86:手と手とてとてとテとテと
シャノワールは頭を抱えていた。その悩みの種は、先日保護した《狭間の道》からの帰還者だ。
命からがらといった様子だったそいつを保護し、治療を施して、情報を聞き出せたのは良かった。だが得られた情報と、他でもない帰還者自身が良くなかった。
(ヘイゼルさんが死んでーの、ログアウトの手掛かりは掴めずじまいーの、なんかヤバそうなのが一月くらい後に有るらしーの……こんなの、知りたくなかったわ)
絶望的な現状をこれでもかと突きつけられるくらいなら、不確かな希望に縋り続ける方が良かった。帰還者は大々的に新エスポワールのメンバーにそれを発表したものだから、士気もダダ下がりでジャディスリィへの反抗もまともに出来ないレベルになってしまった。
実際、シャノワールのモチベーションも地の底に落ちている。もう何もかも諦めてしまった方が幸せなんじゃないか、とさえ思い始めている。大組織を纏め上げるのは想像以上の難行で、同時に苦行でもあったから。
だがここで投げ出しては、彼女を信じて付いてきてくれた人たちに立つ瀬が無い。以前候補として上げたギルドのうち、国境無き使者団以外は皆協力してくれたのだ。その嘱託には応じなければ示しがつかない。
(でもなぁ……もっと色々巻き込んで倒れる前に、今の内に……いや、けれど……)
思考を堂々巡りさせながら、首都の郊外に沢山の天幕が並べて作った拠点を歩き回る。ついさっきジャディスリィ側の反乱を鎮圧させて来たばかりだから、怪我人やらヒーラーやらでそれなりに賑わっていた。
ジャディスリィの手先との戦いは、これまでも幾度となく繰り返されてきた。時には鎮圧に成功し、時には撤退を余儀なくされたりしながら、新エスポワールは彼女の侵略の抑止力として機能し続けている。
だが彼女の力の片鱗を目の当たりにする度、シャノワールは自身の力不足を思い知る。相手はほんの手先しか動かしていないのに、こっちは殆ど全力で当たらねば拮抗する事すら叶わないのだ。
兵の数も質も、指揮官の手腕も違い過ぎる。多くの場合、戦争は攻める側が有利だというが、それを差し引いてもだ。
(特にあのレニノってエルフ、NPCなのにすっさまじい魔力で支援飛ばしてくるし……)
逆にこっちが攻める側に回ればもっとやりようは増えるのだが、既に支配された所からジャディスリィの手を引かせられたとしても、あまり意味は無い。既に以前の権力者たちは全員処刑されているし、その状態でジャディスリィの支配を除けても、良くて元の木阿弥、悪ければそのまま迷走して滅亡だろう。
(何か妙案とか降って来ないかなー……)
ちろつやガノフを始めとして、幹部級の者たちは中々良くやってくれている。だがそれ以下の雑兵や、国側の兵隊が良くない。
プレイヤーの下っ端はなまじ力が有るものだからしょっちゅう命令違反を起こすし、国の兵士はヒューマン至上主義に染まっている連中ばかりでこちらとの連携が取れない。本当に頭が痛い。
ジャディスリィにはこういう問題は無いのだろうか。こちらよりずっと大規模な組織ならば、内輪もめだってそれなりに起きていてもおかしくないのだが。
(その辺の隙とか突けたらなー)
あまり期待は出来ない。不和程度の所為でぐらつく程緩い組織なら、とうの昔に自壊しているだろう。
そもそも、不和らしい不和が起きているとも思い難い。奴らはいわば蟻か蜂のコロニーのようなものだ。女王たるジャディスリィを処理しない限り、彼らの団結が揺らぐ事は有り得ないだろう。
(プレイヤーを殺す事は出来ないし……機会が有るとすれば『最後の1000秒間』だろうけど、どうせあいつも情報手に入れて対策するだろうしなー)
最後の1000秒間に賭けるのは難しい。対策をしなければならないのはシャノワールたちとて一緒だし、足の引っ張り合いをした挙句こっちだけ死ぬなんて結末は嫌過ぎる。
重い頭を抱えたまま、シャノワールはふらふらと歩き続ける。と、ある一つの天幕の前を通りかかった所で、彼女の猫耳が低い呪詛の声を捉えた。
「オレはこんな所で燻る人間じゃない……あんなネトゲ廃のクズどもとは違うんだ……オレは違うんだよ……オレには家庭が有って、教師っつー尊敬されるべき人間で、皆オレを慕っていて……!!」
シャノワールは苦い表情になる。この声の主こそが新エスポワールが保護した帰還者であり、彼女の悩みの原因の一つでもある男だ。
地球での栄光に縋り、現実を受け入れる事をしようとしない駄目人間。それだけなら同情の余地も有ったのだが、ああしてシャノワールたちを侮蔑の目で見てくるから嫌なのだ。
その上、ことあるごとにこっちの足を引っ張ってくる。《狭間の道》での一幕だって、まずは幹部だけで聞いてそれからどう公開するかを考えたかったのに、シャノワールが止める間もなく彼は全員に発表してしまったのだ。その結果が、この士気低迷状態である。
(あの様子じゃ、家族も生徒も気の毒な状態だったんじゃないかな……)
そんな邪推を巡らせながら、彼女はさっさとその天幕の前を立ち去る。一人部屋じゃないと嫌だと駄々をこね、中サイズのテントを一つ占拠し続けているのも、地味に嫌らしい。
どうしてよりにもよって生き残ったのがアレなのか。アレの代わりにヘイゼルが帰って来てくれれば良かったのに、とさえ思う。
(本当、とびっきりの貧乏くじを引かされたわ……)
いっそこっそり始末してしまおうか、とさえ思う。風の噂だとネリネがプレイヤーを殺害する秘術を有しているというし、彼女に頼めばあのクソみたいな足手まといを排除出来るやもしれない。
ネリネはジャディスリィ側だが端末ではないようだし、可能性はゼロではない。無能な味方を取り除く計画を真面目に企てながら、そろそろ今後の予定を詰める会議をしよう、と一際大きな中心部の天幕に向かい始めた。
ネリネがナツメグを保護してから一週間。《狭間の道》の情報は、思ったより急速に広がっていった。
主な出所は新エスポワール。メンバーに対し大々的に発表された所から、それ以外の所にもどんどん漏れ出ていったようだ。何処にも属さず彷徨う者たちにも、これで知れ渡ったと見て良いだろう。
また、ジャディスリィも帰還者を一人保護したらしい。『モロ=ヘイヤ』とかいう名前のそいつは、新エスポワールに与するギルドの一つ『モロヘイヤの束』の前身のギルドマスターだったか。
(風の噂だと、エスポワールが保護した奴は相当のクズらしいし。モロ=ヘイヤの方はエスポワールに対する交渉材料にもなり得そうだし。……本当、ジャディスリィは乱数調整でもしてるのかもね……)
運命の女神でも買収してるんじゃないか、と荒唐無稽な疑いをかけながら、彼女は自らの手中の帰還者についても考える。キュリオスのお陰でナツメグの精神面も支障無いレベルまで回復したようだが、この先どうするかを決めねばならない。
ジャディスリィに彼の所在を明かすのか否か、明かすとして身柄を引き渡してしまうのか否か、明かさないならばどう隠すべきか。彼自身は『ジャディスリィとは関わりたくない』との事だが、既にネリネが彼女の協力者である以上、それを叶えるのは難しい。
(……何とかナツメグさんの事は隠しておきたいかな。彼をジャディスリィに差し出したら、そのままキュリさんも付いて行きそうだし)
二人の絆は余程深いものであるらしい事が、この数日間の観察で分かっている。ただでさえナツメグはキュリオスの言葉を過不足無く理解出来る唯一の人材なのだし、それをジャディスリィに渡すわけにはいかない。手の付けようがなくなる。
だが下手に隠蔽すると、それを暴かれた時が怖い。嘘と偽りをヒューマンの次に嫌悪している彼女に隠し事をするならば、露見した際の言い訳まで完璧に用意せねばならないだろう。
「ネリネさん」
うだうだと考えていた所で、不意に背後から声を掛けられた。振り向けば、そこにはナツメグの姿が有る。
「どうかしたの?」
「ああ。ここから先の身の振り方を、キュリオスと考えたから……それについて、アナタにも話すべきだと思って」
ふむ、と彼女は頷く。ここは一つ、彼の希望を聞いてみるのも手だろう。それを実現させられるかはさておき。
「分かったわ。長くなるかしら?」
「いや、すぐに終わる。……ワタシは、『最後の1000秒間』が終わるまでは身を隠そうと思っている」
偶然か必然か、その意見は同じだった。ネリネはこくりと頷き、続きを促す。
「ワタシたちは、最後の1000秒間で多くの人死にが出ると予想している。どれくらい死ぬかは分からないが、少なくともブラッディリボンとエスポワールが両方まともな状態で残るとは思えない。
だから蝙蝠になろうと思うんだよ。最後までまともに残っていた所に味方するんだ。……ワタシたちも生き残れたら、の話だけどね」
まぁ、妥当な所か。となれば本格的に隠す手段を考えなければならないが、この二人の頭も加われば妙手が出てくるだろう。
「了解よ、あたしからは異存は無いわ。ただ、おまえを匿ってる事がジャディスリィにバレるとあたしが死ぬから、その隠蔽の為に手を考えないといけなくなるけど」
「それに関して、一つこちらに考えが有る。その為に用意してもらいたい物が有るのだが」
「何かしら?」
既に用意していたとは、その周到さは流石と言うべきか。ネリネは小首を傾げてみせて問いかける。
「何処か、ワタシ一人が転がり込んでいてもおかしくない、天然の洞穴とかを知らないだろうか。出来ればゾグシェーノ以外で」
「幾つか心当たりは有るけど」
「良し。であれば、こういう事にするんだ。──ワタシは無我夢中で帰還した後、とある洞窟の中に身を潜めていた。そこで何処からともなくワタシの所在を嗅ぎ付けたキュリオスと接触し、《狭間の道》での事を話した。
そして、アナタはその事をキュリオス経由で知った。だがキュリオスに情報の出所を尋ねても答えてくれない。疑問に思いながらも、アナタは件の首飾りをアージェンに渡したりした」
「……成る程ね」
少々苦しい所も有るが、一応辻褄は通るか。記憶した他人の言葉をそのまま伝えるのはキュリオスにも問題なく出来る、というか得意分野だし、これなら何か有っても誤摩化せはするだろう。
「なら、一刻も早くナツメグさんの引っ越しをしないとね。おまえがここに居た全ての痕跡を隠さなきゃならないわ。キュリさんにもよくよく言い含めといて」
「分かった。なら早速荷物を纏めるか。……しっかし、ワタシが居ない間にキュリオスの友人が増えてるとはなぁ」
感慨深げに言いながら、ナツメグは寝室に向かう。ネリネはその背を見送りつつ、友人、という単語に溜め息を吐いた。
(……ジェンさん)
あの発狂事件から、アージェンからの連絡はとんと途絶えてしまっている。ヘイゼルという人物は、それ程に重大な要素だったのだろうか。
(いえ、悲観的になるのは良くないわ。ルシさんの二の舞なんて事は無い筈よ、ただ時間が掛かっているだけ……)
あまり音信不通が続くようなら、こっちから突くのも視野に入れるべきか。そんな事を考えながら、彼女はコノハズクと共にジャディスリィからの注文の品の製作作業に向かった。




