17(14)最後の大勝負
バラバラに飛び散り、張り詰めた沈黙が長く場を支配した後、ベルナールがまるで痺れを切らしたように荒々しく口を開いた。
「……正直に言えば、お前が何を隠していたのか、俺は知っていた」
「え?」
予期せぬ指摘に、ヘイヴンの端正な眉がわずかに跳ねる。
「いや、オルフェウスの件は流石に予想外だったがな……お前、違法なもん服用してるだろ」
「……!」
ヘイヴンの表情が、ほんの一瞬だけ固まる。あの薬の存在は、ルナにしか話していないが、どうやらベルナールにはすでに知れ渡っていたようだ。
「バレてたんだ……」
「ヘイヴンともあろう人間が、最近やけに物忘れが目立ってきたからな。俺に隠し事なんてできると思うなよ」
「……ごめんね。でも、あれがないと……私、生きていけないから」
「……そうか」
ベルナールはそれ以上、深追いするように追及しなかった。長年培った相棒としての奇妙な信頼がそこにあった。
「正直なところ、俺も悪い。あの時、まんまとお前に言いくるめられてタッグを組まなければ、こんなことにはならなかった」
自嘲気味に鼻を鳴らすベルナールに対し、ヘイヴンは遠い目を向ける。
最初に接触したのは、銀行だった。各所を騒がせた空白の一年の真相は、それだった。
ベルナールと偶然を装って接触し、手練手管を弄してどうにか短期間で仲間になることができたのだと。モードラルへの熱に、ベルナールも感心せざるおえず、組んでしまった。
「だがな、お前がモードラルに対して関心がないことは、すぐに分かった」
「え……じゃあ、なんで……」
「確かに、お前は危険で祖国の敵かもしれない。だが……どうしたもんか、お前とする仕事は気持ちが良かった」
ベルナールは苦笑しながら、当時の複雑な心境を吐露する。
「お前は俺よりも優秀で、どんな仕事も淀みなく進める。その流れに乗せられれば、誰だってついていきたくなる」
「……」
「だから、お前と組んだままでもいいと思った。工作員ならあり得ないだろうが、俺は何でも屋だからな」
そこで一度言葉を切り、ベルナールは横に立つヘイヴンを鋭く見据える。
「もちろん、モードラルの敵だと確信できれば、すぐに排除するつもりだった」
「……それで、今、私のことを殺したい?」
「はっ、愚問だな」
ベルナールは鼻でふんと笑ってみせた。
「確かに、戦争の口実を作るためにモードラルを利用したことは許せない。だが、それはお前の意思なのか?」
「……そんなわけないでしょ」
ヘイヴンは少しだけ目を伏せ、冷め切った声の中に微かな疲労を滲ませる。
「私はネヴェスターの人間だよ。祖国は嫌いじゃないし、復讐なんて愚かなことをしたいわけじゃない」
そして、ほんの僅かに間を置いた。
「実はちょっと……訳あって、あちらの政府に弱みを握られてるから」
「弱み?」
それまで黙って聞いていたルナが、鋭い視線を向けながら初めて口を挟んだ。オルフェウスの政府に弱みを握られてる。それが、彼女の一連の行動の理由だったらしい。
「うん」
「……そうだったのか」
ベルナールも納得したように、小さく頷きながら呟く。
「私の言うことを、そんな簡単に信じるの?」
ヘイヴンが自嘲気味に問うと、ベルナールは肩をすくめて言い放った。
「……嘘なら、お前の預金をゼロにしてやる」
「ふっ……」
ベルナールが冗談めかして軽口を叩くと、ヘイヴンも不意を突かれたように思わず小さく笑った。
二人の間には先程のピリついた緊張感は流れていなかったが、それでも一度ヒビが入ってしまった三人の間に出来た壁が、綺麗に消え去ったわけではなかった。
「……これで、こいつと俺は丸裸だ」
ベルナールはそう言ってから、視線をルナに向ける。
「ねぇ、ルナ。君も、まだ話していないことがあるよ」
ヘイヴンもルナに視線を向け、問いかける。この状況に陥った原因は元はと言えばルナ。なぜ告発行ったのか、なぜ裏切るような真似をしたのか、その理由を吐いてもらわねば二人も納得できるはずがない。
「なぜ、裏切ったの?」
「そんなの、簡単ですよ」
ルナは二人を見据えながら、感情の読めない静かな声で答えた。
「あなた方を利用するためです」
「利用……?」
「この場を作って、それを言い渡そうと思ったんですよ」
ルナは銃を下ろしたまま、二人の逃げ場を塞ぐようにしっかりと見据えている。
「私は、あなた方の弱みを握っている」
「……」
「でも、あなた方は今、私に危害を加えられない」
ヘイヴンの瞳が、スッと細くなる。ルナの言葉の真意を測るように、彼女の全身を値踏みした。
「本当は、これも嘘の代物なんでしょ?」
そう言って、ルナは自分の首元、うなじのあたりにそっと指を当てた。そこにあるはずの装置を確認するように。
「……流石にバレてるか」
ヘイヴンは観念したように小さく息を吐き出し、わずかに肩の力を抜いた。
「中途半端な告発文書を作成したのも、政府ではなくあえて保安局に告発したのも、この状況を作り出すためだったんだね。ここまで君の算段通りというわけだ」
「はい」
ルナは迷いのない声できっぱりと答えたおかげで、この絆に出来た傷口は、もう修復が難しい段階まで
来てしまった。
ヘイヴンはため息をつきながら、今まで彼女と過ごしてきた日々を思い返す。あの泣き顔も、笑顔も今では嘘くさく見えてしまう。
「短い間だったけど……君と過ごす日々は、楽しかった」
ヘイヴンは諦めを含んだ、しかしどこか晴れやかな声で静かに語りかける。
「これまで私は、上から与えられた指示に従って、まるで操られるロボットみたいに任務を遂行し続けてきた。でも、君が来てから……人の温かさというものを、久々に味わった気がして、自分の人生を少しだけ取り戻せたような気がした」
一度言葉を切り、ヘイヴンはわずかに息を整える。
「君を騙していたことは事実だよ。でも、私にとって君は……太陽みたいな子なんだ」
太陽、という言葉にルナは少し顔を上げた。
「暗闇にいた私を、初めて照らしてくれた存在。離れようと思っても、手放せない……そんな存在だよ」
そして、懇願するような、確かめるような眼差しで問いかけた。
「君は違うの?今まで一緒に過ごした日々は……全部、本当の君じゃなかったの?」
ルナは気まずそうに目を逸らして、葛藤があるのか何かを堪えているように見えた。
「……うん」
その一言には迷いが見え隠れしているのは明らかで
、ヘイヴンは決して諦めようとはしなかった。
「……本当に?」
「……」
「じゃあ、あの涙も嘘だったの?」
それは初めて会った時の話だ。あの時は、本当に絶望していて心が死んでいた。もう、この世から消えようと本気で思っていた時だった。
「……精神病も嘘だったの?」
ヘイヴンがそう尋ねながら、ルナの目をじっと覗き込む。そこに浮かんでいたのは、紛れもなく本物の涙の跡で、それが嘘ではない何よりの証拠だった。
「こんな遠回りなことをしなくても、最初から俺たちを真っ向から脅せばよかったんじゃないか?」
ベルナールが立ち上がって、そう問いかける。確かに彼の言う通り、埋め込まれたものが爆弾ではないと気づいていたのなら、すぐに脅すことも出来たはずだ。
「それでも、そうしなかったってことは……まだ仲間が大事だという気持ちが残ってるからなんだろ」
ヘイヴンはこれまで向け続けていた銃口を、力なく床へと下ろした。ルナは何も答えなかった。ただ、かつての救いのない自分自身の姿を心の中で思い出しているのだろう。その表情は、今や決して嘘をついている人間のそれではなかった。
「……私は、あの時よりも……いい顔、してます?」
涙を流すことはなく、それでも鼻を啜りながら、ルナは小さく尋ねた。
「……もちろんだよ。君は、見違えたさ」
ヘイヴンは微笑みながら立ち上がると、椅子に座っているルナの頭へとそっと手を伸ばし、その艶やかな髪を優しく撫でた。
こうしてルナの髪に触れるのは、これが初めてだったが、手触りの良い黒髪は、ヘイヴン自身のそれに負けないくらい綺麗だった。
「少しつつけば死に走るような私が、短期間でここまで変わったのは……生きる理由が出来たからです」
「……生きる理由」
「はい」
死にかけていた彼女を照らしたのは、今から彼女が言うその目的だった。それを実現するために、彼女は生きていると言っても過言ではない。
「あなた方を利用すると言いましたけど……それは、とある目的があるからなんです」
「それが……生きる理由ってことだね」
「……はい」
「言ってごらん」
ルナは鼻を噛み、しばらくの間、じっと俯いて言葉を探していたが、やがて、意を決したように顔を上げると、ほんの少しだけ自嘲するような、しかし確かな笑みを浮かべた。
「……私は――」
その言葉を聞いた瞬間、ベルナールとヘイヴンの目が見開かれた。二人とも、驚愕のあまり開いた口が塞がらない。その場に、冷たい夜気すら凍りつくような長い沈黙が落ちて、誰もすぐには次の言葉を紡ぎ出すことができない。
やがて、重い静寂を破るように、ヘイヴンが最初に声を漏らした。
「そ、そっか……」
それは、あまりの予想外にまだ驚きの残った声だった。
「……だから、私たちを利用するんだね」
「はい」
ルナは、はっきりと頷いた。ベルナールはしばらくの間、腕を組んで険しく考え込んでいたが、やがて、はぁと深く息を吐き出した。
「……とりあえず、利害は一致してるわけか」
我々がやるべきことと、ルナの目的は、一様一直線で並んではいるので、そう結論づけた。そうだね、と軽く返事をしてヘイヴンは頭を切り替える。手を差し出し、ルナから銃を受け取ると、ベルナールにグリップを向ける。
「ベルナール……このまま作戦を実行すれば、場合によっては戦争に発展するかもしれない。今なら私を始末できるけど、どうする?」
今銃を受け取れば、ヘイヴンの命はベルナールが握ることになる。しかし同時にこれまでの相棒としての絆を完全に壊すことになる。それをベルナールは十分理解していた。
ベルナールは二人を見渡すように視線を巡らせる。
「ふっ、ずるいことしやがって……今更しょうがない。俺も、腹を括るしかないな」
その銃を受け取ることはなく、片手で押し返した。
「……ごめんね、祖国を捨てさせるような真似をさせて」
ヘイヴンは心底申し訳なさそうに呟く。ベルナールが下した決断は、祖国ではなく仲間を優先することだった。
「俺は、祖国よりもお前たちの方が大事だからな」
「……ありがとう」
ヘイヴンは救われたように静かに笑うと、それから再びルナの方へと向き直る。1週間耐え切るには、ルナの協力も不可欠だ。
「ルナも、この一週間は私に協力してほしい。君の目的も、この作戦を成功させることが最低限の条件のはずだ。それに……万が一、私が保安局に捕まれば、君だってもうおしまいだからね」
「分かってますよ」
そう言って片手に握っていた自身の銃を懐に仕舞い、いつもと変わらない笑顔で目を見つめられ、
「……ありがとう」
「一度裏切った身で厚かましいでしょうが、事が終わったらあなたと共にオルフェウスに亡命します」
「先に裏切ったのは私だよ。もちろん君の母親も、必ず連れて行く」
ここまで来ても自分を許し、協力してくれる二人に感謝を述べヘイヴンは再び鋭い眼差しを取り戻し、二人を見渡す。
「前にも言ったけど、この一週間が勝負時だ」
気を取り直して、引き締めるように二人の肩に手を置く。
「相手が本気でマークして調べ上げれば、一週間だって耐え切るのは難しい。でも、先の処分を受けたおかげで、連中も自由に身動きが取れる状態じゃないはずだ。政府内もリーズが手を回してくれている」
「それでも、水面下では容赦なく調査を続けるでしょうね」
「彼女と目を合わせて分かったが、奴は相当やり手だよ。ここからは相手の探りを、私たちがどれだけ完璧に潰せるかだ」
証拠を握らせないために、これからあらゆる手を尽くして証拠を消す。そしてヘイヴンという人間を作り出すのだ。もし、保安局の調査の方が早ければ、我々らに未来はない。
「このレースに負ければ、私たちに未来はない」
断固とした口調で言い切った。
「絶対に、追い抜かれちゃだめだよ」
二人は無言で、力強く頷いた。三人の間に存在していた見えない壁が完全に消え去ったわけではない。それでも今の彼らは、さらにその先は違えど、確かに同じ未来を見据えていた。




