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◯
「……それ、私に聞くより弟君さまに聞いたほうが良かったんじゃないかな」
ラエティは困ったようにそう言った。
「弟君……、ってキナさんのことですか?」
「わお、君って怖いもの知らずだね。我らが『神』の弟さまを、軽々しく名前で呼んじゃうなんて」
「『神』の弟?」
「そう、——『演劇』の神の最初の信者にして、血を分けた兄弟、それがキナさま、弟君さまだよ」
「…………え」
嘘だと思った。
そんなわけがないとしか思えなかった。
だけど、ラエティにはそんなことをする理由がない。嘘をつくわけがない。
僕はキナが去っていった道のりを眺める。そこにはもう誰も居ない。言葉は届かない。だけど僕は、確かにそこに居た彼を、捉えようと努力することをやめられなかった。
呆然としながら、僕はまた口を開く。
「それなら……弟の彼も、『神』なんですか?」
「ううん、弟君さまは『神』じゃないよ。そこが贋物の『神』の話の大事なところなの」
ラエティはわざとらしく咳払いをした。
「——弟君さまは、人が造った『贋物』の神、その基になった人間なんだよ」
「基に?」
「ほら、弟君さまって団長、『演劇』の神と双子みたいに見た目が似てるでしょ? それは弟君さまをモデルに『神』のカタチが造られてるからなんだ」
——似て、いる……。
思い出しても、僕はその言葉に納得することができない。キナさんの顔はいつもマントで隠れていた。
「『贋物』の神を造ったのは、キナさまのお父さまなんだよ。彼は自分の息子に似せた人形を、自分の命と引き換えに、『神』に変えた。そうして産まれたのが『演劇』の神——そして、『神』が産まれたことによって、人間では無くなってしまったのが、キナさま」
——「神」を造った人間の息子、人間ではなくなってしまった人間。
「『神』を造る過程で、キナさまと『神』の一部が同化した、らしいの。私も正直よくわかんないんだけど、弟君さま、『神』と一緒に数百年生きてるんだ。だから、きっと本当なんだと思う。完全な『神』ではないけれど、絶対に人間ではない。キナさまは『神』の兄を持つ『神』ではない弟なんだよ」
「——……『神』でも、人でもない存在」
「そう! そんな感じ。君、上手いこと言うね」
「——世界が終焉を迎えるとき、神でも人でもないものがその窮地を救い。神は、その力の意味をなくすだろう」
「予言」によると、世界を救うらしい「神」でも人でもない存在。僕以外の、僕のような生き物。
キナさんを思い出す。大きなマントを羽織った、その姿を。僕と同じ、「神」のような生き物であるはずだ。だけど、記憶の中の彼はまったくそんな風に見えなかった。僕とは、まるで違う生き物で、彼は別物でしかない。なぜか、そうとしか思えなかった。
「あたし達、そんなに凄い方に、案内されてたんだ……」
イヴがようやく口を開いた。驚愕したような声だった。
「そう。だから、私もびっくりしたのよ」
「あの、その話って、どこで知りましたか?」
僕はラエティにそう問いかける。
「十年くらい前の公演で聞いたんだよ。実は、少し記憶が朧げでさ……。さっきも言ったけど詳しく知りたいなら、弟君さまに聞いたほうがいいかも、なんてったって当事者だし」
十年前。また十年前だ。オルカさんも、カインも、ラエティも、揃って十年前に言及している。この「神」の話は、今では語られる機会がなく、十年くらい前に聞いたと全員が言っていた。これだけの人が覚えてるくらい何度も繰り返されていたはずの話がぱったりと途絶えたその理由は何なのだろう。
——「神」は、何を…………。
「ご機嫌麗しゅう。イヴ、会いに来たよ。ボクが」
その声で、僕の思考は切断された。
振り返ると、そこに「神」がいた。涼しげな表情で、変わらぬ服で、光る黒い目をたたえて、そこに立っている。
「えっ、団長⁈ お、お久しぶりです!」
「ああ、ラエティ。久しぶり、夜公演、観たよ」
「あ、ありがとうございます!」
「間の取り方が上手くなったね。でも、役に入り込みすぎだよ。いいかい? 役者は、客観的な思考を常に持っていないと」
「はい、すみません!」
ラエティが勢いよく頭を下げる。「神」を目の前にしたイヴは、また固まっていた。
「神」が、その視線をこちらに向ける。そう、僕を見た。睨むように、真っ直ぐ。お手本のような笑顔で、唇が弧を描いた。
「イヴ、よく来てくれたね」
「……はい。貴方に言われたので」
「ああ、そうだった。君に話したいことがあると言ったのを覚えてるかい? ——さぁ、ついて来てくれ」
「神」は返事も聞かないまま、背を向けて歩き始めた。
何故か、僕は無性に腹がたった。彼はまた、イヴに目もくれなかった。ラエティと話しているときだって、どこかこちらを、僕を気にしているようだった。どうしてか、その態度が気に入らなかった。
その目が、気に入らなかった。
だから、僕は言った。
「——『演劇』の神、貴方は十年間、何を隠してるんですか?」
「神」が振り返る。息を呑む音が聞こえた。
その手が僕の胸ぐらにのびる。首ごと掴もうとせんばかりの勢いで伸ばされたそれは、僕に触れる前に止まった。その手で宙を掴むように握られた拳は、小刻みに震えていた。
その様子を、蔑ろにされた彼女たちがじっと見ている。僕もただ見つめてた。
「…………行こうか」
絞り出すように「神」はそう言って、また背を向けて進んで行く。
「……あたし、ここで待ってるから」
イヴはそう言った。その言葉にうなづいて、僕もようやく「神」の後を追いかける。
二人分の揃わぬ足音が、耳障りに響きわたった。
案内された小さな部屋、その中には二脚の椅子が向かいあうように並べられていた。まるで、僕らが初めて対峙したときのようだと僕は思った。
「神」は奥にある椅子に腰掛けて、美しい笑顔を浮かべた。作り物のような、完璧な笑顔を。
僕も座るよう促されたけれど、首を振って断り、立ったまま彼と見つめあう。その黒い目が眩いくらい光った。
「それで? 話って何ですか? 僕の質問に、答えてくれるんですか?」
「神」はその笑顔を崩さない。少しも表情を変えぬまま、目を伏せた。
「——君はきっと、この国にいるべきじゃないよ」
全ての質問を無視して、彼ははっきりとそう言った。その声は、少し震えているような気がした。
「どこか、旅にでも出たらどうだい? 『永遠』の国なんて、いいと思うよ。『生誕の森』について知りたいなら、あそこが一番いいからね」
「……質問に答えてください。何を隠しているんですか?」
「——君がそれを知って何になるんだ?」
すっと、その顔から笑顔が消えた。
「いいかい? これは、提案じゃない。ボクらのためにも、そうするべきなんだ」
「貴方ひとりのためでしょう」
「いいや、君の旅にかかる費用はボクが負担する。幾らだって構わないよ。その金で君の彼女の旅に同行したっていい。ずっと、一緒にいられるよ。ほら、君にとっても十分なメリットがあるだろう?」
——イヴのことを言っている。
「……余計なお世話です」
吐き出した声に、歯軋りが混ざった。そこまで調べられていたこと、調べた上で「神」がイヴを無視したことに対する怒りが腹の底に渦巻いている。
「本当にそうかな」
「その秘密には僕が邪魔ですか? そんなにそれは大事ですか」
勢いのまま、僕は言った。カマをかけるような、そんな気持ちだった。
「……君ももう、だいぶ察しているんだろう。いいか、この秘密を守ることは、この世の何より大事なことだ。部外者の君にめちゃくちゃにされるわけにはいかない。『ボク』の目の色は、永遠に琥珀色でなければならないんだ」
——だから、君はここに居たらいけないんだよ。
彼の黒い瞳が、僕を睨んだ。
「……僕に、世界を救うことを押し付けておいて、そんなことを言うんですか?」
「ああ」
「貴方が勝手に大事にしているだけじゃないんですか?」
「——そうだよ。これは個人の問題だ。でも、この個人の問題のためなら、なんだってする。その覚悟があるんだ」
「……そんなこと言われても、僕にだって、」
「? ああ、なるほどね。大丈夫だ」
すう、と「神」は息を吸った。
「——『舞台の幕が下りるとき、奴隷となった龍は、ひとつの魂と引き換えに自由を手にする。そして、人でも神でもないものと、神により、国は久方ぶりの平穏を得るだろう』」
そう言って、彼はにこりと笑った。カインが言ったこの国の「予言」を、寸分違わず口にした。
僕は、驚きで何も言えない。
「この『予言』は、君がいなくても果たせる。安心してくれていい」
「な、何で、知って……」
——「神々」は、たった一つの「予言」しか知らない。他に「予言」があることを、予想だにしていないだろう。
そうカインが言っていたというのに、当たり前のように、彼は「予言」を口にした。平然とした顔で、言葉を続ける。
「『予言』の神とは、友達だったんだよ」
彼は少し遠い目をした。どこか懐かしむような。
「もう昔の話さ。大丈夫、『予言』は果たす。君が居なくても、果たされる。絶対に」
「…………」
——友達だったのに、殺したのか。
その性根に、身の毛がよだつ。他の「神」と協力して、友達を殺して、彼はのうのうと生きているのだ。
——さて、
と「神」は立ち上がった。
「これで君に心残りはないね。だって、この国の『予言』に君は関係ないんだから。君が果たすべきは最後の『予言』、世界を救うことだけだ。この国に、もう用はなくなった」
ぱちん、とその手を打ち鳴らす。
「全部、解決したね! おめでとう。君は可愛い彼女と旅に出て、あらゆる国を、予算の心配なしに楽しめばいいのさ! どれだけ遠い道のりでも、資金さえあれば快適だろうね。本物の『神』の国へ行ってしまうといい!」
僕の手に、「神」は大きな袋を載せた。ずしりと思いそれは、僕の手に沿って形を変える。なかから、固いもの同士がぶつかる音がした。
——きっと硬貨だ。
「足りなければ、幾らでも追加するよ」
そう言った彼の顔は、笑顔だったけれど、どこか追い詰められているようにも見えた。
「…………僕は、」
「君が、はい、と言うまでやめないから」
光るその黒い目で、僕を睨む。僕は震える手をぎゅっと握った。
ちりちりと、胸の奥で音が鳴っている。怒りだ。勝手な「神」に、僕はずっと怒っているのだ。
意を決して、口を開く。
「……僕は、知りたいだけだ。どうして、贋物の『神』の話を十年も語らなかったんですか? 人でも、『神』でもないあなたの弟がいるんでしょう? 何でそれを僕に言わなかったんですか? 彼がいるのに、僕以外にも救世主かもしれない存在が居たのに、なんで僕に世界を救わせようとするんですか? あなたの目の色が黒に見えたら駄目な理由は何ですか? ……あなたの、あなたの目的は何なんですか!」
ただの好奇心と、ないまぜになった義務感で、僕はここまで来たのだ。「神」は何も開示してくれないから、自分で知るしかないと思ったから、ここまで探したのだ。なのに、ここまで来たのに、勝手な都合で、見られたら困るから、他の場所へ行けなんて言われても納得出来るわけがない。しかも、あたかも両方に利のある提案かのように、自分の意思を押し通そうとしてくる彼の話を、どうやって素直に聞けばいいというのだろう。
「教えてくださいよ。説明不足で、何もわからない。ずっと、どうすればいいのかわからないまま彷徨ってる身にもなってくださいよ!」
「はは、君の気持ちは痛いほどわかるよ」
そう言って、彼は手で頭を覆う。
「——何がわかるっていうんだ!」
感情に任せて、僕は叫んだ。目の前の、彼の瞳が揺れる。小さな口をきゅっと結んで、眉を寄せた。そのまなざしは、見た目にそぐわぬ落ち着きと深い失望、長い諦めをたたえている。今にも泣き出しそうな、あの、迷子の子どものような顔だった。
「………………何も……」
彼は小さく、消え入りそうな声でそう言って、俯いた。
彼は深呼吸をした。その顔から、表情が消える。目が、黒く光った。彼は、じっと僕を見る。
「——出ていけ、この国から」
真っ直ぐ、はっきりそう言って、「神」は部屋を出て行った。
一度だって、振り返らずに。




