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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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二度目の雪

 玲の誕生日を結花は少し奮発してハイラグジュアリーなホテルのコースを選んだ。

 誕生日プレゼントも悩みながら用意した。


 当日は朝から冷え込み、天気予報は雪が降ると言っていた。


 玲との食事を楽しみ、プレゼントを渡す。

 去年は名刺入れだったが今年は同シリーズの財布。

 玲は嬉しそうに手に取る。

「去年の名刺入れ。いい感じに育ってるよ」


 内ポケットに常に入れているそれは、毎日玲に触れられ、綺麗な飴色にエイジングが始まっていた。


「これも、一緒に育てて欲しいの」

「あぁ、ありがとう。大切にする」


 食事を終えて、結花がチェックしようとした時に玲がスッと部屋のカードキーを見せた。


「お部屋付けですね。かしこまりました」


 下がる店員と少し困惑した結花。


「少し、付き合ってほしい」

 と玲が言って最上階へ上がる。


 部屋を開ける。


 大きな窓いっぱいに東京の夜景。

 普段は明るいはずのライトは雪で白く濁る。


 結花は窓の外を見た。


「あ……」


「玲さん、雪」


 玲も窓の外へ目を向ける。


「ああ」


 高層階の窓の向こうで、白い雪が静かに舞い始めていた。


「……あの日も、雪だったね」

「あの日?」

「強羅から帰った日」


 玲の目が、わずかに細くなる。


「小田原から、玲さんに連れられて東京まで来た……」

「ああ……」

「東京に着いた時は、まだ降ってなかったんですよね。いつ降ってもおかしくないような、鈍色の空で」


 覚えている。


 初めて二人で乗ったロマンスカー。

 初めて訪れた、玲のマンション。


 いつの間にか降り始めた雪は、窓の外を真っ白に染めるほど積もった。


 交通手段は麻痺し、結局、三日間を二人で過ごした。

 一年と少し前の話。

 だけど、随分と昔のように感じる。


「あの時、私、玲さんのお家に行くなんて思ってなかったです」

「俺は連れて帰るつもりだったよ」

「そうなの?」

「小田原で結花を帰したくなかった」

「……今、それを言うんだ?」

「今さら隠しても仕方ないしね」

「そうだけど……」


 結花は少しだけ頬を膨らませ、それから笑った。


「あの時、すごい雪だった……」

「結花は、ずっと寒がってた」

「急だったから、そんな準備してなかったんです!」

「毛布も出したよね……」

「出しすぎでした」

「足りないよりいいだろ?」


 どちらともなく笑う。


 あの頃は、こんなふうに昔のことを笑い合える日が来るなんて思っていなかった。


 まだ恋人と呼ぶにはぎこちなくて。

 けれど、もう他人ではいられなくなっていた。


 雪に閉ざされた部屋の中。


「……あの三日間で、全部変わった気がする」


 結花がぽつりと言った。


「私は、だけど……」


 玲はすぐには答えなかった。


 窓の外へ視線を向ける。

 雪は少しずつ、その数を増やしている。


「俺は、その前から変わってた」

「え?」

「日光の帰り道で、もう決めてた」

「……何を?」

「結花と結婚するって」

「やっぱり、ずるい!」

「何が?」

「私、何にも知らなかったのに……。玲さん一人でどんどん決めてたじゃないですか!?」

「そうだな」


 あっさり認められて、結花は少しだけ目を丸くする。


「あれ?否定しないの?」

「事実だから」


 玲は笑った。


「あの日もそうだった」

「雪の日?」

「ああ。結花を帰したくなかった。だから東京まで連れてきた」

「……はい」

「俺が勝手に決めた」


 その言葉に、結花が玲を見る。

 玲も結花を見ていた。


 窓の外では、雪が降っている。

 あの日と同じように。


 けれど――


「今日は違う」

「え?」


 玲が結花の前に立った。


「結花に決めてほしい」

「……何を?」


 玲は答えなかった。


 代わりに、少し離れたテーブルへ向かう。

 そこに置かれていた大きな花束を手に取った。


「え……」


 結花の目が大きくなる。


「玲さん?」

「結花。前に言ったこと、覚えてる?」

「……何を?」

「夢があったって……」


 結花の息が止まった。

 玲が覚えていた。

 軽井沢の朝。

 あの時、思わずこぼした言葉。


 好きな人ができて。

 恋人になって。

 いつか、その人からプロポーズされて……。


 そんな普通の順番に、自分だって少しくらい憧れていた。

 けれど、自分たちは何もかもが違った。

 玲は恋を知らないまま、何故か自分を結婚相手に決めた。


 お互いの気持ちの確認より先に身体を重ねた。


 家が動いていた。

 養女になった。

 婚約した。

 結納も済ませた。


 結婚式の日も決まっている。

 三月には、婚姻届を出す。


 もう必要のないものだと思っていた。


「玲さん……」

「俺は……、順番、ずいぶん間違えたから」


 玲が苦笑する。


「今さらだけど。一つだけ、まだしてなかった」


 花束を結花へ渡す。

 震える手で受け取ると、甘い香りがふわりと広がった。


 その向こうで――

 玲が跪いた。


「……え?」


 いつも見上げていた玲の顔が、自分より低いところにある。

 結花は動けなかった。


 玲が小さな箱を取り出す。

 ゆっくりと開く。


 光を受けて、指輪が輝いた。


「最初は、俺が決めた」


 玲は結花を見上げる。


「あの日も、俺が帰したくなくて連れて帰った」


 窓の外で、雪が舞う。


「でも今日は、結花が決めて」


 玲が息を吸った。


「結花」


 今度は、迷わなかった。


「俺と結婚してください」


 ずっと結花が欲しかった言葉だった。

 でも、もう必要ないと思っていた言葉だった。


 今さらなのに。

 今さらだからこそ。


 視界が滲んだ。


「……遅いよ」

「ああ」

「すっごく、遅い!!」

「ごめん」

「もう結納もしたし……」

「うん」

「結婚式だって決まってるし……」

「うん」

「三月には、婚姻届だって……」

「うん」

「なのに……今さら……」


 声が震える。

 花束を抱えたまま、涙がぽろぽろと落ちた。


「こんなの……嬉しい……」


 玲が笑った。

 けれど、立ち上がらない。


「じゃあ、返事を聞いてもいい?」

「……聞くの?」

「そのためにやったんだけど」

「もう!」


 泣きながら笑った。

 そして、玲を見る。


「……はい」


 結花は、はっきりと頷いた。


「よろしくお願いします」


 玲の表情が、ゆっくりと緩む。


「私を、玲さんのお嫁さんにしてください」

「ありがとう」


 玲が結花の左手を取る。

 指輪が、薬指に滑り込んだ。

 ぴったりだった。


「……綺麗」


 結花は涙を拭いながら、自分の左手を眺める。


「気に入った?」

「とっても」

「よかった」


 それだけ言って、玲がようやく立ち上がった。

 結花はその胸に飛び込む。


「玲さん」

「ん?」

「今日、玲さんのお誕生日だよ?」

「ああ」

「なんで私がこんなに貰ってるの?」


 玲は結花を抱き締めたまま、少し考えた。


「俺はいちばん大事なものを貰った」


「何を?」

「結花」

「……もう」


 胸元へ顔を押しつける。

 その声は笑っていた。


 窓の外では、雪が降り続いている。


 あの日と同じ雪。

 けれど、あの日とは違う。


 今度は、自分で選んだ。


 東京の夜を、白い雪が静かに染めていった。

お読みくださって、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
若いふたりよ!!! おめでとう!!やっとここまで来たんだね!! 玲さんや……遅いよ!!ꉂ(≧∇≦) でも最高のプロポーズをありがとうございました!最後にかっこよく決まっててギューーーーンとしました。…
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