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16(13)三人バラバラ



「オルフェウス!?ど、どうして……」


アキノエはわずかに開いた口を塞ぎきれず、思わず息を呑んだ。イアンの口から信じがたい名前が零れ落ち、流石にアキノエも理解が追いつかない。


「調査委員会が設置されなかったのは、政府に何らかの圧力がかけられた可能性が高い」


しかし、国の政府そのものに圧力をかけコントロールするとなると、答えは絞られる。


「この一連の流れに関わっているのはネヴェスターとモードラルだけではなく、オルフェウスも間接的に関与している。今回の買収は、確かにモードラルとの協定の大きな一歩になるかもしれない」


イアンは手元のデスクに乱雑に置かれた機密資料へ、視線を落とした。


「けど、オルフェウスからすれば話は全く違う。自分たちの勢力圏、そのテリトリーに土足で踏み込まれたようなものだ。そこから計画的な関係悪化を図れば、戦争を始めるための口実としては、十分」

「戦争……!?」


アキノエの顔が恐怖と緊張で強張る。あの呪縛から解き放たれた穂苅ぢというのに、また次の敵が現れようとしていた。


「そんな、まさか……大国同士が本気で激突するなんて……!」

「今回のような強引な運びなら、あくまでネヴェスターが一方的な起点だったと世界各国には印象付けられる」


考えられる最悪のシナリオを紡いでいく。


「そうなれば、国際的な心象や外交的な正当性を失うのは、他ならぬ我々の方」

「つまり……モードラルとの経済的な関係を悪化させるだけじゃない。その背後に潜む自らを動かすための周到な仕掛けだった、と?」

「そう考えると、これ以上なく厄介で、そして恐ろしい」


イアンは椅子の背もたれに深く体重を預けた。飛躍した推論だということは分かっているが、一様筋は通っている。


「これが本当なら、尊敬に値するほどの入念な準備と、極めて巧妙な画策の果てに行われていると言わざるを得ないね」


アキノエは資料を見つめたまま、しばらくの間、呼吸を忘れたように固まっていた。やがて、彼女はハッと正気に返るように顔を上げる。


「しかし……いくらオルフェウスといえど、今のネヴェスターと張り合えるほどの余力があるのでしょうか」

「慢心は禁物だけど、流石に正面からの軍事衝突で勝つのは厳しいんじゃないかな」


イアンは少し思案してから、ゆっくりと首肯した。

ネヴェスターに太刀打ちできる国は存在しない、そう断言してもいいほどに、ネヴェスターは強い。


「オルフェウスの軍事技術が、ネヴェスターの水準と肩を並べているとは到底言えない。それに我々は、アグニの正式な発表を終えたばかりだ。相手がどれほど焦っていようと、国ぐるみでそんな無謀な挑戦を仕掛けてくるとは、普通なら考えにくい」

「……」


アキノエはそこで、ピタリと言葉を止めた。

胸の奥底で、得体の知れない嫌な予感が嫌な音を立てて膨れ上がる。頭の片隅に浮かび上がってきた一つの仮説。あまりにも突拍子がなく、一国の治安当局者として口にすることすら躊躇われるような恐ろしい考えだった。

それでも考えれば考えるほど、これまでに散らばっていた無数の点と点が、まるで磁石に引き寄せられるようにカチリと音を立てて繋がっていく。

アキノエの額から、一筋の冷や汗がスッと流れ落ちた。


「……局長」

「ん?」

「ヘイヴンは……そのネヴェスターの軍事技術を、直接狙っているのではありませんか?」


イアンの表情が、これまでにないほど鋭く変わった。


「奴は、我が国の圧倒的な軍事産業と機密を盗み出すために、政府の中枢へと入り込んだ。そう考えれば……これまでの一切の行動がすべて綺麗に筋が通ると思います」

「……軍事技術、か」


確かにこの国の技術は、星中の全てのエンジニアが欲しているだろう。オルフェウスなら尚更求めているはず。


「とはいえ、もしそれが純粋な目的ならば、防衛装備庁の内部に深く入り込んだ方が、目当ての情報はより早く得られそうですが」

「……いや」


イアンが不意に顔を上げアキノエに向ける。


「そんなことはない」

「え……?」

「一部の最高機密に属する軍事技術は、普通の行政機関や装備庁のサーバーにはない」


イアンの視線が、部屋の奥、そしてさらに建物の深部へと向けられる。


「国の存亡に関わる究極の機密として、国家の最高レベルのセキュリティを誇る保管庫の奥底に厳重に仕舞い込まれているものもいくつかある」

「……保管庫」

「この地下にも、あるよね」

「はい」


二人の間に、冷たく重苦しい沈黙がわずかな間だけ落ちた。イアンはすべてを理解したのか、ゆっくりと立ち上がり、アキノエをじっと見据える。


「その保管庫のシステムを設計し、管理しているのは……どこだ?」


その質問にアキノエは、頭の中でバラバラだった情報が猛烈な勢いで一つに収束していく。


「……財務省……!」


アキノエの震える声が、静まり返った執務室に響いた。イアンはゆっくりと椅子から完全に立ち上がった。


「これで綺麗に繋がったな」


ヘイヴンがなぜ財務省に身を置いたのか。なぜ彼女が、あえて政治の中枢にまで潜り込む必要があったのか。そのすべての謎が、一つの紛れもない結論へと、整合性を持って収束していった。





ルナは以前として銃口向けたまま、以前から感じていたヘイヴンに対する疑念を明かした。


「最初に違和感を持ったのは、あなたがいくつかベルナールさんに隠し事をしていたことだった」


ヘイヴンは違法な薬を摂取している。確かに同業者にも知られてはいけない事実だが、もう一つ、ルナが疑い始めた理由がある。


「もう一つは、あの人事台帳の回収を怠ったこと。モードラルに尽くす生粋の工作員なら、知っていて当然の致命的な事実を知らなかった」


ルナは視線を横へと移し、頭を押さえて痛みに耐える男を見た。


「ベルナールさん、あなたも本当は私だけではなく、彼女も疑っていたんでしょ?」


血に染まった頭を押さえながら、ベルナールは苦々しく吐き捨てるように言った。


「……あぁ、かなり前からな」


ヘイヴンは気まずそうに目を逸らす。ルナは椅子を引き寄せ、そこに深々と腰を下ろした。二丁の銃口は依然として、跪くヘイヴンの急所を正確に捉えている。


「オルフェウスとネヴェスターは、この星の最前線を走り、肩を並べるほどの大国。それでも経済力、軍事力、イノベーション、あらゆる面でオルフェウスは劣っていた」


この星で一番発展を遂げた国はどこかと言われれば、どちらかの名前が必ず挙がるが、大抵はネヴェスターだ。


「特に軍事技術は誰も太刀打ち出来ないほど飛び抜けている。戦争が勃発しようものなら、ネヴェスターが味方に付いた方が勝利する。それほどまでにこの国の発展度はオルフェウスを突き放していた」


なぜネヴェスターに侵入したのか、その理由が見えてきた。


「そこであなたはこの国の中枢に侵入して、虎視眈々と保管庫の情報を狙っていた。技術面で並べば、戦争を起こしても勝機が生まれる」

「戦争…!?」


ベルナールが信じられないといった様子で、ルナを見やる。


「さらにはセメクトとの戦争でネヴェスターは疲弊しきっていた。仕留めるなら……今しかない」


ベルナールは思わずっと目を見開いた。

オルフェウスとネヴェスターが本格的な戦争に突入すれば、星そのものを巻き込み、下手をすれば取り返しのつかない滅びを招きかねないほどの、あまりに巨大な事実だった。


「あの買収も、本当は戦争の口実にするために企てたんでしょ」


明らかになった現実に頭を混乱させつつも、ベルナールは過去の記憶を掘り起こした。確かに買収の案を出したのはヘイヴンからだった。何度も言い合いが勃発したがモードラルのためだと、説得され遂行するに至ったのだ。

これまでやってきたことは、モードラルではなくオルフェウスのため。そして、戦争のためだったのだと今になって明かされた。


「しかしその計画の輪郭が姿を現した頃、最初の暗雲が立ち込める」


戦争終結


「戦争が終わりに向かうことを知ったあなたは焦ったことでしょう。ネヴェスターを削っていたセメクトが退けば、破竹の勢いでこの国は立て直され、更に圧倒的な力をつける。そうなればチャンスは二度と来ないと言っていい」


今までセメクトの相手をしながら、ネブラでは随一の力を誇示してきた。しかしその邪魔者が消えれば、オルフェウスなど簡単に置いていかれるだろう。


「特にアグニの開発で、この星の覇権はネヴェスターが握ったも同然だった」


ルナはほんのわずかに息を継ぎ、さらに核心へと踏み込む。


「さらに追い討ちをかけるように保管庫の最構築という現実があなたを襲った。これだけ障壁があれば普通ならここで諦めがつく。でも、あなたは諦めなかった。これだけ不利な条件下でも保管庫に固執する理由があったんですよね」


幾度となく想定外の事態が起こっても、ヘイヴンはとある目的のために、諦めずここまでやってきた。では、その目的とはなんなのか。そう問いかけると、ヘイヴンは口を開いた。


「…うん。君の言うとおり、情報を盗むために保管庫にこだわり、ネヴェスター陥落への望みを繋げるために計画を無理やり遂行した。強行した理由は、その情報の中に、"あれ"があると思ったんだ」

「…あれ?」


ベルナールが目を細める。


「アグニの設計図」


ネヴェスターが開発したあらゆるものを無に帰す破壊兵器、その設計図だ。オルフェウスだって喉から手が出るほど欲しいだろう。


「…なるほどな」

「漏らせば星が揺らぐそんな情報なら、国の最高セキュリティを誇る保管庫に仕舞うはず。そう考えたんでしょ?」

「その通り」

「今の保管庫なら穴はある。でも新設された保管庫では盗むことは愚か近づくことも出来ない。だからあなたは、保管庫間の輸送を遅らせるため、何らかの策を講じた」

「ふっ、筒抜けだね」


ヘイヴンは自嘲するように、思わず乾いた笑みを漏らした。


「君の言うとおりだよ。一ヶ月前ベルナールに頼んで、大規模な通信障害を起こしてもらった。おかげで輸送システムが数日間麻痺して、一カ月という新たな監視体制のまま、運輸が見送られることが決定したんだ」

「それでも一カ月という期間では二人だけで全ての保管庫に侵入することなど不可能。迫るタイムリミットの重圧、そしてオルフェウスからのプレッシャー」


その二つが、ヘイヴンを追い詰めていった。そしてあの出会いに繋がってしまったのだ。


「焦燥感に駆られたあなたはそこで、一番のミスを犯した」


ヘイヴンの表情が僅かに曇り、静まり返った空間の中で、ルナは静かに言い放った。


「私を仲間に引き入れてしまった」


銃口の向こう側に立つヘイヴンは、底知れない深い闇を湛えた瞳のまま、微動だにせずそこに佇んでいる。


「人手を求めていたところに、私が現れた。だから私を誘った」


ヘイヴンは何も言わない。その沈黙は否定でも肯定でもなく、事実を受け止めるための壁のようだった。

ルナは少しだけ目を細める。彼女の脳裏には、あの時のヘイヴンの物腰柔らかで、どこか計算し尽くされたかのような振る舞いが鮮明に蘇っていた。


「あの時あなたは随分と下手に出ていましたよね。私の意思を尊重して、無理に引き入れることはしない、そんな姿勢だった」


ルナは小さく笑った。その笑みには自嘲の色が濃く滲み、痛々しいほどの皮肉が込められていた。


「そうすれば、不安に駆られがちな私を懐柔することなんて、簡単だったでしょうね」


無理強いをしなかったのは、ルナが仲間になることを分かっていたから。満身創痍のルナにはヘイヴンが、初めて自分を照らしてれる太陽にのように見えている。そ差しに込められたその意味をヘイヴンは早くに察し、それを利用した。


「…まぁ、確かにそう考えてはいたよ」


ヘイヴンが静かに答える。ここで往生際が悪く否定するような真似はしないのが彼女らしい。だが、ヘイヴンの本心は、それだけではなかった。


「でも」


ヘイヴンが続ける。その声音には、わずかに探るような響きが混じっていた。


「君は私の思惑を知っていながら、仲間になった」


図星を突かれた動揺か、あるいは別の何かを見透されたことへの警戒か、僅かだがルナの表情に変化が生じる。


「それは、なぜなの?」

「……」


その質問をされ、脳裏に浮かんだあの日。母が泣き崩れていた光景。張り裂けそうな絶望のなかで、世界から見捨てられたようなあの残酷な日。

あの時、自分が何を思ったのか、なぜヘイヴンについていこうとしたのか。復讐心だったのか、孤独からの逃避だったのか、それともただ壊れてしまいそうな心を繋ぎ止めるための藁にもすがる思いだったのか。

その記憶だけは、今ここで、この女の目の前で口にすることができなかった。


「……それは」


言葉が途切れ、しばらくして、ルナは耐えきれなくなったように視線を逸らした。


「……言いたくないです」


ヘイヴンはそれ以上追及しなかった。ルナの瞳の奥で、わずかに何かが去来したようにも見えたが、すぐに元の底知れない静けさへと戻っていく。


「……そっか」


僅かな沈黙。それは三名の間に横たわる深い溝をそのまま映し出すような長い沈黙だった。


「やっぱり、腹を割って話すことなんて……できないんだね」


そのヘイヴンの言葉に、ルナはゆっくりとヘイヴンを見る。彼女の眼差しには、哀しみと、どこか諦めに似た冷めた光が宿っていた。


「それは、こちちのセリフだ」


ベルナールは怒りとも悲しみともつかない声だった。絞り出すような声で、今まで信じてきたものすべてが音を立てて崩れ去っていくような、どうしようもない絶望感を感じさせる。


「お前がオルフェウスの人間だったなんて……」


堪えきれず、ベルナールは拳を強く握り締める。


「俺は、ずっと騙されていたんだな」


その言葉の重みに耐えるように、空間全体がぴたりと静まり返る。返す言葉を持たないのか、それとも最初から答えるつもりなどなかったのか、何の弁明もなく沈黙を貫くだけだった。

ルナもまた、押し黙ったまま視線を動かさない。

静まり返った部屋の中、それぞれの思惑と裏切りという名の棘を胸に抱えた三人の影だけが、途方もなく長く伸びていた。


「三人バラバラだね…」


作戦の完了まであとわずかというところまで迫っていた。それなのに、肝心のこの土壇場でこんな予想外の事態に陥ってしまうとは、ヘイヴンもベルナールも予測しているはずがなかった。どんなに個々の能力が高くても、肝心の仲間同士で団結しなければ、過酷な作戦の遂行などできるはずがない。頭では分かっているのに、もう三人の心には、それぞれ埋まらないような越えられない壁が分厚く出来てしまっているようだった。






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