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7話

「あ、あのー……」


 勇気を振り絞り一歩前に出る。みんなの視線が、私に集まるのが分かった。


「なんだい、君は?」


 ヒルダ様が、みんなの疑問を代表するように問いかけた。


「私は、2年のエミリー・ラン……いえ」


 淑女の礼をし、現世での名前を名乗りかけて気付く。今、名乗るべき名前はこれじゃない。

 私は下げかけた頭を上げ、真っ直ぐにマリア様を見て言った。


「私は…… 遠藤来夢です!」


 私が名乗った瞬間、マリア様が顔を上げた。初めて彼女の顔を真正面から見た私は、その美しさに度肝を抜かれたけれど、すぐに平静に戻ることができた。

 マリア様は、胸の前で合わせていた手を解き、顎の下で唇と一緒に指をわなわなと振るわせた。見覚えのあるそのおかしな動作と次に発せられた言葉で、私は確信した。


「ら、いむ……ちゃぁー……」


「らんちゃん!」


 掠れた震え声が、途中で聞こえなくなる。そんな中途半端な呼びかけを、前世で何度も聞いていた。

 堪えていた涙が決壊する寸前の掠れ声。困っている時、彼女がいつも上げる声。



「らんちゃん!」


 幼なじみの名前を呼び、マリア様に駆け寄る。


「らい……ちゃ……あたしね……あたし……」


 マリア様ことらんちゃんは、その美しい顔をくしゃくしゃにして、滂沱の涙と鼻水を垂らしながら、真っ直ぐ私に手を伸ばす。

 私はその手を取ると、できるだけゆっくりと、落ち着いた口調で言った。



「大丈夫だよ、らんちゃん。大丈夫だからね。とにかく、深呼吸しようか。ね? ゆっくりでいいから」


「んぐっ……ゔん……ゔん……ぐびっ……」


 きれいな顔をぐちゃぐちゃにして必死に頷くらんちゃんに、周囲がドン引きしているのが分かるが、今は無視する。

 とにかく今は、らんちゃんを泣き止ますことが先だと考える私に、遠慮がちな声がかけられる。


「えっと……割り込んでごめんね」


 至近距離で私たちのやり取りを見ていたヒルダ様が、未だにらんちゃんの肩に手を置いたまま、遠慮がちに尋ねる。


「えっと……遠藤さん、だっけ? 遠藤さんも、2年5組だったんだよね?」


 前世の名前を確認されたことで、現世どころか、前世でも認知されていない地味子あるあるに凹みそうになる心を必死に抑え、キリッとした顔を作ってうなずき返す。


「じゃあ、マリアも2年5組だったってこと? えっ? 誰? 2年5組に、こんな人懐っこいかわいい子、いた?」


 尋ねながらグイグイ顔を近付けてくるヒルダ様を避けようとしたらんちゃんが、後ろに倒れそうになる。


「うっ、ひゃあ!」


 変な叫び声を上げながら後ろに倒れるらんちゃんの体が、ふわりと抱き止められた。


「大丈夫? マリアさん」


 風のように颯爽と現れ、らんちゃんの窮地を助ける王子様のようなことをやってのけたのは、クラウディア様こと黒川先生。

 前世から、優しくて頼りになる女生徒に大人気の先生だったけれど、公爵令嬢に転生して、ますますカッコ良くなった気がする。



「ふえ? クラウディア様?」


「黒川先生でいいわよ、松田さん」


 黒川先生に笑いかけられたらんちゃんは、再び顔をくしゃくしゃにして、泣き出した。


「きゅろ、かあ……しぇんしぇー……」


「はい、黒川先生です。もう大丈夫だからね。泣かなくていいわよ」


「ぐずっ……んっ……ふぁい……」


「とりあえず、その靴、脱いじゃいましょうか」


「ふえ?」


 黒川先生は突然屈むと、らんちゃんのドレスの裾を少し捲り上げた。


「こんな高いヒールの靴じゃ、まともに歩けないでしょ? 樋口さん。松田さんを支えてあげて」


「あ、はい」


 樋口さんこと、ヒルダ様に支えてもらって靴を脱がせてもらったらんちゃんは、小さい体がさらに縮んで、ドレスの裾が床に着きそうになっていた。



「足は大丈夫? 痛くない?」


「はい! 痛くないです!」


 らんちゃんが嬉しそうにその場でくるりと回ると、水色のドレスがふわりと広がった。スカートの下から細い足首と小さな素足が見えて、ちょっとドキッとした。


「その靴とドレスは、どなたが用意したの?」


 くるくると回っているらんちゃんを険しい顔で見つめながら、黒川先生が尋ねた。

 黒川先生の断定的な聞き方が気になったのは私だけなようで、尋ねられたらんちゃんは、満面の笑顔で「アルフレッド様です」と言った。


「そう……アルフレッド様が……」


 黒川先生の顔が、さらに険しくなる。


「はい! 君に似合うドレスを、ぜひ贈らせて欲しいとおっしゃってくださって! うちはあまり裕福でありませんから、正直、とても助かりました!」


 黒川先生の険しい顔を真正面で受けながら、にこにこと笑っているらんちゃん。この状況に、私は頭を抱えたくなった。



 まず、男性が女性にドレスを贈るというのは、相手を特別に想っているという意味がある。そして、その特別な意味のあるドレスを女性が身にまとうということは、相手の想いを受け入れたという返答の意味になる。

 つまりらんちゃんは『私は、アルフレッド様の本命です』と、婚約者に対して宣戦布告しているようなものなんだけど、らんちゃんの様子から、そのことを全く分かっていないことが分かる。



『おかしいなぁ。こういう漫画とかでよくある風習は、私よりらんちゃんの方が詳しかったのに……』


 今のらんちゃんは、天真爛漫で抜けていて……端的に言うと、バカだ。

 前世のらんちゃんは、成績はそこそこだけど、決して空気の読めないバカではなかった。どちらかと言えば、必要以上に場の空気を気にして、何も言えなくなってしまうタイプだった。

 転生して性格が変わったみたいだけど、さっきの泣き顔や、みんなに責められて何も言い返せない様子は、前世のらんちゃんそのものだった。一体、どうなってるんだろう?



「マリアは、本当に世間知らずで困った子だなー」


 そう言って豪快に笑ったのは、ヒルダ様。場の空気を和ませようとしたのかと思ったら、大口開けて笑っているから、本当に面白いと思ってるようだ。

 この状況のどこが笑えるのか、ガチで聞いてみたい。



「笑いごとじゃないわ! 樋口さ……いえ、ヒルダ様」


 樋口さんこと、ヒルダ様は笑うのをやめて、バツが悪そうな顔で頭を掻いた。


「決して、笑って見過ごせることではありません!」


 婚約者が他の女にドレスを贈った上、そのドレスを着た女が堂々と自分に笑いかけるこの状況。確かに笑い事じゃない。

 上下関係に厳しい貴族社会。由緒ある公爵令嬢の先生が、元生徒とはいえ、ずっと格下の男爵令嬢にバカにされたままでいられるはずがない。


 こんな地獄のような空気の中、らんちゃんは、きょとん顔で黒川先生とヒルダ様を交互に見た後、かわいい仕草で小首を傾げた。

 そんならんちゃんを見て、黒川先生ことクラウディア様の形の良い眉が、また一段と上がった。

 沈着冷静で、喜怒哀楽をあまり見せたことのないいつものクラウディア様からは、考えられない形相だ。



 本気でらんちゃんの命の心配をし始めた頃、黒川先生らしくない大きな声を上げながら、勢いよく後ろを向き


「何を考えているのですか!? アルフレッド様!」


 と、婚約者の名前を呼んだ。


「「へ?」」


 アルフレッドと私の間抜けな声がハモった。もしかしたら、他にも声を上げた人がいたかもしれない。それくらい、意外な言葉だった。

 あっけに取られる周囲をよそに、黒川先生は、アルフレッドに詰め寄りながら言った。



「何を考えて、彼女にあんなドレスと靴を贈ったのですか!?」


「何って……マリアに似合うと思ったからに、決まってるだろう」


 黒川先生の迫力に一瞬押されたアルフレッドは、すぐに気持ちを立て直すと、胸を張って不遜な感じを作る。


 婚約者に『似合うと思ったから、別の女性にドレスを贈った』なんてことを堂々と宣言するとは。こいつ、馬鹿なんじゃなかろうか? あ! 大馬鹿だったわ。

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