79:白蛇の守護神
あの時空の裂け目が出現してから数分。ゆっくりと、しかし確実に広がってゆく“虚空”をちらちらと見上げながら、アージェンはすっかり荷物を纏め終えた仲間たちに声を掛ける。
「三人とも、忘れ物無い?」
「イエスマム、であります!」
「問題有りません」
「仔細無し」
「オーケイ、じゃあ転移だ」
三人ともが頷くのを認めて、アージェンはメニューを開き転移先座標を設定した。行き先は彼女専用の新しい避難所である。
最寄りの街まで走って知らせようという案も出た事には出たが、却下となった。そこまでしてやる義理は無いし、それよりも早い所安全圏に引っ込み、そこから対策を考える方が結果的な被害は抑えられる。
(……ルシフェルさん、どうなったんだろな)
目的通りの日時に辿り着けたのか、それとも何処にも行けずに無に溶けてしまったのか。虚しく浮かび上がる自身のチャット履歴を眺めながら、彼女は転移を起動させようとした。
「……!! あ、アージェンさん、ちょっと待ってください!」
「ヴェッ……な、何?」
突然上げられたフュールの声に、アージェンは飛び上がりそうな程驚いて振り返った。見上げると、彼は東の空を指差す。そちらの方へと視線を移すと、とんでもないものが目に入った。
「……白い、蛇……?」
夜空を駆ける、巨大な白蛇。薄らと燐光を放つ白鱗赤目の蟒蛇が、東の方角、エルフの国アルファルドの方向からやって来ている。
「あれは、あの姿は……いえ、奴は、アルファルド以外には興味が無い筈では……」
全てを直感的に理解したフュールが、今にも倒れそうな顔で呟く。その台詞で、アージェンも漸く目の前の光景と自身の記憶を結びつける事が出来た。
アルファルドの土着神。生贄を求む貪欲なる邪神。安穏たる箱庭の尊き主にして、神々しく堅牢なる守護神。いつしか神殿で見た木造の神像とあの蛇の姿が、完全に重なる。
「ベネトナシュの、神……」
あの国のあれこれを目の当たりにしたから、実在はしているんだろうな、程度には思っていた。だがああして肉体を纏って出てくる所を見る事になるとまでは思っていなかった。
東からやって来た白蛇の神は、真っ直ぐに“虚空”の露出部分に向かう。マップ画面のバグってる部分に、一つの中立反応が凄まじい速度で近づいて行っている。ふと、彼女はその反応のステータスを開いた。
種族、『tiりe?ゅUdOニじnn;;;ス』。レベル、『$3&"%0』。……こっちまでバグっている。HPやMPを示すバーも、画面外に飛び出たり変な所から伸びていたりしていた。
「どうするんだ、アージェン」
「……成り行きを見守るよ。三人とも、警戒を怠らないように」
警戒心と好奇心がせめぎ合い、後者が勝った。マップ画面と実際の光景とを交互に眺め、ねぐらから這い出た蛇神の動向を窺い続ける。
蛇はひび割れの部分に辿り着くと、その周囲を旋回するように飛び回り始めた。同時に、その声と思しき音が聞こえてくる。
『“戻れ、治れ、癒えよ、紡げ、縫え、繕え”』
日本語のようにも聞こえ、英語のようにも思え、もっと知らない言語のようにも響く言葉。ありとあらゆる言語である可能性を重ねた声が命じるままに、ひび割れが小さくなってゆく。
やがて、ひび割れは完全に消えて無くなってしまった。元通りの夜空と、町並みの消えた荒野が現れる。
『“……えあると……”』
同時に、蛇の姿も薄くなって消えてしまった。マップからも反応が消える。……フィクルの存在を示すアイコンも消えていた。
「……何だったんだ、アレ」
理解が追いつかないといった様子のレオロが、夜間だとは思えないテンションの低さで呟く。フュールも、程度は違えど似たような顔でこめかみに手を当て俯いていた。
「一体何が起きたのでしょうか……」
「なんか変なのが出来て、推定ベネトナシュの神がやって来て、変なのを消した。その余波でフィクル滅亡」
「いや、それは分かるんだが」
「これ以上はわたしにも分からんよ。……予定通り、一旦避難所に行く。転移するが、良いな?」
あの奇妙な時空の裂け目は消えたが、この場が安全になったかどうかまでは分からない。一旦逃げて、ネリネ辺りと情報を共有しておくべきだろう。
そうして転移の発動ボタンに手をかけた所で、アージェンは先ほどから晴嵐の反応が無い事に気付いた。彼の方に視線を移し、声を掛ける。
「そいや、晴嵐? どうした、腹具合でも悪いのか?」
「……はっ、い、いえっ! 申し訳有りません、ちょっとぼーっとしていましたッ!!」
すると弾かれたように顔を上げ、ビシリと敬礼を決めた。だが表情は引き攣っているし、良く見れば手先がぷるぷると震えている。
そんなにアレが怖かったのか? いや、晴嵐は特に蛇嫌いというわけでもないし、恐怖を感じてもこうして表に出す事は殆ど無い。
──前にも、彼がこのように困惑と恐怖を発現させた事が有った。『センタ』に付いて聞いた時だ。
(……今回はベネトナシュの本体ねぇ)
センタ、ベネトナシュ。一見何の繋がりも無いように見える二つだが、共通点は有る。両方とも、プレイヤーから隠されているのだ。
プレイヤーに知られると不都合な何か。それを晴嵐は知っており、知っているという事をアージェンに知られそうになると情緒不安定になる。その事実を晴嵐の性格も踏まえて考えると、彼が知っている真実は、彼女に不利益を齎すものであるという所に辿り着く。
「……ん、分かった。で、転移するけど」
「はい、大丈夫なのであります!」
「おっけ」
彼の隠し事を暴きたいのは山々だが、今揺さぶっても吐いてくれることは無いだろう。アージェンはすっぱり諦め、今度こそ転移を発動した。
新造の避難所の島にて、アージェンはふらりと砂浜に出て来ていた。こっちはもう早朝だったが、風はしっかり冷たい。それに当たって、彼女は頭を冷やしながら考えを整理していた。
妙な裂け目やベネトナシュ神の登場にインパクトを持って行かれていたが、アレのそもそもの原因はルシフェルなのだ。……そして、彼は今アージェンたちの居る世界から居なくなってしまったのだ。
フレンドリストを見れば『ログイン中』の表示のままだが、彼からの交信はあれきり無い。きっと、これからも無いだろう。
(あいつは死んだんだ。もう二度と帰って来ないんだ)
その事実を再確認すると、ずーんと重いものが胸に落ちてきた。一度は戻って来たと思っていた故に、落差は大きい。
「ゲロを吐く程甘かったな……見通しが」
何処までも楽観的になっていた。もっと穿って考えれば、ルシフェルが凶行に及ぶ可能性はいくらでも思い浮かべられたのに。
(結局、ジャディスリィに対してどうするかも考えられてないし)
雲居王国での一件以降、彼女からの接触は無い。もしかしたら本当にこちらが返答するまで待っていてくれてるのかもしれないが、単にたまたま気が逸れているだけなのかもしれない。
彼女が痺れを切らす前に、いっそ応じてしまうべきだろうか。それとも、最近出来た新エスポワールとやらに与するべきだろうか。
いや、駄目だ。ジャディスリィに従えば、“今のアージェンたち”は間違いなく殺されてしまう。新エスポワールも、こっちは比較的穏健な組織であるようだが、NPCたちも守ってくれる保障は無い。何処何処も、ルシフェルが戻ったならワンチャン有るやもと思ったが、今はもう力不足だ。
(ほんっと、地雷原でマイムマイムやってる気分だな!!)
どう動けば危険を最低限に出来るか、必死に脳みそをくにくにこねくり回して 考える。頭が沸騰しそうだ。
「はぁ……」
煮詰まって頭蓋が弾け飛びそうになったので、一旦思考を打ち切る事にする。帽子を外して、潮の匂いの乗った風を頭に浴びた。
「んー……良い気持ち」
朝の訪れに白みゆく空を、空っぽの頭で見上げる。とりあえず、ルシフェルの事件に関してだけでもネリネと話し合っておくべきだろう、何か知っているやもしれないし。その約束を取り付けるためのメールを書き始める。
そうして半ばまで書き進めた所で、ふと砂を踏む音が背後から聞こえて来た。誰かが起き出したのだろうか、と彼女は振り返る。するとそこにはレオロが居た。先ほどまで横になってたのか、マフラーやベストを着けていないし髪も縛っていない。
「あれ、レオロ?」
「……おう」
こんな朝早くに起きてるだなんて珍しい。あんな事が有ったし、やはり落ち着かないのだろうか。アージェンは微笑みを浮かべてみせる。
「どうしたの、眠れなかった?」
「ああ。いまいち浅くてな。……お前こそ、寝てないのか」
「考える事が多いからね。ま、一年以上不眠でもガタの来ない身体だし、心配は無用さ」
立ちっぱなしも疲れるし、と彼女はその場に腰を下ろす。そしてすぐ隣の砂をぽんぽんと叩き、レオロにも座るよう促した。
「……本当なら、三人ともここに避難しとくのが一番安全なんだ」
彼が隣に座った所で、ぽつ、と最適解の一つを口にする。そう、それが一番安全。ここを彼女の避難所だと知っているプレイヤーはアージェンしか居ないから、他のプレイヤーが襲撃してくる可能性はほぼゼロだ。
「だけど、それじゃああんたたちの為にならない。こんな何も無い孤島に何ヶ月も閉じ込めとくわけにゃいかないだろ。本当に危ないってなったら、それも視野に入るけど」
「何がそんなに危ないんだ?」
「わたしたち以外の全て。……ってーのは言い過ぎだけど、そのくらい手広く根を張り巡らせられる相手って事ね。はーあ、気が滅入るよ」
わざとらしく肩を竦めて首を傾げて、やーれやれと言ってみせる。そうやって空気を軽くしようとしたのだが、レオロは何だか険しそうに口元を歪めていた。
「……またへし折れんじゃねーぞ。その前に俺を頼れ」
「分かってるよ、レオロは心配性だなぁ。……あ、そうだ」
思いついたように声を上げると、彼は無言で視線を向け、それを口にする事を促して来た。そんな彼に対し、アージェンは半目の笑顔を浮かべてみせてこう言う。
「キスしてくれたら元気出るかも。ほら、わたしって単純だし」
相手が静かに驚愕したのを、彼女は表情から読み取った。別に初めてでもないのだが、シリアスムードの中で言ったからか、度肝を抜かれたらしい。色素の薄い肌がみるみる赤くなってゆく。
「……分かった。目を閉じててくれ」
「ん」
やがて決心したように言うと、彼はアージェンの右頬に手を添えた。言われた通りに彼女は目を閉じ、相手の顔が近づく気配を感じる。
そして、唇同士が触れ合う。ほんの二、三秒ほどそうした後、すぐにレオロは離れていった。頬からも手が離れたのを合図に、アージェンは目を開く。すると、思いっきり彼と目が合った。
「な……なんか、今になって恥ずかしくなってきた……」
「アホか。で、元気は出たのか」
「う、うん。そのー、ありがとね、レオロ」
思い出したように熱くなる頬と早まる鼓動に、にやけてるような怒っているような奇妙な表情になりながら顔面を手で覆い隠す。心に温かいものが広がるが、それ以上に顔から火が出そうだ。
けれども、幸せだ。愛しさが苦痛を薄めてくれている。レオロが居る限り、挫けてもまた立ち直れるだろう。
「……本当にありがとう。わたしの事を支えてくれて、さ」
身体を傾け、レオロの肩に頭を乗せて寄りかかる。すると、彼は片腕をアージェンの背に回し、そっと抱き寄せた。その体温は低いが、しかし何だかとても温かいと感じた。




