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朝比奈玲はまだ恋をしらない  作者: あぐり りょう


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さよならのかわりに

 ゆいかは客席に向かってオーケストラへ拍手を促した。

 コンマスと握手を交わし、一礼する。


 そして、そのまま舞台袖へ消えた。


 けれど――誰も席を立たなかった。

 拍手は鳴り止まない。


「ゆいかー!」


「ゆいかー!!」


 あちこちから名前を呼ぶ声が飛ぶ。


 オーケストラも、まだ席を立っていない。

 それを見た客席が確信した。

 まだ、終わっていない。


 拍手が揃う。


 もう一度。

 もう一度、彼女をここへ。


 やがて舞台袖から、白い姿が現れた。

 先ほどまでの華やかなゴシック調の衣装ではない。


 真っ白なドレス。


 裾まで流れる柔らかな生地は、照明を受けて淡く輝き、まるでウェディングドレスのようだった。


 髪もまとめられ、飾られているのは白い生花だけ。


 歓声が上がる。

 けれどゆいかは煽らなかった。

 いつものように笑って、両手を振ることもしなかった。


 ただ、客席を見渡した。


 一階席。


 二階席。


 後ろまで埋め尽くした人たち。


 何度もライブへ来てくれた人。

 今日初めて来てくれた人。

 名前も知らない、大勢の人たち。


 その一人一人を見るように、ゆっくりと。


 そして、マイクを両手で包んだ。


「……最後の曲です」


 それだけで、客席から悲鳴にも似た声が上がった。


 結花は少し困ったように笑う。


 静かなイントロが始まった。


 出会った人から教えてもらったこと。

 支えてもらったこと。

 自分一人では、きっとここまで来られなかったこと。


 楽しい時だけではなかった。

 眠れない夜もあった。

 自分の選んだ道が正しいのか分からなくなったこともある。


 それでも舞台に立てば、名前を呼んでくれる人がいた。


 拍手してくれる人がいた。

 歌を待っていてくれる人がいた。

 だから、ここまで来られた。


 ゆいかは静かに歌い出す。


 遠く瞬く あの星のように

 いつまでも続くと 思っていた

 春を数えて 季節を越えて

 気づけばこんなに 歩いてきたね


 今日までずっと 今日までずっと

 名前を呼んでくれてありがとう

 今日までずっと 今日までずっと

 ここにいてくれてありがとう


 笑った日々も 泣いた夜にも

 聞こえていたよ あなたの声が

 眩しい光も 鳴り止まぬ拍手も

 きっと私は 忘れないから


 だから最後は 笑っていたい

 涙のかわりに 伝えたい


 ありがとう 出会ってくれて

 ありがとう 見つけてくれて

 ありがとう 待っていてくれて

 ありがとう 愛してくれて


 あなたがくれた すべてを抱いて

 私は明日へ 歩いてゆく


 もう次の日を 約束しない

 またねの言葉も 今日は言わない

 だけどあなたと 過ごした時間は

 消えることなく ここにあるから


 最後の歌を 最後の声を

 あなたの胸へ 届けられたなら

 私はきっと 私はきっと

 笑ってここから 歩いてゆける


 ありがとう 呼んでくれて

 ありがとう 笑ってくれて

 ありがとう 支えてくれて

 ありがとう 愛してくれて


 今日までずっと 本当にありがとう


 さよならじゃなく

 ありがとうを


 あなたへ

 あなたへ

 あなたへ


 今日まで『ゆいか』を愛してくれた、すべての人へ贈る歌だった。


 結花は、一つ一つ置いていくように歌った。


 もう次のライブの約束はしない。

 また会おうとも言わない。


 今日で終わる。


 だからこそ、別れの言葉ではなく、感謝だけを残す。


 最後の音が伸びる。

 オーケストラの音が静かに消えていく。


 完全な静寂。


 結花はマイクを下ろした。

 深く息を吸う。


「――みんな」


 声が少しだけ震えた。


「今まで、本当にありがとう」


 深く、頭を下げる。


 長い。


 いつものライブなら、とっくに顔を上げているほど長い礼だった。


 やがて顔を上げた結花は――


 泣いていた。


 それでも笑った。


「さようなら――『ゆいか』でした」


 一瞬の静寂。


 そして。

 講堂が揺れた。


「ゆいかぁぁぁぁぁ!!」


 歓声と拍手が、一斉に押し寄せる。


 結花は何度も頷く。

 口元を押さえ、それでも最後まで笑おうとする。


 そして――


 舞台中央に立つ。


 両手で握っていたマイクを見る。

 ほんの少しだけ、名残惜しそうに。


 ゆっくりと屈んだ。


 打ち合わせどおりにマイクを置く寸前……。


「ちょっと待ったぁ!!」


 灯が自分のスタンドマイクに向かって怒鳴る。


「みんな!これで、サヨナラでいいのか!?」


「灯ー!!!」


 客席から灯にコールがかかる。


「だよねー!だよねー!!王様らしくないよねー!!!」


「皆、アンコールが足りないんじゃない!?」


 客席から期待の声が地鳴りのように響く。


「アンコール!」

「アンコール!」

「ゆーいーかー!!!」


 しんみりとした空気が完全に壊れた。

 ゆいかも、呆然と灯を見る。


「え?!もう、歌う曲ないよ!」


「って、王様!言ってるけどー?!!」


「アンコール!!」


「アンコール!!」


「ゆーいーかー!!!」


 その中から、誰かが叫んだ。


「アーイドル!!!」


「アイドル!!」


「アーイドル!!!」


 ひとつだった声が、今度は別のひとつに揃っていく。


 いつの間にか、アンコールが曲名に変わる。

 会場の心が一つになる。


「いやいや、無理でしょ?!!」

「練習してないし!!!」


 そこへ、美里がイントロのサウンドを流し始める。


 ゆいかと客席が同時に気づく。

 期待に沸く客席と、嵌められたとわかったゆいか。


「ホントに?!楽器隊、どうなってんの?!」


 美里がOKとサインを出す。


「もぅ、しょうがないなぁ……。みんな、ホントに最後だからね!!」


 わっと歓声で揺れる会場が、一瞬、暗転する。


 闇。


 その瞬間、客席の声が途切れた。

 まるで、その一瞬を待っていたかのように――。

 全ての音が、息ぴったりに弾ける。


「天才的なアイドル様!!!」


 破裂音。

 同時に、舞台の照明が一斉に点いた。


 ポップな曲調に合わせ、ゆいかが跳ねる。

 先ほどまで涙を流していた姿はどこにもない。

 白いドレスの裾を揺らし、右へ、左へ。


 客席からは次々と、本家さながらの合いの手が飛ぶ。


 ゆいかが煽る。

 客席が応える。


 最後の一曲を惜しむどころか、講堂全体が楽しむことに全力だった。


 ラップパートへ入る直前。


 ゆいかが、ちらりと灯を見る。

 灯が小さく頷いた。


 次の瞬間――歌い手が変わる。


「はい、はい、あの子は特別です!」


「嫉み嫉妬なんてないわけがない!」


「完璧じゃない君じゃ許せない!」


「誰よりも強い君以外は認めない!」


 ゆいかよりもハスキーで、低い声。


 一言、一言が重い。


 ゆいかに期待する人が増えるほど、その期待に応えるため、舞台を支える側にも重圧がかかった。


 失敗できない。


 王様を、一人で舞台に立たせるわけにはいかない。


 誰より近くでその背中を見てきた灯だからこそ、乗せられるものがある。


 実感の籠った声だった。


 最後のフレーズを吐き捨てるように歌い切った灯。


 その声を振り切るように、曲が再びアップテンポへ戻る。


 ゆいかはメンバーたちを振り返った。


 ニヤリと笑う。


 皆も笑っていた。


 そして、正面を向く。


 メンバーの誰よりも小柄で、誰よりもパワフルなゆいかが、最後の最後まで会場を引っ張っていく。


 一秒が、それ以上に長く感じる。

 終わってほしくない。


 けれど、確実に終わりへ向かっている。


 そんな濃密な時間の中、照明を浴びて激しく動くゆいかの汗が光る。


 跳ねる。


 歌う。


 笑う。


 そして――


「これは絶対嘘じゃない。あいしてる!!」


 最後のフレーズの一拍で暗転した。


 静まり返った客席。

 誰もが次の音を待っている。


 けれど、聞こえてきたのは音楽ではなかった。


 緞帳の動く音。


 ゆっくりと、幕が降りていく。


 ゆいかのバンドでは、初めてのことだった。

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― 新着の感想 ―
ゆいかのラスト。 純白のドレスで歌った曲にジーンとしました! 今日までずっとここにいてくれてありがとう。 さよならじゃなく ありがとうを あなたへ かぁ。この歌を聴いた人達は今何を思うのかなぁ。…
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