81:絆結んで醒めた夢
手に、温い液体がかかる。鉄の臭いのするそれが、短剣の柄を握る彼の手を真っ赤に染める。
(ワタシは……何をした?)
急所を貫いた刃は、相手の生命を速やかに奪ってゆく。引き攣った悲鳴を途切れ途切れに漏らしながら、彼女は彼の刃を身体の中から取り除こうともがく。だが、硬直した彼の腕は頑として動かなかった。
(ワタシは知らなかった)
末期を悟った彼女が、顔を上げる。その名の通りヘーゼルイエローをした瞳が、彼を捉えた。
(ワタシは悪くない!!)
彼──ナツメグは、ヘイゼルを殺したのだ。
目が覚めると、そこは月明かりの差し込む薄暗い部屋の中だった。温い夏の夜風が、割れた窓から吹き込んでくる。
(……ワタシは、どれくらいここで)
ボロボロの身体を鞭打って、ナツメグはどうにか上半身を起こす。良く見ると全身傷だらけな上血塗れだ。HPも半分を切った状態のままだし、気を失う前は相当の満身創痍状態だったのだろう。
ここから何をするにも、まずは回復をしなければ。メニューを開いて操作し、常備しているポーションをインベントリから取り出そうとする。
だが目的の物に辿り着く前に、部屋の外から何かを引きずるような音が聞こえて来た。足音は伴われない、ずるり、ずるりと何かが這うような不気味な音。
(何だ? 誰だ? ……そもそも、ここは何処だ?)
無我夢中で転移して来たから、ここが何処なのかも分かっていない。もし紛争地帯の真っただ中とかだったら、非常に不味い。殺されても、ここが本当に地上ならば蘇れるだろうが。
そんな思案を巡らせているうちに、引きずり音の主が部屋の中に入ってくる。月明かりに映し出されたその姿は、半人半蛇の女──キュリオスだった。
「なつめぐ」
懐かしさを感じさせる、抑揚の希薄な声。最後に見た時と変わらない、無感情の権化のような顔が、一瞬歓喜と安堵に歪んだように見えた。
「……なつめぐっ」
「あだァっ!?」
瞬間、身体に衝撃が来た。信じられない速度でキュリオスが動き、ナツメグに抱き着いたのだ。傷口が開いて激痛が走る。
だが、キュリオスの事を責める気にはなれなかった。あの忌々しい変態マネキンの言った事が真実ならば、地上ではアレから三年近く経った計算になるのだから。
「……長い間、寂しい思いをさせてごめん。もう、ワタシはキュリオスから離れないから……」
蛇の尾を彼の脚に巻き付け、両腕を背に回し、全力でナツメグを抱き締めるキュリオスの背を、彼は撫でる。色々話さねばならない事は有ったが、しかし今暫くは再会の喜びに浸ったって良いだろう。
「ただいま、キュリオス」
「……おかえり」
戻って来れた。何よりも大切な友の待つ所に、帰還する事が出来たのだ。今はただ、その安堵に耽りたい。
蛍石の月8日、あの洞窟を改造したアジトから二回の引っ越しを経た隠れ家。そこにはネリネとコノハズクとキュリオスと後一人、三日前キュリオスが突然運び込んで来た、燕尾服のドロイドの男の姿が有った。
キュリオスの言葉を読み解いた結果、彼の名は『ナツメグ』、《狭間の道》に挑んだプレイヤーの一人で、彼女の掛け替えの無い友人であるという事が分かった。何だか予感がして、直感に従ってバタフライエフェクトのギルドハウスに向かった所、ボロボロの彼を発見した、とも。
もう《狭間の道》攻略組は帰って来ないと諦めてたのだが、これは僥倖である。彼が持ち帰った情報がどんな物であれ、それはこの停滞しきった状況に新たな風を呼び込むだろう。
いい加減、ジャディスリィ相手に渡り合い続けるのも疲れてしまった。だが、何かプレイヤーが全員で手を組まねば敵わないような巨悪の存在でも露見すれば、面白い事になるだろう。
(何にせよ、ナツメグさんが目覚めないと駄目だけど)
彼は搬送されて来た時から三日三晩、ずうっと眠り続けている。既に全身の傷は癒し、HPも全快させ、悪性の状態異常は全て取り除いたのだが、それでも彼は目覚めない。
魔法を使って無理矢理覚醒させる事も可能ではあるが、あの傷付き方は尋常ではなかったし、睡眠でゆっくり心を休める期間も必要だろう。そう判断し、自然に目覚めるのを待っている。
(……でも、いい加減に長過ぎだよね?)
時間的な余裕は、有るとは言えない。無為に時を過ごした分だけ、ジャディスリィとの冷戦を切り抜けなければならなくなるのだ。
このまま何週間も何ヶ月もベッドを占領され続けるのも癪だし、いい加減ダイナミック目覚ましでもしに行こうか。そう考えて、彼女はコノハズクを伴って寝室に向かった。
「そーろーそーろーおーきーろー」
声を張り上げながらバタンとドアを開け、ナツメグが横たわっている寝台に歩み寄る。彼を連れて来て以来付きっきりのキュリオスを押し退けつつ、ネリネは彼の顔を覗き込んだ。
「もう十分休んだでしょ? そろそろ起きてよ。そのベッド、ホントはあたしのなんだから」
ベッド脇の椅子の上に立ち、両手を腰に当てて高圧的に言い放つ。だがナツメグは目覚めない。ただの声掛けで起きる程眠りは浅くないか、とネリネは肩を落とす。
「……ね、キュリさん。ちょっと彼を起こしてみて」
「はい」
椅子からぴょんと飛び降りて、キュリオスに場所を譲る。彼女はずるずるとナツメグの枕元に這い寄り、彼の額に手を乗せながら、ぶつぶつと囁き始めた。
「……なつめぐ──」
あまりにも密やか過ぎて、一歩離れたネリネには内容は聞き取れない。だがそのキュリオスの声音は、今まで聞いた事が無いくらいに優しげだった。
やがて、ナツメグが身じろぎをする。それを認め、ネリネはキュリオスの横に身体を滑り込ませた。
「目が覚めた?」
「はい」
ナツメグの方に問うたのだが、キュリオスに答えられてしまった。まぁ良いが、とネリネは再び椅子によじ上る。
「う……」
小さく呻き、ナツメグがゆっくりと目を開く。その赤い双眸がまずキュリオスを捉え、次いでネリネを映した。
「……キュリオス……いや、ここは……ワタシは、どうなって……」
困惑を宿した声で呟く彼に、ネリネはずいっと胸を張ってみせる。そしてこう言葉を並べた。
「初めまして。あたしはネリネ、キュリさんの友人ね。で、ここはあたしの隠れ家」
「……保護、してくれたのか。感謝を」
「どういたしまして。調子はどう? 出来得る限りの治療は施したけれど」
「すこぶる快調。寝過ぎて眠いが……」
彼はネリネの言葉に応じつつ、キュリオスの手を借りて上半身を起こした。サイドテーブルに置いておいた水筒を彼に差し出しながら、ネリネは更に続ける。
「眠たい気持ちは分かるけど、でもすぐ寝てもらっちゃ困るわ。色々話して欲しいの。おまえが掴んだ情報を、ね」
「……こっちも聞きたい事が山ほど有る」
「あたしが聞くのが先よ。《狭間の道》から持ち帰られた情報をどう扱うか、さっさと決めないといけないしね。時間に余裕が有るわけじゃないの」
ネリネが情報を得る前に、ジャディスリィにナツメグを奪われたら、とても困る。時間が経てば経つ程露見のリスクは高まるし、さっさと『お宝』を手に入れイニシアチブを握る必要が有るのだ。
他にどのくらい帰還者が居るのかは分からないが、世界中大騒ぎになってない事からそう多くないと目されるし、彼の存在はそれだけで貴重であると考えられる。まぁ、ジャディスリィも帰還者を手に入れていたら、あまり意味は無くなるのだが。
「……。随分とまぁ、面倒くさそうな事になってるなー。あー、ゲームなんだから『行って殴って勝つ』で十分なのにさ、めんどくせー。
分かった、話そう。ワタシが知り、為した、全てを」
そう言いながら、彼はポケットから何かを取り出す。ネリネたちの方に差し出されたそれは、紐の切れた小さな首飾りであるようだった。木製のボタンに二枚の羽根が付いたそれは、元の色が分からないくらいに血塗れになっていた。
「それは?」
「形見、というか、何と言うべきか。……バタフライエフェクトのギルドマスター・ヘイゼルと所縁の有る者を知っていたら、これから話す事を全て伝えた上で、渡して欲しい」
その条件に合致するのは、ネリネの知り合いではアージェンしか居ない。どうせアージェンには、少なくともナツメグを保護した事は話すつもりだったから、丁度良いだろう。ネリネは頷き、血のこびり付いた首飾りを受け取った。
「……何が悪かったのか。ワタシには分からない。このゲームを始めてしまった事、あのアップデートイベントの時にログインしていた事、新ダンジョンなんかに向かってしまった事……きっと、全部が悪かったんだろうな」
遠い目になりながら、ナツメグは語り始める。その目で見、その身に受けた悲劇の全てを。
ふと、ネリネはコノハズクの方に一瞬視線をやる。すると、彼の耳の辺りに付いている結晶が真っ青に染まっているのを、彼女は認めた。




