2話
クラウディア様は右手を下ろすと、指先まできちんと伸びた両手を前で軽く重ね、真っ直ぐにアルフレッドを見つめて言う。
「お尋ねしたいことはいろいろありますが、まず、1番大切なことをお伺いします」
「なんだ?」
アルフレッドは、苦々しげな顔でクラウディア様を睨みながら返事をした。
相手の話を聞く姿勢になっただけマシなのかもしれないけど、ほんと、腹の立つ王子だ。
「今日、ここで私との婚約を破棄することを、国王様や私のお父様もご存じなのでしょうね?」
「知るわけがないだろう。お父様には、この後、きちんと報告する。おまえのしでかした悪行の数々と一緒にな」
この場にいるほとんどの人が、同じ感想を抱いたに違いない。
『こいつ、正真正銘のアホだ』
王族と高位貴族の婚約は、両家の承認の元でなされたはずだ。それを、王子とはいえ、勝手に破棄することなど、許されるはずがない。
しがない男爵令嬢の私でも分かることを、このアホ王子は分かっていない事実に、怒りを通り越して頭が痛くなった。
どんな罵声も平然と受け止めていたクラウディア様も、さすがにさっきの発言は受け止めきれなかったみたいで、形の良い眉を少しひそめた。それも一瞬のことで、すぐに表情を戻すと、再び右手の中指で目の間を触ってから、口を開く。
「アルフレッド様、よろしいですか?」
さっきもやっていた話し出す前に目の間を触るしぐさに、私は猛烈な既視感に襲われていた。
「私たちの婚約は、政略的に必要だから結ばれたものです。それを、アルフレッド様の一存で破棄できると、本気でお思いですか?」
「思っているに決まっているだろう! おまえの非道な行いをお父様が知れば、婚約破棄も致し方ないと言うに違いないからな」
アホ王子の戯言に、思わずひそめた眉を誤魔化すように、クラウディア様はまた目の間を右手の中指で触った。よく見ると、触っただけでなく、その指がわずかに上に上がっていた。
瞬間、その指の動きがなんなのかを思い出した。
『メガネクイッだ!』
『メガネクイッ』は、メガネをかけている人が、ずれたメガネを直す動作を指す言葉。
クラウディア様はメガネをかけていない。なのに、さっきから『メガネクイッ』を頻繁に行なっている。
「よろしいですか? そもそも、政略結婚とは……」
クラウディア様が、小さい子にも分かるような丁寧な説明を始める。
大きくはないのによく通る声、話し方、『メガネクイッ』の動作に、前世のある人を思い出した。
「くろかわ……先生?」
黒川深月先生。前世で通っていた百目鬼高校で、2年連続で担任だった女性教師。地味な服装とギャルより地味な化粧だけれど、長くて真っ直ぐで艶々の髪は、学校中で評判になるほどきれいだった。
「この婚約は、王家からの申し出で結ばれたものです。国と王家の繁栄のために、必要だと国王様方が判断なさったから結ばれたものを、どうして勝手に破棄できるとお思いになったのですか?」
話しながら、かけてないメガネの位置を何度も直す。
理路整然とした話し方と、話に熱が入るほど増えるメガネの位置を直す回数。
クラウディア様の方がずっと若くてきれいなのに、私には、クラウディア様が黒川先生にしか見えなくなってきて。
「どうしよう。黒川先生にしか見えなくなってきた」
思ったことをそのまま口にしてしまったら、
「そっか! くろっちだ! 誰かに似てるって思ってたんだよねー!」
現世では聞きなれない、だけど、前世日本では聞き馴染みのある言葉遣いが耳に飛び込んできた。勢いよく声のした方に視線を向けると、きれいな緑の瞳とかち合った。
「もしかしてさぁ、あんたも百目鬼高校の生徒?」
ぶっきらぼうな口調よりも、驚くべきことが2つもある。
1つは、前世で在籍していた高校の名前が出てきたこと。そしてもう1つは、それを言ったのが、さっき場所を譲ったライラ・チェンバーク伯爵令嬢だということ。
「えっ? えっ? あの……」
伯爵令嬢らしからぬ言葉遣いと、予想外の質問に、驚きすぎてまともに返事をできないでいる私に、ライラ様はさらなる爆弾を投下する。
「あたしの前世? てーの? こことは違う日本で生きてた時の記憶があってさ。前世でのあたしの名前は、楽ちなつっていうんだけどさ……」
『クラスメイトの楽さん!』
私の心の声は、言葉にはならなかったけれど、私の心情は正確に届いたようで、楽さんことライラ様は、にっこり笑って言った。
「やっぱり! そうじゃないかと思ったんだー!」
私、黒川先生(まだ確定はしてない)に続いて、クラスメイトの楽さんまでもが同じ前世の記憶を持っている。
「ねえ? 名前なんてーの? 何組だった? もしかして、2年5組だったりする? くろっちが担任の」
「あ、あの……」
なんとか返事をしようと振り絞った私の声を、明るい声が邪魔をした。
「ちなーっ!!」
楽さんと2人で声のした方を見ると、満面の笑顔で大きく手を振りながら、人々の間をぬってやってくるニーナ・ラドクリフ伯爵令嬢の姿があった。
「は? 何あれ?」
楽さんが、嫌そうに顔をしかめて言う。その冷たい声にビビりながら
「さあ? なんでしょうね?」
と、返事をするのが精一杯。
『本当に、なんなのだろう?』
ニーナ様といえば、上位貴族然として傲慢で、私たち下位貴族に向ける視線は、いつも冷たく蔑むよう。さらには、どんな時でも冷静で、つんと澄ました顔以外、見せることのない氷の令嬢と呼ばれるほどの人が、なぜか、満面の笑顔でこちらに近付いてくるのだ。
しかも、私の隣にいるのは、ラドクリフ家といがみ合っているとか、憎み合ってるとか言われるチェンバーク伯爵家のご令嬢ライラ様。2人は同じ3年生だし、多少の交流はあるだろうけれど、決して仲は良くないとの噂がある。水と油とか、混ぜるな危険な仲だとか?
ちなみに、ニーナ様が私に駆け寄ってきている可能性は皆無だと思う。だって、取るに足らない下位貴族の下級生なんて、存在そのものを認知していないだろうから。
戸惑う私とライラ様をよそに、ニーナ様はライラ様の目の前に立つと、ライラ様の肩をばしばし叩きながら言った。
「あんた、ちなだったの? さっさと教えなさいよね!」
「はあ? 何よあんた? 失礼でしょ!」
肩を叩かれた痛さのせいか、ニーナ様の失礼な態度なせいか、ライラ様は『ちな』と呼ばれたことに気付いていない。
ライラ様は、ニーナ様の手を払いのけると、鋭く睨みつける。
ライラ様の怒りの形相に気付いてないのか気にしてないのか、ニーナ様は、ペロリと舌を出し、頭をこつんと叩いて言った。
「ごめーん。名前、言ってなかったねー」
『ひええええー!』
かわいい仕草のはずなのに、いつもの凛とした雰囲気と違い過ぎて、ライラ様とは違った意味で怖くて叫びそうになるのを寸前で耐えた。
「あんたの名前? 知ってるに決まって……」
「そっちじゃなくて、前世の名前!」
怒気を含んだライラ様の言葉を、笑いながらニーナ様が遮る。前世と言う言葉を聞き、その意味を理解すると、ライラ様の顔が見る見る変化していく。怒りから驚き、そして……
「えっ! もしかして、あんたも……」
「あたし、もあだよ! 新見もあ!」
満面の笑顔に。
「もあ! あんた、もあだったの!? マジで!?」
「マジマジー! おひさ……な訳ないけどさー、なんか、すっごい久しぶりに会った気がするー!」
「するするー! だってさ、今世じゃあたしら敵同士じゃん?」
「ちょっと違くない? 親同士が仲悪いだけでー、あたしらは敵でもなんでもなくない?」
「たしかにー!」
『新見さん!? またしても、前世のクラスメイト!? これで(推定)4人? こんなに集まるなんてこと、ある?』
結論から言うと、4人どころじゃなかった。




