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5(4)怪盗一味の誕生



(あれほど真っ赤に染まった目は見たことがないな)


車体の揺れに身を任せながら、あの少女を思い返す。一遺族への報告を終えた今、胸が締め付けられ、重苦しい雰囲気の中、薄暗い玄関でもイアンの目は惹きつけられた。今しがた起きたばかりのことだが、あの子を思い出すと悪寒が走るのは何故だろうか。


「冷えますか」

「いや、大丈夫」


数秒目が合っただけなのに、あの子の顔が頭から離れない。それでも次の遺族への挨拶のために気持ちを切り替えた。





柔らかな感触が背中を支えている。気怠さによって抵抗してくる瞼を無理やり持ち上げると、そこは知らない天井だった。白でも灰色でもなく、淡い光を反射する素材がゆっくりと視界に滲み、ぼやけた意識の中で何度か瞬きを繰り返す。夢かと思い、もう一度目を瞑ると、誰かの声に現実へ引き戻される。


「それ、彼女に渡しちゃだめだよ」

「何故だ?」


少し離れた場所から聞き覚えのある声がする。

ヘイヴンと、もう一人は知らない声だった。


ぼんやりしていた視界に輪郭が戻り始める。

高級感のある照明があり、床には華やかなデザインが施された絨毯。その美しさを台無しにするかの如く壁際に積まれた箱。

机の上には分解された機械部品と飲みかけのカップが無造作に並び、生活感と作業場が混ざり合った奇妙な空間が広がっていた。

ゆっくりと身体を起こそうとした瞬間、首筋に鋭い違和感が走る。


「っ……」


反射的にうなじへ手を伸ばすと、触れた指先に硬い感触が当たった。皮膚の下に何かがある。刺さっているような、埋め込まれているような感覚に思わず眉が寄る。

その小さな動きに気付いたヘイヴンが振り返った。


「あ、起きた」


いつもと変わらない調子で、ルナの元へ駆け寄って来る。


「ごめんね、私はいいって言ったんだけどさ、この人が」


ルナのうなじを愛でるように撫でながら、苦笑する。"この人"とは、部屋の奥で椅子にもたれながらコーヒーカップを片手にルナを見つめている謎の男だ。背が高く、黒いシャツの袖まで捲っていた。


「…なにこれ」

「保険の爆破装置だ」


うなじに埋め込まれたのは小型の爆弾だった。

その男がソファの前まで来ると、ポケットから端末を取り出し画面をこちらに見せると、操作ボタンが表示されている。


「他言しようもんなら、殺す」


脅しとは思えないほど軽い口調で言ってのけるが、静かな目の奥に警戒心はそれほどないように見える。端末のボタンを押せば、頭から胸にかけて弾け飛ぶだろう。今、ルナの命はヘイヴンとこの男に握られている。死と隣り合わせの危機的状況だ。

だが男はルナの表情を見て懐疑の目を向ける。


「…どうした?」


窮地とは思えないほど、希望に満ちた顔だった。あんな小さい機器で自分は死んでしまうんだ、というちっぽけさと、全てを終わらせて兄の元へ行けるんだという期待が、その表情の理由だ。男は数秒だけルナを見つめ、それから小さく息をつく。


「何故お前がこの子を連れてきたのか、少し分かった気がするぞ」


ルナにはその言葉の意味があまり分からなかったが、自分は本当にここにいて良いのかわからなかったので、少し安心した。


「保安局に話して楽になろうとか思ってないよな?」

「私を危険に晒すようなことはしない、でしょ?」

「はい」


この奇妙な現実を受け入れるように頷いた。別に爆弾なんて埋め込まなくても話すことはないが、これで自分の存在を否定されないなら良い。


「…誰かがつきっきりで私を監視するんですか?」

「そんな面倒なことはしないよ、私たち二人しかいないし」

「え?でも組織って」

「組織って言った方が君は怖気付くだろうなと思って」


それはどういうことなんだろうか。誘っておいて、不安を誘い遠ざけるような言い方を選んだ理由が分からない。そんな疑問を遮るようにヘイヴンは話を続ける。


「私達の目はそこら中に張り巡らされてる。街だけでなく、企業や政府内部まで。ずっと君だけを監視することはできない」


他にも活動は行っているので、それに絶やす時間は多くはない。ヘイヴンは穏やかな口調で言う。


「でもその認識だけで、君には十分でしょ?」


ヘイヴンの言う通りだった。一度植え付けられた疑念はずっと消えてくれない。常に監視されていなくても、勝手に湧き出る不安のせいでその警戒態勢が解かれることはないのだ。「まぁ今の君には無駄かもしれないね」と笑いながら言う様子は、自分を信頼してくれる何よりの証拠だと思った。


「笑い事なのか?」

「大丈夫だよこの子は。それより紹介が遅れたね。この人はベルナール、私の相棒だよ」

「よろしく」

「ルナ・スカーレットです、よろしくお願いします」


握手を交わせば部屋に流れていた緊張が、少しだけ解けた。犯罪者が拠点とするアジトというよりは、政治家が休日を過ごすために建てた別荘のようだ。


「無事仲間入り…ってことでいいの?」

「そうですね…」

「本当に?犯罪者になってもいいの?」

「誘ったのはそっちでしょ。もう全部投げ出したくなったので、良いんですよ」

「そっか」


理解したのか、短い返事のあとソファから立ち上がり、壁際に置かれたウォールキャビネットへ向かった。木目の美しい扉を開き、中を一度見渡す。いくつか並んだケースの中から黒い箱を選び、両手で丁寧に持って戻ってきた。ローテーブルの上に置かれた箱が、小さな音を立てる。


「ルナにはお祝いの品をあげよう」


金属製の留め具が外され、ゆっくりと蓋を上げると中には、一生触ることは無いはずの物が入っていた。

余計な装飾は一切施されておらず、黒く滑らかな曲線を描くレーザー銃だった。ルナは思わず息を止める。銃器の所持は認められていないので、受け取ってしまえば彼女と同じく、紛れもない本当の犯罪者になる。

だからといって、もう止められない。もう兄は帰ってこない。様々な不安をその現実が覆い隠して、この歩みを遮るものが無くなっている。

彼女の穏やかな笑顔に背中を押されるように手をかけると、横をすり抜け躱される。ルナは不思議そうに顔を上げると、引き締まった表情で目を合わせる。


「変なこと考えちゃダメだよ」

「そうだ、俺たちを打とうなんて考えるなよ」

「そうじゃないよ」


その注意は今にも自爆しそうなルナに水をかけるような言葉だった。やっぱりこの人に隠し事は無駄だと分かったが、言われなくたって、ヘイヴンが予見しているような行動は起こさない。


「……そんな顔もするんですね」


彼女の中でも自分の存在が少しは意味を持ち始めているのだろうか、そんな期待は抱かない方がいいけど、その真剣な表情が嬉しくて、胸に小さな温度が生まれた。


「あなたが生きている限り、私は死にません」


ルナに、ようやく照らしてくれる太陽が昇った。その影は小さいが、ヘイヴンとは真逆の方向を向いている。

ヘイヴンは困ったように笑うと、銃を握る手の力が抜け、ルナの手にずしりと重みが伝わる。物理的な重さだけでなく、信頼など様々な重みを両手に受ける。

銃自体は見た目ほど重くはないが、本当にこの筒の中からレーザーが出てくるのだろうか。その疑問が分かっていたかのようにヘイヴンが言う。


「これを人に向けることだってある。それでもいいの?」


またルナの感情を揺さぶることを言う。やっぱり来てほしくなかったのだろうか。でもあの場所でルナの顔を見た時、ちょっと嬉しそうだったし、ルナ自身も嬉しかった。だから今更後に引くことなんて出来ない。


「いざそうなったら、迷わず打ちますよ」


本心ではないが、投げやりにそう言うと、ヘイヴンは納得してくれた。自然な仕草でルナの肩に手を置かれ、張り詰めていた心が少しだけ緩んでいく。ヘイヴンは当たり前のように隣に立つことを許してくれた。




「ちょっとついてきて」


ルナは小さく頷き、銃をテーブルへ戻すと立ち上がった。

広いリビングを横切るヘイヴンの背中を追う。その穏やかな空気の中を歩いていると、先ほどまで銃を握っていたことさえ現実ではなかったように思えてくる。

やがてヘイヴンは廊下の奥にある一枚の扉の前で立ち止まった。白い壁に囲まれた何の変哲もない扉だったが、そこだけ妙に静かだった。

ヘイヴンは振り返り、ルナの様子を一度だけ確認する。


「驚かないでね」


そう言ってドアノブへ手を掛けて、静かに扉が開くと、ひんやりとした空気が廊下へ流れ出した。

部屋の中は照明が落とされており、窓もないせいか薄暗い。ルナは無意識に足を止める。


部屋の中央近く、壁際に一人の男がいた。


手首には金属製の手錠がされ、両腕は背後で固定されている。壁にもたれ掛かるような姿勢のまま動かない。

頭は力なく垂れ下がり、眠っているようにも見えるが、その様子にはどこか不自然な静けさがあるので、気絶しているのだろう。

呼吸だけがかろうじて胸を上下させているが、ルナの視線は自然と男の首筋へ向かう。

うなじの辺りに、小さな膨らみが見えた。皮膚の下に何かが埋め込まれているのように見え、首筋に残る鈍い痛みがそれを思い出させる。

おそらく、自分のうなじに埋め込まれたものと同じで、ルナは無意識に自分の首元へ手を当てていた。


男の顔を見つめた。

薄暗い照明に照らされた横顔はどこにでもいそうな男のものだったが、なぜか胸の奥に引っ掛かるものがある。

無精ひげの生えた顎に、少し鋭い目元。頬に残る傷跡は分からないが、見たことがある気がした。それもかなり最近で、街中の大型モニターだったかもしれないし、ニュースの映像だったかもしれない。記憶の奥を探ろうとするたび、輪郭だけが見えて掴めないまま消えていく。

ヘイヴンが男の前まで歩いて、しゃがみ込んで肩を軽く小突くが反応はない。もう一度今度は強めに叩く。


「おーい」


数秒の沈黙の後、男の眉がわずかに動いたと同時に喉の奥から小さな唸り声が漏れ、ゆっくりと頭が持ち上がる。

焦点の合わない目が天井を見上げ、それから部屋の中を彷徨った。意識が現実へ追いついていないのだろう。数回瞬きを繰り返した後、ようやく視線が定まり始める。そしてこちらの存在に気がつくと男は眉間に皺を寄せた。


体を起こそうと腕に力を入れるが、手錠の金属音が鳴り響くで、さらに警戒心を強めてこちらを睨みつける。


「どこだ、ここは」

「それは言えないな」

「……私を拉致して何をするつもりだ」

「それはこれから分かるよ」


一体何の話をしているのか全然分からないが、ヘイヴンがこの人を拉致したと言う事実だけは理解した。話についていけていないルナの様子に気づいたヘイヴンは小さく笑いながら男を指差した。


「気づかなかった?この人、財務大臣だよ」


頭の中で全て繋がった。見覚えの正体はテレビだ。政府の会見や街頭モニター、ニュース番組などで何度か見たことがある。しかし紹介されたところで、この状況への理解が追いつくわけもなく、むしろ混乱した。


「財務大臣…?」

「この前、君を乗せた車の後部座席にあった黒いシート、この人が入ってたんだよ」


あの時車の後ろに積んであったものは、死体ではなかったらしい。しかしあっさりと頷くせいで、余計に現実感を失わせる。目の前では国の中枢にいる政治家が手錠を掛けられ、窓もない部屋の壁際に座らされているというのに、ヘイヴンはまるで近所の知り合いを紹介するような口調で話している。


この世界で犯罪に手を染めるというのは、どれだけ育ちが悪かろうと、万に一つもない。それだけ犯罪に対しての嫌悪は強く、処罰も重い。

だからこの人が異常だということは最初から分かっていたし受け入れていた。

けれど政治家の拉致は、悪事という言葉では済まされず国家レベルの犯罪だ。


だが事実を知ったルナは自分でも驚くほど冷静だった。この状況がどれだけ重大でも、さらに重い現実を先ほど見せつけられたからだ。


「大丈夫?」

「……はい、平気ですよ」


未来に怯えても、その未来がより死に近づいた気がして、逆に嬉しかった。だからこれは本心だ。それが伝わったのか、ヘイヴンも良かった、と笑顔で答えてくれた。

すると、この部屋の扉が開き、分厚い機器を抱えたアランが入ってきた。


「んじゃ、作戦会議だ」

「え?」


急に入ってきて見たこともない画像が空中に広がり、一体何の作戦会議を行おうとしているのか分からずにいると、ヘイヴンがルナの肩を叩く。


「これから行う犯罪は、ルナも頭数に入れた作戦として遂行する。ただ、もう分かってると思うけど、これは普通の犯罪とは訳が違う」


机の上の資料へ視線を落とす。さっぱり分からないが財務大臣誘拐の延長線上にある計画だということは分かる。


「捕まれば死刑は免れない。それでもルナは構わない?」


ヘイヴンは真剣に問いかける。だがルナは少しだけ考え、それから小さく笑って見せた。


「私にとっては然程問題じゃないですよ。それに自分で選んで道ですから。それよりど素人の私を入れてもいいんですか?」


さすがに死刑はあまり考えていなかったが、そうなることもある程度予想していたから構わない。問題はこの大犯罪に自分が加わって良いのか。

財務大臣を拉致し、国家相手に作戦を立てている人間たちの中に、自分だけが場違いな存在に思えていたからだ。

しかしヘイヴンは迷うことなく頷く。


「もちろん。君にピッタリな役があるからね。アランも納得してくれるし。ね?」

「ん?あぁ、仲間になった以上お前を必ず守る」


突然名前を呼ばれたアランは資料から顔を上げ、しばらくルナを見つめた。鋭い目付きは相変わらずだったが、以前のような警戒心は感じない。頼もしいし、不思議と説得力のある言葉

だが、裏切りの保険として爆弾を埋め込んだ男だ。


「爆弾詰め込んだ人に守られるってなんか、不思議ですね」


笑い事じゃないが、この矛盾した状況に少しだけ笑いが込み上げる。


「問題はお前が死ぬことじゃない。捕まることだ。もし身柄が保安局に渡ればお前は俺たちのことを洗いざらい話すだろう」

「別に話しませ…」

「いや話すよ。私でもね」


被せるように財務大臣が鼻で笑い、さらにそれに被せるようにヘイヴンが口を開く。これはルナの信頼度の問題ではない。

保安局は犯罪者の情報を得るためなら手段を問わない。国家レベルの犯罪なら、捕まれば死よりも残酷で、想像を絶するほどの苦痛を味わうことになる。


「ルナは自信があるかもしれないけど、人は自分が思っているほど強くない。特に彼らは、人間の壊し方を熟知している」

「…そうなんですね」


何だか自分が知ったようなことを言ってしまったみたいで萎縮してしまう。本当に二人の役に立てるのか心配で、迷惑をかけないか不安になった。


「まず私たちが何を狙っているのか、そこから説明しよう。この国の経済は、デジタル通貨で回っているけど、国は数字だけを信用してるわけじゃない。戦争で通信網が止まった時や政府そのものが機能しなくなった時に備えて、価値が比較的普遍な資産を保険として保有してる」


現在のネヴェスターは、買い物も給与も納税も全て携帯端末だけで完結する。でも、それだけで国が成り立つほど世の中は単純じゃない。戦争で通信網が壊れたり、大規模な障害でシステムそのものが止まったり、最悪の場合は政府が機能しなくなることだってあり得る。そういう時に備えて、価値が比較的普遍で、どんな時代になっても交換手段として機能する資産を各地へ分散して保管してる。


「我々の狙いは、その国家準備資産ってわけ。これは財務省と、保安局が共同管理しているってのが周知の事実だけど、実際は最終的な管理権限は財務省だけが握っている。保安局は他で忙しいからね」


薄暗い部屋の中央で投影装置が起動すると青白い光が空間へ広がり、一つの建物が立体映像となって浮かび上がる。それはナビ病院だった。大きな病院ではあるが特別な施設には見えず、ルナはその映像を見上げながら首を傾げる。


「病院?ここがターゲットなんですか?」

「正確にはこの病院の地下だよ」


病院の映像が沈み込み、地下深くに存在する巨大な空間が赤く表示され、ルナは思わず息を呑む。病院の地下にそんなものが隠されているとは想像もしなかった。


「保管庫は各地に分散されてるから、狙うのはここだけじゃないけどね。ちなみに保管庫の定期点検が1週間に一度、財務省の審査部が行うルールだったんだけど、最近保安局の上層部によって一ヶ月に一度、全数検査が義務付けられることになったんだよね。しかも水面下で大規模な監視システムが導入されて、そっちに移転するらしい」

「何があったのか分からないが、背景には国家の根幹を揺るがす極秘情報が補完されるようになったのかもしれない」

「まぁ人間よりシステムを信用してくれるなら、こちらとしても好都合。一ヶ月も期間を延ばしてくれた」

「逆にいえば俺たちに残された猶予は一ヶ月。悠長に構えてる暇はない」


全ての保管庫を漁れないまま、全面捜査が始まるのはごめんなので、入念に準備をしつつ穴がある今のうちに完遂しなければならない。


「次の棚卸しは20時間後。終わり次第、私たちのタイムリミットが動き始めるよ」


しかし当然のように保管庫の場所が開示されているが、この情報はおそらく国家機密のはず。ヘイヴンはどこからこの情報を掴んだのだろうか。


「なぜ場所を知っているんですか?」

「それはねぇ……」


端末を取り出し、画面を数回操作すると一枚の電子証明書を空中へ投影した。

そこには財務省の紋章と認証コードが表示され、その中央にはヘイヴン本人の顔写真、その下には氏名と所属部署、職員識別番号が整然と並んでいる。一般職員が日常的に使用する電子社員証のような画面だったが、政府職員以外では発行されない形式であることは分かった。


「官僚だったんですね…」

「しかも理財局長。最年少での就任なんだよ。いずれ全てを手にする、人類が危険視するべき人間が国の中枢にいるなんて思わないだろうね」

「…待て」


壁に拘束されていた財務大臣が久しぶりに声を上げる。


「理財局長とはいえこんな情報が入ることなどありえない。国家機密ほど重要かつ強固な情報はないぞ」


財務省へ勤めているという事実には納得できても、それだけで国家最高機密へ辿り着けるとは到底思えない。むしろ財務大臣の言う通り、それほど重要な情報なら一職員が知っている方がおかしいはずだった。


「あんたは相当正義感強いよね。命を脅されても、自国を危険に晒すようなことはしないでしょ」

「当然だ」

「けど、ギヨーム副大臣はどうかな?」

「っ!お前まさか!」

「そのまさか。まぁヒント程度なら大丈夫だと思ったんでしょ。でも私なら十分位置を割り出せる。それにあの人とは色々事情があるからね」


ルナはヘイヴンという人物を少し知ったつもりでいた。しかし目の前にいる彼女は、自分が想像していた以上に長い年月をかけ、国家という巨大な組織の内部へ静かに根を張り続けてきた人間だったのだと、この時初めて理解した。


やがて空気を切り替えるようにベルナールが投影装置の前へ歩み出ると、地下施設の映像が消え、新たに病院内部の見取り図が空中へ映し出される。

さっきまで全体像を眺めていた映像とは違い、今度は建物の構造や各階の配置が細かく表示され、作戦そのものの説明が始まる。


「とりあえず細部は後回しにして、作戦の全貌を説明する。この保管庫は国が管理する重要な資産だ。当然一筋縄ではいかない」


保管庫は国が非常時に備えて保有している国家準備資産を保管する施設だ。当然、その重要性は普通の金庫とは比べものにならないし、一つ突破すれば終わりなんて単純な相手でもない。いくつもの障壁があって、それを一つずつ越えて初めて保管庫へ辿り着ける。

病院の地下へ秘密施設があるだけでも驚きだったが、普段は患者や職員が何気なく行き来している建物の一室に、国家最高機密へ繋がる扉が存在しているなど誰も想像しないだろう。


ベルナールは病院の正面入り口…ではなく、五百メートル離れた空き地を指差した。


「まず俺とお前でここへ向かう」


いきなり指示を出され、心臓がどくんと波打つ。


「ヘイヴンさんは?」

「私は当日、本部から全体を見てる。現場で起きていることと、財務省で管理されている情報は常に繋がってるから、二人が地下で動いている間、私はその流れを監視しながら必要な対応を続ける」


ヘイヴンは財務省本部を示す表示へ指を置くと、財務大臣は険しい表情のまま口を開く。


「……お前一人でそんなことができると思っているのか。あの管理システムは何重にも管理されている。内部の人間だからといって自由に扱える代物じゃない」

「そうかな?あなたは知らないでしょ。あのシステムの重大な欠陥を」

「…なに?なんのことだ」

「詳細は言えないな。でも、これだけは教えてあげる。あのシステムの開発者は、私だよ」

「……なんだと?あれはあの男が作ったのではないのか?」


財務大臣の目が大きく見開かれ、ヘイヴンは静かに端末を閉じる。


「長い間開発と改修に関わってきたけど、誰も欠陥に気づかなかったよ」


ヘイヴンがこの計画のためにわざと仕組んだその欠陥は、誰にも気づかれることなく今も防衛システムに使われている。


「それに、何度も更新を重ねて育ててきたから、構造も流れも私が一番理解してる」


財務大臣は目を見開いたまま言葉を失っていてた。彼ほどの立場なら知っているはずだが、その驚き方を見る限り、財務大臣ですら初耳だったらしい。

国家の中枢を支える管理システムは歴代の技術者によって築かれてきた巨大な仕組みであり、その開発者の一人が目の前にいるなど想像すらしていなかった。ヘイヴンが財務省職員であること以上に、その事実の方が彼にとっては遥かに衝撃だろう。


「現場は二人に任せるから、細かいことは全部私が面倒見る」

「甘いんじゃないか?俺がお前達のことを保安局に話したらどうする」

「そしたらあんたは死んじゃうよ。首からどかーんと」  

「だからどうした。国家反逆を企てる犯罪者の情報だ。それを保安局へ渡さない理由が、自分一人の命ではあまりにも小さい」


リーズが死を恐れて、ヘイヴンらの情報を漏らさない保証などない。だがヘイヴンは端末を手に取って、確信めいた表情でリーズの元にしゃがむ。


「あんたは用心深くもあるよね。国家の中枢を担い、漏らせば国益を損なうような情報をいくつも知ってる。だから弱みを握られないために、生涯孤独を貫いてる。でも、断ち切れない縁もあるでしょ」

「何を言っている?」


リーズが睨みつけると、ヘイヴンは嘲笑うように笑みを浮かべ


「ジュリアン・リーズ、八十五歳。五年前に特別養護老人ホームリベルテで暮らしており、アルツハイマー型認知症の初中期に加え、高血圧と変形性膝関節症を患っているようだね」


それはリーズの父親の詳細だった。親まで巻き込み、脅しをかけてくる目の前の女に、憎悪がこみ上げる。


「貴様…!」

「妻はソフィー・リーズ七十八歳。三年前に同じ施設に入所。慢性心不全と慢性閉塞性肺疾患を抱え、酸素吸入を必要とする時間も少なくない。最近は他の入居者と麻雀するらしいよ」


リーズの肩にかかる二人の命を突きつければ、協力せずを得ない、そう考えてあらかじめ調べていたのだ。


「三日前仕事の合間を縫って施設に訪れている。両親思いなのは結構だが、身寄りはあんた1人。あんたが死ねば、2人も行き場を失い、路頭でくたばるだろうね」 

「……その通りだ」


リーズは否定せずあっさり認め、肩を落とした。


「協力してくれる?」

「……分かった」


脅しではなく、ただ事実を語るように静かだった。リーズとルナに埋め込まれた爆弾は、それぞれの都合と噛み合っているから、脅しとして機能している。


「国民の命に関われば、迷わず保安局へ行くだろうけど、私達の目的は準備資産だからね。戦時中なら万が一に備える最後の保険として大きな意味を持つけど、その戦争はもう終わる」


今は終戦が見えてきてる。その状況で、両親の命を犠牲にしてまで守ろうとは思えない。


「家族の命を優先する。これは当たり前のことだよ」


リーズは唇を噛み締めたままヘイヴンを睨み返す。しかし、その視線には先ほどまでの強さはなく、心のどこかを見透かされたようなわずかな動揺が滲んでいた。


「……一つ聞いていいか」


張り詰めていた空気がわずかに緩んだ頃、それまで黙って作戦会議を聞いていたリーズが拘束されたままゆっくりと顔を上げ、自分の運命だけは知っておきたいという思いを隠さずヘイヴンへ視線を向ける。


「俺はこれからどうなる」

「すぐに解放するよ」


あまりにもあっさりと返された答えに、リーズは思わず眉をひそめる。監禁されたまま計画が終わるまで利用されるものだと思っていため、その言葉は予想とは正反対だった。

あまりにもあっさりと返された答えに、リーズは思わず眉をひそめる。監禁されたまま計画が終わるまで利用されるものだと思っていたため、その言葉は予想とは正反対だった。


「……解放する?」

「うん。今まで通り財務省へ出勤して、今まで通り財務大臣として働いてもらう」


表向きは何も変わらない方がいい。ヘイヴンは穏やかな笑みを崩さないまま続ける。


「もちろん自由なんて度外れたことはさせないよ。これから先、あんたは私たちの監視下に置かれる。表向きはこれまでと何も変わらない生活を送りながら、その都度こちらの指示には従ってもらう。それだけ」

「つまり、省へ戻っても俺はまだ利用され続けるということか」

「もちろん。私たちの顔を見た人間をなんの制約もなしに返すほど楽観的じゃないし、財務大臣はあんたじゃないといけない。全てが終わったら解放してあげる。そのためにも今からいう作戦には従ってね」


リーズが頷くとベルナールがパァンと手を叩き、自身に視線を向けさせる。


「話を戻すぞ。この保管庫の入り口はどこだと思う?」


おそらく病院でないことはルナでも検討がつく。病院に入り口があれば、保管庫の位置が公になった時、多数の患者を危険に晒す可能性がある。すると、ヘイヴンは広範囲を俯瞰して捉えるために、広範な地域を映し出す。

ルナは何かに気づき、そこに指を指す。


「よく気がついたな」


そこは病院から五百メートルほど離れた場所にある空き地だ。


「この空き地の登記簿謄本を調べたところ、名義はフロンティアパートナーズだった」

「フロンティアパートナーズ……確か政府系企業だったよね」

「おそらくここが入り口だ。フロンティアパートナーズの人間も知らないだろうがな。保管庫へ繋がる入り口はコンテナの中に隠されている。当然地下へ降りるには、まずこの空き地へ入らなきゃならない」

「国家機密だから当然監視体制は鉄壁。正直ここに2人で入るのはきついよねー」

「ああ。丸腰で侵入しようものなら即刻逮捕だ」


一見、完璧な監視によって入る隙は少しもないように見える。しかし、極悪人のヘイヴンとベルナールには普通なら見えないものも見えてしまう。


「一つだけ穴がある。ここには監視官が交代勤務でついている。常に二人保管庫のそばで監視を続けている。つまり、監視官に化ければ良い」

「簡単に言いますけど、それって可能なんですか」

「かなり厳しいよ。入るにも虹彩認証や専用端末にパスワード、その他にも無数に問題点がある」


確かに監視官の出入りが穴だが、障壁だらけだ。当然一筋縄ではいかない。


「ここの監視官はたった二人の交代勤務。一人はジャネット・ブラン、もう一人はニコラ・ウィルソン」

「とはいえ、成り済まし程度で機密に侵入はできない」


するとヘイヴンはルナの肩に手を置き、口を開く。


「そこでルナにやってもらいたいことがある」

「え…やってもらいたいこと?」


唐突に名指しされ、心配するなと言わんばかりに優しく肩を揉まれる。


「ルナって器用?」

「え…?まぁ、絵とかは描けますけど」

「なら…」


真っ直ぐ目を見つめると、ヘイヴンは不敵な笑みを浮かべ、告げた。


「君に完全犯罪の方法を教えてあげる」


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