9(32)偽物
輝く恒星に照らされた執務室の中。
「今は国ぐるみの問題は避けたいよな」
「そうですね」
アキノエは落ち着いた声音で即座に同意し、手元のタブレットに目を落としたまま続ける。
「会談はもう数日後に迫ってる」
両国の運命を決定づける数日後に迫った国家会談。8年かけてモードラルと巨大な闇との提携は解消され、かつての仮想敵国であったネヴェスターへと急激にその身を寄せ、国家の舵を大きく切っていた。会談の目的は、長年係争地となっていた巨大鉱脈の共同採掘を正式に合意・調印するためのものだった。
「両国のトップが出席するなんてね」
「歴史的和解と経済統合に踏み切るという大転換を、世界に向けてアピールするため。いわばセレモニーですよ」
「そのセレモニーを成功させるためにも、この問題を解決しなくてはならない」
モードラルとの歴史的な共同採掘セレモニーを目前に控え、あろうことかその和合の第一歩となったヴァルグ重工の爆弾が、今イアン達の頭を悩ませている。
「ヴァルグ重工に直接出向いてきます」
イアンの執務室を出たアキノエはヴァルグ重工の現地拠点へと向かっていった。
数時間後、静まり返った執務室に、着信音が鳴り響いた。電話に出ると向こうから、夫もとい首相の落ち着いた声が届いた。
「少しだけ暇な時間ができたんでな。調査はどうだ?」
「今、部下が直接現地に向かっているところですよ」
下手に公的な捜査を大きく動かせば、セレモニー直前に「ネヴェスター国内でテロ未遂が多発している」「しかも自国傘下の企業が関わっている」という最悪の情報がメディアや他国にリークされかねない。そのため、パトリックの承認の元、イアンが実質的な指揮を執り、完全に信頼できるアキノエを筆頭にごく少数の特命チームを極秘裏に任命した。
「そうか……。お前はこの件、どう思う?」
イアンはわずかに眉を寄せ、思考を巡らせた。
「うーん、まだ情報が少ないからなんとも言えないが……おそらく、単純なテロ組織の仕業なんかじゃない。もっと複雑に入り組んでいる。うまく説明はできないけど、私にはどうも不吉な予感がしてならないんだ」
「そうか……引き続き頼む」
「了解。まずは調査に向かっている部下に電話してみる」
通話が切れると同時に、イアンは間髪入れずアキノエの回線を叩いた。呼び出し音が数回鳴った後、すでに現地にいるアキノエへと回線がつながる。
「局長」
「そっちの状況はどう?」
「今、ヴァルグ重工の社長であるリュクサンブールに直接話を聞いています」
「何かわかったことは?」
「公式な出荷の記録やデータベースを洗った限りでは、怪しいところは何もなかったのですが……念の為、現場の資材管理の責任者に直接話を聞いたところ、全てを話してくれました」
「口止めされているんですが、実は……」と前置きし、その人が証言してくれた一年前の不正出荷の全貌が語られていく。万が一の保身のため、そして上層部にすべての罪を擦り付けられるのを恐れ、当時の改ざんされる前のバックアップデータをこっそり私物の端末に保存していたようで、アキノエはその決定的なデジタルデータを受け取ることができた。
「問題は、その不正出荷とされるロクソーゲンの数です」
「いくつ?」
「2000個です」
「2000!?」
イアンは思わず声を張り上げ、執務室の机を片手で突いた。今現在発見されているのは24個。あれから指数関数的に見つかっていき、本格的に動かなければならない状態となっているが、その発見個数を大きく上回る二千個ときた。そんな数の爆弾がネヴェスター中に散らばってしまえば、待っているのは崩壊だ。
「ただ証拠を突きつけても、社長のリュクサンブールは一言も話してくれません。シラを切り通す構えです」
リュクサンブールの背後で、アキノエは静かにその様子を観察していた。
男の表情に、微かな亀裂が走り始めていた。イアンの冷静な声が、張り詰めた空気を通してリュクサンブールの耳に届いていたらしい。
「……その電話は、おたくの局長か?」
かすれた声で、リュクサンブールが呟く。しかし、返答がないと見るや、彼は再び口を閉ざした。これ以上喋る気はないという態度だったが、その冷や汗は隠しきれていなかった。
様子を窺っていたアキノエは、あえて隠す必要もないと判断し、告げた。
「……ええ。局長です」
その瞬間、リュクサンブールの仮面が完全に剥がれ落ちた。男の顔から血の気が引き、焦燥と恐怖が浮かび上がる。
「スピーカーにしてくれ……!」
震える手でアキノエにすがりつくようなその必死さに、アキノエはわずかに眉をひそめつつも、黙って端末のスピーカー機能を有効にした。通信傍受には重々注意をして管理しているため、この会話が聞かれることはまずない。
「今から言うことを、すぐに実行してくれ」
リュクサンブールは声を震わせながらも、自制心を総動員してイアンの言葉を遮った。その切羽詰まったトーンに、執務室のイアンは即座にただ事ではないと察知し、息を呑む。
「わかりました」
「今すぐに、モードラルの保安に俺の家へ向かうよう連絡してほしい。住所は――〇〇地区、〇〇の104だ。すぐに家族を保護するよう要請してくれ……!」
イアンは反射的に引き出しからペンを引き抜き、手元にあったメモ帳へ急ぎ足でその住所を書き殴る。
「時間がないんだ……! 家族の命がかかっている……!」
「了解」
リュクサンブールの声には、隠しきれない恐怖と、しかしそれを必死に抑え込もうとする覚悟が混じり合っていた。
イアンは一瞬の迷いもなく言うと、通話を繋いだまま、イアンはすぐさまモードラルの治安・保安部門へ直通の緊急連絡を入れた。
数分後、モードラルの保安部隊による家族の身柄確保と安全の確認が取れたという短い無線報告がイアンの耳に届く。
「家族の安全が確認できました」
イアンからの報告にリュクサンブールは心の底から安堵し、その場に座り込んだ。アキノエは目の前で、すーっと息を吐き出したリュクサンブールに視線を戻した。
「何があったんです?」
アキノエの問いかけにリュクサンブールはようやく決心がついたようだ。
「一年前に、私の元に一人の女がやってきた……」
リュクサンブールは卓上に視線を落とし、重い過去を吐き出すように静かに語り続ける。
「女?」
「ああ……その女は、"ヘイブン"と名乗っていた」
その名が発せられた瞬間、執務室の空気が一変し、イアンとアキノエの動きが、ぴたりと止まる。
世界を裏で操るかのような巨大な影、あるいは今回の陰謀の中心だったその名前は、二人の間に走っていた緊張の糸を、さらに極限まで張りつめさせた。
「あなたは、ヘイブンと面識がありますよね」
アキノエの問いかけに、リュクサンブールは苦渋に満ちた表情で首を縦に振った。8年前、突如として行われたあの買収には、当時理財局長だったアリミ・ヘイヴンが関わっていると、確信していたので、大して驚きはしなかったが、その後の言葉にイアンとアキノエは頭を悩ませることになる。
「ああ。…だが、あの女はお二人が言う『ヘイブン』ではない」
イアンは思わず険しい顔を顰めた。
「ひとまわり小柄で、顔も違った。だが、その女が今回の提案をしてきたんだ」
リュクサンブールは冷や汗を拭うこともせず、言葉を紡ぐ。
「当然、私は断った。国の防衛に関わる軍事用品を、正体の知れない裏社会の者に渡すわけにはいかないからな。断固として拒絶の姿勢を見せた」
「ふーん、そう」
しかし、女はそれを見越していたかのように、端末を差し出し映像を見せた。8年前のヘイブンとの密会の映像だった。なぜこの映像を持っているのかわからないが、過去の秘密を目の前で突きつけられ動揺する様子を見て笑っていた。
「こんなに綺麗な人だから、あんたの気持ちもわかるよ〜」
女はからかうように机に乗り上がる。だが当時の個人的な弱み、あるいは政治的なスキャンダルになり得るその映像が出回ったところで、今の彼にとってはどうでもよかった。
「その映像が出回っても構わない。貴様に軍事用品を渡すことはない」
リュクサンブールは気丈に突っぱねたが、女は特に表情を変えず、まるでこちらの出方を見透かしてたように端末を数回タップすると、そこには信じられな光景が映っていた。
「あんたの家って大企業の社長なだけあって大きいよね。こういう空を見渡せるテラスも必要なの、よく分かってんじゃん」
まるで身内のように気安く、だが底意地の悪い笑みを浮かべながらこちらに向ける端末に映っていたのは、リュクサンブールの自宅だった。
「奥さんもこういう環境で子供を育てられて、さぞ自慢の旦那だろうよ」
画面には、何の疑いもなく無邪気に子供と戯れる妻の姿が映し出されていた。愛する家族が、自分の知らないところで冷酷なレンズの的にされている。
「そんな夫が家族を裏切るなんて、あってはならないよね……いや、もう裏切ってるか」
ふざけるように、画面の外から伸びてきた女の腕が、リュクサンブールの肩を抱くような仕草をした。そして、映像の角度がわずかに下がり、アングルの向こうから冷たい銃口がヌルリと這い出してきた。
狙われているのは、庭で笑い合う妻と子供たちだ。
「あ、これ、リアルタイムだからな」
女はしたり顔でそう囁いたという。リュクサンブールは目の前の空間を睨みつけるように、拳を固く握りしめた。
その全貌が語られ、イアンは静かに一呼吸をついた。狂気と脅迫に満ちた証言の重みが、執務室の空気をさらに重くする。
イアンは思考を切り替え、事件の核心にいるその女の正体を暴くため、さらに踏み込んだ質問を投げた。
「その女についてもっと探る必要があるな。小柄で、顔もヘイブン本人とは違っていたと仰いましたが、他に何か特徴はありませんでした?」
リュクサンブールは苦悶の表情を浮かべながら記憶をたぐり寄せた。
「特徴か……。恐怖であまりよく思い出せないが、一つだけ、はっきり覚えているものがある」
「なんですか?」
「あの目だ……」
「目?」
リュクサンブールはさらに回を歪めると、衝撃的なことを言った。
「あれは、見たことがないほど真っ赤だった」
「!」
通信の向こうで、イアンは思わず端末に身を乗り出す。思い当たるのは一人だけだ。核心に迫るように問い質す。
「それは、左目でした?」
「いや……」
少し考えるそぶり見せると、掠れた声で、リュクサンブールは信じがたい事実を口にする。
「確か…両目だったな」




