10 デッドエンド
リライトして
数年前のある日のこと。
―――容態の回復を確認。コールドスリープ機能を解除します。3、2、1。――解除完了。カプセルを開放。
最初に抱いた感情は凍え死にそう。であった。顔に張り付いた氷の欠片を引っペがし、まるで冷凍された魚の気分を味わった。
カプセルから滑り落ちるように床に落ち、寝ぼけているのか混濁した意識のなかで支えになりそうなものを求めて手を伸ばしていた。
ようやく、机にたどり着いてなんとか椅子に寄りかかることができた。椅子に座り、しばし、考える。――自分は何をしているのか、を。
記憶がない。だが知識はある。赤子のように言語体系が破壊されているわけでもなく、ただ自分が何者なのか、どういう経緯で寝ていたのかがわからない。……コールドスリープにそのような副作用があっただろうか、ないだろう。
ただ場所については知識から理解を得ることができた。ここは『ライブラ』だ。地上との干渉を目的とした施設であり、ひとつの街のように広く、衣食住すべてがここで賄える。もちろん、エネルギーもだ。
一通りのことを思い出して少しだけ冷静になれた。ふと前を向けば、そこには鏡がある。代わり映えのない、自分の顔だ。なにも変化はしていない。ただ少しやつれたようにも見える。
『――マスター。容態は如何でしょうか』
「……っ!? あぁ、『マザー』か、ビックリした。あー。えーっと、ね。どういうわけか、記憶がない。主に自分の歴史について、知識はあるわ」
『――――――――。了解。直ちに身体スキャンを開始します。』
謎の溜めのあとに、いくつもの機械が近くに寄ってくる。駆動音をかき鳴らしながら車輪のついた自動観測医療ロボットが診察を終わらせた。
『診察を完了。身体的な異常は確認できませんでした』
「りょーかい。……とりあえず、あたしは管制室に行かないといけないわよね。他の皆はもう目覚めてるの?」
『――――――』
またもや謎の溜めだ。知識としてある情報ではこのような、人が言葉に出すのをためらうかのようなシステムは内蔵されていないはずだが。
「……どうしたの?」
思わず人を慮るように声をかけた。するとすぐに『失礼致しました』という返答がきた。どうやらフリーズでも起こしていたようだ。
「で、他の人は?」
『――はい。現在、施設内において生存している人類種は、マスター・アスカ。1名。です』
「…………は? 何言ってんの?」
『現在、他の生命反応は確認できません』
「…………あたしは記憶がないけど、ここが人が多い施設だってことは理解しているわよ? ……そもそもひとつの街の役割のライブラで生命反応がないなんてことありえるわけないでしょ? さっさとエラーを直してもっかい確認しなさい」
やはりフリーズを起こしたバグが継続しているのか、と溜息がでる。記憶障害のみならず、人を支える役目の『マザー』すらバグを引き起こしているなんてどういう状況なんだと頭を抱えた。整備士はなにをやってんだ、という怒りがこみ上げ、部屋を出た。
廊下を行く。白く清潔な壁に、床もゴミが一つたりとも落ちていない。清掃ロボットがちゃんと機能しているのだ。しかし、妙だ。あまりにも汚れがない。それと灯りが心なしか薄暗いようにも思える。まるで、必要性がない機能をカットしていたかのような。
途中、食堂を通り抜ける。やはり、誰もいない。たくさんの店の看板やトレイは綺麗に片付けられており、食卓の上には何も置かれていない。
当然のように厨房には人の姿もなく、まるで閉店したかのようだ。時刻を確認するが、夜中ではない。普通に昼時の、日中だ。祝日で休み、だなんてことはありえない。
娯楽空間へと足を運んだ。大きな階段を駆け足で降りていく。違和感がひどい。ここは娯楽施設だ。人っ子ひとりいないなんてことがありえるのか。あるわけがない。この『ライブラ』は少なくとも中央区域だけでも1000人はいるはずだ。これではまるで、ゴーストタウンではないか。
足がはやくなる。息を切らしていることに気づく。
汗が冷や汗に代わり、冷たく湿った服がベッタリと背中に張り付いている。
気持ちが悪い。気持ちが悪い。はやくなんとかしなくては。
管制室へとたどり着いた。やはり、ここまで人の姿とは出会わない。
「……『マザー』。監視カメラをすべて表示して」
『了解。モニターを起動します』
ごくりと、唾を飲み込む。喉が乾燥している。心臓の鼓動が上へと競り上がってくるようだ。いつの間にか手が震える。身体全体が恐怖に動かされるように、微弱な振動に揺れている。少しでも音を拾いたくて、長い耳をさらに伸ばそうとする。身体中の毛はすでに逆だっていた。
『モニター表示します』
「………………………………」
交感神経が乱れ、瞳孔が開いているのがよくわかる。ひとつの影も見落とさない覚悟ですべての映像を見渡した。
人がいない。死体もない。
熱源探知を使用する。反応はない。
コールドスリープ。稼働はゼロだ。
どこにも、人がいない。
―――そうだ。思い出した。すべて、あたしが殺したんだ。
あたしが作り出した『人工知能時間跳躍理論』。その全てを利用、悪用されたこと。
時間はたった一度だけ巻き戻り、そして取り返しのつかない結末だけを残して、全てを虚構の渦へと消し去った。
悪用されたのは自分だ。被害者は自分だ。けれど原因を作り出したのもまた、自分だ。
放心した状態のまま、ふらふらと死霊に導かれるように歩いていく。
階段を上り、最上階へ。
手すりに登り、その上へ。
そして、砂の城が崩れるように脆く―――落下した。
「軌道衛星ライブラからの情報を確認。シミュレーションの経過予測を求む」
星のように型どった球体の前で、全身を黒いフードで覆った人間から、高い声が響いた。女のように高い声だが、その声質は極めて機械的である。
抑揚のない単調な調べで、フードの人物は命令した。
『神樹セフィラより通達。シミュレーションによる予測結果、第一級保護対象アスカの死亡を確認。シミュレーションを中断。現時刻を持って、すべてのシミュレーションを終了。73万回の結果により、第一級保護対象アスカの生存ルートの確保件数、ゼロと断定』
『軌道衛星ライブラ』と同じような球体には、その周囲に木の根のようなものが張り付いている。その根を辿った先にあるのは巨大な幹。幹は天井を突き破り、施設からはみ出しながらもその巨体を維持している。その大木は宇宙空間に浮かぶこの『衛星』すら覆うほどに木の葉を揺らす。自然界において起きうるはずのない光景が、その場所にはあった。
「現時点を持ってすべてのシミュレーションを終了する。今後、我々が進むべき道は変わらず、我々を生み出したアスカだけは必ず生かすことである」
およそ感情の起伏がない声は死亡宣告に声色を変えることなく文字通り、無情に話を流す。フードの人物が見つめていたシミュレーター画面は一時停止をしており、そこにはクノール村の二人がテロリストと対峙している姿、その場所にたどり着こうともがくハルの姿、そして、軌道衛星『ライブラ』施設内において、自死を選択したアスカの姿があった。




