87:破れた揺籃
何というか、無気力だ。避難所の自室にて、アージェンは枕を抱き締めながらひたすら無為に寝転がっていた。
掃除をしてみても、ソロでの探索をしてみても、仲間たちと話していても、今後の予定について考えてみても、ふとした瞬間に虚しさが襲うのだ。
もう頑張ってもヘイゼルは帰って来ない。どんなに待ってもヘイゼルと話す事は二度と出来ない。──その事実を想起する度、何もかもが無駄だ、という虚無感が鎌首を擡げる。
いつまでもこんな調子でいるわけにはいかない。それは分かっているのだが。
「はぁ……」
時間と共に、音割れするような激情の奔流は鳴りを潜めた。だけれどこの虚しさは、心の中心部を占拠したまま消えてくれない。
とはいえ、酷い時は動く事すら出来ないくらいだったし、かなりマシになった方だ。虚無感に関しても、抑える事は出来ないが握り潰す事は出来るようになって来たし。
(……そろそろ動かねーと)
中々話す気力が湧かず、まだレオロたちとの情報共有すら出来ていない。色々レオロに打ち明けられれば少しは進歩もするだろうし、晴嵐が何か知ってるかもしれないし、やるならちゃっちゃとやらねば。
(──やって何になる?)
ニヒリズムに染まった自分の問いかけが、思考を強制中断させる。そんな事をしたってもう何もかも無駄なのに、と。
(いや、わたしにはまだ残ってるだろ)
大切なものが全て失われたわけではない。その事実を想起して、彼女は自らを奮い立たせる。ヘイゼルを失ってしまったからこそ、これ以上取りこぼさない為に奮闘しなければならないのだ。
寝過ぎて重い身体を引きずるように、彼女は起き上がる。そしてメニューを開き、現在の日時を確認する。
「13日……未明」
三、四日は長かったのか短かかったのか。時差を計算しつつ、手鏡を取り出して跳ね放題の髪を手櫛で撫で付ける。鏡面に映るグロッキーな自分を見て、こりゃ酷い、と苦笑を浮かべた。
仲間たちと合流し、念には念を入れて避難所に連れて来て、ネリネ経由で得た情報を全て打ち明ける。ここ数日無気力だった事も謝罪した上で、この事に関して何か意見は有るかと問いかけた。
「多分、闇雲に対策しても生き残れる事は無いと思う。どんな奴が出て来るか分からないし、やっこさんの言う『魔物』の基準も曖昧だし……」
「アージェンと俺は確定か。フュールと晴嵐は分からんが」
「外の世界から来たモノ、ですか……多分ヒューマンと、この世界で作られたドロイドは大丈夫なんでしょうけど」
「エルフの歴史ってかなり古いんじゃなかったけ?」
「そうですけど、それを言ったら他の種族だって十分古いですし。1000年以上前の事なんて、アルファルドの歴史資料とかに頼らないと分かりませんよ」
流石のフュールでも、古代史については全てを知っているわけではないらしい。ヒューマンより寿命が長く、世代交代が緩やかなエルフたちなら、もっとしっかり伝えていると思ったのだが。
「ふむ。晴嵐、あんたはどう思う?」
その辺りで、先ほどから黙りこくっている晴嵐に話を振る。予想通り、彼は深刻な表情で俯き、小さく肩を震えさせていた。
やはりというべきか、地雷だったか。推定黒幕のジトロ・ユグドラシルがドロイドだった辺りで、大体察しは付いていたが。
(恐らく、晴嵐──つかドロイドは、敵になるんだろな)
この話を聞いて晴嵐が挙動不審になった事で、彼女はそれを確信した。一体どのように敵になるのかまでは分からないが、そもそもドロイドは人造人間であるわけだし、いくらでもやりようは有るのだろう。
「司令官殿、その……」
おずおずと口を開いた晴嵐に、三人分の注目が集まる。すると、彼は黄緑の瞳を閉じて首を横に振った。
「……情報が多過ぎて、整理出来ないのであります。少し、時間が欲しいのであります。一週間、いえ、数日で答を出しますから」
「そうか、分かった。あんまり急かすのは性に合わないんだが、今回ばかりはタイムリミットが明確だからな、頼むよ」
ならば一先ず推理は置いといて、彼の結論を待つ事としよう。最後の1000秒間まで一ヶ月程の余裕は有るのだし。
「で、あれば。アージェンさん、僕をアルファルドに連れて行ってくれますか? 1000年前の事について、何か分かるやもしれませんし」
「良いけど……良いの? フュール、あの国苦手とか言ってなかったっけ」
「アージェンさんの命がかかってるというのにそんな好き嫌いを持ち出す程、僕は恥知らずなハイエルフではありません」
そう言うフュールの表情は凛々しい。元来の整った顔立ちと相まって、とても絵になっている。この様子ならば、安心して任せられるだろう。
「ならわたしからは止める理由は無い。良い報せを期待してるぜ。
ああ、言い忘れてたが、ほとぼりが冷めるまでは冒険とかも中止だ。金なら有るし……って、貨幣経済が存続する保証もねーし、ある程度物資に替えちまおうかな」
「なんだかんだ言ってヒューマンの数は死ぬ程多いんで大丈夫だと思いますが……備え有れば憂い無しって言いますし、兵糧なんかの備蓄は有るに越した事は無いかと」
アージェンとレオロだけなら、吸血と回復魔法で永久機関が実現出来る。だがどんな不慮の事故が起きるか分からないし、その手も打っておくべきだろう。
「ま、今煮詰められるのはこれくらいだわな。それで解散するとして……一旦元の街に戻るで良いな?」
「ああ。籠城をするにしても、荷物を纏める必要が有る」
「僕は、今の宿を引き払ったらすぐアルファルドに行きたいのですが、構いませんか?」
「おうとも。晴嵐もそれで良いかね?」
「一切問題は有りません」
晴嵐も気を取り直したようだし、ここからは個別行動に移ろう。アージェンは声をかけながらメニューを開き、転移先の設定をし始めた。
フュールのアルファルド送りまで終えたアージェンは、神樹の木漏れ日に照らされる首都ヒドレの通りを、ぷらぷらとぶらついていた。転移のクールタイムの終了を待っているのだ。
暇つぶしがてら、彼女はベネトナシュに近づき観察する。心なしか、その枝葉が生き生きとしているような気がした。
(ヘイゼルさんたちの血を吸って)
上手くいかなければ、きっとアージェンも世界樹の肥やしになるのだろう。ナツメグの証言からして、その死が地球への帰還に繋がるとも思えないし。
黒幕側への同情が無いわけではない。人類種の存続の為に死に物狂いだったのだろうし、地球人だって追い詰められれば、異星人の大量虐殺くらい簡単にやってのけるだろう。
だからといって、許す事は有り得ない。相手に哀れまれるべき事情が有ったとしても、奴らがヘイゼルを死に追いやったという事実は変わらない。可能であれば、空の果てまで追いかけてでも捕まえて復讐してやりたかった。
(……いざ地球が滅びに直面したら、その時はどうなるのかね)
ふと、そんな事を思う。非道な手段も辞さず再生の道を探すのか、粛々と天命を受け入れるのか。無意味な空想を繰り広げつつ、懐中時計で現在時刻を確認する。後少しで30分経つ所だった。
「よし」
レオロの通信腕輪を手に取り、スイッチを入れる。変形したそれを耳元に当て十数秒程待つと、相手が通話口に出る音がした。
「もしもし、レオロー、今空いてるー?」
『そろそろだと思っていた。問題無い。俺はどうすれば良い』
「流石は我が恋人殿、お見通しかぁ。うん、ちょっと話を聞いて欲しいんだ。転移で避難所に飛ぶから、準備出来たら言って」
パーティーを組んでいる状態だと、メンバーの内誰かが転移を起動すれば、全員がそれに巻き込まれて同一箇所に飛ぶ。その仕様を利用すれば、多少制限は有るものの遠くに居る者を呼び寄せる事も出来るのだ。
レオロの準備を待つ間、彼女は人目の無い場所を探してそこに入り込む。そしてこそこそとメニューを開き、転移の用意をした。
『……準備出来たぞ。何時でも転移して構わない』
「分かった。じゃ、行くよー」
号令をかけつつ、避難所前に向けて転移する。首尾よくレオロも飛んできたのを確認して、アージェンは通信腕輪のスイッチを切った。
「よっ、レオロ。とりあえず中入ろうか」
「ん。……相変わらず、公私をキッチリ分けるんだな」
「そりゃね。こんな時だ、リーダーが色ボケしてるとか思わせちゃならんだろ」
フュールや晴嵐の前でレオロを引き留めず、一旦別れてから呼び寄せるというまどろっこしい事をしたのは、要らぬ誤解を招かないためだ。既に彼らはアージェンとレオロがそういう関係である事を知っているが、開けっぴろげにするつもりも無いし。
二人連れ立って屋内に入りつつ、今回彼を呼び寄せた目的の方に入る。即ち、不定期的にアージェンを襲う虚無感の解決だ。
「少しくらいなら構わんと思うのだがな……まぁ良い、話とやらを聞かせろ」
「おうとも。でー、えー、さっきの話からは端折ったけど……一緒に、親友の──ヘイゼルさんの死も、報せられたんだ」
黒幕の所為でヘイゼルが死んでしまった事、ここ数日無気力だったのはそのダメージによるものだった事を、包み隠さず話す。レオロもこの事は大体予想していたようで、納得顔で聞いていた。
「あの人が帰らなくなって随分経つし、わたしなりに決着出来てたつもりだったんだけど、実際に死を知らしめられると、こう、クるものが有ってね。
後悔とか、自責の念とか、諦めとか、そういうのが渦巻いて……中々整理出来なくてな。理屈じゃないんだよな、こういうのって……」
今のアージェンにはレオロが居る。何時でも隣で支えてくれる、掛け替えの無い人が居る。そう分かっていても、ヘイゼルの喪失と共に何もかもを無くしてしまったような気がして。
「知った直後よりかはずっとマシになったけど、時間差で、何度も何度も絶望がやって来るんだ。どうにもならないくらいに悲しいんだ……」
少しずつ心の傷は癒えている、その実感は有る。だが時を経れば経る程、次から次へと後悔が湧いて来るのだ。
何故ヘイゼルを何が何でも引き留めなかったのか。少しくらい関係を悪化させてでも、多少強引な手段をとる事になっても、彼女の《狭間の道》行きを阻止すべきだったのに。
「あの時ああしていれば、なんて、考えるだけ虚しいだけなのに。ああ、上手く言えないな……チクショウ……」
これ以上続けようとすると罵詈雑言が出て来そうなので、アージェンは一旦口を噤んだ。頭を冷やす為に深く息を吐き、暫し沈黙を守る。
「……とま、ここまでが悲しみ編。次は嫉妬編ね」
「何だそれ」
ある程度感情の泥を吐き出したら、多少戯けてみせられる程度には楽になった。とはいえ、吐き出したい事はまだまだ有る。
「ジェラシーだよジェラシー。件の情報を持ち帰った奴が妬ましいんだ」
「詳しく」
「言われなくても。そいつにも友人が居てな、そっちはなんやかんやで無事再会を果たせたんだよ。良かったよな。
良かったよ、本当に……けどな、実はそいつがヘイゼルさんに手を下したんだ。だのに、奴はのうのうと親友と二人笑い合ってやがる!!」
バンッ、と手近の机に拳を振り下ろす。この不意打ちにはさしものレオロも驚いたようで、指先を少し震えさせた。
「どうしてだ、どうしてなんだ! ヘイゼルさんは死んだのに、わたしはこんなに悲しいのに、何故奴らには再会が齎された!?
ああそうさ、理不尽だとも。この怒りが理不尽である事くらい承知済だ。だが妬ましい! 妬ましくて仕方が無い……!!」
両拳をギリギリと握りしめながら、自身を苛むもう一つの激情を表す。あくまで被害者に過ぎないナツメグよりも、彼を嵌めてヘイゼルを殺させた黒幕の方に怒りを向けるべきなのだろうが、怨嗟の対象を制御する事は出来なかった。
「……すまん、見苦しい所を見せたな」
「いや。お前の怒りは正当だろう。……俺の前でくらい、取り乱して良いんだ」
結局、怒鳴り散らしてしまった。それさえも受け止め揺るがないレオロを見上げながら、アージェンは暫し沈黙する。
大声を出したお陰で、大分頭は冷えた。少々の自己嫌悪に眉尻を下げつつ、彼女は今一度笑顔を作って言う。
「ま、そんなわけで……悲しみと憎しみシェイクでわたしの頭がジェラシー、って状態なのね。それを言いたかっただけ」
「言うだけで良いのか」
「正味、どうしようも無いからね。死人は蘇らないし、今幸せな人を不幸に突き落とすのも趣味じゃない」
ただ、辛いのや苦しいのを認知してもらうので十分だ。解決しようのない問題にぶちあたった時の苦痛を外部に吐き出せるというのは、それだけで救いである。
「つーわけで、ありがとよ。大分楽になった」
「……それほどでもない」
そうやって自分の心情を他人に説明しているうちに、自ずと気持ちの整理が出来てきた。壁に向かって話すのとはやはり違う。
「あ、そうだ。もう一つ」
「何だ」
ふと思い出したように声を上げる。正直に疑問符を浮かべるレオロに、アージェンは思いっきり抱き着いた。相手を押し倒す勢いで飛びついたのだが、彼は難なく受け止めた。
「何」
「むっしょーに人肌恋しいんだ。少しの間こうさせて……」
「……そうか」
悲しみや妬みではない、ヘイゼルの死によるもう一つの感情──寂しさ。掛け替えの無い友を永遠に失ってしまった、二度と話せなくなってしまった寂寞。その空隙を癒す為に、彼女はレオロの背に回した腕に力を込める。
(もしかしたら)
万が一、最後の1000秒間でアージェンがしくじったら、彼さえも居なくなってしまうやもしれない。それが本当に怖い。
今回の敵はプレイヤーすらも本当に殺し得る相手だ。だが本物のゲームオーバーを眼前に突きつけられても尚、彼女は自分の死よりレオロの喪失の方が恐ろしかった。
(そんな未来は除いてみせる)
最悪、レオロだけでも生き延びさせてやる。どんな手段を用いてでも。そう強く決意しながら、彼女は自らの右手を見た。
「レオロ……」
何も守れずに自分だけ生き延びるくらいなら、死を選ぶ。文字通りの決死の覚悟を胸に、アージェンは彼の名を口にした。




