15(12)裏切りに次ぐ裏切り
「君は、私のことをどう思う?」
ヘイヴンは前方に注意しつつ、平穏を装いながら、いつもの調子でふと口を開いた。ハンドルに手をかけながら、隣にいる大事だった彼女を見据える。
「ルナ」
予期せぬ質問だったのだろう。助手席に座るルナは首を傾げ、何気なく笑い声を零しながら返した。
「なに急に……もしかして、ベルナールさんに何か変なことでも言われました?」
その、あまりにも自然で無邪気な笑顔を見て、ヘイヴンの胸の内で、微かな痛みが走る。この子が私を裏切ったなんて。信じたい自分と、動かぬ真実が、頭の中で激しくせめぎ合う。
「……いや。以前、私に君の強い覚悟を見せてもらったけどさ」
ヘイヴンはハンドルを握る手にぐっと力を込め、抑えた声で続ける。この作戦を完遂したら、自分を捨ててあなたに付いていく、と真っ直ぐな目で宣言した。それを思い返しながら、ヘイヴンは問いかける。
「私たちが出会ってからまだ日は浅い。君自身の身ならまだしも、母親の命まで私に預けるなんて、いささか私を買い被り過ぎている。犯罪者にすぎない私への過度な信用は、いつか身を滅ぼすかもしれないよ」
「ヘイヴンさんは、誰も信用してなさそうですかるね」
ルナはクスリと笑い、悪びれ様子もなく言葉を継ぐ。いつも通りの装いが崩れそうになっても、彼女の口からは聞きたくなくて、こんなものは茶番だと分かっていながら、普段と変わらない他愛もない会話を続ける。
「……まぁ君とは気のおけない間柄だとは思ってるけど、こうして腹を割って深く話をしたことは、これまで一度もなかったと思ってね」
「だからそんな質問を」
私の事、どう思う?
この質問は彼女の真意を探るためのものだが、同時に純粋な疑問でもあった。
「人に聞く前に、まず自分が話してくださいよ。ヘイヴンさんは、私のことどう思ってるんですか?」
質問を鮮やかに切り返され、ヘイヴンはハンドルを握りながら思考を巡らせた。
「君には、並外れた身体能力と、目を見張るほどの想像力がある」
その二つでトラブルを掻い潜り、計画をスムーズに実行してきた。特にイアンによる調査の件ではその想像力が大いに役立った。
「想像力なら、ヘイヴンさんにだってあるでしょ」
「いーや、私はあくまで論理で、その場における最善の選択をしているだけ。まるでロボットのようにね」
ヘイヴンは自嘲するように息を吐く。
「経験や、感情、五感などが絡み合った自由な空想、そんな想像力をロボットが持ち合わせていると思うかい?」
確かに、とルナは納得したように小さく頷いた。
「私には無いものが、君にはある。だからこそ……もっと早く君をこの計画に引き入れていれば、今頃、世界は私たちの手中にあったかもしれないね」
ヘイヴンが皮肉めいた笑みを浮かべてそう言うと、ルナはおかしそうに声を立てて笑った。ヘイヴンにとっては冗談ではなく、本気でそれも可能だと思っているが、ルナにはそうは聞こえなかったようだ。
「なら、これから目指しましょうよ。言ったじゃないですか、あなたについていくって」
「まさか、一生?」
ヘイヴンも釣られるように、冗談めかして笑ってみせる。ルナは緩んだ表情のまま顔を隠すように外に視線を外す。
「お互い、なんとなく分かっていたんじゃないですか?」
「何を?」
「この先もずっと、生涯を共にするんだろうなって」
その言葉を耳にした瞬間ヘイヴンの顔から、ゆっくりと、笑みが消えていった。それを隠すようにハンドルにかけていた手を外し、彼女の手の平に重ねる。
「そうだね……」
私もそう思っていたよ
喉元まで出かかったその言葉を、彼女は飲み込んだ。その続きの言葉は、どうしても口から出なかった。
車内には、エンジンの低い駆動音と、夜風が窓を叩く音だけが、残酷なまでの静寂を乗せて響いていた。
「……着いたよ」
ヘイヴンが低く呟きながら前を向く。ルナは助手席のベルトを外すと、ヘイヴンは車を降り、冷たいコンクリートの床に足を着けた。ルナもそれに続いて助手席から降り、ヘイヴンの背中を追ってアジトの重い扉をくぐる。
薄暗いリビングの中、その静寂を破るようにルナが足を止めた。
「あれ?今日はベルナールさんいないんですか?」
顔を出すと必ずいる男の姿が見えない。周りを軽く見渡していると、何も知らないルナの背後から、音もなく忍び寄ったのはベルナール。
ベルナールが懐から取り出したテーザー銃のトリガーを引く。ピシッと青白い電撃の奔流が、一筋の光となってルナの背中へと放たれた。
同時に、正面に立っていたヘイヴンも拘束のため、即座に懐から銃を取り出そうとコートの合わせに手を伸ばす。
しかし、飛来したテーザーの気配を察知したルナは、まるで予期していたかのように、しなやかな体捌きでふわりと身を躱した。
「なっ……!?」
正面にいたヘイヴンは、突然視界が開けたことで、放たれた電撃の直撃コースに自らが晒されていることに気づく。
「っ……!」
間一髪、ヘイヴンは身体を捻ってその凶弾をかわしたものの、その激しい回避運動のせいで完全に体勢を崩してしまった。
銃を引き抜こうとする動きが、コンマ数秒遅れ、そのわずかな隙を、ルナは見逃すはずもなく、体勢を立て直すよりも速く、ルナは猛然と踏み込み、ヘイヴンの懐へと一気に間合いを詰める。
「ゔっ……!」
がら空きとなったヘイヴンのみぞおちに、重い拳が深く突き刺さった。息が詰まるような苦悶の声と共に、ヘイヴンの手元から力が一気に抜け落ちる。ルナはその隙を逃さず、ヘイヴンの手から瞬時に銃をもぎ取り、自分のものにした。
背後から仲間を救うべく、ベルナールが無音で素早く殴りかかろうと肉薄する。しかし、ルナは振り返りざまに奪い取った銃口を、そのままベルナールに向けた。
その銃口の威圧感に、ベルナールの動きが反射的にピタリと凍りつく。
その瞬間、ルナは持っていた銃で、ベルナールの頭部を容赦なく殴りつけた。
鈍い衝撃音と共に、ベルナールが崩れ落ちるように膝をつく。
かつてヘイヴンから預けられ、大切に懐にしまっていたはずのもう一丁の銃を取り出す。両手にそれぞれの銃をしっかりと握りしめ、二丁拳銃の構えをとった。
床に崩れ落ち、それぞれ腹を押さえ、頭から血をにじませて痛みに顔を歪める二人。ルナは跪いたかつての仲間を見下ろした。
「はぁ……っ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、ベルナールは悔しげに床へと力なく拳を叩きつけた。
「クソ……っ……!」
ヘイヴンは地面に手をついたまま、しばらく頭を垂れていたが、やがて震える声を絞り出した。
「やっぱり……裏切っていたんだね……」
その声には、怒りよりも深い絶望と痛切な哀しみが混じっていた。その様子にルナは臆することなく、少しも表情を変えない。ルナはただ静かに、二人の前に立ち尽くす。
「さっき、ヘイヴンさんはこう言ったよね。私への過大な信用は身を滅ぼす、と」
ルナは銃口を微動だにさせず、静かに告げる。
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
非常に現実を二人が襲った。ルナは悪びれることなく、二人を見下ろし銃を突きつける。
「二人は、私をこう思っていたんでしょ。自分達の本当の目的など知らずに、ただ自暴自棄になって大犯罪に加担するだけの、哀れな小娘だと。けど、物事の本質というのは、あなた方が思っているほど単純じゃない。まぁ、釈迦に説法だとは思うけど」
ナイトモードに切り替わった照明の弱々しい光が、出血で顔を汚したベルナールと、俯いたまま沈黙を貫くヘイヴンの姿を照らし出している。
「人を簡単に信用するなって、以前あなたに言われたもんだからさ。私も、自分で調べてみることにしたんですよ。あなた方二人についてね」
床に崩れ落ち、頭を押さえて痛みに顔を歪めながらも、ベルナールはガリガリと血に染まった頭を揺らし、険しく眉をひそめた。
「調べる……?」
「えぇ。とはいえ、省庁ですら身辺調査でヘイヴンさんの素性を暴けなかったのだから、私個人の力じゃどうにもならない。だから、少しだけずるい手を使わせてもらったんです」
「ずるい手?」
そう呟いた瞬間、ルナのしなやかな手がスッと夜の空気を切り裂くように伸び、ヘイヴンの綺麗な髪にそっと触れた。ヘイヴンは痛みや怒りではなく、諦めを湛えたまま、身じろぎもせず抵抗もしない。
ルナはその美しい黒髪から、以前自分がヘイヴンにプレゼントしたはずの髪留めを優しく引き抜いた。
さらりと、ヘイヴンの艶やかな黒髪が揺れてなびく。
次の瞬間、ルナは躊躇することなく、その髪留めを硬質なテーブルへと勢いよく叩きつけた。
「え、ちょっ……」
ヘイヴンが思わずそれを止めようと身じろぎしたその時、床に打ち付けられた髪留めがパキリと乾いた乾いた音を立てて砕け散り、中から微かに明滅する小さな精密機械が転がり出た。
それは、音声を拾い続ける精巧な盗聴器だった。
「なるほどね……」
ヘイヴンはすべてを見透かされていたことを悟り、観念したように小さく息を吐いた。
「これを通して情報を掴まもうと思いましてね」
ルナは盗聴器をテーブルに置き、破片として散らばった髪留めを大事そうに一箇所に集めると、視線を戻す。
「まず、一つ目の真実。あなた方は、誰の味方にもならず自分の利益のためだけに動くただの大悪党なんかじゃない」
全ては自分達の為ではなく、別の目的が潜んでいたのだ。
「本当は、モードラル側の人間だった」
本当の正体を暴かれたベルナールは目を見開く。
「二人の会話を聞いていれば、モードラルの工作員として動いていることはすぐに分かった。地下に眠る保管庫の中身を漁る理由も、モードラルへの手土産として、大金ではなく機密や軍事技術などの情報が必要だったから」
これまでの行いは、モードラルの為だったのだ。全ては自分の利益ではなく、モードラルの利益のためだった。
「けど、それを一から説明するのは面倒くさい。それに自分がモードラルの工作員だと、ネヴェスターの人間に正体を明かすのは、いくらお気に入りの私であっても掟として良くない行い……だからあなた方は、ただの大金のために犯罪を働く怪盗一味を装っていた。……違う?」
息を呑むベルナールをよそに、ルナは的確に核心を突き続ける。しばらくの沈黙の後、ベルナールは頭から血を流したまま、忌々しげにふっと自嘲の笑みを漏らした。
「……否定のしようがねえな。まぁ正しくは何でも屋だ。工作員なんて大それたものじゃない」
ベルナールが苦渋の決断のようにそう言い、事実を認めた。しかし、ルナの銃口はまだ下がらない。彼女はさらに鋭い視線を、目の前で跪くヘイヴンへと向けた。
「……ヘイヴンさん。あなたは?」
その踏み込んだ追及に、ベルナールは僅かながら違和感と混乱を覚え、怪訝な目をルナとヘイヴンへと交互に向けた。
「どうなんですか、ヘイヴンさん。あなたもモードラル側の人間なの?」
ピクリとも動かず、ただ黙り込んでいたヘイヴン。
だが、ルナに追い詰められた彼女は、ついに観念したようにふっと息を漏らした。
「……君の言うとおりだよ。私達は、モードラルの」
「ヘイヴンさん」
ルナは、その言葉を遮るように、被せるように冷たく名前を呼んだ。ベルナールに向けていたもう一方の銃口をも、ゆっくりとヘイヴンへと真っ直ぐに向ける。
二丁の銃口を至近距離から突きつけられたヘイヴンは、思わずわずかに眉をひそめ、ルナの思惑にようやく気づいたのか、瞳には僅かに焦りの色が浮かんでいる。
「本当の事を、ここで全部話しましょうよ」
容赦のない声音で、ルナはヘイヴンの視線に合わせるようにその場でゆっくりとしゃがみ込んだ。
「あなたは本当は、モードラル側の人間では……ない」
ルナの言葉に、ベルナールの顔から表情が消え、絶対に離すことなど許さないほど深紅に染まった目で、ヘイヴンの目を凝視する。
「あなたは……
一拍おいて、ルナが口にした言葉に空気が止まった。
「"オルフェウス"側の人間…でしょ?」
ルナから放たれた、あまりにも予想外すぎる言葉。
ベルナールは言葉を失い、完全に混乱しきった表情でヘイヴンだけを凝視した。
だが、案の定当事者であるヘイヴンは、そんなルナの言葉に否定することなく、驚愕のリアクションなど一切見せなかった。
彼女は静かに目を閉じ、ゆっくりと下を向くと、重苦しい沈黙が長く、長く続いたが、やがてヘイヴンは観念し、ため息と共に、ついにその口を開いた。
「……そうだよ」




