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第一〇章 そう、これこそオタクの戦う理由

駈の母は駈が七つの時に死んだ。優しい女性だった。物静かでいつも笑顔を絶やさない。駈はそんな母の笑顔が好きだった。

父と母はとても仲が良く、近所でもおしどり夫婦と評判であった。

そんな母が死んだ。病気だった。元々体が丈夫とはいえなかった母は、風邪を少しこじらせただけであっけなく死んでしまった。

人は悲しい時に涙を流す。しかし、母が死んだ時、駈は泣かなかった。周りの人間は皆、強い子だと言っていたが本当は違う。泣くこともできないほど呆然としていたのだ。母はもういない。その事実を理解することはできていたが、心が納得することを拒絶していた。あるのは空虚さだけ。胸を抉りとったかのように開いた心の穴は、涙を流すという行為をも駈から抉りとっていた。

それから一年が経った。駈の心の傷は未だに癒えなかった。学校から帰っても、もう母はいない。友達は母と手を繋いで帰っていくのに自分にはいない。父も母が死んで以来、家を留守にすることが多くなった。つまり家には駈一人。八歳の子供に普通の一軒家は広すぎた。徐々に心は重くなり、家族への飢えに反比例して、人に接する時の温度は下がっていった。

そんな時だった。父が知らない女性を連れて帰ってきたのは。それだけではない。子供も二人連れていた。二人とも女の子のようだ。一人は自分と同じくらい。もう一人は少し年下のようだった。

父は帰ってくるなりこう宣言した。この人が今日からお前の新しいお母さんだと。

駈は頭にきた。当然の如く頭にきた。長い間家を留守にしておきながら、いきなり見知らぬ女性を連れて帰って来て、その女が今日から自分の母親などとはふざけているにもほどがある。駈は本当に頭にきた。

しかし、本当はそんなことに腹を立てたのではなかった。本当は、父が母を忘れたのかもしれないということに腹を立てたのだ。どうして? あんなに仲が良かったのに。何でたった一年で違う女を作れるの? 母さんを愛してるって、あんなに言ってたのに。あれは嘘だったの?  父さんの愛してるはそんなに軽いものだったの? もう、母さんのことはどうでもいいの? もう、母さんのことは忘れちゃったの?

駈の頭を様々な想いがループする。気が付くと、駈は家を飛び出していた。泣きながら家を飛び出していた。同い年くらいの女の子に自分の涙を見られるのは恥ずかしかった。でも、涙は止まらなかった。


商店街を一人で歩く。商店街は賑わっていた。子供連れの親子が何人も通り過ぎる。中には駈の知っている人達もいる。母親に手を引かれて帰っていく子供はとても幸せそうだった。

商店街を抜けてしばらく行くとそこは公園だった。古ぼけた小さな公園。シーソーもブランコもボロボロだった。半年前、少し離れたところに大きな公園ができてからは、ほとんど人がこなくなった。でも、駈はこの公園が好きだった。よく母と遊びにきたのだ。買い物帰りに母と手を繋いでこの公園まで遊びにきた。シーソーに乗ったり、ブランコに乗ったり。そして、暗くなるとまた手を繋いで帰るのだ。だから駈はこの公園が好きだった。

気付くとまた涙が流れていた。ひょっとしたら、自分はもうこの世界には必要ないのかもしれない。いや、違う。もう、自分にはこの世界は必要ないのかもしれない。だって、何にも無い。何一つ大事なものなんてない。何のために生きるのかも分からない。

「見つけたー!」

そんな時だった。後ろから声が聞こえた。聞き覚えのない声。それは女の子のようだった。


声の主は先ほど父と一緒にいた少女の一人だった。背の高い方だ。肩辺りで綺麗に切りそろえられた髪に、くりくりとした小動物を思わせる瞳。そして今は、真っ白なワンピースに身を包んでいる。きっと、姉だろう。駈は声を無視してそっぽを向いた。

しかし、その少女は駈の態度などお構いなしに近づいてくる。

「ここ座っていい?」

「……だめ」

「座るねー」

「いや、話聞けよ!」

どうにも変わった少女だった。駈は大声を出そうとしたが、少女の無邪気な笑顔がそれをさせなかった。

「私、優愛(ゆうあ)。今日からあなたのお姉ちゃんだよ」

それは花が咲いたような笑顔だった。駈はその笑顔に思わず見惚れてしまった。しかも、その笑顔は誰かに似ている。自分の大好きなあの人の……。

駈の目から不意に涙が流れる。

「ふ、ふえ、え、えっと・・。妹でもいいよ。私とあなたは同い年だってお父さんも言ってたし。私の誕生日は八月一七日だけど、あなたの誕生日の方が早かったら、別に妹でも……」

駈の涙に驚いたのだろう。優愛はあわあわしながら付け足した。

「えと、えと、あ、あなたのお誕生日は……」

「一緒だよ」

「えっ?」

「お前と一緒」

反応があったのが嬉しかったのか、優愛が顔を綻ばせる。笑顔が戻った。

「そうなんだ。じゃ、どっちがいい? お姉ちゃん?それとも妹?」

優愛がくりくりとした目で問い掛ける。駈は気恥ずかしくなって、またそっぽを向いた。

「べ、別にどっちでもいいよ」

「えー、選んでよー。私としてはお姉ちゃんの方がいいと思うんだけどなー。妹はすでに一人決定してるからね。お姉ちゃんと妹。一粒で二度おいしい」

「いや、それはなんか違うだろ」

「そかな」

「そうだよ」

駈は微かに笑った。本当に変わった少女だった。一人でいじけている自分が馬鹿らしくなるくらいに。

隣を見ると優愛が嬉しそうに笑っている。

「な、なんだよ」

「やっと笑ったー」

優愛はニコニコしながら言った。

「さっきまで悲しそうな顔していたからね。ずっと君に笑ってほしかったんだ」

優愛の言葉に駈の顔がみるみる赤くなる。普通は逆だろうと駈は思った。

「は、恥ずかしいこと言うな」

「えー、恥ずかしくないよー。やっぱり家族は仲良くなくっちゃね」

駈はなおも抗弁しようとしたが、やはりできなかった。どうやら、優愛の笑顔には不思議な力があるらしい。

「うー、もういいよ。ところでお前一人でここに来たのか?」

駈の言葉に優愛はきょとんとした顔になった。

「ふえ、何言ってるの? さっき妹が一人は決定してるって言ったでしょ。紹介するね。私の妹の……」

そう言って優愛は隣に目を向けるが、もちろんそこには誰もいない。

「…………」

「…………」

きっちり一〇秒ほど無言の時間が過ぎた後、優愛が急に大声を出した。

「どうしよう、妹どっかに置いてきちゃった!」

「おい!」

それには、思わず駈もツッコミを入れてしまった。しかし、優愛は聞こえていないのか目に涙を溜めながら俯いている。

「ど、どうしよう。私、お姉ちゃんなのに。小恋愛、置いてきちゃった。今頃きっと、小恋愛一人で泣いてる。どうしようー」

優愛が消え入りそうな声で言った。駈の服のすそを掴む手が少し震えている。

「探すしかないだろ」

「えっ?」

「だから、探すしかないだろ。ほら、行くぞ」

駈は優愛の手を取って歩き出した。優愛もそれに従って歩き出す。

駈は前を向いて歩き出した。もう、泣いてはいなかった。


別れは突然だった。

「何だよ? 急に呼び出して」

そこは駈の造った秘密基地だった。

裏山の頂上、大人達は誰も知らない自分達だけの秘密基地。

「ごめんねー。こんなところに呼び出して」

「こんなところって言うな。お前だって喜んで造るの手伝ってただろうが」

「えへへ、そだねー」

そっぽを向いて話す駈に、優愛はいつも通りのぽわぽわ口調で返した。

駈を呼び出したのは優愛だった。大事な話があると言って、放課後駈を呼び出したのだ。大事な話という言葉に駈の胸は高鳴っていた。女子が男子を呼び出して大事な話。とくれば、必然的に連想されるのは告白である。自分の好きな女の子からの告白。一二歳の少年、駈の胸が高鳴るのも当然だった。

「で、話ってなんだよ?」

期待に胸を膨らませながらも、それを相手に気付かれないように、あえて明後日の方向を見ながら尋ねる駈。しかし、優愛の口から出たのは、駈の期待を大きく裏切る言葉だった。

「んとね、実は私、もうすぐ死んじゃうの」

「は?」

駈は、一瞬優愛が何を言っているのか分からなかった。普段も結構ずれたことを言うが、さすがにここまで荒唐無稽な話をしたことはなかった。

「何言ってんだよ? 熱でもあんのか?」

駈の言葉に優愛が困ったように笑う。

「えへへー、だいじょぶ、だいじょぶ。熱はないよ」

確かに、見たところ優愛の体調が悪いようには見えない。

「じゃあ、何でそんな訳の分からないこと言うんだよ?」

「えとねー、秘密♡」

「おい!」

その言葉にはさすがに駈もツッコミを入れた。人を呼び出しておいて、自分の死を告白しておきながらその理由も言えないとは、かなりの不思議ちゃんである。

「あのねー、そんな訳で私もうすぐ死んじゃうから、かーくんにお願いがあるの」

家族になって以来、優愛は駈をそう呼んでいる。駈は、恥ずかしいので人前では呼ぶのをやめさせていたが、二人きりの時は何度言っても自然と出てしまうようなので半ば諦めていた。

「そんな訳って何だ。そんな訳って。そこが聞きたいんだよ。俺は」

やや強めに駈が言っても、優愛は黙って首を横に振るだけ。

「えへへー、内緒―」

駈は知っていた。こういう時の優愛には何を言っても無駄だということを。

「ちぇ、もういいよ。で、か・り・に・お前がもうすぐ死ぬとして、俺に頼みってのは?」

「あのね、小恋愛を守ってほしいの」

そこで優愛は寂しそうに笑った。

「小恋愛は寂しがりやさんだからね。私が一緒にいないと寂しくて泣いちゃうの。でも、私はもうすぐ……」

「死ぬから、俺が代わりに小恋愛を守れって?」

「そうなの。世の中には怖い人がいーっぱいいるから、かーくんが小恋愛を守ってあげて」

優愛が大きく腕を広げていっぱいを表現する。駈はなんだか馬鹿らしくなって首を振った。

「何だよ。そんなことか。そんなことお前に言われなくても分かってるよ。小恋愛は俺達の大事な妹だろ。お前に言われなくてもちゃんと守るさ」

その言葉に優愛は嬉しそうに顔を綻ばせた。駈の一番好きな顔だ。

「ありがと。お願いね。かーくん」

そう言って、優愛はゆっくりと駈に近づき……

「ちゅ♡」

駈の頬に軽くキスをした。湿った唇の感触が、いつまでも駈の頬に残る。

「な、ななな何してんだよ!」

「えへへ、お礼の前渡しだよ。小恋愛をよろしくね。かーくん」

そして、優愛は裏山を降りる。でも、最後に一言だけ……

「大好きだよ♡」


▲▲▲

駈は目を閉じて、シャルとの別れ際の会話を思い出していた。


(「一つだけ言っておく」

何の感情も篭らないその声に、駈は思わず足を止めた。

「お前がデスサイズを使えるのは一度だけだ」

「……そうか」

シャルの言葉に、駈は別段驚いた様子を見せなかった。

「じゃあ、その一度で相手の寿命ごと全てを削り取ることにする」

「それもできない」

「何?」

その言葉に、駈は思わずシャルの方へと向き直る。

「どういうことだ?」

「どうもこうもない。もし、お前に他の人間の寿命を削り取ることができたなら、死神と契約する人間は皆お前と同じ要求をする。自分の寿命を延ばすために」

もっともな意見であった。駈が黙り込む。

「それを防止するため、死神界では持ち主以外の者がデスサイズを使う場合の能力を限定している。だから、お前にできるのはせいぜい相手の持つ死神の力を削り取ることだけ。そして、一度使えばデスサイズは一時的にその力を失い、お前にはもう使えない」

「…………」

駈はしばらくの間無言だった。しかし……

「……十分だ」

それだけを言い残して、駈はその場を後にした。)



シャルの話を心の中で反芻し、駈は目を開ける。

そう、死神の力さえ奪えればそれで十分。後は自分で片をつける。

そして、駈は歩き出した。

▲▲▲

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