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2話

「遠藤さん、どうかした?」


「なっ、なんでもないです!」


 黒川先生が、声をかけてくれた。考えながら、じっと見てしまったのかもしれないと慌てて視線を小説に戻す。


「遠藤さんは大丈夫?」


 声をかけられて顔を上げると、いつの間にか、黒川先生が隣に座っていた。


「えっ? いえ、大丈夫ですけど……なんで、ですか?」


「遠藤さんって、昔から我慢するところがあったからね。何か困ってることはないか、気になっちゃったの」


 そう言って、黒川先生は私の目を覗き込む。吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられ、心臓が高鳴った。同時に、息が止まりそうになる。


「本当に、大丈夫です! ご心配をおかけしてすみません!」


「謝ることなんてないのよ」


 口元に手を当ててくすくすと笑う姿は、さすがは公爵令嬢と思わせる貴賓と美しさだ。


「私ね、普段は大人しいのに、いざという時にきちんと行動できる遠藤さんは、すごく偉いと思っているのよ」


「いえいえいえ! 私なんて、何も……」


「松田さん……マリアちゃんが追い詰められていた時、どうやって事態の収集を測ればいいか、分からなかったの。彼女、どう見ても、アルフレッド様の言葉に困惑してる様子だったからね」


 今世でも、先生は先生なんだと思わせてくれる言葉だった。生徒全員に目を配り、小さな変化を見逃さず声をかけてくれる。本当に、良い先生だ。



「でも、遠藤さんが声を上げてくれたおかげで、マリアちゃんも私の大事な生徒だと分かって、行動に移すことができたのよ。あなたの勇気ある行動に、感謝しているわ。本当にありがとう」


「ふゎっ! あわわっ!!」


 手を握って感謝の言葉を告げられ、びっくりして変な声が出た。

 頭では、この美しい公爵令嬢が黒川先生だと分かってる。でも、至近距離に迫る美しいご尊顔には、前世の記憶どころか、今世の記憶まで飛んでしまいそうになる迫力がある。


「あの、そんな……滅相もありません。私なんかが、恐れ多くも……」


「らいむちゃーん! 黒川先生と、何話してんのー?」


「ぅわわっ!」


 突然、らんちゃんにバックハグされ、また、変な声が出た。


「黒川先生見てください! これ、楽さんと新見さんがやってくれたんです!」


 私の肩越しに突き出された両手の爪には、艶やかなピンク色のネイルが塗られていた。


「あら、きれいな色ね」


「きれいっしょ?」


 黒川先生の言葉に返事をしたのは、なぜか楽さん。


「そのくらいの色なら、塗っても大丈夫? 誰も文句出ない?」


 続いて新見さん。


「そうね。自然な色合いで派手さがないから、問題ないでしょう。先生によっては、気付かないかもね」


 黒川先生が、立ち上がりつつ返事をすると、空いた席にらんちゃんが座る。

 らんちゃんと入れ替わる形でみんなの元に行った黒川先生に、みんなは次々と声をかける。


「くろっち。赤系以外のネイルも試してみたいんだけど、まだ早い? 青系はまずい?」


「黒川先生。食堂のメニューにさ、ジャンクっぽいのも入れたいんだけど……」


「黒川先生! ダンス以外の運動する場所が欲しいです! 走りたい!」


「ヒップホップダンスしたい! ヒップホップの良さを、こっちの世界に広めたい!」


 最近は、集まる度にこんな感じになる。前世日本でやっていたことを現世で再現したいという思いが禁止されるほど強くなっているようで、愚痴を言い合うだけではすまなくなっている。

 みんなの勝手な要望に、黒川先生は順番に答えてくれる。


「今は、薄い色で我慢して。学園の品位に関わることだから、奇抜な色は、どうしても見過ごせないわ」


「ジャンクっぽいメニューの具体例を。手づかみで食べるなど、マナー的にアウトな物でなかったら、交渉の余地があるわ」


「ダンスのための体力作り、体幹作りについて、学園長に相談しています。まずは、室内でやる軽い運動から。ランニングなどの外での活動は、もう少し待ってね」


「前世のダンスも、外国のダンスと同じ扱いで、貴族令嬢が踊るものとして広めるのは、なかなか難しいわね。現時点では、プロの踊り子に覚えてもらって、そこから広めることくらいしか、思いつかないわ。もう少し、考える時間をちょうだい」



 みんなの勝手とも言える要望に対し、丁寧に答える黒川先生を『すごいなー』と思いながら見ていると、隣から鈴が転がるような声がした。


「黒川先生って、すごいよね」


「わっ! らんちゃん」


「なに? まだ、慣れない?」


「あ……うん。まだ、ちょっと……」


 超絶美少女は、顔だけでなく、声まで美しい上に、聞き取りやすい速さで話してくれる。頭では分かっていても、これが、前世の親友と同じ人間とは到底思えない。


「むー……」


 ぷっくり頬を膨らませて拗ねる顔が、またかわいい。前世のらんちゃんは、そんなかわいい顔して拗ねなかった。


「じゃあ、あたしららしい話しよ」


 そう言って、かわいくウインクをしてくる。私まで攻略する気かと、心持ち構えていると、らんちゃんは予想外のことを話し出した。


「らいむちゃんは、この世界のこと、どう思う?」


「どうって……乙女ゲームとかそういう感じの世界だって、言ってたじゃない」


 そういう話は、前もした。その時にらんちゃんは


「ざまぁ返しされたら家は没落して、一家離散になって、あたしは良くて修道院行き、最悪、処刑されるんだって思って、めっちゃ怖かったー!」


 と言って、泣いていた。ゲームのバッドエンドの容赦のなさに、震えたのを覚えてる。


「ポジション的に、あたしがヒロインなのは間違いないと思うのよね。問題は、あの舞踏会で、ヒロインのあたしも、悪役令嬢の黒川先生も破滅しなかったこと。もっと言うなら、アルフレッド様でさえ、大した罪にならなかった」


 大勢の前で醜態を晒しただけで、廃嫡も婚約解消もない。叱られて終わりって感じだから、現実ってこんなもんなんだろうなと、拍子抜けしたと同時に安心もした。

 あの婚約破棄の後、どんな変化が起きるのかと少し怖かったのだ。国が大きく傾くとか、内乱が起きるとか、国が滅びるとか。そうなってしまったら、しがないモブ令嬢の私も、他人事ではいられない。


「まあね。でも、現実ってこんなもんじゃない? 証拠もない罪で、貴族令嬢を断罪できないでしょ?」


「断罪とかじゃなくてさー、この世界が何をするための世界なのかなーって、ずっと考えてたのよね」


 それについては、私も考えてた。あの舞踏会が終わりではなく、始まりの物語。

 私が思うのは、市井育ちのヒロインマリアが、多数の令嬢たちに愛され、愛でられ、幸せになる百合系ハーレム世界なんじゃないかと。

 そんなことは、ヒロインに生まれ変わったらんちゃんにはとても言えないなと思っていたら、らんちゃんは、全く違うことを思っていた。


「あたしね、黒川先生が主役の世界なんだと思うんだよね!」


「えっ? 黒川先生?」


「しっ! らいむちゃん、声大きい!」


「あ! ごめん」


 謝ってから、ちらりと黒川先生たちを見る。みんなは黒川先生の髪を触りながらおしゃべりに夢中で、さっきの声は聞こえていなかったようだ。


「なんで、黒川先生なの?」


「らいむちゃん、知らないの? 黒川先生の躍進ぶり」


「は? 躍進?」


 らんちゃん曰く、あの舞踏会以来、学園は大きく変わってきているという。

 あの舞踏会で、黒川先生ことクラウディア様が女性の権利を宣言したことで(実際には、前世を思い出したからだろうけど)大人しくて従順だった女子生徒が、自己主張を始めたせいでのトラブルが、あちこちで多発した。

 日頃から婚約者を蔑ろにしたり、態度が悪い男子生徒に、婚約者の女生徒が黒川先生ことクラウディア様の宣言を盾に、反抗するようになったと言う。

 今まで従順だった婚約者に反抗された男子生徒は、当然、面白くない。『生意気だ』『口答えをするな』との暴言、さらには手をあげようとしたという。

 そんな場面に遭遇した女子生徒(転生令嬢)たちが、その男子生徒に猛抗議すると『関係のない奴が、口出してくるな!』と、抗議した女子生徒にまで恫喝する始末。

 そこまで事態が大きくなったところで、先生ことクラウディア様が登場。その男子生徒は謹慎処分になった。


「それでね、ここからが面白いのよ」


 と、らんちゃんは、見惚れるほどの美しい笑顔を作って話し続けた。


「婚約者との関係に口を出した上に、自分だけ処分されたことに腹を立てた男子生徒がモートン家に抗議文を送り付けたら、王家からその男子生徒の家に、厳重注意の手紙が返ってきたの!」


「えっ? 黒川先生に文句言ったら、王家に睨まれたの? 黒川先生、スゴ過ぎるんだけど!」

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