なのに今は……ポロポロと涙を溢れさせ、ただ泣いている。

 

 玲とさゆりが寝室の扉を開けたとき。

 さゆりが言った「私の神が捕食される」寸前だった。


 車内に乗り込んだ時には全てを綺麗に消し去り、何事もなかったように微笑むユリ。

 ——景にされかけた、あれこれの痕跡を一切感じさせない。


 それを確認して、ついにさゆりは崩れた。

「びっくりしたんだよね。大丈夫、大丈夫」

 ユリが、困ったように笑う。

 まるで、本当に大したことではないと思っているように。


 そのまま、そっと手を差し出した。

 さゆりは、その手を掴む。

 細い指へ、縋るように。


 そして、泣き出した。


「っ……」

 声にならない。

 ただ、肩だけが揺れる。


 ユリは、何も聞かない。

 ただ、半乾きの髪を、ゆっくり撫でている。


「……」

 前方で、景の眉間がさらに深く寄った。


 バックミラー越しに、玲がその様子を見る。


 泣き顔。

 鼻を鳴らす音。

 ユリへ縋る手。


 ようやく吐き出した、感情。

 ——綺麗だ。

 思わず、そんな感想が浮かぶ。


 傷つきながら。

 ユリの為だと言い聞かせながら、自分も共犯だからと我慢し、悶え、ついに溢れ出した感情。


 そして同時に、考える。


 ——自分には、今。

 そこまで想ってくれる人は、いるだろうか。

「……」

 答えは、すぐに出る。

 いない。


 だからこそ、目が離せなかった。

 車が停まる度に、玲はバックミラーを見る。


 泣き疲れて、眠ってしまったさゆり。

 それでも、ユリの手だけは、しっかり掴んでいる。

 その髪を、ユリが当然のように撫でる。


 静かな空気。

 閉じている関係。


 自分達は、入れない。


「あぁ……」

 小さく、息を吐く。


 いいな、と思った。

 あそこまで、真っ直ぐに感情を向けられることに。


 見返りも、損得もなく。

 ただ、“好きだから”隣にいる。


 そんなもの、今まで見たことがない。

 自分達の周りでは考えられない光景だ。

 綺麗だ。

 そして、眩しい。


 今までの自分なら、外から眺めて楽しむだけだった。

 面白い女達だと、笑って終わる。


 だが今は、違う。

 ——欲しい。


 あの熱量を。

 あの執着を。


 自分へ向けられたら……。

 あるいは、自分が彼女に向けられるならば……。


 泣くのか。

 怒るのか。

 それとも——


 自分にも、あんな風に縋ってくれるのだろうか。

 自分にも、あんな風に笑ってくれるのだろうか。


 どれぐらいの熱量なら耐えられるだろうか。

 それとも、壊さないように囲い込む方がいいだろうか。


 想像した瞬間、妙に胸が熱くなる。

 眺めて楽しむより、ずっと刺激的だ。


「……」

 気づけば口元が少しだけ、笑っていた。


 隣では、景が窓の外を見ている。


 指先が、何度か煙草へ触れかける。

 だが、取り出さない。

 車内では吸わない。

 その程度の理性と、マナーは持っている。


 だからただ、不機嫌そうに指先で窓を叩いた。


 玲は、その横顔を一瞥する。

「我慢してるんですか?」


 景は、舌打ち混じりに返す。

「後ろで寝てる……」

 短い声。


 それだけだった。


 玲の口元が、僅かに緩む。

 ——本当に、

 面倒くさい男だ。


 だが。

 その不機嫌の理由が、自分と似ていることだけは分かっていた。


 東京駅で、車を降りる。

 用意されていた車両へと、乗り換える。


 お抱えの運転手へ、朝比奈が短く告げた。

「——くれぐれも、よろしくお願いします」


 それだけで、十分だった。

 

 急遽戻ってきた本社の最上階にある、格式ある筈の大会議室はお互いに自分に損が被らないように、罵り合う大変無様な有様だった。

 

「だから、どうしろと?」

 景は怒鳴る相手へ、温度を上げずに返す。


「今回の責任を取るべきは——」

 そこで、相手の言葉が止まる。

 喉が閉じる。


 空気が変わる。

 場が、沈む。

 完全に、圧していた。


 その時。

 静かに、しかしはっきりと通る声で呼び出しがかかる。


「鷹司、こちらに来なさい」


 大会議室を出て、最奥の部屋へ移動する。

 部屋へ続く廊下から絨毯の質が、一段と違う。

 落ち着いた室内。

 無駄がない。


 そこに——彼が歳を重ねたら、こうなる。

 そう思わせる人物が、座っていた。


 彼は『御前様』

 鷹司本家の前当主、景の祖父だ。


 同行は、玲のみ。


「鷹司です」

 一言、告げて入る。

「玲も来たか」

 無言で頷いた。


「今回の件だが——」

「……景。お前には悪いが、婚礼を早めて貰えないか」

「先方は了承済みだ」


 ——そう来たか。

 景の目が、わずかに細くなる。

 想定していた中で、最も厄介な形。

 即答はしない。


「契約条項に追加条件と多少の遊びには、目を瞑る」

 試すような視線。

「……では、どうですか?」

 景が、静かに返す。


 御前様は、軽く頷いた。


「分家筋からも、結び付きを強固にしたい」

 視線が横へ流れる。

「玲。お前はどうだ?」


「——いえ、もう決めた相手がいます」

 間を置かずに答える。

 視線を、外さない。

「この件に関しては——、私の意思が優先されるはずでは?」


 御前様から静かだが、厳しい視線が向けられる。

 今の発言が、嘘や逃げではないかと確認するように。


「……なるほど」

 御前様が、わずかに息を吐く。

「一足遅かったか……」

 一つ、頷く。

「良い」

「仕方ない」

 それから、二、三言葉を交わし部屋を出る。


 自席には戻らない。

 そのまま、二人で社外へ出た。


 夜風が、熱を冷ます。


「……おい、さっきの話」

 景が、低く落とす。

「初耳なんだが」

 玲を睨む。

「ええ」

 間を置かずに返す。

「さっき、決めましたから」

 自分の声がわずかに疲れが滲んでいる。


 御前様相手に、我を通した。

 その意味は、軽くない。


「御前様に、嘘は通らないでしょう」

 玲が、ぽつりと呟く。

「さっきとはいつ頃だ?相手は?」

 景が重ねて聞いてくる。

「さっきは、さっきですよ。帰りの車内」

「……ユリか?」

 景は酷く嫌そうな顔をする。


「いいえ、違います。貴方はユリさんを追えばいい。私もこれから根回ししますから」

「は?」

「あの子もまだ芸名しかわかりませんが……。その内、機会があるでしょう」

「箱根…芸者の?」

「さゆりですよ。俺の嫁(仮)」


 御前様に、告げてしまった以上は逃しはしない。

 だが、まだまだ若い相手だ。

 ゆっくり進めばいい。

 まずは決まってしまった景の身辺の整理と景の執着が落ちついてからだな。

 相手はまだ、素性も辿れないユリなのだから。

お読みくださって、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
なんとそうでしたか。 なんとなく、朝比奈氏とユリさんの恋のお話しなのかと勝手に思っておりました。 それにしても、鷹司家、なかなかですね。 御前様。 なんかこの言い方だけですごさが伝わりますw こうい…
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