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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第十章:H.Y.O.
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85:インターナショナル・ディストピア


「──以上が、あたしが聞いた全てよ」


 ネリネがそう締めくくる。ナツメグの証言を聞き終えたアージェンは、すっかり冷えきった頭の中で、何度も何度もヘイゼルの死という事実を反芻していた。


(ヘイゼルさんが、死んだ)


 彼女からの連絡が途絶えて、既にヘイゼルは死んだようなものだった。だがまだ完全に希望が潰えたわけではなかった。

 だから、彼女の死を観測しない限り、ささやかな光を胸に抱き続ける事が出来たかもしれなかったのに──ヘイゼルの死が、確定してしまった。

 もう二度と彼女と言葉を交わす事が出来ない未来が、決定されてしまった。最早この手は永遠にヘイゼルに届かない。

 ネリネに手渡された、血塗れのペンダントトップを握りしめる。これだけ残して、彼女は消えてしまった。この世界の全てを引き換えにしても、彼女を取り戻す事は出来ない。


「……ジェンさん、大丈夫?」


 気遣わしげなネリネの声。悲しみの坩堝に嵌りかけてた心が、その一言でふっと浮上する。アージェンは吹っ切れたような笑みを浮かべ、そしてこう返答した。


「大丈夫だよ、だってちんあなごだもん」

「えっ」

「そう、ちんあなご。フフフ……ちんあなご……こんぶ、わかめ、海産物……ウフフフフ……ちんあなご!! ちんあなごォーッ!!」


 思いつくままに声を出すと、何だか気持ちが良くなってきた。斜め上方向に吹っ飛んだ思考は、脈絡の無い単語の羅列ばかりを吐き出す。


「オゥイエCHIN=ANAGO! エビバディちんあなご!! イカタコ共和国!! FOOOOOOOOOOO!!」


 興奮のままにアージェンは立ち上がり、建物の外目がけて駆け出す。自分の事が理解出来ず、絶望を認識するのが嫌で理解しようともせず、彼女はどたどたと廃墟を駆け抜け、道の先に有った崖にダイブした。


「ヒャッハぐげっ」


 全身が拉げる痛みに、頭の中が塗り潰される。痛い、痛い、痛い──この激痛が有る限り、現実と向き合わずに済む。きっとヘイゼルの死を認めたら、この程度では済まないレベルの苦痛を味わう羽目になるだろうし。

 血の味が口の中一杯に広がる中、彼女は虚ろな笑顔で自身の血液が地面に染み込むのをぼうっと眺める。声は上げず、静かに、ただひたすらに思考回路を鈍麻させ続けていた。




「ジェンさんが壊れた……」


 彼女が去った後、開けっ放しになった扉を閉める作業をしながら、ネリネはぼそりと呟いた。アージェンの交友関係はあまり把握してないのだが、ヘイゼルという人物は余程大切な友人だったらしい。

 とはいえルシフェルとは違い、彼女にはまだ失うものが有る。彼女のNPCの仲間たちが死んだという話は聞かないし、彼らが生きている限りその内正気に戻るだろう。


(もし駄目だったら、その時はその時。そろそろ、この情報をどう処理するかを決めないと……)


 ナツメグの証言から得られた情報は二つ。地球への帰還の望みは絶たれた事、1000時間と1000分──約一ヶ月後に何かが有る事。細かい所ではもっと色々有るが、今重要なのはこの二つだろう。


(多分、これはプレイヤー全体で共有すべき事柄よね)


 一瞬、ジャディスリィに教えずにいれば彼女を始末出来るやもと思ったが、彼女の手腕ならどうせ何処かしらから情報を手に入れてしまうだろう。他にも帰還者は居るだろうし、それを保護して話を聞き出していてもおかしくない。

 ならさっさとネリネが公開すべきか、と思ったが、あまり悪目立ちするのも良くない。新エスポワールが手に入れてくれれば良い具合に広めてくれるだろうから、一先ずはそれを期待して様子見だろうか。


(情報収集が要ね……少し休んだら、エスポワールに探りを入れてみるかな)


 ガッチガチの情報統制がなされているブラッディリボンと比べ、エスポワールのそれはガバガバだ。まぁ、ジャディスリィと比べるのは酷やもしれないが。

 今後の行動指針を設定し終えた所で、ネリネは応接間兼リビングに戻り、ばたんと机に突っ伏して、うだうだと考え事を始める。思考の中心を占拠するのは、《狭間の道》の一幕に関する考察だ。


(風雲さん……何で死んじゃったかなぁ)


 彼が帰って来てくれれば、ここから先のあれこれがグッと楽になっただろうに。また友人が居なくなってしまったな、と小さく溜め息を吐く。

 ナツメグの話を聞く限り、いくらでも帰って来れそうな状況だったにも関わらず、彼は敵に特攻し殺されてしまった。激情に振り回されて判断を誤るような人物ではない筈なのだが、1000日間の苦行が彼を狂わせてしまったのだろうか。

 いや、殺されたのも計算ずくという可能性も有る。風雲の死に対し、ジトロは『しまった』という様子だったらしいし、何か考えが有ったのやもしれない。


「……死んで花実が咲くものか、っていうけど」


 今はただ、彼の行動が良い結果に転ぶのを祈ろう。彼の遺言を可能な限り実行していくのも良いかもしれない。死者には祈りと手向けを捧げる事しか出来ないのだから。


(それから、『最後の1000秒間』……)


 不透明過ぎてどれくらいの脅威なのか分からないのだが、恐らくジトロはプレイヤーを全滅させるだけの戦力を有しているのだろう。現状プレイヤーは無敵であるが、もし《狭間の道》のリスポーン封じを全世界で展開されたらアウトだ。死んでも蘇る、というのが戦闘面での最大のアドバンテージなのだから。


「具体的に何が襲って来るのか分かれば、まだ対策のしようが有るんだけど……ねーコノハズク、何か知らない?」


 壁際に佇む影の如き従者に、ネリネは返事を期待せず呟く。とりあえず、何処かの孤島か山奥に要塞でも作って籠れば良いだろうか。


「──きみは、死にません」


 低い、小さな声。だがネリネの耳は確とその振動を捉えた。がばっと頭を上げ、きょろきょろと部屋の中を見回す。だがリビングの中には、彼女自身とコノハズク以外の影は無かった。

 ネリネの声は甲高い少女の声だし、第一あんな台詞を喋った記憶は無い。となると畢竟、先ほどの声の主はコノハズクだという事になる。


「……今、喋った?」


 コノハズクへと向き直り、問いかける。だが彼は返答しない。気のせいだ、と言わんばかりに無反応を貫く彼に、ネリネは駆け寄って飛び跳ねながら言う。


「ねっ、さっき喋ったでしょ!? おまえったら喋れたのね! ねぇ、何か知ってるんでしょ? 色々教えてよ!」


 足元にまとわりつきながら質問攻めにするが、コノハズクはうんともすんとも言わない。もしかして本当に幻聴だったのでは、と自身の耳を心配したい気持ちになりながら、彼女は自分の椅子に戻った。


(……ま、一先ずは目先の事に集中しましょ。コノハズクのお墨付きも有るみたいだし)


 座ったばかりだが再び立ち上がり、髪を解きコートを脱ぐ。そして部屋の片隅に転がっている寝袋に、もぞもぞと潜り込んだ。


「三時間経ったら起きるぅー……」


 本当はもっとぐっすり眠りたいが、あまりグダグダしている暇も無いのだ。仮眠時間を自己暗示のように呟きながら、ネリネは目を閉じ眠気に身を任せる。




 ネリネのアジトの壁は薄い。故に、ナツメグもアージェンの狂乱を聞く事が出来た。ベッドに座った状態で、彼は自身の膝を険しげな顔で眺める。

 ヘイゼルには甚く親しい友人が居るらしかった。恐らく、彼女がそうなのだろう。ヘイゼルが首飾りを渡して欲しかった相手も彼女なのだろうし、そういう意味では幸運だったのやもしれないが。


(……恨まれるのだろうか)


 ジトロに嵌められてだったとはいえ、ヘイゼルを殺害したのは間違いなくナツメグだ。あの叫び声から感情を読み取る事は出来なかったが、好感情が向けられる事はまず無いだろう。


「ワタシは……」


 何故、ヘイゼルではなくナツメグの方が生き残ってしまったのだろう。ネリネから聞かされた世界情勢からするに、ヘイゼルが帰って来た方が喜ぶ者が多かっただろうに。

 誰も彼もがナツメグを恨んでいる気さえしてくる。ヘイゼルが帰って来れば、風雲が生きて帰れば──自責の念が木霊するように彼を苛む。


「悪くない。悪くないよ。なつめぐは何も悪くない」


 その被害妄想を打ち破るように、キュリオスの言葉が響いた。固く握りしめていた拳の上に、彼女の手が重ねられる。


「キュリオス……」

「帰って来てくれて、ありがとう」


 そのまま、キュリオスに抱き締められる。肩口に彼女の頭の感触を感じながら、ナツメグもキュリオスの背に腕を回した。傷はもう全部塞がったから、もう力一杯抱き締められても痛くならない。

 温かい。言葉が、体温が、彼女の想いが、これ以上無く温かい。そうだった、彼の生還を待ち望んでいた者は、確かにここに一人居たのだった。


「……う、ぐぅっ……キュリオ、ス……うっ、あああっ、あがっ……!!」


 堰が切れた。降り掛かった理不尽に対する怒りと、それをどうする事も出来ない憤りと、いつの間にか多くを失ってしまっていた悲しみと、憎悪を向けられる事に対する恐怖と──様々な感情の泥を乗せて、ぼろぼろと涙が零れてゆく。


「ああ、うあっ……ひっく、生きて、待っててくれて……ありがとう……!」

「……うん」


 万感交々到る。涙声での感謝に、キュリオスは心無しか優しげな声で答えた。




 神聖ユガタルファ王国エジャ領領主、エープラー・エジャ伯爵は、今一時仕事の手を休め、ベランダで風を浴びながら物思いに耽っていた。

 風雲の紹介だ、と自称したハーフリングの少女の話は、彼にとって凄まじく衝撃的な代物であった。風雲を始めとした数多くの“使者”があの地割れの奥深くで死んでしまった事、もうすぐ世界樹が蘇るらしい事──まだまだ若い者には負けないと自負しているエジャ伯爵であるが、今回のは流石に老体に応えた。


「……風雲殿も、あのヘイゼルという女性も、死んでしまったのか」


 ある種の妖怪のような貫禄の有るあの風雲が、死んだ。俄には信じ難い話であるが、話をしてくれたネリネという“使者”の表情からするに、恐らくそれは真実であるのだろう。

 風雲は、彼にとって大恩有る人物であった。魔物の手から孫娘を救ってくれた、領が飢饉に遭った際に援助をしてくれた、災害と称されるモンスターに単身立ち向かい見事討伐してくれた。

 どんなに賞与をしてもしきれない程、多くの偉業を成し遂げてくれた。それと同じような事を、ユガタルファ王国だけではなく海の向こうの大陸の国々でもやっていたというのだから恐れ入る。


「世界樹の再生は、我らユガタルファの民の悲願。……その時が近づいたというのならば、私はきっと喜ばねばならないのだろうが……」


 どうにも喜びが湧いて来なかった。きっと、彼は風雲の事を心から信頼していたのだろう。どんな死地に赴いても、いつかは何の事も無かったように帰って来る筈だ、と。


「お爺様……」


 ふと、声がかけられる。愛しの孫娘の声だ。エジャ伯爵は笑顔を作り、くるりと振り返る。


「おお、リイルよ。わざわざ勉強を抜け出してまで、何の御用かな?」

「さっき、“使者”の方と会っていらっしゃいましたよね。……風雲様について、何か分かりましたか?」


 すっかり年頃の娘となった彼女は、一瞬恋する乙女のような表情になりながら、風雲の名を口にする。彼女は子供の頃から婚約者の居る身だが、しかし風雲に対し恋心じみた憧れを抱いていた。

 今は色々と割り切ったようだが、しかしことあるごとに『風雲に会いたい』と口にしていた。伯爵とて、間もなく嫁に出される孫娘のささやかな願いくらい叶えてやりたいと思っていたのだが。


「良く聞くんだ、リイル。風雲殿はな、亡くなられたんだ」

「……は。今、何と」

「骸も残らぬ有様だったらしい。彼の友人殿が伝えてくれたのだ」


 彼女の顔がさあっと青ざめるのが分かった。そりゃそうだろう、『初恋の王子様』が死んだという報せを受け取れば。ふらつきながら、やっとといった様子で彼女は言う。


「……わかり、ました。ごめんなさい、少し休みます」

「そうすると良い。教師には私から言っておく」

「ありが、とう……ございます……」


 立ち去る彼女の背を見送りながら、伯爵もこっそり肩を落とす。本当に惜しい人物を亡くした。


(……ま、彼らに頼らずとも領民を守れる様、私が頑張らねば。息子は有能だが甘過ぎるし、まだまだ引退は出来んな)


 いつまでも死んだ人の事を考えていても致し方が無い。彼も踵を返し、自身の執務室へと戻って行った。

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