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6(5)一つ目の保管庫



やがて作戦会議は終了し、投影されていた立体映像もゆっくりと消えて部屋は静寂を取り戻す。三人は何事もなかったかのように部屋を後にし、薄暗い廊下を並んで歩き始める。その背後には、再び財務省へ戻ることが決まったリーズだけが一人残され、自分の日常が続くことへの安堵と、その日常がもう自分のものではなくなったという現実との間で、複雑な表情を浮かべていた。


「可哀想だよね。犯罪者なんて初めて見るだろうから、内心ビクビクだった思うよ」


だいぶ見栄を張っているのは分かったが、口で反論できるだけ立派だ。普通なら恐怖で泣き叫び、必死に抵抗してくるはずだ。


「でも私達がうまくやれば解放ですよね」


ヘイヴンは一度だけ頷き、それから何気ない口調のまま言うので、はベルナール振り返り顔を顰める。


「計画通りいけば、血が流れることもない。極力犠牲を出さないように遂行しなければならない」


我々はテロ組織ではない。狙いは人ではなく金であり、それを得るために人を踏み台にすることはあっても、犠牲を払うようなことは避けたい。


するとヘイヴンは、るなの鮮やかな瞳をしばらく見つめると、口を開いた。


「君は随分と冷静だね」



そもそも国家の資産を狙うという常識では考えられない計画を聞き終えたはずなのに、ヘイヴンとベルナールは普段と変わらない様子で歩いており、全く動揺している様には見えなかった。


「そう見えるならそうなんでしょうね」


戦争の話で現実を思い出したからなのか、もう全てがどうでも良くなっているのか。いや、その両方だ。

でないと、ここに来てからずっと冷静で居られるはずがない。


「私みたいなガサツな監視体制だったら、まずいんじゃないですか」


ルナもリーズと同じ状況とはいえ、事情が違う。普通なら恐ろしくて誰かへ助けて求めしまうので、ヘイヴンの予想が当たらずに、リーズは全て話してしまう可能性はある。


「安心しろ。俺たちが持っている技術を総動員で監視も行う」


ベルナールは振り返ることなく、短く答える。


「ルナには不定期で一つの目が君を見ているけど、彼は違う。常に数十もの目が向けられているから、場所や行動だけじゃなく、端末やパソコンなどの機器まで監視する。ルナの物とは違って自動爆破機能もついてるから」

「そんなことまで」


たった二人でそれだけの監視体制を整えられることに驚いた。スペックがルナとは天と地の差で、同行するのが嫌になってきた。二百人力に対して半人前の自分がついていけるのか心配だ。だがなんでもお見通しのヘイヴンにはそれもバレていたようで肩に手を置かれる。





「ルナちゃん、最近この店にやたらと足が向いてしまうのは君のせいだよ」


磨き抜かれたグラスの底に水滴がひとつ垂れた。ルナはそれを布巾の端で乱雑に拭き取りながら、カウンターの端に陣取る男を冷ややかな一瞥で捉えた。

男は脂ぎった笑みを浮かべてグラスを傾ける。そのうざったらしく馴れ馴れしい物言いに辟易しているこちらの気持ちを少しも察せない人間と付き合うのは一番苦手だ。背後から同僚のエリー・マーフィーが親しげに割って入ってきた。


「あらジャネット、今日も来てくれたの? 待ってたわよ」


エリーのその鬱陶しいまでに甘ったるい声と、ジャネットにベタベタと寄り添う不躾な態度。二人の親密な空気を横目に、エリーは新人であるルナに気づくと、途端に険しく冷ややかな視線を向けた。


「ちょっとルナ、突っ立ってないでグラスくらい洗いなさいよ。ほんと、使えない新人ね……」


あからさまにルナを毛嫌いし、嫌味を吐き捨てるエリー。だが、ジャネットに向き直ると再び媚びた笑みを浮かべ、手際よくカクテルをシェイクしてグラスに注いだ。


「ほらジャネット、あなたのために特別に作ったんだから。早く飲んでよ」


エリーが愛情を込めた手つきで差し出したグラスを、ジャネットは嬉しそうに受け取り、一気にあおった。


「ねぇこの前の誘い、考えてくれた?」

「ん?あぁ、残念だけど私は遊ぶ暇なんてないよ」

「そんなに仕事が大事なの?」

「大事…大事だよ。国に貢献し、国民の生活を守る大事な仕事だ。でも大役が故に、常に私の周りには目がついている。私の粗相を晒すわけにはいかない」


常に私には目がついている…この言葉は最近聞いた。それはヘイヴンが常に監視されている旨をルナに諭す時に言っていたことだ。

この男の役職を考え、合点がいった。国の資産を先頭で管理する役職がたった一日一人で担っているのはセキュリティ上大丈夫なのかと思っていた。だが彼は国にとっては手放せない重要人物でもあるが、この国を守るために存在する準備資産、その一つの具体的な場所を知っているということ。つまり、その存在自体が国にとって危険因子でもあるということだ。だから監視官という仕事は少人数なのだろう。

常に監視され、思うように動くことができない。ジャネットの苦痛は相当なものだろう。それを瞬時に理解したルナの表情は誰の目にも映らない。


(私はそんな人を…)


苦痛を味わいながら生きている点では自分と重なり合うジャネットの未来を思い浮かべた時、ルナの中には………


羨望と充足感だけが残っていた。




エリーから出されたカクテルで喉を鳴らして飲み干して数分後、男は「どうも頭が……」とこめかみを押さえ、フラフラとした足取りで店を飛び出していった。それを追いかけるように、エリーも「きゃっ、ジャネット様?」と甲高い声を残して店を出ていく。





数時間後、男の自宅。

街の喧騒から切り離された薄暗い一室で、ジャネットはすでに事切れていた。毒が全身を駆け巡った痕跡はきれいに隠され、後に保安局の検視官すら「急性心不全」と見誤る死に様だった。ベルナールとルナはその部屋に音もなく侵入し、金庫の暗証番号やセキュリティカード、そして肌身離さず持っていた端末を素早く回収する。


ルーム。青白いモニターの光に照らされながら、ヘイヴンは手元に置かれたジャネットの端末をスクロールしていた。メッセージアプリの履歴や業務スケジュールを確認していく。


「ジャネットの次の出勤日は46時間後。まだ時間はあるね」


まだジャネットの死は公にせず、彼に扮して保管庫に侵入する。タイムリミットはまだ長いが、すでに準備は出来ている。相手が強大すぎる故、準備は入念に行わなけばならない。すでにルナの頭にも計画の全てが叩き込まれ、いつでも出撃できる状態だ。



そして運命の時間。


影に溶けるようにして監視官ジャネットの制服に身を包み、ジャネットの顔を精巧に模倣したマスクを被ったベルナールは、足音を殺してフェンスの脇を進む。背負った黒い大型リュックサックの中では、小柄なルナが息を潜めて身を縮こまらせている。

周囲の警戒網を縫うようにして歩を進め、ベルナールはジャネットのポケットから抜き取ったIDカードを最初のセキュリティゲートにかざした。電子音が乾いた光を放ち、重厚なゲートがわずかに音を立てて開く。

目の前に現れたのは、厳重に施錠された複数のコンテナだった。ベルナールは目的のコンテナへと歩み寄り、その扉に備え付けられた端末の前に立つ。最後の関門である虹彩認証のスキャナーが、青白い光を放ちながら使用者を待ち受けている。

ベルナールは自身の瞼に指をかけ、あらかじめジャネットの遺体から精巧に複製・採取した虹彩を模した特殊なコンタクトレンズを装着した。スキャナーのレンズを直視すると、機械が微かな駆動音を立てて網膜の血管パターンを読み取る。


認証、一致。


まずは第一関門突破。

カチリ、と重いロックが外れた直後、手元でジャネットのスマホが小さく震えた。画面には、その瞬間にだけ有効な日替わりのアクセスパスワードが表示されている。ベルナールはそれを素早く記憶し、端末のテンキーに正確に打ち込んだ。

するとコンテナの床面が割れ、地下へと続く昇降エレベーターの扉が音もなく開く。ベルナールは迷わずその中に踏み込み、地下通路へと向かうスイッチを押した。

エレベーターが静かに降下し、冷たい地下の空気が肌を刺す。扉が開き、目の前に無人の通路が広がったそのコンマ数秒後。

天井の隅に設置された高感度の重量・熱源センサーが、ベルナールの背負うリュックサックの中に潜む「二人分のわずかな質量と体温」の矛盾を容赦なく捉えた。

警報が鳴り響く直前の、凍りつくような静寂が空間を支配した。



一方ヘイヴンは理財局長の権限をもってしても、通常のセキュリティでは開かない扉の前にヘイヴンは立っていた。国家の重要特別資産を管理するその中枢サーバールームは、理財局長のIDカードだけでは決して解錠できないよう、大臣官房長や副大臣、あるいは財務大臣の二重承認が絶対条件として課されている。

もちろん、水面下で財務大臣を完全に掌握し、そのリモート権限を無理やり奪い取ったヘイヴンにとって、この重厚な扉はただの通過点にすぎない。

重苦しい電子音が響き、分厚い金属のロックが重々しく外れた。

ヘイヴンは無表情のまま冷気を孕んだサーバールームへと足を踏み入れ、素早くキーボードを叩き潰した。検知されたエラーコードは即座に消去され、省内本部のメインモニターに異常が知らされることはない。

しかし、現場の警報音は鳴り止まない。現場にいる後退待ちの監視室に詰めていた別の監視官が、防犯カメラ越しにジャネット(ベルナールの扮装)の姿を確認している。センサーの微小な引っかかりを不審に思ったその男が、確認のために通路へと足を踏み出した。しかし二人に焦りの表情はない。


(ここまでは作戦通り)


ここまでは全て筋書き通りなのだ。問題はここから。有線回線であることや、現場固有のローカル制御が作動することにより、外部からハッキングが出来ない。

その問題を解決するためにヘイヴンから受け取ったのが、小型の装置だ。現場の回路とヘイヴンがいるサーバールームを繋ぐための中継装置で、回線にかみ合わせることで遠隔でもサーバールームからハッキングが可能になる。


五百メートルに及ぶ長大な地下通路のおかげで到着にはわずかな猶予がある。とはいえ直線なので距離が近くなればすぐに視認され、バレてしまう。

ベルナールは迷わず走り出し、図面通りに確認していた左手側、太い配管により正面から来る監視官には死角ができる場所まで行くと、側にある二つ目のカメラの真下で足を止めた。ルナは身軽に跳び上がり、パネルに特殊なツールを割り込ませできるだけ音を立てずに中を開ける。

もう一度作戦を思い返しながら、通信ケーブルの束を露出させると、監視カメラおよびローカル回路へ繋がる該当の"黄色い線"を探す。


「黄色、黄色…ない、黄色…」


しかし、探しても探しても見つからない。どれだけ探っても黄色が出てこない。手こずっている間に監視官は迫ってきている。


その緊迫した様子を画面越しで見守るヘイヴンだったが、その空気を切り裂くように、サーバールームの重厚な自動扉が低い駆動音を立てて開いた。誰かがこのサーバールームに入ってきた。

ヘイヴンは反射的にパソコンのディスプレイを勢いよくパタリと閉じた。この暗い部屋では目立ってしまう光を断ち切り、無音の身のこなしで身を潜める。

やがて足音が鳴り止むと、男が不満を吐き捨てるように言った。


「まったく、何で大臣直々の特命でこんな真夜中にシステムの臨時点検なんか…」


財務大臣の直命による臨時点検。


(あのおっさんめ…)


表向きは財務大臣の厳重な管理体制を示すための「点検」だが、実際には水面下で進むこの侵入劇をかき乱すために、わざと差し向けた牽制の刺客に他ならないことはすぐに分かった。


一方現場ではそれ以上のピンチを迎えていた。


「これ以上距離が縮まるとバレる、戻れ…!」


配管が死角になるおかげで監視官の視界に入ることはないが、リュックに戻る動作が最後に必ず待っている。ベルナールがルナにのみ聞こえる音量でそう言うが、ルナは諦めずに黄色い導線を探す。

はぁ、はぁ……というと吐息が激しくなり、やがて焦りが手元にも影響を及ぼし始めたその時、


「あった……!」


カチリ。

指先からデータが流し込まれ、連動してカメラの視界が完全にジャックされる。ギリギリのタイミングで、通路の警報ランプの点滅がスッと消え、静寂が戻った。

同時刻、財務省のサーバールームからヘイヴンがローカル制御の書き換えを完了させ、現場のシステムを完全に掌握したのだ。


『こちら保安管理システム。ただいまの警報は、センサーの感度調整に伴う一時的な誤作動です。周辺職員はそのまま警戒を継続してください』


機械的で淀みのない無機質なアナウンスが、静まり返った地下通路に響き渡る。まさに顔を合わせようとしていた監視官は、通路のスピーカーから流れたそのアナウンスを聞き届けたと同時に、ぴたりと足を止めた。「なんだ、誤作動か……」と小さく吐き捨て、その隙に「今だ、戻れ」と極めて小さな声でルナに伝える。監視官はホッとしたような仕草を見せると、引き返す……と思われた。



しかし、その足音は近づいてくる。巡回を兼ねた監視官が、確認のためまっすぐこちらへ歩いてきているのだ。

逃げ場はない。ジャネットの顔を精巧に模したシリコンマスクの下で、ベルナールはわずかに息を詰まらせた。声帯模倣デバイスが組み込まれたマスクのおかげで、万が一声を発しても本人と区別はつかない。だが、目の前まで迫った監視官の視線は、背中に背負った異様に膨らんだ黒いリュックサックへと釘付けになっていた。

「おい、ジャネット。……なんだその馬鹿でかい荷物は」


冷や汗がベルナールの背中を伝う。一巻の終わりだ。普通ならば言い訳の糸口が見つからないまま、思考が凍りつく。ルナの心臓の音がうるさいほどに響く中、変声デバイスを通した低い声が乾いた通路に響いた。


「…あぁ、ほぼここには住み込みだからよ。着替えやら何やらで荷物がかさんちまったんだよ」


監視官は胡散臭そうに目を細め、一歩踏み込む。


「にしてはデカいな。中身を見せろよ」


ジッパーにかけられた男の手に、ベルナールの全身が強張った。ここで中身を開けられれば、潜入も、計画も、すべてが水泡に帰す。終わった。この状況を見れば誰もがそう確信するが、それを裏切るように、ベルナールはわざとらしく鼻を鳴らし、乱暴にリュックを地面へと下ろした。


「そこまで疑うか。勝手に見ろ」


満を持して男がジッパーを引き下ろすと……


内部から転がり出たのは、無造作に押し込まれた私用の着替えと、潰れかけた弁当箱だけで、不審物は一切ない。ただの私物だった。

監視官は気まずそうに眉をひそめ、「……なんだ、本当にそれだけか。悪かったな」と肩をすくめて踵を返す。

一巻の終わりと思われた絶望の淵から、からくも生還した瞬間だった。


「……にしても、ちょっとデカすぎたな」


ベルナールは背伸びをしながら、去りゆく監視官の背中に向かって吐き捨てるように呟いた。


「そんなことより、早く戻るぞ。もうすぐ次の交代時間だ」


監視官が完全に背中を向け、通路の曲がり角へと消えていく。

その暗がりと静寂に紛れ、腕力だけで天井の配管にしがみついていたルナが、音もなく落下した。

彼女は背後から一瞬で開いたままのリュックサックへと身を滑り込ませる。

ドン、と重い衝撃がベルナールの背中を直撃した。不意打ちの負荷に、喉の奥から「うっ……」と生々しいうめき声が漏れかける。

ベルナールは即座に表情を引き締め、顔を引きつらせながら目の前の空間に向かって呟いた。


「……なんでもない、足が躓いただけだ」





一方ヘイヴンは、足音が遠ざかり、自動扉が再び閉まる音を確認してから、ヘイヴンは音もなくから這い出て、暗闇の中で再びパソコンのディスプレイを開く。そこには何事もなく、ベルナールが監視室へ向かう様子が映し出され、心の底から安堵した。


サーバールームの重い扉を開き、廊下へ出るとリーズの背中が見えた。早足で男のもとに向かう。


「あまり余計なことをしないでほしいんだけど」

「なんのことだ」

「体内に爆弾があることを忘れてない?」


周りに聞こえない程度の音量で話す。しらを切ろうとしているが、どちらにせよ無駄な抵抗であり、ヘイヴンの計画を止める手段は一つ、親を切り捨てるしかないのだ。


「お前達に時間がないことは知っている」

「命知らずだなぁ。んなことより、すぐに承認頼みますよ。あなたの言う通り、時間がないんでね」


主導権を握り返したつもりでいるおっさんの滑稽さに、ヘイヴンは内心で冷ややかな笑みを浮かべた。駒が分不相応な口を利くのは許容範囲内だ。ヘイヴンはわずかに顎を引いて釘を刺す。

リーズは保管庫開錠のため、すぐに大臣室へ戻り事務机の一番下の鍵がかかった引き出しを開ける。そこにある装置に手をかざすと、同時に保管庫な重厚な扉から音が鳴る。ここに保管庫解錠の最後の砦があるのは灯台下暗しというわけだ。最後のロックが遠隔で完全に外れ、重々しい金属音と共に扉がスライドして開く。


ベルナールとルナは、開け放たれた保管庫の中心へと足を踏み入れた。

周囲に積まれた莫大な財宝に見惚れている暇などなく、全てを回収し尽くしていく。

ベルナールは台座の上の特設ケースから一本のUSBメモリをそっと摘み上げた。その様子を背後から覗き込んでいたルナが、小首をかしげながら不思議そうな視線を向ける。


「なんですか? それ」


ルナの問いに、ベルナールは冷たく光るUSBメモリを一瞥し、わずかに口角を上げて答えた。


「保管庫にしまわなければならないほど、国にとって大事な情報もあるわけだ。そして、それがここにすべて詰まっている」


国の根幹を揺るがす秘密が凝縮されたその小さなスティックを、ベルナールは慎重にポケットの奥へと滑り込ませた。


「これで俺の研究も進むぞ」


珍しく心が躍っている様子のベルナールと、その背後でルナは切り替えるように手元のモジュラーケースを構え、周囲に山と積まれた財宝や無記名債券の回収作業へと再び身を乗り出していった。



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