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 イヴが城の中へと続く大きな扉を指差した。

「あの扉の奥に、ステンドグラスがあるんだよ。『神』に寄付されたものなんだって」

「寄付って、国民が?」

「うん。『神』への感謝を示して、ガラス職人にお金を出しあって依頼したらしいよ」

「イヴは何でも知ってるね」

「前に来たとき、説明を隅々まで読んだから、覚えてるんだ」


 そう言えば、龍の封印の前に、立ててあった気がする。あれが説明だったのだろう。僕は数字しか読めないから、わからなかった。そうか、イヴは字が読めるのか。


「この時間なら、貸し切り状態で……わっ」

 風が吹いた。頬を叩くような、いっとう強い風だった。反射的に目を庇う。イヴは、舞い上がるスカートを手で押さえていた。


 水色の髪が、眼前でばらばらに揺れた。美しい、小さな髪飾りたちが、その髪にしがみつき、離れまいとしている。しかし、毛先まで流れたたった一つが、風と手を取り合うように道を転がって行った。


「イヴ、髪飾りが」

 咄嗟に追いかけようとしたけれど、彼女は僕の手を強く握って静止した。

「大丈夫、あたしが取りに行くよ。だから、先に入って待ってて」

「それなら、僕も」

「ううん、あたしの髪飾りだから。でも、ありがとう」

 そう言って、すぐ駆けて行ってしまった。


 僕は離れていく背中を数秒眺めて、扉に手をかける。体重をかけて、ぐっと引くと鈍い音とともに開いた。薄暗い空間の奥に、壁を覆い尽くすステンドグラスがあった。小さな隙間に体を滑り込ませて、僕はそれを見上げる。


 堂々と立ち、親民を見下ろす「神」がそこにいた。手のひらに機械を持ち、こちらに差し出しているのだろうか。優しげな表情をしていた。


「……あんまり、似てないな」

 こぼした言葉が、響く。

 色ガラスで作られた「神」の印象は、あまりに不透明だ。男だか、女だか、少年だか、大人だか。よくわからない生き物がそこにいる。それはあの「神」と同じだ。でも、平面の「神」は存在すら危ういような、存在していないような、そんな雰囲気を纏っていた。


 目の前にいた「神」は、よくわからない人だったけど、異常なくらい存在していた。あまりある存在感だった。誰もが釘づけになるくらい。夢中になってしまうくらい。


 がらんとした空間に、僕は一人だ。劇場は満員を超えていたのに、この城には僕以外誰もいない。

「……変なの」


 踵を返して、外で待つことにした。僕だけで見ても、何にもならない。

 そう思った瞬間、

「——っ、————!」

 遠くのほうから、声が聞こえた。がんがんと、何かを叩く音もする。外じゃない。上、天井のほうからだ。


 一歩進むたび、激しさを増していくそれが無性に気になった。一度、扉に手をかけたけれど、少し迷ってから、僕はその手を放す。上に向かう階段は、すぐに見つかった。


 螺旋階段をひと回り。その先に、二つの部屋があった。何かが聞こえてくるほうのドアノブを、僕は恐る恐る引いた。部屋の明かりが少し漏れて、声が聞こえくる。


 それは「神」の声だった。

「——駄目だ、駄目だ、駄目だこんなんじゃ‼︎」


 ガンッ、と彼は机を叩く。二、三度、続けた。

「っ、どうしたら……、もう、間に合わない…………」


 泣いているのだろうか。声が揺れている。堂々とした舞台での姿は、どうしてしまったのだろう。ヒステリックに蹲る姿は、まるで……。


「っ、誰だ!」

 その言葉とともに、ドアが勢いよく開かれた。「神」は青白い顔ををして、額に脂汗を浮かべている。想像していたより、酷い様子に僕は閉口してしまい、何も言えず突っ立っていた。目の前の彼の唇と瞼が、痙攣するように動いた。息を短く吐いて、こちらを見上げているその顔は、まるで迷子の子どものようだった。


「あ、あは、はは。き、君か……、どうしたんだい? こんなところで」

 その目だけが、変わらず真っ黒に輝いて、あまりに不釣り合いだった。


「えっと、声が、聞こえたから」

「え? 声? あ……そうか…………」

 そう言って、彼は右手を頬に沿わせる。

「……ボクの目、黒く見えるんだもんね。君は」

「? はい」

「あは、ごめんね。うるさくして」


 にっこり、口角が上がった。お手本のような、笑顔だった。舞台で観たみたいな、「神」の笑顔。さっきとあまりに違う様子に、僕はたじろぐ。

「あの、大丈夫なんですか? 顔色、ずっと悪いですけど」

「……ずっと、か。そうかもね」

 そう言いながら、彼は俯いた。笑ったままで、その表情はまったく動いていない。


 不思議と、あれだけ恐ろしく、そして得体が知れないと思っていた光る黒い目が、少しも怖くなかった。ようやく、目の前の存在が掴めたような、そんな気がしたせいだろう。


 ——なんだ。普通じゃないか。

 不敬かもしれない。でも僕はそう思った。素晴らしき「神」として振る舞っていない彼は、まったく怖くないのだ。


「誰か、呼びましょうか? キナ? さんとか」

「っ、やめ、いや、大丈夫! 大丈夫だから、『ボク』は……」

 ふらついた足取りで、彼は二、三歩下がる。僕が支えようと近づくと、手で静止された。拒絶、のほうが正しいかもしれない。


「ごめん、ちょっと、ひとりにしてくれないかな。次、会ったとき話そう。お願いだから……」

 その顔に合わない弱々しい声だった。なぜかそれが哀れに思えて、僕はドアを閉めようと手を伸ばした。


「イヴ、——また公演、観にきてね」

 隙間がなくなるその瞬間、つけ足すように「神」が言った。ガチャ、という音により空間が分断され、その存在はもう見えない。


 余韻も残さず、僕は螺旋階段を降り始めた。何もなかったかのように。誰にも会わなかったみたいに。多分僕は、驚くほど平然とした顔をしているのだろう。


 自分の足音を聞きながら、「神」の最後の言葉を思い出す。社交辞令のような、親しみを感じる台詞を。前も、似たようなことを言われた。いつでも、公演を観に来てくれ。そう言った彼の表情まで、ありありと思い出せる。


 でも、何故だろう。あのときと、まったく違うような。似た言葉でも、何もかもが異なっているような。

 なんというか、さっきの言葉は、

「…………二度と来るなって、言われた気がしたな」


 誰にも届かない僕の声は、よく響いた。

 



 

 僕がステンドグラスの前に戻ってすぐ、イヴが入ってきた。髪飾りがなかなか見つからなかったらしく、長い間待たせてごめん、と謝られた。大丈夫、と言いながら、僕は、そんなに時間が経っていのか、と胸の内で驚いていた。


 そういえば、西陽が眩しいくらい差している。そうだ。もう夕方なのだ。暗い空間に落ちるガラスの影が、さっきより確実にはっきりしていた。


 イヴが、わぁ、と歓声を挙げる。

「この時間だと、すごく綺麗に見えるね」

 ——見て、「神」の目。琥珀みたい。

 そう言いながら、彼女は僕に笑いかけた。僕も笑い返して、会話を続ける。


「琥珀って何?」

「あ、知らない? 木の樹脂が固まってできる石のことだよ。紅茶みたいな色の綺麗な宝石」

 ステンドグラスを見る。確かに、そこにいる「神」の目は、陽に照らされ、紅茶色に輝いていた。そうだ。この目のせいだ。このせいで、僕は本物の彼と似てないと思ったのだと、今わかった。


 ——ガラスで、あの漆黒の目を再現することは難しかったのかな。

 露わになっている「神」の両目は、さっき見た「神」の右目と、あまりに似ても似つかない。どれだけ美しくとも、あの「神」ではないのだ。


 嘘くさい「神」の穏やかな表情を、僕がただ眺めているとイヴがぽつりと言った。

「すごいね。本物そっくり」


「……え?」

 聞き間違いかと思った。あるいは笑えない冗談だと。だけど、イヴの顔は真剣そのもので、本気で言っているのだとわかった。


「それ、どう言うこと?」

 どくどく、と心臓がなった。


「どう言うことって、イヴも見たでしょ? ほら、昨日の夜」

 その鼓動は、困惑か、興奮か、恐怖か。僕に知る術はないけれど、その音だけは紛れもなく現実だった。


「『神』の目、琥珀色に光ってたじゃない」

 彼女は、当たり前のことのようにそう言った。ずっと、そうで、疑いようもないと信じ切っているみたいに。


 ——……ボクの目、黒く見えるんだもんね。君は。

「神」の言葉を思い出す。そうだ。あのとき、彼は心底怯えた顔をしていたじゃないか。何かが露呈するのを、恐れるような。そんな顔を。


 勘違いじゃない。個人の認識の違いだけじゃない。僕だけ「神」の目を黒だと思っている。


 ——ボクの目、何色に見える?

「神」は、それを確かめていたんだ。たかが、色。なのに、彼はわざわざ僕に問うた。聞く必要があった。


 ステンドグラスは、夕陽に照らされて眩い光を放っている。その「神」の目も、本物みたいに輝いていた。そう、本物みたいに。


 ずっとあった「神」に対する違和感。どうしても、信じきれなかったその存在。もしかして、確信はないけれど、ひとつ仮説が浮かんだ。もし、ステンドグラスの「神」が平面を抜け出して、僕の目の前に現れたとして、僕はなんの疑いもなく、彼を「神」だと思うのではないか。その瞳を恐れることなく、敬意を持ってお辞儀するのではないか。琥珀色の目を持つ、優しき「神」がいたのではないか。


 いや、いるのだ。僕以外の人には、あの「神」がそう見えているのだ。だって、あの目が黒く見えているのは、多分、僕だけなのだから。


 最初に公演に行ったとき、彼は気づいた。僕が彼の目を黒いと思っていると。だから、話しかけてきたのではないか。いや、僕が人間でも、「神」でもないと気づいたからだろうか。どちらにしても、彼は僕に聞いた。自分の瞳の色を。


 どうして? その理由は、一つしか思いつかない。不都合だったのだ。目の色が黒だと思われると。

 だって、「神」の目は、琥珀色に光るのだから。


 ——駄目だ、駄目だ、駄目だ!

 さっき見た、彼の姿を思い出す。髪を振り乱して、ひとり叫ぶあの姿を。余裕なんて欠片もない、取り繕ってない、彼の素顔。


 あのとき、僕は確かに思った。そうだ。思ったのだ。あのとき、揺れる声、蹲る姿を見て、別人のような彼を見て、まるで人間みたいだ、と。


 ずっと胸にあった疑問に答えがでた。その答えも、確証のない疑念の段階だ。でも、それはすとんと腑に落ちて、そう思うとそうだとしか考えられなかった。


 漆黒の、琥珀色でない瞳を持つ彼は、ステンドグラスに描かれた「神」とは別者なのではないか。もしかしたら、彼は「神」ではないのではないか。


 ——じゃあ、本物はどこに?

 平面の「神」は、優しげな笑顔のまま、固く押し黙っている。


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