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19(16)ルナVSアキノエ


一瞬、思考が止まってしまう。つい先ほどまで、彼女の生活について隣人から話を聞いていた。部屋の前まで足を運び、呼び鈴を二度鳴らしても応答がなかったので、今日は会えないものと判断して帰ろうとしていたが、今になって本人が目の前に現れた。

アキノエは驚きを隠せないまま、開いたエレベーターの中に立つ女を見つめた。

アキノエは所持している写真の顔と全く同じ女が目の前に現れ固まってしまい、彼女は立ち尽くした様子のアキノエを不思議そうに一瞥しながら、通り過ぎていった瞬間に我に返り、慌てて振り返る。


「お待ちください」


比較的小柄な体格で、少し長めの髪をふわりと揺らしながら、こちらを向く。


「は、はい…?」


覚えのない男から突然話しかけられ、戸惑いを隠せない様子で見上げる。アキノエは不安を煽らず、落ち着いた口調を意識して口を開く。


「少しお話を聞かせていただけませんか」





「どうぞ、狭いですけど」

「突然伺ってしまい申し訳ありません」

「大丈夫ですよ。保安局の方ならお招きしなければなりません」


アリミは手に持っていた袋の中から缶を冷蔵庫の中にしまい込む。一ルームに六畳程度の広さだが、端に置かれ、イヤホンが散らばっているベッドやホログラムが立てられた棚など、生活感あふれる雰囲気で、普通の一人暮らししか思い浮かばない。


「今日、久々に家を出たんですよ。初めて知りました。戦争が終わったこと」


終戦はすでに果たされ、いくらか時間は経っていたが、国内ではその余波が連日報道されている。しかしその部屋を見たところテレビは見当たらないので、外の情報は一切遮断していたのだろう。


「なのに、街ゆく人たちはそんなの二の次で、襟を正しながら仕事へ向かっている。私には考えられないです」


確かに、今になって振り返れば、かなりあっさりと戦争は終結した。数え切れないほどの命を奪った戦争が、終わるときには拍子抜けするほど静かに幕を下ろした。にも関わらず国は勝利を祝すわけでもないし、犠牲者を悼むこともない。すぐに次の問題が発覚してそれに追われてばかり。世の中の全力で働くサラリーマン達も同様に、目の前の責務しか眼中にない。

それほどまでに、皆一生懸命に働き、生きるので精一杯なのだ。


「あれだけ長いこと続いた戦争が、私も気づかなかったほど呆気なく終わって、たくさんの犠牲の上に成し遂げた快挙を、皆それとなく流して、自分はそれどころではないんです」


アキノエだって、無数の屍を乗り越えた先にたどり着いた結果だと受け止めているし、その犠牲を忘れることはない。

だが、彼女は困ったように微笑んだ。


「でもそれって、戦死を遂げた英雄たちに失礼ですよね」


その目に、アキノエの心のざわつきが収まらない。主張は正しいのに、なぜだか分からないが、目の前の人間がとんでもない悪人に見えて、あのうざったらしく翻弄するヘイヴンよりも、秘めた闇の深さを感じてしまう。


「ごめんなさい、あなたに言うことではないですよね」

「いえ、構いません」


ふと、一つの写真に目が留まる。それは理財局長であるヘイヴンと共に映るホログラムだ。最近は画像を空間に閲覧するホログラム型写真が流行っていると聞く。

そしてもう一つ、今になって気づいたことがあった。写真に映された顔と随分変わらない顔立ちで、十年以上前に撮られた卒業写真と比べても変化はほとんど見られない。

昨今はあらゆる技術が発展している。例えば医療分野の例を挙げるなら、ネヴェスターの平均寿命は百二十歳程度。中には職歴百年の方もそれなりにいる。

元々人間というのは、どれだけ医療技術を駆使しても老いには抗えず、七、八十年生きられれば立派だったが、生物である以上弱点を補いながら進化していく。老化のスピードは旧セメクト人だった大昔よりもかなりスローペースとなっている。

それを考慮すればその点は杞憂だろう。


「あの子とは、面識が?」

「えぇ。少し顔を合わせた程度ですが」


彼女は、写真の中のヘイヴンと親しげに並んでいる。隣人は彼女をインドア派だと言い、本人は戦争が終わったことさえ知らなかったと話す。部屋の中には一人暮らしの生活があり、どこを見ても、何かを偽っているようには思えない。


「昔、アリちゃんとゲームを作ったんですよ」


流れるような動作でアリミはパソコンを起動する。


「二人で作ったのでクオリティは低いですけど、一対一の対戦型シューティングゲームです」


モニターに視線を移すと、低ピクセルの簡素なスタート画面が表示され、彼女にコントローラーを差し出される


「やってみます?」

「わ、私がですか…?」

「サシなので二人いないと成立しません」

「はぁ…」


訪問先で急に目の前の女性とゲームをやらされる奇妙な状況が出来上がってしまったが、渋々受け取ると、嬉しそうにもう一つのコントローラーを持ち出して、スタートボタンを押した。


「ここが発射ボタンで…」

「な、なるほど……難しいな、これ」


一通り操作説明を頭に叩き込まれるが、一つ一つの動作に頭が追いつかなくて、簡単に仕留められる。その後回数を重ねても手も足も出ない。色々尋ねようと思っていたのに、気づけば目の前の画面に没頭して時間を消費していく。


「え、なんで!?」

「今の挙動、ちょっとおかしいですね」


アキノエの操作するキャラクターが何かに引っかかり、硬直したような動きを見せ、二人とも異変を感じた。すると、即座にプログラム画面に切り替わり異変の原因箇所を早急に調べ始める。デバッグが足りなかったなぁと呟きながらコードを修正していくその一連の動作を見せられれば、彼女の経歴も疑いようがなかった。


「これ面白いですね。シンプルな打ち合いの面白みを忘れず、様々なアイテムを駆使して飽きが来ない。良くできてますよ」


ゲーム性の高さに驚かされ、思ったことを正直に話すと、彼女を目を見開き驚いた様子だったが、すぐにモニターへと視線を移す。


「……これで問題ないと思います」


修正を終えたゲームが再起動し、すぐに画面が切り替わるともう一度対戦が始まる。しかし今度は一方的に追撃されることはなく、その試合はあっさりとアキノエが勝利を収めた。急激に動きが鈍くなったが、初勝利の喜びを噛み締めながら、隣を見た。


「私の勝ちです…よ……」


当の彼女は、笑顔で涙を流していた。倒れた自分のキャラクターを眺めながら、目元は嬉しそうに細められ、頬を涙が伝っていく。

何か言葉をかけようと思ったが、何事もなく次に行こうとする彼女を見て、その気持ちも失せた。休職の理由に関して、詳細を聞こうと思っていたが、それもやめることにした。

彼女が何を抱えているのか分からない。

それでもアキノエには、今目の前にいる彼女が、懸命に耐え忍びながら、頑張って生きようとしている立派な人間に見えた。

これ以上追求する気持ちも無くなってしまった。





「もしもし、局長………はい。詳細はそちらでお話します。では」


報告を終え、端末を懐にしまう。先程まで居座っていたマンションを見上げ、アキノエは腹を括った。





一芝居終えて、ベルナールと共にアジトへ帰宅している途中、ルナは運転している隣の男に問いかけた。


「あの人に何か変なこと吹き込みました?」

「何のことだ」


それは保安の人間が去っていき、合流した時、偽りの証言をしてくれた隣人と顔を合わせると、その男はルナの顔を見るやいなや、ベルナールに向かって「本当にかわいいっすね」と呟いていた。

ベルナールがこの男に、何かを言ったのだろうと思い、問い質したというわけだ。


「あぁ……あれか」


ベルナールは呆れたように息を吐き、肩をすくめると、理由を話してけれた。


「ヘイヴンがよくお前の話をするんだが、ことあるごとに……」


『ルナって本当かわいいよねぇ』

『まじかわいくない?』

『いやかわいすぎるんですけど』


彼女がルナの話をする際、必ずこのいずれかをセットで話すらしい。

それをそのまま証言に組み込むのも良く分からないが、それよりも奇妙な事実が明かされている。知りたかったような知らないままでいたかったような、形容しがたい気持ちになった。


「あの人本当に私のこと大好きだな…」


気にかけてくれているし、好かれている自覚はあったが、まさか裏でそんな話がされているとは思わなかった。


「ベルナールさんはどう思います?」

「俺? お前が?」

「はい」

「うーん……愛嬌があるだろ」

「いや、どこがです? それ、誰からも好かれる人に対して使う言葉ですよ」

「なら違うか」

「否定されないのも、なんかな……」





「まだ寝てる」

「相当すり減ってたんだろう」


未だに深く目を閉じ、すぅすぅと小さな寝息を立てながらソファの上で長枕を抱きしめているヘイヴンを見下ろす。誰よりも優秀で、計算高く冷静な彼女だが、こうして眠る姿は一人の可憐でか弱い女性だった。


「ここまで来るのに、どれだけの苦労を強いられてきたのか……」


ルナはそっと手を伸ばし、自分の黒髪よりも一回り長いヘイヴンの美しい黒髪を、傷つけないよう優しく撫でた。


「こいつとは十年来の付き合いだが、努力を人に見せるような人間じゃないからな。自己顕示がなければ、謙遜もない。一体どんな人生を過ごしてきたのやら」


長年の付き合いであるベルナールでさえ、ヘイヴンが歩んできた細かい道のりまでは知らない。


「そのことなんですが……以前、ヘイヴンさんの正体を暴いたとき、オルフェウスから弱みを握られていると言っていましたよね」

「あぁ。当然俺も初耳だったが、詳細は直接本人から聞いたのか?」

「聞いてはみましたけど、それとなく流されました」


何か口にしたくない理由があるのだろう。無理に聞き出してたところで、本当のことを話す保証はない。とはいえ、電子情報ならプライバシー保護のレベルは宇宙一だと、我々が誰よりも理解している。外部から調べるのは容易なことではない。


「まぁ、その点に関しては、オルフェウスに亡命してから調べた方がいいだろう」

「ですね」


ひとまず話を切り上げたルナは、寝返りを打つヘイヴンを眺めながら、ふと思い出したようにもう一つの疑問を口にした


「そういうベルナールさんは、なぜ犯罪の道に?」


ベルナールの眉がぴくりと動いた。彼はゆっくりと顔を向け、いかにも面倒そうな視線をルナへ投げかける。


「今日は随分と俺に問い質すな……」

「だめですか?」


何の躊躇いもなく、真顔でそう言われればベルナールも観念してしまう。


「前にも言ったが、俺は何でも屋だ。今はモードラル政府からスパイ活動を依頼されているが、今のような長期的な計画だろうと、依頼されれば何でもやる。それが法に触れることだろうとな。だが、自分から進んで犯罪を犯すことはない」

「なら、どうして機械技術者に?」

「特にこれといった理由はない。ただ、成り行きで学び始めた頃から、夢だけはあった」

「夢?」

「あぁ。陳腐だが新規発明だ」


ベルナールはそう言いながら立ち上がり、棚から茶器を取り出した。


「あらゆるニーズに応える最先端の装置がいくつも発明されてきた。これもそうだろ」


茶器の注ぎ口を棚にあったホログラム型写真に向ける。あれもこれも全てからくり仕掛け。


「だがこの星のイノベーションも随分前から停滞しつつある。根本から覆す発想が生まれづらい。だが、その壁を俺がぶち壊す」

「……なんかベルナールさんらしくないですね。でも、私の夢より先に叶えてくださいよ」


ルナがそう言うと、紅茶をこちらに差し出しながら、ふっ、と笑ってみせた。


「いや、すでに叶っている」

「え?」


思わず間の抜けた声が出た。


「そういえば、お前にはあの部屋の中を見せたことがなかったな」


ベルナールは顎で、廊下のいちばん奥にある固く閉ざされた部屋を指し示した。普段から目にしてはいたものの、ルナは一度も中に入ったことがない。特別な部屋なのか、それとも単なる物置なのか、その用途すら知らなかった。


「入ったことはないですね」

「ことが終わったら見せてやる。楽しみにしておけ」


それだけ言い残すと、ベルナールは自分の部屋へと戻っていった。

後半はなんだったのか良く分からないが、いずれ分かることだろう思い、ソファの上で相変わらず寝息を立てているヘイヴンへ視線を戻す。

一人で帰宅すれば、向後に万が一にもアジトの位置が割れるリスクがある。そのため、ルナの送り迎えは必ずヘイヴンが担当することになっていたが、当の本人はまだまだ深い夢の中だ。

ルナは温かい紅茶を口に含みながら、彼女が目を覚ますのをゆっくりと待つことにした。


イアンは、先ほど送られてきた報告書のデータに一通り目を通していた

アキノエは、アリミ・ヘイヴンと直接対面したことで得られた印象や、会話の中で感じたことまで、包み隠さず記録していた。捜査資料として見れば主観的な記述も少なくないが、実際に彼女と顔を合わせた人間だからこそ気づけることもある。


「……局長室、来れる?」


 イアンは端末を手に取り、アキノエへ連絡を入れると、それから数分も経たないうちに、扉を叩く音が響いた。




「何か違和感はなかった?」

「違和感……ですか」

 

アキノエはわずかに視線を落とした。

明確に言えば、あった。初めて彼女と対面したときから、どこか説明のつかない感覚が胸の奥に残っていた。彼女の言葉や振る舞いに不自然な点があったわけではないし、会話を重ねるほど、彼女の生活や人柄には現実味が増していった。

それでも、彼女の目を見たときの心のざわつきがあったのは確かだった。

だが、それはあくまで自分の中に生じた感情の揺らぎにすぎない。


「特には何も。我々を騙そうという意思は感じられませんでした。むしろ私には、死にものぐるいで今を生きる、立派な一人の人間に見えました」


単なる同情ではなく、彼女は自分の置かれた状況の中で、できることを精一杯やろうとしているように見えた。ゲームをしているときの表情も、涙を流しながら笑っていた姿も、とても嘘には見えず、確かにあの女性の精神状態に問題があるのは、疑う余地なしだ。

何かを隠している可能性まで否定するつもりはないが、少なくとも、目の前の彼女を疑い続けることに正当性を見いだせなくなっていた


「局長、私の率直な意見を言わせていただきたいです」

「もちろん」

「あの疑わしき理財局長をここまで徹底的に調べても、無辜であることを示す事実ばかりが浮き彫りになっていき、調べれば調べるほど疑念が晴れていく。正直に申し上げると、彼女の正体を暴こうという使命感は、かなり薄れつつあります」

 

アキノエ自身も、あの女に対する疑いが完全に晴れたわけではないが、我々にできることは、もうすべてやり尽くした。これ以上調べても何も出てこないのであれば、本当にやましい事実など存在しないのかもしれない。

 

「君の言う通りだよ……というか、君も気づいていたと思うけど、昨日あたりから諦めムードが漂っていた」


イアンはふっと笑い、椅子から立ち上がり、眼下に広がる街並みを見下ろす。


「捜査に従事している部下たちも、通常業務に追われながら、ここまで付き合ってくれた。だが、これ以上続けるのは現実的ではない」


イアン自身、誰よりも早くその結論にたどり着いていたのかもしれない

 

「ここまで来てなお何も掴めないのであれば、疑っている側の思い込みを疑うべきなのかもしれない」


イアンは窓から離れ、アキノエへ振り向き、ついに腹を括ることにした。


「これにて捜査は打ち切……」

 ピピッ。

 

宣言を遮るように、アキノエの携帯端末が着信音を鳴らした。

 

「申し訳ありません。失礼します」


アキノエは軽く頭を下げて応答した。イアンはその場で待つことにしたが、あまりにも間の悪い着信に、思わず力が抜けたように椅子へ腰を下ろした。


「どうした……え?」


何かを聞き返す声が、室内に響いた。


「殺人容疑……? 誰が?」


その物騒な響きにイアンは顔を上げた。 アキノエは端末を耳に当てたまま、険しい表情をしている。電話の向こうから何を告げられているのか、こちらには聞こえないが、ただ事ではない様子。


「私が…!?」


電話の内容の詳細は分からないが、アキノエの様子でイアンもそれとなく分かった。信じがたい話を聞かされ、怪訝な表情でアキノエはこちらに目を合わせる。

イアンも眉をひそめながら立ち上がった。


ここにきて、事態は思わぬ展開へ動こうとしていた。




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