8(6)もう一つの計画
普段のベルナールは、ヘイヴンと共に暮らす日の当たらない拠点で、機械部品や革新的技術の数々ばかりをこさえている男だ。そんな彼は現在、重工な執務室の中に座っている。
部屋の窓からは、ネヴェスター……ではなく、"モードラル"の空を鈍く映す広大な工業地帯が一望できる。
その執務室にいるベルナールと、"ヴァルグ重工"のトップであるリュクサンブール社長は、静かな威厳をまとって佇んでいた。モードラルの中でも防衛産業の要であるヴァルグ重工の頂点に立つものだ。常に冷静で、慎重な姿勢を示さなければならない。ましてや、敵国ネヴェスターとの間に火種を抱え込むような真似をするはずもなかった。
だからこそ、ネヴェスターの企業「フロンティアパートナーズ」による買収話を持ちかけられた際も、彼は激昂するどころか、組んだ両手に静かに顎を乗せ、測るような目でベルナールを見据えていた。
「そろそろ、ご決断の時です」
「…そうだな」
ベルナールは急かさずとも、覚悟を決めさせるために微力ながら背中を押す。
メリットは山ほどあるが、それ以上にリスクが大きすぎる。
ネヴェスターとモードラル。それぞれ独立した国であり、鉱脈の採掘権を巡ってここ数年でスルスルと関係が悪化してしまった、いわば対立国なのだ。敵対関係にあるネヴェスターの資本が入ることは、モードラル政府や国内の世論をどれほど刺激するか、彼には痛いほど分かっていた。
「我が社は国家の防衛を根底から支える企業だ。フロンティアパートナーズに実権を握られれば、世の中は背信行為だと捉えられてしまう」
リュクサンブールは意を決したように告げた。
「申し訳ないが、この買収案を受け入れるわけにはいかない」
理路整然と、しかしどこか拒絶の意思を込めてそう告げるリュクサンブールに対し、ベルナールは表情一つ変えず、手元のタブレット端末をスライドさせた。
「社長、あの時のご縁を思い出してくださいよ」
ベルナールは出された湯呑みを揺らしながら、少し前に開かれた会合の話題を持ち出した。あの夜、ベルナールが同席したリュクサンブールに引き合わせたのが、ネヴェスターの政府高官であるヘイヴンだった。
『彼女は我が国の理財局長ですが、ただの役人ではありません。政府部内を取りまとめ、モードラルとのパイプを太くできる実力者だ』
あの時、ベルナールはそう言ってヘイヴンを紹介した。リュクサンブールも最初は敵対国の人間と会うことに警戒したが、洗練された物腰と、両国の経済協力を語る彼女のビジョンに次第に傾倒していった。あの時は酔っていてリュクサンブール自身も覚えていない部分もあるが、緊張関係にあるモードラルとネヴェスターにおいて、彼女のような存在が架け橋になるのなら……そう信じさせるだけの説得力がヘイヴンにはあった。
だが、このヴァルグ重工を自身の実力で押し上げてきたリュクサンブールに、その決断はあまりに重い。
「我が社はモードラルの防衛を支える基幹企業だ。それを敵国ネヴェスターの政府系ファンドに売り渡すことなどできない。この話は白紙に戻してくれ」
冷徹に告げるリュクサンブールに、ベルナールは微塵も動じない。むしろ、冷徹な笑みを浮かべたままでタブレット端末を差し出した。
差し出された画面に再生されたのは、見覚えのあるホテルの部屋だった。数ヶ月前、ヘイヴンと密会した際の映像だ。酒が入り、少し距離が近くなると、嫌がる彼女の肩に手を回し、甘い言葉を囁くリュクサンブールの姿……そして、決定的な一瞬。
「これは……ッ」
初めて、リュクサンブールの完璧な仮面に亀裂が入った。表情が凍りつき、冷や汗がこめかみを伝う。
「あなたは既婚者で、彼女はネヴェスターの重要高官だ。この映像がマスコミの手に渡ればどうなるか……説明するまでもないでしょう。あなたの輝かしい経歴は一瞬で地に落ち、国賊として社会から抹殺されます」
追いつめるようなベルナールの低い声が、静まり返った社長室に響く。
「確かに、モードラル政府に睨まれる恐怖はあるでしょう。ですが、フロンティアパートナーズの傘下に入ることで、このスキャンダルは闇に葬られ、あなたはネヴェスターとの和合を導いた伝説の経営者として歴史に名を残すことができる。……さあ、社長。どちらの道を選びますか?」
肩に手を回され、冷酷な表情で目を細めるベルナールを横目に、リュクサンブールは冷や汗を出して苦虫を潰したような顔を見せた。
「え? 今なんて言った?」
手元の機密書類から顔を上げたイアンは、ペンを握ったまま耳を疑うように聞き返す。
「フロンティアパートナーズが、モードラルのヴァルグ重工を買収しました…!」
扉が勢いよく開き、息を呑むような表情でアキノエが飛び込んできたので、何事かと思ったが、想像以上に複雑の状況を突きつけた。
「すでに両者は合意に至っています」
「どういうことだ…?」
当然、様々な疑問が生まれる。フロンティアパートナーズは政府系企業だ。本来ならネヴェスター国内の政府内でも厳格な承認や調整が必要なはずだが、まともな報告もなしにこんなきな臭い買収が勝手に進んでいることになる。
イアンは間髪入れず手元の電話を引き寄せた。呼び出し音を鳴らすまでもなく、直通回線を繋ぐ先はネヴェスターの首相であり、夫であるパトリックだった。
数秒の後、低い応答音が返るやいなや、イアンはもしもしとは言わずに、すぐに疑問をぶつけた。
「フロンティアパートナーズがヴァルグ重工を買収したらしいけど、あんたらはそれを認めたの?買収なんてしたら両国の関係悪化に繋がるのは目に見えてるはずでしょ」
「そんなことは分かっている。だが、我々もそろそろ決定的な手立てを打たなければならないと思っていたんだ」
政府への報告なしに進んでいると思っていた巨額の越境買収は、政府も承知の上で進んでいたようだ。全て承認した上でヴァルグ重工に買収持ちかけた、なら確かに問題は無いが、そんな簡単に通る話ではない。
しかし、政府もリスクを犯していることは自覚している。
「我々も、そろそろ決定的な手立てを打たなければならないと思っていたんだ」
モードラルとの間にくすぶる火種をいつまでも放置するわけにはいかない。パトリックはその停滞を打破するため、あえてリスク覚悟でこの買収計画を容認したのだ。
「それに、フロンティアパートナーズの社長から直接受けた演説に、皆深く心を打たれた」
「でもそんな露骨な牽制して、オルフェウスが黙っているはずがないでしょ」
「いや、今のオルフェウスに動きはない。我が国の『アグニ』を公開したばかり。オルフェウスといえども、これ以上不用意にネヴェスターとは戦いたくはないはずだ」
最強兵器アグニの存在が、世界のパワーバランスを完全にネヴェスター側に傾けている。その圧倒的な優位性を背景にしているからこそ、この強引な買収すらも実行可能になっていたのだ。
大国の思惑と国家の最高機密が絡み合うこの計画の深さを知るにつれ、イアンの表情はさらに険しさを増していった。
「また連絡する」
「…分かった」
渋々電話を切るが、まだ疑問は残っている。
「そもそも、なぜヴァルグ重工がその買収を受け入れたんだ?業績不振?」
「ヴァルグ重工はモードラルの中でも有数の黒字企業なので、無いと思います」
であれば身売りを急ぐような企業ではないはず。疑問は深まるばかりだった。
「すぐに国内で調査委員会が設置されると思います。モードラルの政府は、何が何でもこの買収を差し止めたいはずです」
「正直、どっちに転んだ方がこの国のためになるのか、私もわからないな」
総理の決断としての理屈は分かる。イアンは息を吐き出し、険しい表情のまま机に手をついた。
「この買収を受け入れた場合、モードラルとの関係崩壊という取り返しのつかないリスクは生じるが、逆にあの巨大防衛産業を飲み込むことで相手を懐柔し、この国の発言権を圧倒的に高める可能性も出てくる」
デメリットもあれば、メリットもそれなりに大きい。しかし、これがハイリスクハイリターンである理由はもう一つあった。
「……だが、同時に"オルフェウス"との関係にも不気味な暗雲が立ち込めることになる」
オルフェウスとは、モードラルと密接な関係にあり、戦時中ではネヴェスターと肩を並べるほどの超大国である。安保が定められ、集団的自衛権を行使出来てしまうため、もし最悪の事態に発展すれば、大国同士がぶつかり合うことにもなりかねない。
「アグニの抑止力があるとはいえ、あの国がこれほどの地殻変動を静観しているとは到底思えない」
一呼吸置くと、イアンはさらに予測されるもう一つの選択肢を突きつけた。
「逆に、もしこの買収を見送っていれば、余計な火種や無駄な煙を立たせずに済んだ。ただ、モードラルとのこじれた敵対関係や安全保障上の膠着状態は、そのまま未来永劫続いたままだ」
だからこそ、現状維持という名の緩慢な選択を選ぶわけにはいかなかったのかもしれない。リスクを恐れて膠着状態を放置し続ければ、いずれネヴェスターは内側からすり潰される。フロンティアパートナーズのビジョンに賭けたのは、その停滞の壁を強制的にブチ破るためなのだろう。
静まり返った執務室の中で、二人は国家の運命を左右する圧倒的なスケールの天秤を見据えていた。
「お母さんも手伝うよ」
母のために食事をこさえるルナを見て、母は笑いながら言う。兄が死んでからまともに食べなくなり、目に見えて痩せていくのが分かった。私は大丈夫よ、と、軽くとも重い体を起こして家事を行おうとするが、ルナが精神病を患っていると知ってから、元気な姿を見せようと無理やり笑顔を作っている母は、ルナの何倍も苦しそうで、それでも仕事に行こうとする母を、無理やり止めたのは最近の話 。夫を失い、息子まで失った今、母に残されたのは、ルナだけ。
「私は大丈夫よ」
もうやめて欲しかった。おかしな病気を抱えた娘を安心させようと、必死に「いつもの母親」を演じようとするその作り笑いは、まるで自分を見ているようだった。
「私は大丈夫ですよ」
右耳のイヤホンを外して、自分を縛る鎖のようにルナは呟いた。アジトの湿った空気の中、ヘイブンにそう告げる。
「まあ君はそう言うだろうね」
ヘイブンは呆れたような、それでいてどこか面白がるような響きを含ませて、軽く肩をすくめた。すると、手に持っていたイヤホンを奪われ、ヘイヴンはそれを片耳につける。
「ふーん、いっつもイヤホン付けてるけど、こんな曲聴いてたんだ」
普段は周りの音が聞こえないほど大音量で流しているが、耳を傷つけないようにヘイヴンが付けたタイミングで音量を下げた。
ヘイヴンが笑みを浮かべて関心しながら言うので、趣味を共有しているみたいで少し嬉しかった。
「それで?本当に大丈夫なの?」
「しつこい……ていうか、心配するほどの良心があるなら、あんな大役を私に押し付けないで欲しいんだけど」
ルナが鋭い視線を投げつけると、ヘイブンは悪びれる様子もなく飄々と笑った。
「ごめんごめん。でも、ルナにしかできないことだからさ。君の身体能力には驚かされたよ」
軽口を叩きながら、ヘイブンの視線がふと、ルナが握っている謎の小箱に映る。いつの間にかキーボードから手を離し、紅茶のカップを持ち上げるルナの手元を観察するように目を細める。
「なにそれ」
「あぁこれは…」
そう言って箱を開けると、中から緑色に光る髪留めがあった。
「へぇ、綺麗だねぇ。君の綺麗な髪にぴったりだと思うよ。やってあげよっか」
「いや大丈夫です。私の物じゃないので」
「あ、そう」
髪に触れたかったのか、少し残念な様子を見せていたが、ルナが間髪入れずにその小箱をヘイヴンに差し出した。
「これ、あげます」
「え?私に?」
自分の顔に指をさして、めったに見せない驚いた表情をしながら、ゆっくりと受け取った。ヘイヴンの長く綺麗な黒髪には、色、形共に目立たず、引き立てるものが似合う。そう思い、懸命に吟味して選んだ髪留めだということはヘイヴンも分かった。
「あ、ありがとう」
心底嬉しそうな表情で、緑に光るそれを手に取り、髪をまとめる。
「どうして急に?」
「ここに来た時に、あなたに贈られた物があったので、そのお返しに」
確かにヘイヴンは、ルナにあの人殺しの道具を与えた。しかし、銃に対して髪留めだなんて、と笑いながらルナの膨らんだ懐を見る。
「君にそれを託してから、ずっと持ち歩いているようだけど。そんなに大事?」
核心を突くように呟くと、それに対してルナは無意識のうちに右手を下ろし、チャック付きのポケットの中にある冷たい金属の感触を確かめるように指先で銃のグリップをなぞった。
それは危険に満ちたこの世界で、いつだって自分の命を脅かす不安を作る原因になる。一度も使用したことはないけれど、指先がその鉄の塊に触れるたび、胸の奥で暴れる得体の知れない恐怖や、母親の痩せこけた背中がフラッシュバックする夜の闇を、不思議と押し黙らせてくれる。不安を作り出すものであり、同時に不安を綺麗に消し去ってくれる唯一の相棒のような存在になっていた。
「心の拠り所みたいなもんだね」
「ヘイブンさんは、何か心の拠り所みたいなものはないんですか」
紅茶のカップを置いたルナが、少しだけ探るような目を向けると、ヘイブンはフッと軽く鼻で笑った。
「あるよ」
そう言ったかと思うと、ヘイブンはラフなジャケットの内ポケットに手を突っこみ、小瓶を取り出した。カチャカチャと乾いた音を立てて机の上に転がされたのは、ラベルの剥がれた小さなプラスチックの容器だった。
「うげ……」
ルナは思わず顔をしかめ、あからさまに怪訝そうな表情で眉間を寄せた。しかし、ヘイブンは気にする様子もなく、手慣れた手つきで容器から白い錠剤を二粒ほど手のひらに放り出し、そのまま水も飲まずに口へと放り込む。違法な物体だと言うことは火を見るよりも明らかだが、なんの躊躇いもなく体内に入れるヘイブンに対して、初めて呆れてしまった。
「君の予想通り、お薬さ。ちょっとばかり記憶が飛ぶ副作用があるけど、私にはなくてはならない代物なんだよ。ただ摂取量を間違えると、ごっそり記憶が消し飛ぶから気をつけないといけないんだけどね」
苦い顔ひとつせず平然と言い放つヘイブンを見て、ルナは小さく息を吐き捨てた。
「本当に、根っからの犯罪者ですね、あんたは」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
ヘイブンは楽しげに笑う。するとアジトの重い扉が鈍い音を立てて開き、疲れ果てた足取りでベルナールが帰ってきた。きっちりと着込んだスーツはあちこちに皺が寄り、その顔には隠しきれない疲労の色が張り付いている。
瞬間、ヘイブンの動きがピタリと止まった。普段の不敵な余裕はどこへやら、慌てた手つきで机の上の薬の小瓶を掴み、素早く引き出しの奥へと放り込んで鍵をかけたのだ。
まさか、ベルナールにはこの薬のことを隠しているのか? ルナの胸に小さな疑問が浮かぶ。あんなに飄々とした犯罪者が、あのくたびれた男の前では変に気まずそうに隠し立てをする。それなのに、ついさっき自分には平然とその依存症の証拠を見せたのはなぜだ。
ルナの脳裏にいくつもの思索がよぎったが、思考の沼に深く沈み込む前に、ルナは頭を振ってそれを追い払った。今は考えるだけ無駄だ。
「その格好、どうしたんですか」
ルナは胡乱な目を向けながら、あまりにも似合わないスーツ姿の男を値踏みするように見つめた。
「社会に扮しているのはこいつだけだと思ったか?」
疲労に掠れた声でそう呟くと、ベルナールはポケットから一枚の固い紙片を取り出し、無造作にルナへと放り投げた。ひらひらと宙を舞ってテーブルに着地したそれを指先で裏返すと、活字が目に飛び込んでくる。
『モードラル銀行 グローバルコーポレート銀行部門 部長 ベルナール・フルーロ』
裏の組織を渡り歩く危険な男だと思っていた彼が、まさか堅苦しい銀行の、それも管理職の人間だったとは。ルナは目を見張り、名刺と、目の前でネクタイを乱暴に緩めている疲れた男の顔を交互に見つめた。
「投資銀行家ってやつですか…なんというか、想像が出来ませんね。ていうかフルネーム初めて知った…」
これまで見てきた彼は、真っ黒な犯罪のために厄介な装置を開発する危険な技術者そのものだった。札束やデジタルデータではなく、もっと生々しい脅威や裏取引の匂いを纏った人間だとばかり思っていたのだ。それが、よりによってお堅い『銀行員』、しかも営業部の部長だなんて、冗談にしては悪質すぎる。
「うまくいったね」
ヘイブンは満足げな笑みを浮かべ、フロンティアパートナーズによるヴァルグ重工の買収合意成立を告げる大見出しが映された画面を見せつけた。対面のソファに深く腰掛けていたベルナールは、端末に目を向けて微かに鼻を鳴らす。
「お前との密会の写真を見せたらもころりと参ってくれた」
そう、すべては二人が仕組んだ謀略だった。表向きは偶発的なスキャンダルであり、絶望的な弱みだが、その正体は、ヴァルグ重工の頑なな城壁を内側から崩壊させるため、ヘイブンとベルナールが綿密に用意した完璧な脅し道具にすぎなかった。
保管庫窃盗の間にも、進めていた別の計画を着々と歩んでいた。
「役員会議でもうまく取りまとめてくれた」
「社長、この買収を受けいれた場合、その波及効果はこの国全体に及びます。何より政府の意向に反しています。断固としてこの買収は拒否すべきだと、ここにいる誰もが思っています」
「そうです!我々が苦労の末に作り上げた技術、設備、人材、財産、信用、そして社長がこれまで積み上げてきたものを明け渡すこと自体受け入れ難いのに、よりにもよってネヴェスターの企業に買われるだなんて、これほど筋が通らない話はありません!」
次々と突きつけられる異議と糾弾の矢に、長机の最奥に立つ社長・リュクサンブールは眉一つ動かさず、ただ重々しく目を伏せていた。
「そんなことは分かっている。確かに、この買収を受け入れることは、モードラルを裏切り、ネヴェスターの政府の犬になるも同然のことかもしれない。だが、フロンティアパートナーズの技術はモードラルの軍事産業を担う我々をも凌ぐ。その技術はこの国の利益にもなる」
「しかしメリットよりもデメリットの方が大きいです」
「それは今の話だ。この先を見据えて考えて欲しい」
「それを考えた結果がこの結論なんです」
「本当にそう思っているのか?この会社、ひいてはこの国にとって最善の選択だと、本気でそう思っているのか?」
重役たちの反発を真正面から押し返すように、リュクサンブールは会議室の面々へと語りかける。
「今のモードラルを見てみろ。大国を後ろ盾に、笠に着て威張るばかりで一向にこの現状を変えようとしない。そればかりかオルフェウスには頭を下げ、機嫌を伺うばかりだ。なぜあの鉱脈を狙っているかわかるか。貴重な資源をこの国で活用するためじゃない。実際はオルフェウスへの輸出にほとんどを持っていかれる。それは確かにこの国の利益になるが、結局はオルフェウスの利益のためだ。これではまるで、この国自体が、オルフェウスの犬同然だと思わないか?お前たちは、優秀な人間だ。だからお前たちだってとっくに気づいていただろ」
静まり返った部屋に、リュクサンブールの低い声だけが重く響く。誰もが返す言葉を失い、息を呑んで彼を見つめた。
「お前は言ったよな。この買収の影響はこの国全体に及ぶと。だからこそなんだ。我々の一歩でこの国を変えるだってできる。そしていずれ我々の勇気ある決断を讃えられる日だってくる」
リュクサンブールの力強い言葉で、役員達の顔はみるみる変わっていった。
「それに星間戦争の先頭に立ってこの星を守り抜いてきたネヴェスターに我々の資本を預けるというのは、それほど悪くはない話だ」
ネヴェスターへの擁護と捉えられるかもしれない。だが、リュクサンブールはそれを否定せずに、こう続けた。
「確かに、今はネヴェスターとの関係は最悪だ。悔しい気持ちも気に入らないという気持ちもわかる。だが、意地を張り、信念に執着していては変わらないものだってある。私のわがままと思うかもしれないが、全ての起点は私だ。どうなっても全て私が責任を取る」
そう言い切るやいなや、リュクサンブールは椅子から立ち上がり、会議室の床に両手をついて深く頭を下げた。
「この通りだ」
社長であり、モードラルの防衛を一身に背負ってきた男が示した圧倒的な姿勢に、反発の色を燃やしていた重役たちの気勢は完全に削がれていった。誰もが言葉を飲み込み、視線を泳がせる。異議を唱える者はもういない。
「……では、採決を取る」
絞り出すような誰かの声に続き、静寂の中で形式的な挙手がなされる。反対する者は消え、圧倒的な無言の圧力のなかで、フロンティアパートナーズによる買収案は正式に承認された。
そんな熱を帯びた議論が交わされているのだろうと、ヘイブンとベルナールは遠く離れた場所で静かに予想を巡らせていた。
ふと、ルナが不思議そうな顔をして声をかけてくる。
「なんの話をしていらっしゃるんですか?」
ヘイブンは手元の端末から視線を外さず、屈託のない笑顔で言い放つ。
「いや、君には関係のないことだよ」
それ以上は何も語らず、ヘイブンは自室へと引き返していった。扉が閉ざされ、静けさが戻った部屋で、ルナとベルナールの二人きり。
「今日は空が綺麗だな」
ベルナールは不意に呟くと、広々とした大きなテラスへと足を踏み出し、夜空に顔を向けた。その後を追うようにルナもテラスに出る。
「え、星好きなんですか?」
「悪いか?」
「いや、悪くはないけど……なんか今日で、あなたの印象がだいぶ変わりました」
銀行員でありロマンチストでもあったベルナールに、驚かされる。
「俺も、あいつに対する見方が変わりそうだ」
マグカップに湯気を立てる紅茶を用意しながら、ベルナールは静かに言う。
「あいつって……ヘイブンさんのことですか? なぜ?」
「あいつは基本、誰も信用しない。常に警戒し、物事をさまざまな角度から見て、感情より論理で動く人間だ。少なくとも、特定の誰かに入れ込むような真似はしない」
「はあ……」
ルナが曖昧に返事をすると、ベルナールは淹れたての紅茶をマグカップごと彼女に差し出した。受け取りながら、ルナの脳裏にはこれまでのヘイブンとのやり取りが蘇り、なんとなく話の大筋が見えてくるような気がしていた。
紅茶の温もりを感じながら沈黙するルナを、ベルナールは鋭い眼光で見据え、低い声で探るように告げる。
「お前が何かの鍵を握っているのか。あいつが溺れるほどの何かをお前が持っているのか、それか…一目惚れでもしたのか」
最後の言葉に、ルナは思わず「えっ」と小さく声を漏らした。
「それってどういう……」
ルナが戸惑いを隠せないまま問いかけようとしたその瞬間、軽やかな足音とともに扉が開き、陽気な声がテラスに響いた。
「なんの話をしてーんの。私も混ぜなさいよ」
戻ってきたヘイブンが、面白がるような笑みを浮かべて二人の間に割り込んでくる。ベルナールはすかさず表情を引き締め、冷たく言い放った。
「なんでもない」
「なんだよ。二人で話してんの珍しいなと思ったのに。おっ、星が綺麗だねえ」
ヘイブンはテラスの縁に体を預け、夜空へ視線を投げ出した。長く続く夜だが、今ほど満点な星空はなかなか見られない。
「お、セメクトも見えるよ」
一際強く青白く輝く星を指差すヘイブンの横顔を、ルナの真っ赤な瞳が捉える。
「憎たらしいほど明るいな、あの星は」
「星に罪はないよ」
確かにあの星は、長い星間戦争の元、我々ネブラの人間を悩ませてきた。だが、それは新セメクト人であって、あの星ではない。どれだけ醜い存在があの星にいようと、輝きは失われない。
「だが、我々人間を生み出したのは、あの星だぞ」
皆、そう習ってきた。元は我々ネブラ人もセメクトに居住し、大地に恵みを受けて過ごしていた。旧セメクト人だったのだ。
この星は天に浮かぶ大きな機構によって住む場所を得たが、この大きな器から出れば、人間に居場所はない。そんな環境で生命など生まれるはずもない。しかしセメクトは違う。生命に適した環境が何億年もかけて整っていき、幾度も進化を繰り返して、我々人間が降臨した。
だが、新セメクト人によって我々はその大地から追い出されたのだ。
ベルナールが鼻を鳴らすと、ヘイブンは肩をすくめてふっと笑った。
「結局、万物を生み出した神様が悪いね」
夜空に浮かぶ星々からふと目を外し、ルナはセメクトのさらに遠くを見据えるように小さく呟いた。
「……あの星の裏側は、どうなってるんだろう」
虚ろですらあるその呟きに、テラスの空気がわずかに引き締まった。ヘイブンはふっと肩の力を抜き、笑みを浮かべ、軽妙でありながらどこか投げやりに言う。
「表も裏も、変わらないんじゃない?」




