77:蝙蝠の意地
端末からの報告を受けたジャディスリィは、執務室の中をウロウロと歩き回りながら考え事を開始していた。
彼女の思考の中心を占拠する報告というのは、先刻アージェンとの接触を試みさせた端末からの物だ。再起不能な程に精神を痛めつけられた筈の彼女が、普通の顔をして街中を歩いていた、という事実に、驚きを隠せなかったのだ。
「……そんなに肝の据わった人物だったでしょうか。前に直接話した時から随分と経ってますし、何か変化が有ったのかもしれませんが……」
自分の身体を生きたまま解体されて、正気を保てる者なぞそうは居ない筈だ。だのにアージェンは常並に戻っている。ジャディスリィは険しい顔で目を閉じた。
「面倒ですね。首尾良く手に入れられたとしても、心を挫くのに時間が掛かるかもしれません。……ああ、ですけど、それなら楽しめるかもしれないのか」
そこに思い至り、彼女は笑みを浮かべた。どちらにせよ彼女は得するのだ。簡単に落ちてくれれば楽が出来るし、手こずるならば試行錯誤して攻略する楽しみが生まれる。
「さて、思考を切り替えましょう。今回の誘いに乗ってくれれば良いのですが、彼女の性格からしてそうはいかないでしょうね。
となると無理矢理落とす必要が有りますね。向こうも本気でしょうから、一筋縄ではいきませんよね」
長い耳をぴこぴことさせながら、ジャディスリィは作戦を練り始める。するとそこで、部屋の扉がノックされる音が耳に届いた。
「はい、どなたですか」
「3です。……ネリネ殿がジャディスリィ様にお目通りしたい、と」
「分かりました。どうぞ通してくださいな」
アージェンに対するものと同様に、ジャディスリィはネリネにも使いを派遣していた。それを受けてここに来るという事は、つまり答を固めたという事なのだろう。
彼女の下に降る事を選んだのか、それとも逆で、宣戦布告でもしに来たのか。にぃ、と口角を上げながら、相手が入って来るのを待つ。
「お邪魔するわね」
間もなく、小さな人影が3に伴われて入って来た。どうやら一人だけのようだ。ジャディスリィは椅子に座り、彼女と対峙する。
「ようこそ、我が結社の本部へ。歓迎しますよ。お茶でも淹れましょうか?」
「必要無いわ。あたしから話したい事は一つだけ」
つかつかとネリネはこちらに歩み寄り、ジャディスリィを射抜くように見上げてくる。ジャディスリィは返礼のように、恐怖感を煽る真っ赤な目でネリネを上から瞠視した。
「取引をしましょう。あたしはおまえに協力するわ。代わりに、おまえはあたしたちを庇護するの。NPCや他のプレイヤーのやらかす事から、ね」
そう来たか。耳をぴんと張り詰めさせ、相手が言葉を紡ぎ続けるのを見つめる。このジャディスリィを相手に、彼女は何を求め、何を与えようというのだろう。
「あたしと、キュリオスと、コノハズク。この三人の力をおまえに貸すわ。けどもあたしたちに妙な真似をしない事。もしそういう事をしようとしたら、その前にあたしは自殺するわ」
「死んでも死なないじゃないですか、プレイヤーは」
「あたしは殺せるの。おまえが唆したキーマやラインハルトと同様に、ね」
何の根拠も提示されていないが、しかしただのハッタリには聞こえなかった。少なくとも、ネリネは『プレイヤーを本当に殺す手段が有り、それを実行する事が出来る』と本気で信じているのだ。
彼女は風雲の系譜だ。本当に何らかの秘策を持っていても不思議ではない。もしかしたら、今この場でジャディスリィを殺害する事も可能なのやもしれない──危機感からなる悪寒が背筋を駆け上がる。
「……力を貸す、だけでは不足ですね。いつ裏切るか分からない者を側に置きたくありませんし」
「でも、おまえだってキュリオスの頭は喉から手が出る程欲しいでしょう?」
「今この場であなたを拘束して端末にして、コノハズクさんとキュリオスさんを呼び寄せさせる、って事も可能ですよ?
いえ、あなたの拠点の場所も割れてるんでしたね。今から襲撃をかけてしまいましょうか」
「あたしが一時間経っても帰って来なかったら、その場から逃げてあたしからの命令も聞くな、って言いつけてあるの。それに、他にも山ほど拠点は有るわ」
「……周到ですね」
真っ直ぐな敵意と、こちらの粗を探る視線。絶対的なカードを持っているからこその、確とした自信。刺激的だ。とてもスリリングだ。腹の底を不快感が渦巻く。
早く、早くこの不安を除去したい。この敵を呑み込み、自らの配下としてしまいたい。その暁に得られる安心は、一体如何程の快楽なのだろうか。そしてその力の全てを余す所無く発揮させて生み出される利益は、一体どれ程になるのだろう。
「そう、ですね。折角のチャンスをふいにするのは勿体無いですしね」
ここはネリネの取引を受け入れるのが得策だろう。今後も彼女やキュリオスとの接点を持つ為にも、一先ずは『協力』という形の絆を結ぶべきだ。
「分かりました。その条件で手を打ちましょう。ネリネさんたちはわたしに全面的に協力する。わたしはあなたがたを他の脅威から庇護する。互いに危害は加えない。……これで良いですね?」
「ええ、大体はそれで問題無いわ。けども一つだけ訂正。『全面的な協力』ではなく、『こちらに不利益が無い程度の協力』よ」
「仕方が無いですねぇ。良いですよ」
これにて契約は成立。後は権と陰謀の限りを尽くし、約束を破らない様巧妙に追い詰め、彼女の心を握り潰すのだ。含みたっぷりの笑みを浮かべ、ジャディスリィはネリネの瞳を覗き込む。
「しかし、本当にあなたたちだけで良いんですか? 他のギルドメンバーの方とかは」
「そっちも、と言えば吹っ掛けてくるでしょ? 自分の魂を売ってまで助ける義理は、あいつらには無いわ」
「あらあら、随分と冷たいのですね」
「物事の優先順位をハッキリさせてるだけよ」
ネリネの懸念通り、もし何処何処そのものを守って欲しいとか言われたら、思いっきり条件を出しまくるつもりだったが。この先予想される波乱から守るのだって、結構大変だろうし。
(それにしても、本当に面倒な敵ですねぇ……)
相手の手の内にはキュリオスが居る。身の丈以上に欲張っては、手痛いしっぺ返しを喰らってしまうだろう。
予定変更だ。プレイヤー側に割くリソースは、全てネリネ陥落の為に使おう。他は後からゆっくり味わえば良い。
ジャディスリィの鼻先からアトリエに帰って来たネリネは、まずコノハズクとキュリオスにここからの退去の準備を命じた。ここがジャディスリィの手の者に割れていた以上、早急に根城を移す必要が有る。
「……何なのかしら、あの威圧感。真似出来たら良いのだけど」
自身も荷物纏めに奔走しながら、ネリネはぶつぶつと呟く。脳裏に過るのは、先刻まで対峙してたジャディスリィの笑顔であった。
その場面だけを写真なんかで切り取ってみれば、普通に微笑んでいるとしか思えないような笑顔。だのに、気を確かに持たなければ押し潰されてしまいそうな程に恐ろしかった。
彼女とてプレイヤーなのだから、元々はネリネと同様の人間だった筈だ。一体どんな半生を歩めば、どんな波乱を乗り越えれば、ああも人間離れした顔が出来るようになるのだろうか。
(……って、あいつがどんな思いをしてきたかなんて関係無いわ。今大事なのは、あたしたちの安穏とした生活。良いわね、ネリネ?)
ぶんぶんと頭を振って、ネリネは自身の最重要課題を再確認する。調合器具や保存の利く在庫、家具の類いに至るまで回収しインベントリに収納しつつ、切り替えた思考を展開させ始めた。
キュリオスというカードを切ってまで、ジャディスリィに庇護を願ったのは、新エスポワールをはじめとした不安要素たちから身を守る為である。頼りに出来ない何処何処からは抜けてしまったし、宙ぶらりんの中立状態のままでは、四方八方から押し寄せる脅威を退けきれる自信が無かったのだ。
ジャディスリィだって勿論不安要素の一つなのだが、きちんと取引をすれば確実に守ってくれるだろう、という事で彼女に付くのを選んだ。代わりに奴と対等以上に渡り合い続けねばならなくなったが、強固な後ろ盾を得られたのは大きい。
「でも、いつまで保つかしらん」
作業が一段落した所で、はぁ、とネリネは肩を落とす。ジャディスリィは強い。このみがラスボスだとすれば、アレは真ボスだろうか。
それに、他にも懸念事項は有る。他にまだ片付けの終わっていない部屋は無いか、と動き始めながら、彼女はつい先ほど届いていたルシフェルからのメールを想起する。
彼は復帰した。それは間違い無い。だが、その内面が本当に前と変わらない彼のものなのかは分からない。あれだけの悲劇を受けて、全く何も変わらずにいられるのだろうか──どこか、文章だけでは読み取れない所に、致命的な歪みが発生している可能性が高い。
その上彼は、ネリネに対する連絡と共に、とある要求をしてきていた。それは、『センタに関する研究で新しく分かった事が有れば教えて欲しい』というものである。
(絶対何か企んでるわよね)
新しく分かった事は幾つか有る。Rセンタエネルギーとは、MPやHPの扱い等々。もう少し前の自分だったら、何も考えずにアージェンやルシフェルとも共有していただろうそれらを、果たして今どうするべきだろうか。
「……どうしようかしら、ねぇ」
十中八九、彼はディーネイを取り戻す方法を探しているのだろう。こうしてネリネに助力を求めてきた以上、それはほぼ間違いない筈だ。そして、彼女の研究成果の中には、それを成し得る可能性が含まれている。
とはいえあくまで可能性だ。まだ理論立てすら出来ていない、曖昧な推測でしかない。だがルシフェルにとっては、無間地獄に垂らされた一筋の蜘蛛の糸に見えるだろう。
ふと、背後に気配を感じた。振り返れば、全行程を終了させたらしいキュリオスとコノハズクの姿が視界いっぱいに広がる。指示を待つように佇む二人に、ネリネは何の気無しに問う。
「ね、ルシさんにさ、センタの事について新しい事教えて、って言われたんだけど。
コノハズク、キュリオスさん。あたしはルシフェルの求めに応じるべきなのかしら? それとも、止めておいた方が良いのかしら」
さて、こいつらはどんな反応を示すだろうか。目を細めながら相手の応答を待つと、まずコノハズクが首を横に振る事で答えた。教えるべきではない、と意思表示をしているのだろうか。
次いで、キュリオスが口を開く。
「どちらに天秤を傾けれど、悼み無き明日は有り得ない。ただ思う、戦い進む者に手を貸す事は善であると」
こっちは、『手を貸した方が良いんじゃないか』と言っているようだ。見事に割れた二人の意見に、ネリネは両手をメニューに滑らせながら考え込む。
「そうね。んー……よし、教えちゃいましょ」
そして決断を下す。インベントリから一つの魔法球を取り出し、アトリエの玄関近くに設置しつつ、予備の拠点に移動すべく転移の用意をし始める。
何故教える事にしたか。多分それはきっと、ルシフェルは腐っても友達だからだろう。ネリネとて、どんな形でも彼が復活した事が嬉しいのだ。
「コノハズク、これにMP込めて」
意見を無視されたコノハズクだが、特に不満も表さず命令に従った。この魔法球には、ネリネとコノハズクの幻影を作り出し、引っ越しをした事、連絡はメールでして欲しい事を伝える音声を流す魔法が組み込まれている。直接ネリネを訪ねて来た者の為に、これを残しておくのだ。
「ん、それでよし。じゃ、引き払いますかね」
誰に言うでも無く口にしながら、ネリネはアトリエを見回す。随分と長らく付き合って来たこの建物だが、暫くはお別れだ。
「ほとぼりが冷めたら、また会いましょ」
いつそんな時が来るかなんて分からないが。もの言わぬ家屋に一言投げかけた後、彼女は転移を発動させる。




