75:解き放たれた視界
閏月が終わり、年が明け、宛ての無い世界巡りを再開させて一月程。アージェンたちは、ウテウロイ北西部の海にある群島に訪れていた。
この『エクヤ群島』は、山だらけ谷だらけのとても険しい島々だ。では何故そんな所にやって来ているのかというと、ここには翼人たちの国『雲居王国』が存在しているからである。
翼人は自在に空を飛ぶ事が出来る人種だ。その為、普通の人の足では辿り着く事も定住する事もままならない峻険な地形であっても、彼らならば存分に活用出来るのだ。
断崖等をくりぬいて作った洞窟がメインの住居や店舗で、比較的平坦な土地には木造の建物等も有る。だがまともな道は無く、一応旅人も国内に入れはするが、空中を移動する手段が無い限り観光は難しい。
「ま、わたしらレベルの冒険者なら、いくらでも手は有るんだよな。しっかし、目の当たりにするとすんごい地形だなぁ……」
「話には聞いていましたが……確かにこれは圧巻ですねぇ……ううっ」
多くの輸送船等が停泊している港にて、入国手続きを終えて建物の外に出たアージェンたちは、眼前に聳え立つ物凄い絶壁を、雁首を揃えて見上げていた。約一名、フュールが船酔いで青い顔をしているが。
何かの模様が彫り込まれたりペイントされている岩壁には、所々に窓や玄関と思しき横穴と、着地用と思しき木の足場が付いている。宿や食事処の看板も掲げられているが、空を飛ばなければそこにはとても辿り着けないだろう。
一応、外人用の施設も港の近くに幾つか点在している。交易商や軽い気持ちでやって来た観光客、依頼のために訪れた冒険者やらでそこそこ賑わうそこを軽くスルーし、アージェンは断崖の街の方を見やる。
「さてと、船旅で疲れたし、今日は解散かな。それぞれ魔法で移動は問題無いよな? あ、レオロはわたしと一緒な」
「街の中だったら問題は無いのであります」
「別に異論は無い」
「右に同じく……おえっぷ」
「……フュール君よ、大丈夫なの?」
「こ、このくらいなら……乗り越えてみせます……」
「そう言うなら手出ししないが……無理すんなよ?」
乗り物酔いを克服しようと努力してくれてる事自体は嬉しいのだが、それで身体に問題を起こされるのは困る。友人には皆出来るだけ健康体でいて欲しいのだ。
だが余計なお世話をするのもなんだし、と、青白い顔のまま浮遊魔法で絶壁の街の中に飛び込むフュールの背を見送ろうとする。だが途中で集中が切れてしまったのか、彼の身体がふらふらと危うい速度で落下し始めた。
「あっ……!」
「おい、フュール!!」
走るのは間に合わない。魔法でクッションでも作り出すのも、ちょっと手間取ったらまずそうだ。そこまで考えたアージェンは、すかさず転移で落下予想地点へと飛び、かなりの速度で墜落するフュールを両腕で受け止めた。
エルフ故に見た目よりもずっと軽いのだが、それでも落下物と化したフュールを受け止めるのは結構キツかった。その上足場も急な斜面だった為、アージェンはバランスを崩して尻餅をつき、そのまま滑り始めてしまう。
「んあっばばば、じっ、zi'e'ai vacri kicne!」
ゴツゴツとした斜面をがこがこと滑り落ちる中、舌を噛まないよう必死に呪文を唱える。そうして空気を固めたクッションを作り、どうにか滑降を止める事に成功した。ヒリヒリ痛むお尻をさすりながら、彼女は起き上がる。
「う、うう……申し訳有りません……」
「zi'e'ai tolxai。ま、今後は無理すんなってこった」
流れるように回復魔法をかけつつフュールを降ろした後、彼女は足場を作ってレオロたちの方に戻る。追随するフュールも戻って来た所で、足場の魔法を解いた。
「つーわけでただいまーっと」
「……アージェン、ちとこれはまずいぞ」
「何が──ああ、そういう……」
戻って来た彼女に対する剣呑なレオロの言葉に、アージェンは一瞬惚けて、すぐに理解して帽子に手を乗せた。転移した時から開きっぱなしだったメニューを閉じ、静かに肩を竦める。
先ほど思いっきり転移を使ってしまった所為で、彼女たち四人に向けられている視線が、旅人に対する奇異だけではなく、“使者”に対する忌諱も多分に混じるようになっていたのだ。フュールを確実に助ける為だったとはいえ、うっかりしていた。
「司令官殿、どうしましょうか?」
「そうだなー……ま、後ろめたい事なんて無いんだし、堂々としてりゃ良いさ」
とはいえ、単独行動はしない方が良さそうだが。予定を変更し、今回は街中でも固まって動くようにしようか──等と考えていると、ふとフュールが頭を振った。
「いえ、皆さん、そう構える必要は無いと思いますよ」
「その根拠は?」
「だって僕たち、ちょっと冒険者に興味の有る人なら知ってるくらいには有名人なんですよ。それに、武装している玄人に突っ掛かろうなんて命知らず、そう居ませんって」
彼の言う通り、いつの間にか周囲の視線が随分と薄らいでいた。興味を無くしたか、彼女たちの勇名に思い至って考え直したのか。
「……ふむ。その通りみたいだな」
どちらにせよ都合は良い。このままこちらの力にビビって手を出さないでくれれば万々歳だ。アージェンの事を例外的存在と認めてくれると尚良いのだが、贅沢は望まないでおく。
「じゃ、さっき言ったように解散で、くれぐれも気を付けてね。何か有ったらすぐ呼ぶように」
「分かりました。……今回は大人しく外人用の宿にしましょうかね……」
「了解なのであります! 自分は早速観光をするのであります!」
銘々立ち去ってゆくフュールと晴嵐を、今度こそ見送った後、アージェンはレオロの方に向き直る。そして片手を気取った所作で差し出し、こう声を掛けた。
「そんじゃ、わたしたちも行こうかね。……デート、なのかな、これも」
「……そう思いたければ、それで良いんじゃないか」
差し出した手が彼に握られたのを見計らって、彼女は防御魔法の足場を作り上げる。半透明な青の階段状の防御壁を二人して上り、十分な高度まで上がったら、今度は平坦な道を作って進む。
「しっかし、有名人ねぇ……あんまし実感湧かないんだよなぁ。実際どうなの?」
「フュールの言った通り、割と名前は知られているようだ。俺たち、皆かなり目立つ容貌をしているしな」
「ふーむ、そうだよなぁ……フュールはエルフだし晴嵐はあの服装だし、あんたはアルビノだしわたしは美少女だし」
「……自画自賛……」
「なーんだよ、事実だから良いだろー? あんただってそう思ってるんだろ」
「まぁ、否定はしないがな」
そんな他愛の無い会話を交わしながら、二人は翼人の飛び交う街の中に入ってゆく。彼女が作る道は一本道なのだからはぐれる心配は無いのだが、しかし互いの手は固く握ったまま。
レオロと二人で一通り街を見て回った後、アージェンは外人用の宿に彼を送り届けた。浮遊や足場の魔法を込めた魔法球を数個押し付けたりもして、彼女も帰路につく。とはいっても、人目の無い場所に行って転移を発動させるだけなのだが。
そして帰り着いた先は、何処何処の宿舎ではなく、人気の全く無い絶海の孤島。この島は、その昔ヘイゼルと二人きりで逢う時に良く使っていた待ち合わせ場所だ。強力なモンスターも居らず、レアアイテムの産地でも無いので、彼女のような奇特な者でも無い限り存在すら知らないような島である。
そんな忘れられた孤島に、つい最近一つの建家が出来た。アージェンの家だ。ネリネの協力の元作り上げた小綺麗な小屋は、今日も静かに主の帰りを待っていた。
「ただいまー。なんてね」
飾り気の無い玄関扉を潜れば、そこはすぐに無人の居間だ。あくまで緊急避難所であるため、レオロたちには存在は教えてあるが普段は使わせていない。だがこまめに掃除をしているから、居間から続く細長い廊下や四つの個室、その他諸々の細々とした部屋も、何時でも使える程度にはなっている。
土足のまま上がり、手近なソファに座り込んで一息吐く。今は真夜中、その上明かりも点けていないから、小屋の中には静謐な暗闇が満たされている。
(……はぁ。思いっきり色々投げ捨ててみたら、一気に気が楽になったな)
何処何処を抜け、プレイヤーと関わりを持つのを最低限にするようにしたら、急に考える事が減って楽になった。動向を探るくらいは今もしているが、何処何処のメンバーを守らなくては、という荷が降りて、それで太平になれたのかもしれない。
知らない所では悪し様に言われたりしてるだろうが、そんな事はどうでもいい。あの苦痛と絶望を味わった事の無い奴らの言う事なぞ、右耳から左耳に聞き流してしまえばいいのだ。
(ネリネさんは理解してくれてるし、レオロも頑張らなくて良いって言ってくれたし。わたしは自分の為だけに自分のリソースを割くんだーい)
最近はジャディスリィが動き出してたり、一部のプレイヤーがそれに対抗すべく団結しているらしいが、こちらに飛び火しない限りは知った事ではない。鎮火しようとしてこっちまで巻き込まれるのなんて御免だ。
ジャディスリィはヒューマン以外には割と寛容らしいし、彼女の引き起こす戦火の中にわざわざ身を投じなければ、その魔手を避ける事は容易だろう。それよりも厄介なのは、彼女に抵抗しようとしているプレイヤーたちだ。
一体何をして来るのか、何をすれば巻き添えを喰らわずに済むのか、それがいまいち分からないのが怖い。ジャディスリィはケヴルーアさえ避ければ良いが、抵抗団体の方はまだ分からないし。
「んもー、面倒だよなー」
愚痴をぽつりと声にして漏らす。とはいえ、ジャディスリィに対する抑止力が全く無いのも、それはそれで怖いし。
レオロたちを火の粉から守る為にも、面倒そうな二つの勢力の動きは逐一監視する必要が有るだろう。出来る事なら根源から絶ちたいが、そうしようと思うと一気に重荷が増えてしまうし。
(まぁ、もう少し時間経たないと大きな動きは無さそうだし、明日は雲居のクエストオフィスで依頼でも漁るか……ばーんと稼げる奴有るかなー)
この小屋を建てるのに結構な出費をしたし、ここらで大きな収入が欲しい。メニュー画面の所持金の桁が前より減ってるのを見る度に、ちょっと精神が不安定になるし。
(あと、また適宜時間を空けてレオロとゆっくりしたいな。もうそろそろお腹空いてる頃合いだと思うし……)
あれやこれやと予定を組み立てながら、彼女はメニューからハタキを取り出し、日課の掃除を始める。あまり積もっていない埃を床に叩き落としながら、アージェンは鼻歌を歌い始めた。
好きで好きで仕方なくて、歌えはしないがコーラスの歌詞まで覚えているゲームのテーマ曲。一度ラジオで聞いたきりだが、何となくメロディが脳裏に焼き付いている洋楽。思いつくままに口ずさみながら、彼女は掃除を進めてゆく。




