88:萌す転変
ジャディスリィは良い人だ。彼女に保護された帰還者モロ=ヘイヤは、この数日彼女と接した結果、そんな結論を出していた。
命からがら転移して来て、前後不覚な状態で街中をふらふらしていた彼に手を差し伸べてくれたジャディスリィは、治療と共に温かい食事や寝床なんかも提供してくれた。1000日間のバトルロワイヤルで崩壊寸前だった彼の心に、その優しさがどれだけ有り難かった事か。
そうして人心地付いた彼は、彼女自らの口から現在のこの世界を取り巻く状況を伝えられた。ジャディスリィがその渦中の人であるという事や、以前モロ=ヘイヤが纏めていたギルドの残党が彼女に敵対しているという事まで。
(……モロの居ない間に、あいつらに何が有ったんだろう)
聞くに、彼女は不当な弾圧を受けている人外種族の解放の為に闘っているらしい。ジャディスリィは良い人であるだけではなく、自身の正義をその力で以て成し遂げるだけの意志を持つ凄い人だ。
なのにどういうわけか、モロ=ヘイヤの友人が纏めているらしいギルド『モロヘイヤの束』は、彼女の邪魔をしている『新エスポワール』に与しているのだという。何故そんな事をするのだろう。そんな事をするだなんて、まるで悪者ではないか。
(話せば……モロが話せば何か分かる筈、だけど……)
《狭間の道》からの帰還者というのは、それだけで重要な存在である。抱えているその貴重な情報は、どのプレイヤーも欲しがっている物だからだ。
そういう情報を欲している者に彼が誘拐されるのを恐れて、ジャディスリィは彼を軟禁している。メニュー画面の使用は禁止されてしまっているが、その不便を埋め合わせて有り余る程の厚遇であるし、これといった不満は無いのだが。
「……暇だモロ。モロヘイヤ食べたいモロ……」
彼の友人は、まだアスパラを折りながら待っているのだろうか。どうしてジャディスリィの敵に回っているのか。何故彼女の解放運動を邪魔しようとしているのか。
疑問は尽きないが、解決する手段は今は無い。はめ殺しの大きな窓から、眼下に広がる城下町の景色を眺め、モロ=ヘイヤはエルフ耳をへたれさせた。
傷付いた人間というのは、無償の愛というモノに弱い。例え悪印象を抱いていた相手だとしても、深い慈悲の心を示してやればコロッと落ちる。モロ=ヘイヤが順調にこちらに好意的になっているのを感じ、ジャディスリィは上機嫌であった。
対象から外部との接触手段を奪い、思いっきりバイアスのかかった情報のみを与える事で、都合の良い考え方を植え付ける。洗脳の基本の一つだ。
風雲が生き残りに少々吹き込んでいたようだったが、彼女が少し慈母になってみせたら、すぐにそれも打ち消せた。情報も無事に余す所無く手に入れられたし、後は彼の交友関係を利用して新エスポワールの弱体化でもしてやろうか。
別にそんな事をしなくたって、エスポワールがこちらに致命傷を負わせる事は有り得ないのだが、敵に回った者は完膚なきまでに叩きのめさないと気が済まない。彼女の敵となった事を、来世でも後悔し続けるくらいに。
(モロ=ヘイヤは、その為の重要なファクターですね)
モロヘイヤの束を纏めているのは、モロ=ヘイヤの友人である蝶の翅の翼人だ。ギルド名にモロヘイヤの名を使うくらいなのだから、そいつも彼に相当の思い入れが有ると目される。
ずっと帰還を待ち望んでいた人物が、敵の手に堕ちて姿を現した時の絶望は、一体どれ程深いのだろう。彼女の投じた一石がモロヘイヤの束を引き裂くのを想像して、愉悦の笑みを浮かべた。
「けど……手が足りますかね」
机上に並べられた書類群を見下ろしながら、彼女は溜め息を吐く。ナツメグが帰って来ているらしい事も問題だったが、それ以上に彼女を悩ませている事実が有る。プレイヤーの大殺戮が起きるらしい最後の1000秒間まで、後一ヶ月程しか無いのだ。
無為に過ごすには長く、何かを為すには短過ぎる。生き残りのための方策は様々考えているが、彼女は自分が生き延びられる線は薄いと思っていた。これは諦観ではなく、客観的な予想としての悟りである。
相手は『世界樹』とかいう得体の知れない存在だ。異世界と限定的ながらも接続したり、惑星一つをどうこうするだけのスペックを持つ奴なのだから、こちらの想像も及ばない攻撃をしてくる可能性も高い。
生き残れる保証が無いのならば、それだけではなく死んでしまった場合の事も考えた方が良いだろう。その為の布石も、事前に一応打っておいた。それが役に立つだなんて思いもしなかったが。
「……ジャディスリィ様。レニノです」
ノックの音と共に、芯の強い女性の声がした。ゾグシェーノに有ったレジスタンス組織の元リーダーで、現在は前線指揮官の一人であるエルフ・レニノだ。それを聞き、ジャディスリィはぱたぱたと机に駆け寄り席に着く。
「どうぞ、入って良いですよ」
「失礼します」
すると、レニノの姿が執務室の中に入って来た。細いつり目と引き結ばれた口元、そしてぴんと張り詰めた長い耳は、如何にも冷酷そうな雰囲気を醸し出している。パッと見の印象なら、見た目だけは柔和なジャディスリィとは真逆の顔つきだ。
だが中身は、なかなかどうして似通っていた。ジャディスリィ程の強さは無いが、ケヴルーアでは珍しいハイエルフ故の高い魔力と、広域補助魔法の天性の才能、そして磨けば磨いただけ光る頭脳を持っている。
それを見出したジャディスリィは、彼女だけは端末にはせず特別扱いをしていた。いずれそういう者が必要になる日も来るだろう、とゆっくり知識と力を着けさせていたのだが、それがこんなにも早く功を奏する時が訪れるとは。
「それでは、今回の報告を。まず、ウォープ公国のクーデターですが、無事に革命として終結しました。それに伴って──」
レニノの管轄下で起きた出来事やその結果、それらを踏まえてこちらに要求したい事や意見を聞きたい部分等の報告を受けながら、ジャディスリィは引き出しから一つの封筒を取り出した。何も書かれていない白いそれを、静かに机の上に置く。
「──で、以上です」
「はい、ご苦労様でした。それでは以前報せた通りに、暫くは省エネモードで」
「……それ、なのですが」
その命令に、レニノが口を挟む。予想通りだ。朗らかな笑顔のまま、ジャディスリィは次ぐ言葉を待つ。
「一体どういう事なのですか? 突然活動停止だなんて……そうしなければならない程の事情でも?」
「ええ。まだ一部の端末たちにしか伝えてないのですが、あなたには話しておくべきでしょう。実は──」
モロ=ヘイヤから得た情報のうち、約一ヶ月後に“使者”と魔物の大殺戮が起きるらしい、という部分を手短に話す。間違いなく大きな変化が起きるであろうその瞬間を万全の状態で迎える為に、版図を広げるのは一時休止するのだ、と。
「……だから、ケヴルーアの我々の領域を一つの国として統合する、って奴も、保留になったのですね」
「そういう事です。何をするにも、今はタイミングが悪いですからね」
「分かりました。そういう理由が有るのなら、私から言う事は何も有りません」
納得したレニノはぺこりと頭を下げ、さっさと退室しようと踵を返す。それを見たジャディスリィは、慌てて彼女を引き留めた。
「あっ、ちょっと待ってくださいな、レニノさん!」
「な、何ですか?」
驚いたような表情で振り返る彼女に、ジャディスリィは先ほど取り出した封筒を手渡す。やや怪訝げに目を細めながら受け取るレニノに、ジャディスリィは微笑みかける。
「これを。万が一、一ヶ月後にわたしが死んでしまっていたら、開けてください。生きてたら回収しますんで」
「そんな大事な物なら……私より、1とか2とかいう人に託した方が良いのでは?」
「いいえ。他でもない、あなたの為の物ですからね。無くさないようにしてくださいな」
「……分かりました。謹んで受け取ります」
レニノは頷き、何処か恭しげに封筒を懐に仕舞った。そして今度こそ退出してゆく背を見送り、ジャディスリィはぽつりと呟いた。
「……本当は、**になれるかも、って思ってたんですけどね」
自身にすら聞き取れぬ程の小声。こういう利用法をする事も想定してなかったわけではないが、本当の本命は違っていたのに。
彼女の予定を乱した古代人とやらに対する怨嗟を燻らせながら、少女はふわりと浮き上がる。重力に縛られぬ精霊の身体をふよふよと浮遊させて、南東側に設置された両開きの出窓の方に移動した。
眼下に広がるのは城下町の光景。高い陽に照らされた背の低い建物たちと、短い影を引きずりながら行き交う人々を眺める。
「今日も世界は廻っていますねぇ」
これからも、彼女が足を止めてしまっても、例え死んでしまっても、この世界は続くのだ。何だか、自分がちっぽけな存在になってしまったような錯覚がした。
「今の内に、最期の言葉でも考えておきましょうか」
死に際を気の利いた台詞で飾れたら、如何にも偉人っぽいではないか。そんな事を考えながらふわふわと椅子に戻り、彼女は再び手を動かし始めた。
ジャディスリィへの報告を終え、送迎役の“使者”の元へと向かいながら、レニノは懐に収めた無地の封筒の事を意識していた。
相手はこれの中身について言及しなかったが、話の脈からして遺書の類いであると推測出来る。それが分かったからこそ一度は遠慮したのだが、結局受け取らさせられてしまった。
(私が特別扱いされてるのと、関係が有るのだろうか)
彼女とて鈍くはない、寧ろ頭は相当に回る方だと自負している。実際、自身の待遇の異様さに気付き、戦々恐々とそれを受け入れる選択をするくらいには切れる。
基本的に、ジャディスリィたちが転覆させた国家の統治は、彼女に番号で呼ばれる『端末』なる者によって行われる。彼女に忠誠を誓い、彼女にとって利になるよう動く、思考する手足たちだ。
だがレニノには番号は与えられていない。ジャディスリィに対し、心の底から服従を誓った覚えも無い。今は従っているが、相手からの信頼度では一歩劣る筈である。
だのに、彼女は一つの小国を任されている。その上、結構な頻度でジャディスリィと直接面会する機会が有ったり、彼女自身に政のいろはを教え込まれたり等々、挙げれば尽きぬ程特別待遇が出て来る。
(……まさか)
一ヶ月後の事を語った時のジャディスリィの顔には、生き延びたいという渇望と、死んでしまうやもしれないという覚悟が絡み合って浮かんでいた。その後者の心構えから考えるに、もしや彼女はレニノを後継者に据えようとしているのではないか。
そう考えると、これまでの奇行の辻褄が合う。レニノが後継者候補だというならば、他の手下とは一線を画した扱いにも頷ける。
そこに思い至ると、急にキリキリと胃痛がして来た。もしそれが真実だったとして、実際にジャディスリィが死にレニノがトップになってしまったら、場合によってはケヴルーアの大半の統治を彼女が行わねばならないのか。
「無理無理無理無理……」
思わず声に出してしまった。端末たちだけならまだしも、有象無象の民衆どもの上に立つだなんて、想像するだけで胃腸が捻れそうだ。
ジャディスリィの方針への不満は相変わらず存在しているが、自分が彼女の立場に成り代わってまで解消したい程ではない。ほんの一部を除いて彼女は善政を実現してるし、それ以上の治世なんて今のレニノには無理だ。
(いや、あの人が死ぬなんて考えられないし……なるにしてもずっと先の事よ、きっと……)
そう思い直して、どうにか復帰する。あのジャディスリィが死ぬだなんて考えられないではないか。なんやかんやでケロッと生き伸びるに違いない。
ジャディスリィが生き延びたら、また彼女の手下として全力を尽くしつつ、能力を着けよう。いつか彼女を追い越す事が出来たら、その時にまた身の振り方を考え直せば良い。
(結局、ずっと下っ端で居続けそうな気もするけど)
なんだかんだ言って、彼女は今の環境を気に入っているのだ。軽く肩を竦めつつ、レニノは送迎役と合流する。その“使者”の合図と共に、彼女は自らの管轄地へと飛んで行った。




