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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第九章:吐く程に甘い夢
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76:紅き暗影


 日々は恙無く過ぎてゆく。大した問題も起きず、プレイヤー界隈に目立った動きも見られず。あまりに動きが無さ過ぎて、もしかして何か見落としているのでは、と不安になったりもしながら、アージェンは日常を過ごしていた。

 雲居王国の中心、空中に浮かぶ巨大な岩山が丸ごと都市となった王都を訪れたり、その特異な自然環境によって育まれた独特の生態系を目の当たりにしたり。ここの所は人間関係に翻弄されたり、モザイクが必要な状態にされてばかりだったから、普通にファンタジー要素を眺めるのがとても新鮮に感じられた。

 そうして存分に雲居を観光したり冒険したりした後、やがてこの国を後にしよう、と入国した時とは別の港に訪れる。そしてそこの高所に有る景色の素晴らしい喫茶店に集まって、四人は今後の予定を煮詰め始めていた。


「まぁ、暫くはウテウロイ継続だよね。最終的にはギーオットに発ちたいから、それを想定して……」

「となると、この道を通って、こんな具合のルートで行くのはどうでしょうか」

「お待ちください、フュール殿。そのルートだと大きな山脈を突っ切る事になってしまいますよ」

「山岳地帯かー……面倒だなー。どーしよ。とりあえずここまでは行って、そっから先は交通手段とか見て考えようかね」


 攻略wikiが見れれば、通過地点の下調べやルート構築もラクチンなのだが。つくづく、これだけ広大な世界の情報をかなりの量集積していたあのwikiの凄まじさを思い知る。やっぱり風雲辺りが噛んでいたのだろうか。


「ま、ともかく、出発はまた明後日。集合は港の前で、ドラーヤ行きの船だからね。特にフュール、今日明日はキッチリ英気を養っておくように」

「ええ、分かっています。……本当、この体質どうにかならないんでしょうか……」

「ンンー、どうにか出来れば良いんだがな」


 乗り物酔いへの対処法なぞ、酔い止めを飲むくらいしか彼女は知らない。根源を絶つ事が出来れば彼も楽になるのだろうが、体調不良を訴える度に魔法をかける、という対症療法しか出来ないのが現状だ。


「今後のスケジュール、一切把握致しました。他にお話は有りますか?」

「いや、これでおしまい──あ、ちょっと一つだけ」


 晴嵐の問いに、アージェンは机の下でメニューを開き、今日の日付を確認した後こう返す。


「晴嵐、あんたの誕生日は瑪瑙の17日……間違いないな?」

「ええ! 流石は司令官殿、覚えていらっしゃったのですね」

「うむす。で、今日は月長の21日。もう来月に迫ってるし、そろそろプレゼントのリクエストでも聞いておきたいなーって」


 サプライズプレゼントというのも考えなくはなかったが、ああいうのは実際にやられると迷惑に感じるものだ。その上肝心の品まで彼の地雷だったら、それこそ目も当てられない。


「むー、そうですねー……」


 ぷにぷにと柔らかそうな頬に拳を当てながら、晴嵐は考え始める。あれでもない、これでもない、と忙しなく瞬きをする顔を、アージェンはニコニコと見守った。


「そうだ、食べ物が良いです。美味しい焼肉が食べたいのであります! 奢りで!」

「うむ、あい分かった。そうか、焼肉かー……」


 相変わらず固形物は食べられない。肉なんてもってのほかだ。だが晴嵐の希望は叶えてやりたい。内心頭を抱えて考え込みながら、しかし顔には了承の笑みを浮かべ続ける。


「なら、良い感じの所見繕っとく。楽しみにしとけよ~」

「はい!」

「じゃ、今日の所はこれにて解散。明後日午前8時、港の前でね」

「分かりました」

「……ん」


 そう言いながら、アージェンは席を立つ。その音頭に続いて三人も立ち上がり、それぞれ自分が飲み食いした分の会計をした。

 そして、ほぼ垂直な岩壁の一際高い所、出入り口からちょっとだけ飛び出した足場に、まず晴嵐が出る。突風が吹き抜ける中、彼は短く呪文を唱えてその風を手懐け、その力で空中に飛び上がっていった。

 次に、フュールが浮遊の魔法を使って浮かび上がる。危なげなく魔法の浮力を操り、彼は港の方へと向かっていった。その背を見送りながら、アージェンは足場の魔法を発動させる。


「アージェン」

「何ー」


 レオロの手を取り固い足場に踏み出すと、彼は追随しながら口を開く。


「……まだ肉は食べられないんだろ」

「まーね。食肉は見るのも無理」

「そんな状態でどうするんだ、晴嵐の事」

「今考えてた所。最悪、金だけ渡してーとかになるかなー……」


 それではあまりに風情が無いが、無理してゲロを吐くよりかはマシだろう。まだ晴嵐とフュールには彼女のトラウマの事は話してないが、この機会に打ち明けてしまうのも良いかもしれない。今なら、ちゃんと冷静に話せるだろうし。


「でもどっちにせよ、気ィ遣わせちまうだろうな……あー、トラウマを乗り越えられるのが一番理想的なんだが」

「出来ん事を無理にやっても、良くない結果が残るだけだろ。治すにしても時間が必要だろ、あんま知らんけど……」

「うん、そだね。ま、肩の力抜いていきましょ」

「……それで良い」


 と、その辺りで、最大限に縮小してグローブの中に突っ込んでいたメニューが、ぶるぶると振動して何かを知らせて来た。個人チャットかメールでも届いたのだろうか、と確認したくなるが、この街中でメニューを広げる気にはなれない。

 まぁ、急ぎの連絡が入るような用事も無いし、後で確認すれば良いだろう。気を取り直し、アージェンは足場を作っては前に進んで行く。

 こうして空中を移動する手段を用意出来る者はあまり多くないらしく、アージェンたちのような旅人の姿は少ない。虫の翅、鳥の羽、蝙蝠の翼、何と形容すべきか分からないもの、多種多様な飛行器官を持つ翼人たちが、道無き空を飛び交う。


「翼人っつーのも良いよなぁ」


 能力値的には中の中といった具合である翼人だが、彼らは魔法やアイテムの力に頼らず空を飛ぶ事が出来る。身一つで空を飛ぶ、というロマンに人は惹かれるのか、能力の割には人気な種族だった。


「やっぱり、お前でも空を飛ぶのには憧れるものなのか」

「そりゃねー、人は古来より空に憧れてきた生き物だし」

「の、割には、こうして足場作っての移動にこだわるんだな」

「うん。やっぱり足の裏に固い感触が有るのって安心するし、万一眠らされてもこれなら落ちないし。……あ、レオロ、空飛びたい?」

「いや。足場の方が安心するのは同意見だ」


 何の気も無い会話を交わしながら、アージェンは辺りを油断無く見回す。すると、十人十色の翼がはためく中、一人、異様な存在感を伴って彼女たちの前途に佇む人影を認めた。

 こちらと同様に魔法の足場の上に立ち、一切の躊躇も無くメニュー画面を広げ、真っ直ぐにアージェンたちを見つめている少女。その眼力に気圧され、アージェンは足を止めてしまった。


「……貴方がアージェンさんですね」


 物腰の柔らかな、しかし平坦な声。伸されたような声色にえも言われぬ悪寒を覚えながら、アージェンはレオロを背に隠す様に立った。


「私はジャディスリィ様の使いです。貴方にあのお方の言葉を伝えに参りました」

「……早く言う事を言え」

「分かりました。では、単刀直入に。

 ジャディスリィ様は貴方を欲しています。貴方とそのご友人方を端末として迎えたい、と仰っておいでです」


 ジャディスリィの名に目玉が飛び出そうなくらい驚愕したが、彼女はそれを胸中に押し込んだ。目をつけられていたのか、何故、もしかしたら最初から──とにかく考えながら、平静を取り繕ってジャディスリィの使者と対峙する。


「すぐに返答せよ、というわけではありません。ですが早く応じてくだされば、それだけ良待遇を約束出来ます。

 連絡は、個人チャットやメール等にて、この『ポナ』に。……それでは」


 そう言い、少女は転移を発動させて消える。彼女の足場も消えたのも認めた後、アージェンはどっと冷や汗を吹き出させながら緊張を解いた。へたり込みそうになるのを、レオロが抱き留めて支える。


「おい、大丈夫か」

「……怖かった」


 あのジャディスリィ本人は何処にも居ないのに、押し潰されそうな程の気迫を感じた。どうにか体勢を整え直し、アージェンはとりあえず歩みを再開させる。

 そして先ほどの伝言の内容に思索を巡らせ始める。『端末』──ジャディスリィにとってのその単語の意味は、アージェンも風の噂で耳にした事が有る。彼女によって心を挫かれ、彼女の命令を聞くのみとなった生き人形。その記憶を顕在意識に掬い上げ、アージェンは眉根を寄せた。


「さっきの……何かの誘いか?」

「ああ。最ッ高に応じたくない所からの、な」


 ジャディスリィの誘いに乗るのは論外だ。アージェン自身だけならともかく、あの口ぶりはレオロたちをも端末にする事を示唆していた。そんな事は絶対にさせられない。

 だが断れば、今度は力ずくにでも奪いに来る可能性が現れる。すっぱり諦めてくれるだろう、と楽観視出来る程アージェンはお気楽思考ではない。

 一体どうすればジャディスリィの脅威を退けられるのか。ぎゅう、とレオロの手を握る力を強める。


「……もう、これ以上邪魔しないでよ」


 思わず呟いていた。彼女の安楽な未来に立ち塞がらないで欲しい。何が楽しくて他人に不幸を振りまくのか。不幸せを最小限にする事が出来ればそれに越した事は無いだろうに。

 頬を温い液体が伝う。荒れ狂う憤怒や憎悪に、涙腺が緩んでしまったようだ。激情のあまり泣くなんて子供か、と内心自嘲する。

 だが激情は時として力となる。心の波浪を割り砕き、決意の炎に焼べながら、アージェンはレオロの方に視線をやった。


「レオロ」

「何だ」

「絶対、守るからな。どんな奴にも、あんたたちの事は傷付けさせない」

「……まーた何か背負い込もうとしてるな」

「今回は必要なもんだからな」


 レオロたちは、決して切り捨ててはならないものだ。涙を拭いつつ、彼女は前途を見渡す。すると、まだ高い陽に照らされ煌めく広大な海が目に入った。


「……どんな時でも、海っつーのは綺麗なもんだな」


 何となく感想を口にした。同意するように頷くレオロの所作を感じ取りながら、鼻歌のようにロジバンを唱えて次々と足場を作り、港の方を目指しとことこと進む。




 夜。いつものように南の孤島の小屋に帰り着いたアージェンは、昼間届いていた通知の正体を探るべくメニューを開いていた。

 間もなくそれは見つかる。受信メール一覧に、未読である事を示すアイコンと共に、一通のメッセージが着いていた。差出人名は、『†堕落の熾天使†ルシフェル』。


(……騙り、とかじゃないよね)


 差出人名には必ずキャラクターネームが入る仕様なので、間違いなく彼が送ってきたメールなのだろう。一体どんな恨み言が綴られているのか、と覚悟を決めつつ、それを開く。


『題名:ご無沙汰してました。

 本文:

 や、久しぶり、アージェンさん。長らく寝込んでて、色々迷惑かけたみたいだね、すまんな。

 悲しい事や辛い事を漸く乗り越えられたから、アージェンさんにも連絡入れておくのが筋かな、と、このメールをしたためました。何処何処抜けちゃったみたいだし。

 いや、アナタの判断に口を出すつもりは無い。何処何処は元々来る者拒まず去る者追わず、のスタンスだったしな。これからもオレとアージェンさんは友人、という事でいこう。

 それで、オレは今後も何処何処の平メンバーとしてやってく。マスターに戻って欲しいと頼まれたが、ちょっとやりたい事が有るからな。

 とま、近況報告はこれくらいだな。返事はしてもいいし、しなくてもいい。じゃ、互いに用が出来たら、また』


 文章はそこで終わっていた。何度も読み返し、その内容を咀嚼した後、彼女は安堵の溜め息を吐く。

 彼の絶望の矛先がアージェンに向かっていなかった事への安心。背を預け合い共に波乱に立ち向かった戦友が復帰した事への安慰。数多の感情が綯い交ぜに渦巻く胸を、ほっと撫で下ろす。


(……ルシフェルさんも立ち直れたんだ)


 思った以上に歓喜が大きい。無意識に引っ掛かっていた棘が、溶けて消えたような気分だ。

 帰って来た。ルシフェルが、本当に帰って来た。喪われた筈の友が、この手の届く所に戻って来たのだ。


「良かったぁ……」


 また、ネリネとルシフェルとアージェンとで、色々バカをやれるかもしれない。ラインハルトと風雲が居ないのは寂しいが、それでも、また三人で。

 メニューを操作し、返信用の画面を開く。どんな返答をしようか、と彼女はウキウキと文面を考え始めた。

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