73:果て無き望みの船旅
エスポワールのギルドハウス。残るメンバーがマスターたるシャノワールと、『ちろつ』というエルフの二名のみとなったこのギルドは、今月いっぱいで一旦解散する事になっていた。
その為、シャノワールとちろつは掃除をしにギルドハウスに訪れていた。そんな作業の休憩時間に、ふとシャノワールは切り出す。
「そういやさ、ちろつさん」
「む、何かね?」
気取ったような声音で、彼は応答する。深紅の髪と黒いトレンチコートにシルクハット、伊達片眼鏡におしゃれなステッキという容姿の小柄な少年エルフは、中性的な美貌でニヤリと笑った。
何とも紳士然とした装いをしたちろつは、その言動や立ち振る舞いまでも紳士的な人物だ。素なのか演技なのかよく分からないが、いつも冷静沈着にシャノワールの味方をしてきてくれた彼は、間違いなくジェントルマンだと言えるだろう。
ギルメンがほぼ全滅したという凄惨な状況であるにも関わらず、シャノワールがそれ程挫けずにやれているのは、殆どちろつのお陰だ。バグ発生以前と何ら変わらない不敵さを湛える彼に、シャノワールは続ける。
「実は、自分……隠してたんだけど、ネカマだったんだ」
中々言い出せず、今日この時まで隠し続けていた真実を、彼女は打ち明ける。それに対し、ちろつは少々驚いたように緑の瞳を揺るがさせた。
「ほう……成る程、成る程、そういう事だったのか。道理で、随分と欠点の無い女性だと思った」
そう言い、彼は目を閉じ思案顔になる。余裕たっぷりの微笑を湛える口元に、軽蔑や悪意の気配は無い。
「うむ。何を隠そう、実は私もネナベでね。元々性別に頓着はしていなかった故、今まで不自然無く振る舞えてきていたようだったが」
「な、なん、だと……」
何でもない事のようになされた衝撃の暴露に、シャノワールは思わずそう言ってしまった。それなりにネナベやネカマを見抜く目は有るつもりだったが、ずっと隣に居たちろつの事には気付けなかったなんて。
「まぁ、そういうわけで、君の『新エスポワール』の事も、有る程度知っている。
良い事ではないか。メンバーの素性が何であるにせよ、プレイヤーどもの民度が世紀末レベルになっているのだとしても、だからこそ、そのような組織の存在が必要とされているだろう」
「うん、貴方の耳の早さを舐めてたよね。しっかし、そうか、ネナベか……道理で下手な男よりイケメンだと思ったわ……」
「理想の異性像を演じるからね。現実より綺麗なモノになったりするのだろう」
笑みを深めて言いながら、閑話休題、とちろつは話を切り替える。
「ともかく、私は新エスポワールの結成に異存は無い。寧ろ進んで協力をしよう。
それで、リーダー予定のシャノワール殿に聞きたいのだが、具体的に君たちは何を企むのだね?」
「ん……自分が目下考えてるのは、ジャディスリィの妨害とかかな」
ブラッディリボンのギルドマスター・ジャディスリィが、ケヴルーア大陸はゾグシェーノを支配し、彼女の望む世界を仕立て上げる第一歩とした事件は、既にこの二人も知る所である。
このまま他のプレイヤーが何もせずにしていたら、そう遠くない未来彼女はケヴルーアに覇を唱えるだろう。そしたら、他の大陸にだって手を伸ばす。世界征服──そんな陳腐だが困難な偉業を、彼女の才覚はなし得る。
「ジャディスリィは刃向かうプレイヤーを再起不能にしたり、洗脳して手下にしているらしい。それがいつ自分たちに向かうか分からない、だから、彼女の牙を挫く必要が有る」
「……ふむ。確かに、刃向かわない者には寛容であるようだが、彼女の判断基準がいまいち分からないからな」
天才的な独裁者によって統一された世界──それが一体どんな代物になるのか、シャノワールには想像出来ない。だがひたすら空恐ろしいのだ。
彼女はヒューマンを激しく弾圧し、それ以外の種族を優遇する政策を立てているという。元々ゾグシェーノはその逆を行く国であったらしいが、彼女はそれを完全に逆転させてしまったのだ。
ゾグシェーノの人外種族にとって、彼女は間違いなく救世主だろう。混沌に堕ち行くこの世界に、彼女は秩序を齎す光なのかもしれない。それを邪魔しようと考えるシャノワールこそが、本当は悪役であるのやもしれない。
「しかし、君は一体如何なる信念に基づき、『勇者ごっこ』をするつもりなのだね?」
だが、それでも、シャノワールがやらなければならない理由が有る。
「──自分たちプレイヤーは、この世界の理の外に在る者。そんな存在が世界を大きく変えてしまったら、きっと良くない事が起きる……そんな予感がするんだ」
ちろつの問いに、彼女は強い語気で返す。何も、ただ私情だけで動いているわけではないのだ。
プレイヤーは異質で特異な存在だ。この世界のNPCたちにとっては、それこそ神の如く。だからこそ、ちょっとした悪戯心が滅亡の引鉄となり得てしまう。
『ゲーム』のままだったのなら、まぁそれでも良かっただろう。崩壊した世界を見捨てるという選択肢が有ったのだから。だがログアウトが出来なくなって久しい今、ヒョは最早ゲームではなく、歴とした『リアル』といえる。
「元の世界に帰れない以上、自分たちは『今』を見て生きてくしかないんだ。だから、何が起こるか未知数なジャディスリィの支配は、あまり受け入れたくない。
世界の現状維持。それが自分の目的。このまま維持してもいずれ崩壊するのかもしれないけれど、それでもジャディスリィに抵抗したいんだ」
どちらにせよ未来が分からないのならば、自分の気に喰う道を選ぼう。それがシャノワールの信念で、決意である。
「我欲のままに生きるでも、信じる正義に邁進するでもなく、現状維持に努めるのか。……それは茨の道だろうな、敵は多く、味方は少ない」
「やって後悔する方を選びたいのさ、自分は。他のメンバー予定の子たちも、『どうせならシャノワールさんに付いて行く』って言ってくれたし」
皆目的を失い、やる気なんかを持て余していたのだろう。そこにシャノワールが大義名分の有る目標を提示すると、簡単にこちらに転がってくれた。
「……であれば、私もどうせなら君に付いて行こう。ジャディスリィのやり方は、私の美学に反するからね」
ちろつも、こくりと頷いてそう返答する。彼の美学というのがどういうものなのかは分からないが、味方してくれるならそれで良い。
「しかし、新エスポワールだけでは流石に手が足りないのではないか? 舞台はこの世界全て、相手はあのジャディスリィ。厳しいと思うが」
「それは自分も思ってる。なので、新エスポワール結成の暁には、幾つかのギルドにも声をかけるつもり。
最近バタフライエフェクトと合併した『何処何処』、崩壊したギルドの寄せ集め『モロヘイヤの束』『国境無き使者団』、まだまともだった《蓮の糸》メンバーが集まった『蜘蛛の糸』。候補としてはこんなものだ」
何処何処のロールプレイヤーたちは、この世界に上手く適応出来た為か、今も尚高い生存率を誇っている。また、NPCとの付き合いが有る者も多いため、対ジャディスリィのモチベーションも高いだろう。適応し過ぎて、勝手に生きてく道を選んだ者も居るようだが。
モロヘイヤの束や国境無き使者団は、崩壊してしまったギルドのメンバーが居場所を求めて集まった、以前の基準で言えば中規模と呼べるギルドだ。彼らが協力してくれるかは微妙だが、声を掛ける価値は有ると彼女は見ている。
そして蜘蛛の糸。これは元《蓮の糸》メンバーのうち、まだ自治組織を続けたいと思った有志が集まり結成した小さなギルドだ。あまりにも人員が少ない所為でまともな活動は出来ていないようだが、心強い味方となり得る所である。
「ふむ、妥当な所か。あまり規模が膨れ上がり過ぎても制御が難しくなるし、それで良いと思うよ」
「ん。新エスポワール結成と同時に、列挙したギルドに声を掛ける予定だ。上手くいくと良いけど」
彼女の道の先は険しい。ゴールは見えず、進んだとして褒められるかどうかも分からない。一歩踏み出す前からへし折れそうな心に、シャノワールはこう言い聞かせる。
「……一年。そう、一年間だけ頑張ろう。そこから先は、またその時考えれば良い」
一年を可能な限り積み重ねる。ユガタルファの《狭間の道》攻略組に何らかの進展が有るまで、それを続けよう。駄目になったら、リーダーを降りて休めば良い。
「そうか。無理はしてくれるなよ、シャノワール君。君は私の希望なのだからね」
「なんじゃそりゃ……」
「深い意味は無いよ。ただ、人には自分で居場所を作れる者と、そうでない者が居る。君は前者で私は後者、それだけの事さ」
不敵に笑うちろつの真意は、相変わらず読めない。ただ彼は、これまでと同様、シャノワールの良き友で居続けてくれるのだろう。
「……うん、頑張ろ。諦めずに進めば、きっと光が見えてくる」
在るかどうかすら分からない希望。ひたすらそれを目指す事を、彼女は堅く決意する。




