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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第十章:H.Y.O.
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83:榛色の叫喚


 あの時、気が付くと、ナツメグは何処までも続く平面の上に立っていた。上も下も右も左も真っ白で、光も影も不確定な空間に。


(……ワタシは、世界樹広場であのロジバンを唱えて、それで)


 周りには、彼自身の姿以外、何も無い。キュリオスの姿も無い事から、成る程100lvのプレイヤーだけなのか、と彼は納得した。

 ならばもうこんな所に用は無い。ナツメグはメニューに手を伸ばし、転移でさっさと帰還しようとする。だが、突入直前まで確かに傍らに有った筈のメニュー画面は、何処にも見当たらなかった。


「えー……メニュー、開け。転移、世界樹広場。転移、転移、転移だってば!」


 音声入力を試してみるが、それでも応答は無い。一体どうなっている。ナツメグは腰に提げた二振りの短刀を抜き、二刀流の構えを取りつつ辺りを見回す。

 呆れる程に、何も無い。出口らしい所も、敵らしい影も見当たらない。床の平面が鏡のように彼の姿を映し出しているのみだ。声が反響する様子も無く、洞窟というよりは異空間的な印象を受けた。

 ──こんな具合の光景に、彼は見覚えが有った。VR空間作成ツールで作った、初期状態の空間だ。


「……完ッ全に手抜きじゃねーか」


 こんな代物を新ダンジョンとして公開したのか、ヒョの運営は。彼はヒョをそれなりの良運営だと評価していたのだが、ログアウト不可バグに加えて手抜き新要素とまでなると、最早それは改めねばなるまい。


(メニューも開かねーし、どーすっかなー……)


 腐ってもダンジョンなのだし、と警戒態勢を続けるが、敵は愚か罠や仕掛けも出て来ない。とにかく完成させて実装させるのを優先していて、中身は殆ど手付かずだったというのだろうか。

 何かがおかしい。普通、ここまで未完成な状態だったら、流石に実装を延期させる方向に動く筈だ。末期レベルに腐った運営ならまだしも、ヒョの運営チームはこれまで真っ当にやってきていたのだし。


「あー……寝よ」


 暫くうんうん考えた後、ナツメグは武器を仕舞い、その場にどっかりと腰を下ろした。進むにしても帰り道を探すにしても、ソロでは少々心細い。

 幸い、後ろに残っているのはヘイゼルだ。彼女なら短期間でこのダンジョンの事を告知し、攻略チームを投入してくれるだろう。動くなら、それを待ってからだ。


(拍子抜けすっだろーな。あれだけ待ち侘びた新ダンジョンが、こんな開放的な手抜き空間だったら……)


 ヘイゼルの残念がる顔が目に浮かぶ。こうなったら、意地でも現実に帰る手段を手に入れて、ヒョの運営を訴えねば気が済まない。

 さて、援軍は後どれくらいで到着するのだろう。彼はごろりとその場に横になり、自身の腕を枕にして眠る事にした。




 起きては眠り、眠っては起き、一体どれ程時間が経っただろうか。時計も無く、昼も夜も無い空間では、正確に時間を計る事は難しい。ただ、眠る以外の暇潰しの手段が無い今、それは恐ろしく長く感じられた。

 ふと気付くと、辺りに濃霧が立ち込めていた。一寸先も見えぬ程の白く濃い霧。元々この空間は真っ白だったが、あのだだっ広さが感じられなくなっていたから、すぐに分かった。


(始まった、っつー事かね?)


 何が始まったのかは分からないが、何か変化が有ったのは確実だ。ナツメグは身を起こし、短刀を抜いて感覚を研ぎ澄まさせた。


(気配が、幾つも有る。……現状殺気は感じないが)


 やっと攻略者たちが入ってきたのだろうか、もしくは敵が現れたのか。前者である事を期待して、彼は口を開く。


「誰か、聞こえるか? 何か言ってくれ」


 小声というわけではなかったのだが、返答は無かった。彼は更に声を張り上げてみせる。


「誰か! ワタシはバタフライエフェクトのナツメグだ! 同ギルドの者は居るか!? 居たら返事をしてくれ、合流しよう!」


 木霊する事も無く、彼の大声は虚しく霧の中に消えて行った。気配はそんなに遠くないように感じられるのだが、もしかしてこの霧が声を遮っているのだろうか。

 だとすれば、向こうからのアプローチが何も無いのにも頷ける。気配の正体が敵であるにしても、あれだけ大声を出したなら、普通はこっちに向かって来る筈だし。


(うーむ、どうすりゃ褒められるんだ、これは……)


 彼は目を閉じ、気配の位置を探るのに集中する。そして手近な数個の気配の場所を把握すると、それらのうち最も近いモノに向かって、彼は慎重に歩き始めた。

 どんなに霧が深くとも、触れ合える程近くに寄れば、流石に声も届くし姿も見える筈だ。だがその目論見は突然の襲撃によって遮られてしまった。

 突如として横合いから迫った殺気。ナツメグは反射神経の命ずるままに身を捻り、飛び込んで来た攻撃を躱した。


「いッ!?」


 攻撃者の方に視線を移すが、そこには黒い影のようなものしか無かった。人なのか、それとも魔物なのかすら分からない、不明瞭な敵影。ナツメグは暫し迷うが、やがて戦闘態勢に入る。


(プレイヤーであるにせよ、モンスターであるにせよ、敵なら潰す。そっちがやる気なら応えてやんよ、見知らぬ敵対者さんよ)


 明確な殺意を伴った攻撃を向けられて尚のんびり出来る程、彼は能天気ではない。先手必勝、と彼は素早く影の方に駆ける。


「ハッ!!」


 左手の刃を影に向けて闇雲に振り抜く。本当は首や心臓を狙うべきなのだが、霧に巻かれた影はその輪郭すら定かでなく、何処が急所なのか全く分からないのだ。

 だから、クリティカル狙いではなく手数で攻める。左手に手応えを感じた直後、彼はすかさず右の刀も振り上げた。相手に体勢を整える隙を与えないよう、両手の得物と時々蹴りでひたすら攻撃を加え続ける。

 反撃も有ったが、完全に相手をこちらのペースに引き込んだ今、それは大した牽制にもなりやしなかった。やがて消耗の嵩んだ敵が崩れ落ちたので、死ぬまで短刀で滅多刺しにする。

 もっとスマートに無力化出来れば良いのだが、相手の姿が視認出来ない以上、とにかく何度も試行して偶然急所に当たるのを期待するしかない。そうやって何回も何十回も突き刺していると、突如として目の前の影が雲散霧消した。


(……死んだのか?)


 死体が消えたと言う事は、もしかしてあれはプレイヤーだったのだろうか。いや、単にそういう敵だという可能性も有る。とはいえ、向けられていた敵意は消えたので、ナツメグははぁっと息を吐き、刀に付いた血脂を振り落とした。

 返り血の色は赤。魔物だと青とか緑とかだったりする事もあるから、人であった可能性が多少高まったか。こちらに手傷は無い。


(無傷で倒せたのは良かったが、仮に周囲の気配全てが敵だとすると……厳しいな)


 彼には長期戦の心得も有るが、孤立無援の状態で何十回も戦闘をするのは流石に厳しい。キュリオスが後衛に居てくれれば百人力なのだが、と内心で無い物ねだりをする。

 抜き身の二刀を握り、彼は立ったまま休息を始める。こちらから積極的に仕掛ける理由は無いし、次の動きが有るまで少しでも体力を温存しなければ。敵の全滅がイベント進行の条件だったのだとしても、こんな戦いは面倒だし他の奴に任せておけば良い。


(あー、今度はどれくらい待たされるんかな……)


 このダンジョンは詰まらなさ過ぎる。早く終わって欲しいと切に願いながら、彼はぼんやりと霧の中に佇む。




 濃い、しかし湿気も無い奇妙な霧に包まれて、時々訪れる襲撃に対応したりしつつ時間を潰して、どれ程経ったか。時間感覚は完全に狂ってしまったようで、ほんの数時間だったような気もするし、何億年も経ったような気もした。

 幸い、ナツメグはまだ生きていた。周囲の気配が数えられるくらいに減った今も尚、彼は生き残っていた。

 幾度にも重なる戦いにより、所々に傷を負っていたが、重大な傷は未だ無い。自前の貧弱な回復魔法でも、出血くらいは止められる。


(だが……いい加減にキツいな)


 話し相手も居ない中で、ひとりぼっちで気を張り続けて戦うというのは、死ぬ程気力を消耗する。MPはもう弱い回復魔法一回分くらいしか残ってないし、インベントリではなく普通のポーチに入れておいたポーションも、もう一つ残らず使い果たしてしまった。

 メニューが開ければもっとポーションが有るのだが、このままではあと一、二戦くらいが限度だ。少し休む事が出来ればMPの回復も見込めるのだが、折角ここまで頑張ったのに、寝首を掻かれて終わりなんて勘弁だし。


「……またか」


 背後にゆらりと立つ気配を感じ、ナツメグは思考を中断する。彼はそちらを振り返り、姿勢を低くして得物を構えた。


「なぁ、話せないのか?」


 応じる筈が無いと分かりつつも、話しかけざるを得ない。それくらいに彼は疲弊しきっていた。


「アンタはプレイヤーなのか? それともNPCなのか? 敵なのか? それとも、単にわけが分からず暴れているだけなのか?」


 ナツメグは答を期待せず、独り言のように質問をぶつける。現実の自分の声とは全く違う低い男の声が、深い霧の中に呑まれ消えてゆく。


「ここが何なのか知っているか? アンタの名は何と言うんだ? ……なぁ、答えてくれよ」


 相手もこちらの出方を窺っているのか、こちらに注目を向けたまま静かに佇んでいる。睨み合いは永遠に続くかと思われた。

 が、やがて相手が先に動いた。すり減った神経は、しかし正確に回避の動作を命令する。最小限の動きで振り下ろされた一撃を躱した彼は、大振りの攻撃による相手の隙を突き懐に潜り込み、まず二撃与えた。

 更に斬撃を叩き込もうとしたが、首の後ろ辺りにビリリと悪寒が走ったので、彼は横っ飛びをして相手の懐から離れる。直後、彼の首が有った辺りを、相手の攻撃が横切った。


(かなり重い一撃だ……大型の武器か? 大剣とか、斧とか、そんな感じの……自前の器官ってふうは無いし、多分人だな)


 その分動作は遅いが、まともに喰らったらひとたまりも無いだろう。回避と手数の多さによる火力に重きを置いている彼の防御力では、余程当たり所が良くない限り即死だ。

 何度もこの限定条件下で戦闘をこなせば、有る程度慣れも出てくる。聴覚も視覚も頼りに出来ない状況だが、出来ないなりに相手を観察する技術を彼は身に付けていた。


(クッソ、武器は重そうなのに身のこなしは軽い!)


 攻撃速度自体は遅いが、それとは対照的に身体の動きは素早い。武器だけ重く、防具は軽めの奴を選んでいるのだろう。

 とはいえ、相手の戦闘スタイルがどうであろうと、やる事は変わらない。そもそも、攻撃が鈍重なタイプはナツメグにとってはカモだ。

 相手の攻撃を確実に躱しつつ、隙を見計らっては鋭い一撃をぶち込む。攻撃が避けられてしまう事も有ったが、だが確実にダメージを蓄積させていった。


「ハァ……フゥ、ハァー……」


 その内、相手の動きが目に見えて鈍り始める。こちらのスタミナも切れかけだが、ほぼ無傷である分こちらの方が有利だ。

 やがて生まれた決定的な隙に、ナツメグは目敏く付け込んで攻撃を差し込む。相手の虚を突いた刃は、その影の中心部をぐさりと深く抉った。手応え、有り。


「……っしゃ」


 どうにか今回も勝利を収められそうだ。ぐり、と突き刺した右の刃を捻り、敵の傷を広げる。この出血量なら、放っておいても死ぬだろう。

 と、その瞬間、霧が晴れ始めた。こいつが最後だったのだろうか。風も無いのに徐々に薄れてゆく霧と共に、目の前の影の正体も露になってゆく。


(は……?)


 手に、温い液体がかかる。鉄の臭いのするそれが、短剣の柄を握る彼の手を真っ赤に染める。

 朱色の衣装が、鮮血を吸って紅に変色してゆく。温かい、しかし現在進行形で冷たくなってゆく柔らかな胸の感触が、握り拳に触れていた。


(ワタシは……何をした?)


 急所を貫いた刃は、相手の生命を速やかに奪ってゆく。引き攣った悲鳴を途切れ途切れに漏らしながら、彼女は彼の刃を身体の中から取り除こうともがく。だが、硬直した彼の腕は頑として動かなかった。

 動け、と彼は全神経を総動員させる。今から抜いて治療を施せば、まだ間に合うかもしれない。だが身体が言う事を聞かない。脳に直接氷水をかけられたような気分だ。


(ワタシは知らなかった)


 末期を悟った彼女が、顔を上げる。その名の通りヘーゼルイエローをした瞳が、彼を捉えた。

 何かを言おうと、彼女は口を動かす。だがその唇が言葉を紡ぎ出す事は無く、代わりに血を吐き出すのみであった。


(ワタシは悪くない!!)


 彼女──ヘイゼルは、得物たる巨大な斧をその場に取り落とし、バタリと仰向けに倒れる。そこで漸く硬直が解けたナツメグは、血染めの刀を取り落としつつ彼女の元に駆け寄った。


「じ、ジヘハィ・ミクシェ!」


 なけなしのMPを振り絞って、彼は回復魔法を発動させる。だが他ならぬ彼自身が負わせたヘイゼルの傷は深く、彼の魔力如きでは焼け石に温水程度でしかなかった。


「……こ、れ……ア……ゲホッ、に……」


 殆どただの呻き声にしか聞こえないような言葉を、全霊を絞って紡ぎ上げながら、彼女は自身の胸元を飾る血塗れの首飾りを指差す。それを最後に、ヘイゼルの瞳から生気が失せ、浅い呼吸に上下していた胸も動かなくなった。

 だが、消えない。死んだ筈なのに死体が消えない。プレイヤーが死ぬとその死体はたちまち消えて、リスポーン地点で復活する筈なのに。

 ふと周辺に視線を移す。するとそこら中にも無数の死体が転がっていた。死んでからそう時間の経ってない死体、滅多刺しにされて原型を留めていない死体、腐り果てて骨だけになった死体等々。中には、ナツメグの知り合いだったらしいモノも有った。

 あの霧の中で溶け消えた死体は何だったのか。まやかしで『消えたように見せかけられていた』だけだったのか。むせ返るような血の臭いの中、ナツメグはぼそりと呟く。


「……どうなって、んだ」


 突如として突きつけられた現実に、頭の回転が追いつかない。それでも彼は理解出来ないなりに落とした武器を拾い、ヘイゼルの首飾りを切り取ってポケットに入れた。

 しかし、本当に意味が分からない。ヒョの仕様上、『プレイヤーの死体』なんて物は存在し得ない筈なのに。何時まで経ってもリスポーンしようとしないヘイゼルを、彼は呆然と見下ろす。


「──ハイッ、皆様お疲れさまでした! これにて『1000日間』は終了と相成ります!」


 そんな彼の背後から、この凄惨たる光景にはあまりにも似合わなさ過ぎる陽気な声が聞こえた。中性的な子供のような声の方に、ナツメグは一応武器を構えておきながら振り返る。


「あっ、生き残った皆様、申し遅れました、わたくし『ジトロ・ユグドラシル』と申します。どうぞお気軽に、ジトロ、とお呼びくださいませ」


 艶やかな灰色のおかっぱ髪に、珊瑚色の双眸。一糸たりとも纏わぬ装いで、白磁の如き肌を惜しげも無く晒したそいつは、『良く出来た子供のマネキン』のようだった。

 マネキン。そう、まさしく服を着せられていないマネキンであった。凹凸の無い、性器の類いや臍すらも付いていない身体、そしてその背中や手の甲から伸びて床下へと繋がっている無数のコードは、こいつが人外の者である事を明朗に物語っていた。


「あ、色々訊きたい事が有るって顔ですね。そうでしょうそうでしょう! わたくしも1000年と1000ヶ月と1000週間ひとりぼっちで暇でしたし、現在アンロックされてる限りでお話しましょう!」


 邪気の全く無い、満面の笑み。ジトロと名乗った無性の少年は、純粋な喜びをその顔に浮かべて、こちらの返事を待たずに語り始めた。

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