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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第九章:吐く程に甘い夢
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74:完全自由証明


 彼女は、歴史が好きだった。

 石盤や壁画、書物に記された文字が語る、昔々の出来事。何百年、何千年と経た今になっても、確と記録された古の人々の生き様。それを知り、既に影も形も無い国や人や文化に想いを馳せるのが、とても好きだった。

 何より大好きだったのは、教科書に名を連ねる、各地の王や革命者たちの事だった。或る者は目的を達成し、或る者は非業の死を遂げ──そういうのを学ぶ度に、いつか自分も歴史的な偉人になって、多くの人々の記憶に刻まれ続けたいという淡い夢を抱くようになっていた。

 そして、そんな漠然とした憧れを現実とする事が出来るシチュエーションが、ある時降って湧いた。そう、HYOというゲームと、それのログアウト不可バグである。

 出来れば地球の歴史に残りたかったが、ウィナンシェでも妥協ラインだ。人外種族を救った英雄、あるいはヒューマンを迫害した梟雄として、ウィナンシェの世界史に永遠に『ジャディスリィ』という名前を刻むのだ。

 ウィナンシェに大いなる変化を齎し、消えない爪痕をこの世界に遺す。例え彼女が本当に死んでしまっても、人々が彼女への畏敬を忘れない程に。




 ゾグシェーノの改革、及び平定は速やかに行われた。

 人外優遇。ヒューマン弾圧。その二言で説明出来る、徹底的に有情で無情な政策をとり、ジャディスリィはゾグシェーノにおける種族格差を思いっきり逆転させた。

 勿論、人外種族からの彼女の支持率はうなぎ上り。不満や批判が全く無いわけではなかったが、ヒューマンの理不尽な支配から解放されたという熱狂がそれらを押し潰した。

 新たな秩序と明るい未来。ゾグシェーノの人外たちの顔には、はち切れんばかりの希望が満ち満ちていた。


「……ふふ」


 フード付きの外套で正体を隠し、年明けの下街を散策しながら、ジャディスリィはひっそり笑う。愛する人外たちが幸せそうなのを見るのは、やはり心地が良い。

 まだ所々ぎこちなさげでは有るが、自由を得た人外たちは新たな人生を謳歌している。これまで不遇であった彼らの先祖の分まで、幸せになってくれれば良い。


(そしてわたしを崇め、ずっと覚え続けるのです)


 彼らの末代の記憶にまで、ジャディスリィという存在が残り続ける未来を、彼女は想像して悦に浸る。一体後世の人々は、彼女をどんな存在だと解釈するのだろう。

 ヒューマンの時代を終わらせた破壊者か、人外を救った救世主か。確実に語り継がれる存在になる為にも、せめてケヴルーア大陸全土くらいは手に入れておきたい。


(最終目標は、全世界ですけれどね)


 未だ誰も成し遂げた事の無い偉業を、この手で。外套の中で両手を握りしめ、胸の内から湧き上がる熱意に少し身体を震わせる。

 人外を幸せにする。歴史に名を刻む。その二つの柱がジャディスリィを支える。中身はあくまで只人でしかない彼女の心に、確固とした芯を与えるのだ。

 さて、存分に視察という目的も果たせた所で政務に戻ろうか、と彼女は踵を返す。この街中で転移は流石に目立ち過ぎるので、徒歩で帰ろうとする。


「──あいつが! あいつがころしたんだよ!」


 と、その瞬間、子供の声がした。物騒な単語が聞こえたなと思い、彼女はそちらに視線をやる。

 そこに居たのは獣人の子供と、困ったように腕を組んでいる数人の大人たち。子供は怒り心頭といった様子で続ける。


「あのジャディスリィとかいうヤツが、ヒューマンをドレーにしたせいで、エリーは死んじまったんだ!」

「そんな事言っても、ジャディスリィ様が居なけりゃ、そうやって死んでたのはお前だったかもしれないんだよ?」

「じゃあ、まずエリーやおれがキケンなカイタクチにいかなくてもいいようにすればよかったんだ!」


 確かそれは、革命以前に立てられていた、人外を徒に殺す事を目的とした開拓計画を、従事者をそのまま全てヒューマンに入れ替えて実行させた物だ。主に邪魔な元権力者の処理と見せしめを目的としたプランだったのだが。


「返して……かえしてよ! もとにもどしてよ……!!」


 子供は悲痛に泣き叫ぶ。言葉にならない慟哭を遠巻きに聞きながら、ジャディスリィは無表情に思案する。


(……どうしてヒューマンなんかに固執するのでしょうか。あんな劣等種なんかに……)


 理解出来ず、少し傷付いた顔になりながら、彼女は再び足を動かし始める。あの程度の批判でいちいちへこむ程繊細ではないが、しかし全くダメージを受けないわけではない。

 人間はクソだ。特にこの世界には、数多の上位互換種族が溢れている。だというのに、ヒューマンが我が物顔で多くを支配しているのが許せない。

 ヒューマンは寿命が短ければ身体も貧弱で、頭も悪く適応力も低い。プレイヤーも使える種族だが、異論無しに最弱認定されていて、他の種族より優れている所なぞ、その数量くらいなのに。


(全く理解不能です。意味が分かりません)


 ジャディスリィは眉間に皺を寄せる。いつもそうだ。地球に居た時も、理解出来ない常識が当たり前のように蔓延り、彼女の正気を蝕んでいた。

 世界は変われど、常識が意味不明なのは変わらないのか。少し疲れたように肩を落とし、彼女は帰路を急ぐ。




 ゾグシェーノの王城。元の国王が使っていた部屋をガラッと改装させたジャディスリィの自室にて、彼女は束の間の休息を満喫していた。

 薄い布地の寝間着に着替え、チャームポイントの赤い飾り帯すらも解いて、新調させた大きな寝台に寝転がる。良い匂いのする、これまた大きな枕を抱き締めながら、彼女は独り言を始める。


「……人が好きになれないのは、そんなにおかしい事なのでしょうか。人はわたしを好きにならないのに……」


 話し相手は端末の1。部屋の片隅でじっと仁王立ちをしている彼に、彼女はぶつぶつと呟き続ける。


「わたしはね、昔から、子供の頃から、動物とか、植物とか、虫や妖怪や自然現象、人形やぬいぐるみ、妖精や異種族……そういうのが好きでした。

 強くて賢いエルフが好きでした。可哀想な人造人間が好きでした。愚かしくも美しい悪魔たちが好きでした。超越者然とした神々が好きでした。……きっと、普通じゃないくらいに。

 そういう存在と邂逅したい、って、大人になっても本気で願っていたんです。もし出会えたら何でもしてあげられるように、色々な分野を一生懸命修めました。表彰された事も何度か有ります、人間にされても嬉しくないですけどね。

 だからこそ、皆に合わせるのが、普通の人間のフリをするのが苦痛でした。自分の尖った部分を削って丸めて、いつしかわたしは小石のようになっていたのでしょうね」


 過去の偉人に対する憧憬は、そういう抑圧から生まれた、半ば嫉妬のような感情だったのかもしれない。自分の棘を如何無く発揮し、幸か不幸かは別として充溢した人生を歩めた彼らが、どうしようもなく羨ましかったのだろう。


「でもこの世界に来れて、わたしは変われたんです。こっちでは本性を隠さなくても良かった。ヒョはわたしの願いに応えてくれたんです。

 本当のわたしを解放して、思いっきり好きな企みをするの、楽しかったんですよ。自分の思うままに振る舞うというのが、こんなに気持ち良い事だとは思っていませんでした」


 ヒューマンに対して酷い事をするのも、好みの人外NPCを捕まえて調教するのも、己を解放したい同志たちを集めてブラッディリボンを結成したのも、本当に楽しかった。『気違いジャディスリィの迷惑ギルド』みたいに晒し攻撃を受けても、それすらも心地よかった。

 隠して装って削って滅して、ころころと転がるだけになってしまった小石のような地球の自分ではなく、尖った部分で周囲を傷付けながらも自由に振る舞うジャディスリィが認められる事が、嬉しかったのだ。


「この世界征服計画は、わたしの自由証明の集大成のようなモノです。そう、本心では……わたしは自由に生きた、という、確かな証拠を遺したいだけなんですよ。

 けど、その手段である世界征服も人外救済も、わたしは本当に願っているつもりです。……さて、どちらが真の本音なのでしょうか?」


 ほぼ同列に存在する二つの願い。あえて区別するならば、世界征服と人外救済は宿願で、歴史に名を刻むのは悲願なのだろう。


「ま、どうでもいいですね。わたしのやる事が変わるわけではないですし」


 答の出ない思索を打ち切り、彼女は徐に身を起こす。そして明るい笑顔を浮かべながら、装備画面を開き服装を普段着に替え始めた。


「そうそう、願いといえば、そろそろ端末を増やしたいなーって思ってたんですよね。折角ですし、とびっきりレアな人外を捕まえたいなぁ……具体的には、竜人とか、吸血鬼とか」


 着替えを終えたジャディスリィは、最後に自ら髪をリボンで結い上げた。そして一度軽く両頬を叩き、気合いを入れ直す。


「キュリオス、ネリネ、アージェン辺りから、要注意人物の取り込みを始めましょうか。特にアージェンは、ハイエルフにII型ドロイドにデイウォーカーを囲ってるらしいですからね」


 何とかしてアージェンを手中に収められれば、彼女が抱える三つのレア人外を一気に手に入れる事が出来る。先のキーマの事件で相当ボロボロになっているらしいし、手に入れるのは比較的容易だろう。


「早速手足を動かしましょう。相手はあくまでプレイヤーですから、こっちもプレイヤーの端末を出しましょうかね」


 ずっと話を聞いていた1を伴い、彼女は部屋を出る。新しいゾグシェーノも落ち着いてきたし、そろそろケヴルーアの他の国への工作も本格化させるべきか。


「ああ、指導者というのは忙しい仕事ですねぇ……」


 とりあえずゾグシェーノは革命の日に入手した耳削ぎエルフを王に据え、ジャディスリィ自身は補佐に回っている。自分が王様になってしまうと、少々動き辛くなってしまうからだ。

 今後手に入れる予定の国々でも、彼女が直接の為政者になるつもりは無い。元々の為政者を洗脳するか、適当な端末を祭り上げるかして支配下に置くつもりだ。

 勿論、その過程で彼女の名前と姿は適宜露見させてゆく。そうして、暗躍する残忍な支配者として、ジャディスリィという存在を浸透させてゆくのだ。


「さ、今日も頑張りましょっか。わたしを証明する為に」


 風の噂によると、まだ骨の残っているプレイヤーが集まり、何やら不穏な動きをしているようだ。発狂したプレイヤーにも、彼女の支配領域をどうこうされると嫌だし、対処をせねばなるまい。

 彼女の望んだ覇道には、多くの障害が待ち構えている。だが彼女は進み続ける事を誓った。きっと有るであろう、その先の光を信じて。

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