こんなの楽しくない
翌日、菜穂は事務所に入る前に立ち止まり、1人深く深呼吸をした。
いつも通り、いつも通りーーーーーーーーー。
菜穂はその場で笑顔を作り、「おはようございまーす!」と事務所のドアを開けた。
そこには誰もおらず、菜穂はほっと一息つくと着替え始め、エプロンをつけて売り場に出た。
ゆっくり歩きながら棚を曲がると、レジには既に楓の姿が。
1ヵ月ぶりに近くで見る楓はいつも通り無表情で、やっぱり光君とは似てない。
菜穂はまた深呼吸をして笑顔を作り、「おっはよー!」と言ってレジへ行った。
楓は顔を上げ「...おはようございます」とだけ呟き、カッターを手に「品出ししてきますね」と言いながら菜穂の横を通り過ぎて行った。
菜穂はその場で立ち止まったまま、ただ笑顔だけが崩れた。
その後もバイト中の3時間は、楓と話さなくなったきっかけを作った1か月前のあの日と同じように、必要最低限の言葉だけを交わした。
「お疲れ様でした」
楓はそう言うと菜穂を置いて颯爽と事務所から出て行った。
菜穂は「あ、お疲れ様…」と誰もいなくなった事務所で1人呟き、自分も荷物を持って事務所を後にした。
事務所の鍵を閉め、菜穂はトボトボと歩いた。
本当にこれが正解だった?
これ以外に選択肢はなかった?
どうして恋をしていたら友達も失うの?
どちらか1つしかないの?
そもそもどうして光くんは楓のことを信用してないの?
私と楓は何もないのに。
やっぱりこんなの楽しくないーーー。
菜穂はそんなことを考え、足を止めた。
顔を上げると辺りを見渡し、とにかく一生懸命走った。




