80:砂の軍艦
とある山奥の洞窟。丁度良い具合に木々が生えて覆い隠された入り口を通り、細く暗い洞穴を抜けて、その奥に有る一見行き止まりにしか見えない壁。アージェンはその前に立ち、まず壁を三三七拍子でノックした。
『花の都』
何処からともなく響いてくる幼女の声。魔法でこの場に直接音を届けているのだ。アージェンは淀み無く答える。
「福岡」
『鬼の目にも』
「ゆず胡椒」
『イエロー』
「ケーキ」
『他人の金で』
「焼肉パーティー」
『空から降り注ぐ』
「死の五億円」
脈絡の無い問答は、所謂合い言葉だ。彼女が全て答え終えると、行き止まりだった筈の壁面に、フッと黒い鉄の壁が現れた。アージェンはその前に立ち、次の合い言葉を唱える。
「開け! すりごま!!」
ドスを利かせた声で叫ぶ。すると、壁に四角い溝が生まれ、同時にドアノブが出て来た。彼女はノブを掴み、さらに唱える。
「ごま豆腐ゥ!!」
そう言いながらドアノブを引き千切り、扉を蹴り開ける。そして壁の向こうに一歩踏み込みながら、最後の言葉を口にした。
「地球よ! わたしはここに居るぞ!!」
全ての合い言葉を言い終えた所で、隠し扉の向こうのすぐ側に有った曲がり角から、二つの人影が姿を現した。ネリネとコノハズクだ。
「ようこそ、あたしの隠れ家へ」
「どーもお邪魔します。……しっかし、何重の合い言葉なんだよこれ」
「ま、念には念を入れてね。入ってらっしゃい、お茶とか用意してるから」
手招きされるままに進むと、蹴り倒した扉がひとりでに元の場所に戻った。きっとまた行き止まりにカモフラージュされたのだろう。明かりを持って先導するネリネに、アージェンはとことこ付いてゆく。
「さ、ここよ。急造のアジトだからあんま綺麗じゃないけど、勘弁してね」
少し歩いた先に有った三叉路を右に曲がり、更に少し進むと、そこにはそこそこ広い空洞が広がっていた。魔法球によって十二分な光量が確保された部屋の中には、大きめのテーブルが一つと椅子が三つ設置されている。
椅子の一つにはキュリオスが座っていた。ネリネも空いている二つのうち一つに座り、コノハズクはこの空洞の出入り口前に留まる。
「座って座って。積もる話も有るしさ」
「分かった」
促されたので、アージェンも最後の一つの席に着いた。用意されていたティーセットでお茶を淹れながら、ネリネが徐に口を開く。
「……ルシさん、居なくなっちゃったのよね」
フィクルの街での一部始終は、既にメールで知らせてある。アージェンは頷いた。
「実はね、あたし、ルシさんに色々教えたの。あれから新しく分かったセンタの事とか、その利用法とか」
「そうだったんだ」
まぁ、彼がネリネに接触してないわけが無いし、そうなんじゃないかとは思っていたが、これで確定した。紅茶を淹れ終えたネリネは、それをキュリオスとアージェンへと配りながら続ける。
「……センタって、色々有るでしょ。物質を形作るの、精神が乗ってるの、命が流れているの。これだけ有るなら、『空間』や『時間』を司る層も存在するんじゃないか、って仮説を立てていたのよ。
『時空』から頭文字を取って、仮称『Jセンタ』。魔法での干渉は禁止されてるみたいだけど、他の手段で手を出せればテレポートも出来るかもね、って具合の推論もルシフェルに教えたわ」
アージェンは紅茶にたっぷりの砂糖とミルクをぶち込む。そして、火傷しないよう慎重に口を付けた。ネリネも、砂糖だけを入れた紅茶を一口飲む。
「それから、風雲さんの残したノートを読み込んでたりしたわ。1000年前の古代文明についての考察とかを調べていたみたい。きっと、フィクルの謎装置の事も、それで知ったのね。
……きっとディーネイさんの事を取り戻したいのだろうな、くらいまでは分かってたわ。けどもね、その為に人殺しまでするとは思っていなかった」
言い訳じみた台詞だが、そう言いたくなる気持ちも分かる。アージェンとて、あの場でルシフェルをどうにか説得出来ていたら、という後悔が無いわけではないのだ。
「あたしが知っている事はこれくらい。ジェンさんは?」
「メールで伝えたのが全部。変な裂け目とか、ベネトナシュの神の事とか、包み隠さず書いたつもりだ」
晴嵐の様子がちょっとおかしかった所まで、彼女が掴んだ情報は全て綴っておいた。ネリネに隠し事をする必要は無いだろう、と判断しているのだ。
「……信頼、してくれてるのね」
すると、しみじみとネリネは呟いた。その声音が何だか不穏に聞こえて、アージェンは眉根をひくりとさせる。
「あたしから、もう一つ」
まだ有ったのか。随分と言い難そうに俯きながら、ネリネは告げた。
「実はね、ジャディスリィに下ったの」
まず一秒、アージェンは真顔のままその台詞の意味を噛み砕いた。次の一秒で顔芸レベルに瞠目し、三秒目には椅子ごと仰向けに倒れる。
「アッエ!? ウェアッ!?」
「安心して。ここにはあたしたち以外は居ないわ。あたしと、キュリさんと、コノハズクに、ジェンさん。四人だけよ」
あまりの事に思わず奇声を上げてしまったが、すぐに冷静さを取り戻して椅子を立て直し席に戻った。マップを見る限りは、確かに他の存在は見当たらないし、今すぐ何かされはしないのだろう。
「当然、あなたの事も“まだ”売ってない。……ここから先、必要になれば売るかもしれないけれど」
「……ネリネさんって何知ってたっけ」
「あなたの戦闘力、センタの殺害魔法が使える事、あなたの仲間の詳細。あなたのアジトの場所は知らないから、何が有っても漏れる心配は無いわよ」
「一番致命的な所はセーフかー……」
避難所の建設に協力はしてもらったが、その場所だけは教えないでおいて本当に良かった。色々と情報が漏れる可能性が出来たのは痛いが、そうである事実を知れただけでもアドバンテージになるし。
「でも、出来る限り漏らさずにやってくわ。ジャディスリィの味方にはなったけど、あなたの敵になりたいわけじゃないもの。……必要以上に荷担する事も出来ないけど」
「ん、ありがと。それだけで十分」
とはいえ、迂闊に何もかも話してしまうのはこれっきりにした方が良いだろう。お互いにその方が不幸にならずに済む筈だ。最初から知らなければ、嘘を吐いて隠す必要も無くなるのだから。
と、そこまで考えて、彼女はふと思い立った。
「……いっその事、わたしもあいつに付いちゃおうかなぁ。勧誘はこっちにも来てたんだよね」
その方が楽なのではないか。なんだかんだ言っても、もし味方になるのであればジャディスリィ程心強い者は居ない。だがネリネは首を横に振る。
「難しいと思うわ。あたしの場合、キュリさんっていう切り札が有ったから有利な条件を取り付けられたけど、ジェンさんには決定的なカードが無いし」
「ネリネさんから取りなしてもらうのは?」
「ちょっとやりたくないわね。それを言い出したらどんな見返りを求められるか分からないし……あなたに協力はしたいけど、危ない橋は渡りたくないわ」
確かに、アージェンに切れるカードといえば、レオロたちくらいしかない。ネリネと密に情報共有をしていたから、アージェンは殆どネリネで代用出来てしまうのだ。
「んー、どうすっかなー……」
ネリネがジャディスリィに付いた以上、新エスポワールに付くのは考えられない。最後に残ったプレイヤーの友人まで敵に回したくないのだ。
やはり、どこかの組織に頼る事はせず、自分の力で何とかするのが一番リスクが少ないだろうか。最終手段として籠城作戦というのも有るし、変なしがらみを負いに行くよりは個人で対処する方が良いやもしれない。
(こっから先は、ネリネさんにも頼り難くなりそうだし……やっぱり『べったりストーキング護衛作戦』しか無いんかなぁ)
柔らかな味わいのミルクティーを堪能しながら、アージェンは思考を巡らせる。長らく悩んで来た事に一応の答が出たから、少しは気が軽くなった。
「随分と気分が良さそうね」
ゾグシェーノ王城、ジャディスリィの執務室にて、注文された大量の消費アイテムを届けに来たネリネは、鼻歌を歌いながら書類と向き合うジャディスリィにそう呟いた。
今回頼まれた物は、矢や爆弾や回復アイテム等々を、それぞれ数百スタック程。ネリネ以外にも取引相手は居り、そいつらにも同じような注文をしているらしいから、全部合わせれば戦争でもやるような量になる。実際、それに近い事をやらせるための準備なのだろうが。
「ええ、そうですね。もうすぐわたしの勢力圏が広がると思うと、吐き気がするくらいときめいてしまいます」
「失敗するかも、とは考えないの?」
「有り得ませんもの。余程の事──例えば、ドラゴンがやって来て敵も味方も焼き尽くしてしまう、なーんて事が起きない限りは、ね」
今度は何処でおっぱじめるつもりなのかは、ネリネには知らされていない。ケヴルーア大陸の中なのだろう、くらいは察せているが、呆れる程に情報統制がキッチリしている。
「……うん、ちゃんと注文の数揃っていますね。お疲れ様でした、こちらが代金です」
アイテムを受け渡し終え、大量の硬貨が入った袋を受け取る。ネリネがそれをインベントリに押し込むと、その分だけ所持金の欄に加算された。計算し、一リグたりとも誤摩化されていない事を確認すると、彼女は口角を上げて頷く。
「全部で3300万リグ、キッチリ頂いたわ。律儀よね、ちゃんと適正価格払ってくれるの」
「信頼関係は大事ですもの。ネリネさんとは長い付き合いになるでしょうし、こういう所から誠意を示していきませんとね。
……って、このマフィン、毒入りじゃないですか。舌がピリピリするかと思ったら」
苛立ちの混じった声を上げながら、しかし菓子を吐き出したりはせずそのまま食べ尽くしてしまった。普通のヒューマンなら死に至る毒でも、100lvのプレイヤーにとってはちょっと刺激的な調味料でしかないのだ。
しかし、彼女が口にする物に毒が入っていたという事は、彼女の暗殺が何処かで企てられていたという事でもある。ジャディスリィは自身に回復魔法を掛けながら、独り言を呟き始める。
「得てして、権力者というのは恨まれるモノなのですね。あのような方法で得た立場であれば尚更」
「自覚は有るのね」
「そこまでお馬鹿じゃありませんよ。人を殺せば、その人の家族や友達に恨まれるのは当然の摂理。憎しみを受ける覚悟はとっくに決めてます。……理解が出来るわけではありませんがね」
媚びず省みず、言い訳もしないという覚悟。実際に殺意を向けられても尚揺るがぬその心は、流石と言うべきか。
「それはそれとして、わたしに毒殺が試みられたという事実は見過ごせませんね。下手人を探し出して背後関係を調査、適切な処罰を下さねばなりません。
それから、今後わたし以外が狙われる可能性も考慮して、主にNPC端末に対して防御策を講じなければ。万能薬と……身代わり人形の配布でファイナルアンサーでしょうかね。
ネリネさん、そちらの用意もお願い出来ますか?」
「勿論。個数は?」
「えーっと……予備も含めて各5スタック程を。ついでに他の注文もしちゃいますね──」
メモに彼女の注文を書き綴ってゆきながら、ネリネは考える。こうして仲間の命を守る為の発注をしてくる辺り、本質はジャディスリィもネリネも似通っているのやもしれない、と思う。
確かにジャディスリィは目的の為に多くの人を殺している。だがそれは、規模の違いこそあれネリネとてやっている事だ。
素材を手に入れる為、経験値を稼ぐ為、仲間を守る為、ネリネも多くの命を殺めてきた。いや、彼女だけではない、このヒョというゲームのプレイヤーであれば、少なからず誰しもがやってきただろう。
(……って、またコイツに好意的になってるじゃないの)
ネリネは心の中で頭を振ってその思考を追い払う。ジャディスリィはベクトルこそ狂っているが、自分に正直に妥協しない生き方を貫いているから、どうしてもどこか惹かれてしまうのだ。
人目を惹く美貌、洗練された立ち振る舞い、良く通る声、明晰な頭脳、一貫した信念。それらが全て合わさって、彼女のカリスマとなっているのだろう。面従腹背のネリネさえも魅了する程の。
「と、以上ですね。可及的速やかにお願いします」
「了解よ」
「それから、一つ聞きたい事が有るんですけど」
ぞくり、と唐突に鋭利な視線が突き刺さる。殺気のような、凄まじく重い威圧感だ。油断していた所にいきなりそんな物を向けられ、上擦った声を漏らしそうになる。が、それはなんとか喉で押し潰せた。
「エンウィードゥ大陸、ウテウロイ地方の小さな町フィクル。それがどういうわけだか更地になってしまった事件の事です。
何が起きたかは全く不明。噂では『白い大きな蛇が空を飛んでいた』だのと囁かれていますが……ねぇネリネさん、何か知りませんか?」
アージェンが言っていた奴か。あれだけ大規模な事が起きれば、ジャディスリィの情報網にも引っ掛かるのは必然だろう。ネリネはこう答える。
「それくらいは知ってるけど、それ以上は知らないわ。残念だけれど」
ルシフェルの事を言う必要も有るまい。適当にとぼけておく。だがそれに対しジャディスリィは、更に威圧を強めて返してきた。
「どうやって、知ったのですか?」
「……あれだけ派手な出来事だったのだもの。少し耳を澄ませば引っ掛かるわ」
「どうして『あれだけ派手』だと言えるのです?」
もしかしなくても、墓穴を掘ってしまった。怒りと失望を思いっきり濃縮したような暴力的な感情が、剥き出しのままに向けられてくる。
「わたしはね、偶々フィクルに滞在していた端末からの連絡が途絶えた事から異変に気付き、更地になったあの地の事を知る事が出来たのですよ。まだ他の端末にすら言っていませんし、他のプレイヤーたちも殆どは気付いてすらいない。
もう少し時間が経てば広がってゆくでしょうが、今はまだ限られた者しか持ってない筈の物なんですよ、フィクル消滅の情報は。……ねぇ、どんなルートから仕入れたんですか?」
フィクルは田舎町だ。電話の代わりに使えるアイテムはこの世にも存在するが、それ程普及している代物でもない。大都市ならばいざ知らず、あんな小さな町にそういった連絡手段が有るとは限らない。
よしんば有ったとして、それで近隣都市と定期連絡をしているとも限らない。そして、まだフィクル滅亡の報が広がっていないという事は、そういう事だったのだろう。
(しくじったわね)
さて、どう言い訳をすべきか。額に汗が浮かぶ。だがそんなネリネの動揺もおかまいなしに、ジャディスリィは更に畳み掛けた。
「ああ、怒ってなんかいませんよ。本当です、嘘じゃありません。ただ、悲しいだけですよ、隠し事をされて。
どうか差し出してくださいませんか? わたしの欲しいもの……持っているのでしょう?」
窓から差し込む光が逆光となって、ジャディスリィの笑顔を禍々しく彩る。怒っていないとは言っているが、そんなのよりも余程恐ろしい心が、その面皮の下に渦巻いているように見えた。
「……来る筈だった取引相手がいつまでも来なくて、調べたら最後にフィクルに訪れてた、って分かったの。そこから知ったのよ」
苦しい言い訳だが、正直に話したりするのよりはマシだろう。万が一にも、フィクル消滅の悲劇を再現する方法を掴ませるわけにはいかない。彼女の振るえる力を、これ以上みすみす増やしてはならないのだ。
「そうですかぁ、そうだったんですねぇ。分かりましたよぉ」
間延びした喋り方がまた恐ろしい。とはいえ、一先ず彼女の激情は収まったようだ。比喩でなく胸を撫で下ろすネリネに、ジャディスリィは続ける。
「ですけどねぇ、ネリネさぁん? わたしって、嘘と偽りがヒューマンの次くらいに嫌いなんです」
ボキッ、と音がした。彼女が手に持っていたペンを、そのまま握り潰してしまったのだ。
「わたしって結構感情的ですから、もし嘘を吐かれてたと判明したら、契約も約束も何もかも忘れて、激昂してしまうかも……。
ああ、でも、仕方ないですよね。嘘吐きは問答無用で悪なんですから。悪を滅ぼすのは正しい事ですもの」
額に薄らと青筋を浮かび上がらせて微笑む彼女に、ネリネは畏怖を抱いた。畏敬の入り混じった恐怖のままに、たらりと冷や汗を垂らしながら、ぎこちなく頷く。
「……ええ、そうね。嘘は吐かないわよ」
「理解して頂けて幸いです。では、下がって良いですよ。また今度」
退去を許されたので、ネリネは大人しく部屋を出て行った。そして即転移でアジトに帰る。どんよりと澱んだ地下の空気を吸った瞬間、抑えていた汗やら涙やらがどっと吹き出た。
「はぁぁぁぁ……」
凶悪な虎の尻尾を思いっきり踏んづけてしまったような気分だった。偶々腹具合が良かったから見逃されたものの、もしもう少し間が悪ければ、きっと酷い目に遭わされていただろう。
(……やんなっちゃうわね。死にたい)
タオルを取り出し、顔をぐしぐしと拭う。ちょっとでも選択を誤れば、ああして苛烈に責め立てられる。契約では『妙な真似をするな』としているが、あの状態のジャディスリィにその条項を持ち出すだけの胆力も無い。
いつまであれと付き合えばいいのだろうか。まだ船旅の終わりは見えない。
九章はここまで。
おまけの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/968c21de-55a5-4ea1-8a0f-af4928159bfe/4b386e6788cf07cedfcff7fc522498ca




