72:トゥルー・コンティニュー
禁色の月3日。日が暮れ、すっかり暗くなった星空を見上げながら、アージェンはレオロの訪れを待っていた。
場所は街の北門のすぐ側。周囲には、彼女と同様に待ち合わせをしているらしい人々の姿が疎らに見える。彼らが待ち人と合流して、まだまだ続く祭の喧噪の中に飛び込んでゆく後ろ姿を見送ったりしながら、彼女は静かにマップを監視する。
怪しいプレイヤーの姿は無いか、人に化けた魔物が侵入したりしていないか、等々。現状問題は無さげだが、しかし気は抜けない。
だが、プレイヤーを悪者とする噂が浸透している所為か、堂々とメニューを広げていると剣呑な視線が刺さってくる。流石に石を投げられたりはしないが、何とも居心地が悪い。
(覚悟は出来てたから良いんだが、鬱陶しいなー……)
今度からは、メニューを利用するのは隠れてやった方が良いかもしれない。自分で招いた結果だとはいえ、少々面倒だ。
と、その瞬間、足元から振動を感じた。どん、どん、どん、と一定間隔で響くそれは、徐々に強まってくる。マップ画面を見ると、二つの敵対反応が城郭の外からこちらに向かって来ているのが分かった。
「……ハァ、全く、間が悪いね」
この揺れは恐らく敵対存在の足音だろう。相手のステータスを呼び出す──レベル50前後、状態異常の気配は無し。普通の兵士等では太刀打ちも出来ないが、カンストレベルの“使者”であれば、スライムか何か程度でしかない。
アージェンは魔法特化の杖を徐に取り出し、神妙に構えて呪文を唱え始める。刺さる視線が一層鋭くなるが、彼女は気にせず精神を尖らせた。
「ma'u'ei mi lo fanza cu vimcu .i ko lo nu dirba penmi cu na dicra ma'u'oi!」
刹那、木製の門が派手に破壊され、二体の巨大な魔獣が突入してくる。そして人々が悲鳴を上げるよりも早く、彼女は実行文を発した。
「zi'e'ai ko brife gi'e renro!」
周囲の空気が彼女の魔法に呼応し、烈風となって門に集中し吹き抜ける。一軒家程もある四足獣も、これには堪らず吹き飛ばされ、街の外へと押し返されて転倒した。
「一般人! 奴らはわたしが引き受けた、門から離れて待ってろ、すぐ終わる!
あと兵士! 聞いてるか!? 次の門はせめて鉄製にするんだな!!」
一息に叫んだ後、得物をモーニングスターに持ち替えて魔物たちの方に駆け出す。そしてまだ転けたまま立ち上がれてない一匹の頭に近寄り、思いっきりその脳天目がけて武器を振り下ろした。
するといとも簡単に魔物の頭は砕け潰れ、血やら脳漿やらをまき散らして屍となった。防御魔法で返り血を防ぎながら、残った方に振り返る。
「後、一匹……」
もう片方は既に体勢を立て直しており、同胞を殺したアージェンに対し凄まじい殺意を向けてきている。それを軽く鼻で笑いながら、彼女は恐れる事無く突撃し、見事討ち取った。
「すまんが、ナンパはお断りなんだ。生憎と先約が居るものでね……うえぇ」
得物を仕舞い、生臭さに嫌悪を浮かべながら、彼女は颯爽と街の中に戻ってゆく。なんだかんだで肉を見るまでなら正気を保てるくらいにはなったが、全くノーダメージというわけではない。ので、魔物の死体は放置する事にした。正気度を削ってまで欲しい素材でもないし。
服の裾すら一切汚さず、飄々と帰って来た彼女の姿に、北門近くに居た人々は狐につままれたような顔になっている。そんな彼らに対し、アージェンは笑みを作ってこう言った。
「つーわけで、祭に突っ込む無粋な魔物は、このアージェンが討ち取った。後処理は本業の人に任せるから、じゃーねー」
これ以上ここに留まっていると、なんだかんだで片付けを手伝わさせられかねない。レオロに連絡して場所を移そう、と足早に歩き去ろうとすると、アージェン目がけて駆けて来る人影が正面に捉えられた。
色素の無い髪と肌、半ばトレードマークと化している赤いマフラー。ここまでに強烈な特徴を持つ者は二人と居ない。彼女の待ち人たるレオロだ。騒ぎを聞きつけて大急ぎでやって来たのだろう、少し息が上がっている。
「はぁっ、はぁーッ……大丈夫だったかッ!?」
「まーな。丁度良いや、場所を移しながら話そう」
「怪我は──無さそうだな。ていうか、有れば治してるか……」
自然な流れで合流して、祭の躁狂の気配を辿って歩き始める。絶えず脚を動かしながら、まず彼が一番気にしているであろう先ほどの顛末を語り始めた。
「さっきのは、待ち合わせしてたら魔物が来て、だからぶち殺して颯爽退場の途中だった、って次第だ」
「何でそこで退場するんだよ……」
「あのまま居たら後片付けに巻き込まれそうだったし。後で探されたりするかもしんないけど、今日は邪魔されたくなかったんだよ。折角あんたと会うんだしな」
率直に本音を口にする。明日以降なら多少時間をロスしても構わないが、今日は駄目だ。そんな気持ちを込めた台詞に、レオロはぴたりと脚を止める。
「ん? どうしたんだ」
不思議がってアージェンも立ち止まり振り返る。対するレオロは、暫し思案顔で黙り込んだ後、やがてぼそぼそと言葉を紡いだ。
「……今日も人が多い。はぐれると面倒だろう。だからだな、その……」
そう言って、彼はこちらに左手を差し出す。
「つ、繋ごう、手を」
周囲の騒音にかき消されそうな程に小さな声の申し出を、しかしアージェンは確かに聞いた。ぽかんとしながら相手を見上げれば、彼はマフラーと前髪の間から垣間見える頬をほんのり上気させていた。
「お、おう。うん、ナイスアイデアだよ、そうしよう」
少々キョドりつつアージェンは右手を差し出し、相手の手と重ねる。すると、彼はその手を強く握り、こちらに目配せをした後歩き始めた。彼女も握り返して続く。
道を進むにつれ、人の数はドンドコ増えてゆく。確かにこれは、手を繋がなければ簡単にはぐれてしまいそうだ。人通りの邪魔にならないよう、互いに肩を寄せ合いながら、二人は無言で往く。
(……なんか遅れてドキドキしてきた。どーしよ、何か話すべきなのか? あーもー!)
レオロと手を繋いで祭典に賑わう街の中を歩く、というシチュエーションに、どうにも頭に血が上っているようだ。途絶えたままの会話に、口を開くべきか噤み続けるべきなのか、話すとして何を言えば良いのか、ぐるんぐるんと思考を空回りさせる。
相手の意図が読めていないのが辛い。今彼はどんな感情を抱き、如何なる真意を抱えているのか、いまいち分からないのだ。向こうから何か言ってくれないだろうか、と淡く期待する。
「……おい、アージェン」
「ひょっ、ななっ、何だ?」
と、こちらの期待を見透かされたようなタイミングで声をかけられ、アージェンは思わず奇声を上げてしまった。だが彼は気にせず続ける。
「最近の調子は、どうなんだ。悪くはなさそうだが」
「あ、ああ。割と好調だよ。お陰さまで、何をすべきか分かってきたっていうか。
どうせわたしにゃ多くは出来ないんだから、わたしに出来る事、やりたい事をやれば良いってね」
それなりの人数を動かせる立場になれるのだとしても、それらを動かし守る義務なぞ何処にも有りはしない。報われないのが分かりきっている苦行を自ら買って出る者なぞ、極度のマゾヒストか修行僧くらいしか居ないだろう。そしてアージェンは、そのどちらでもない。
この両腕で守りきれるのは、精々三人くらいが限度で、そして十分だ。レオロとフュールと晴嵐を守る──それが彼女のなすべき事なのだから。
「そうか、そうなのか。……良かった」
「どうしてそこであんたが安心するのさ」
「……ゆ、友人、が会う都度窶れてくのを見ていれば、心配になる。それが無くなれば、安堵する。それだけの事だ」
握る手に力が籠められる。少し痛いと思ったが、だが振り払う事はせず大人しくされるままにされておく。
「いちいち心臓に悪いんだよ、お前は……」
肩を落としながら、彼はぶつぶつと独り言のように唱え始める。
「こっちがどんなに守りたいと思っても、大体手の届かねぇ所に居るし。顔色あんなに悪くなってもやせ我慢して、本当に惨い目に遭うまで助け舟に乗ってくんねーし。
それに厚意か好意なんだか判んねー接し方しやがるし……」
「お、おおう。悪かったな……」
随分やきもきしていたのだな、と口ぶりから察する。だが最後の奴は何だかおかしくないか。もしや彼は──等と推測を巡らせつつ、言葉の応酬を続ける。
「本当にそう思っているなら、反省してくれ」
「うん、ホント今回ので懲りたからさ。もう無茶はしないよ、誓ってね。だから説教は勘弁してー」
「……分かった。まぁ、説教が目的じゃねぇしな、今日は」
そんなふうにしながら、二人は祭の中を歩く。夜が更けると共に、人通りは少なくなる。それに伴われて、屋台や出し物の数も減っていっていた。
真夜中、日付が変わるか否かくらいの時間。祭の騒乱が去り、いつもより随分と遅く眠りに就こうとする街の外れに、二人はやって来ていた。辺りは暗いが、しかし苦にはならない。
ここには人通りも無いが、まだ手は繋ぎっぱなしだ。互いに離れるタイミングを逸してしまったのだ。風の音だけが聞こえる中、ふとレオロが沈黙を破る。
「アージェン」
神妙な声音。アージェンは彼の方を見上げる事で応える。すると、彼は数呼吸程言葉を選ぶように間を置いた後、やがてこう続けた。
「俺は、さ。お前のお陰で今の俺が在るんだ」
「……その心は?」
彼女は合いの手を入れる。それに対しレオロは一度頷き、そして滔々と語り始めた。
「他にも色々な要素が有った。もし俺がアルビノじゃなければ、村が吸血鬼に襲われていなければ、俺がデイウォーカーになってなければ。だが、一番大きいのはお前の存在だ。
お前に拾われていなければ、俺は本当に魔物になっていただろう。そも、あのまま飢え死にしていたやもしれん。他の奴に拾われたとしても、生き地獄を味わう羽目になっていたかもな。
お前は俺を救って、自由の道筋を示してくれた。自分に隷属させるわけでもなく、渇けば血の提供さえしてくれた。……感謝をしている。返しきれない程の恩を感じている。
……って、あー、クソ、こんな御託並べてぇわけじゃねぇんだ。いまいち考えが纏まんねー……」
空いている方の手で頭を掻き、低く唸る。暫く挙動不審にうーうー言った後、彼は決意したように深く息を吐き、再び口を開いた。
「ああ、もう、単刀直入にしよう。このままじゃ夜が明けちまう」
そんな言葉と共に、手が放される。そして改まったように向き直るレオロに、アージェンも釣られて向きを変えた。
「良く聞け、アージェン。俺は、俺はお前が──」
そこで一旦言葉を切り、彼はマフラーを緩めて口元を晒す。牙が見えるが、暗いし人も居ないので問題は無い。相手の様子から大体を察したアージェンは、息を呑んで続きを待った。
「好きだ。友情とか、それだけじゃなく……その、女性として、好きなんだ。あ、愛してる、んだ……」
途切れ途切れにそこまで言った後、レオロは顔を嘗て無い程に真っ赤にし、もう限界だと言わんばかりにそっぽを向いた。両肩を面白いくらいに震えさせながら、彼はこちらの応答を待っている。
そんな彼に対し、アージェンは返すべき言葉を探して激しく目を瞬かさせていた。有る程度予想は出来ていたが、だからといって衝撃が和らぐわけではない。このレオロがあんな歯が浮きそうな台詞を言った、という事実に、驚愕と困惑が隠せなかった。
「え、あ、えーと、あー……」
必死に何か言おうとするが、意味の無い声ばかりが漏れる。気持ちはハッキリしているのだが、土壇場になって色々と余計な事を考えてしまう。
アージェンも彼の事が好きだ、それは恐らく間違いない。だがその愛は、本当にレオロという男に向けられているモノなのか──それが分からない。
ヘイゼルの事を信じて待ち続け、しかし何時まで経ってもレスポンスが無い現状に、彼女の代用品を求めているだけなのかもしれない。持て余した親愛と恋しさと希望を、ただ彼に押し付けたいだけなのかもしれない。
だからといって切り替えて、間違いなくレオロ自身に想いを向けようとするのは、即ちヘイゼルを信じるのを止める事でもある。考え考え、永遠のように長い時間考えた後、アージェンは漸くまともな言葉を紡いだ。
「……わたしも、」
その声に、レオロが息を呑んでこちらに顔を向けた。鋭い視線に内心物怖じしながら、彼女は続ける。
「わたしもさ、好きだよ、あんたの事。けど……とても、悩んでいる」
「一体何にだ?」
「……不確かな希望より、確実な絶望の方がマシな場合も有るんだよな、って事だ。
なぁレオロよ、わたしはお世辞にも良い女とは言えねぇぞ。豆腐メンタルだし、綺麗な理想の親分でもない。そのくせ自分の幻想を纏う事に必死だし、独占欲だって強い。今だって、我欲の為に誓約を折ろうとしている所なんだ」
右手で額を押さえながら、震え声で自らを卑下する。今自分はどんな表情をしているのだろうか。ろくでもない顔になっている事は確かだが。
「わたしは所詮卑劣な半魔さ。魔神だかに魂を売っちまった哀れな“使者”。身勝手で、独りよがりで、そんな自分を否定したくて理想を身に纏い、結局本性は消しきれなくて。
一度ぐしゃぐしゃに潰されて、やっとわたしは“今の自分”を見出す事が出来た。ずっと手を差し伸べてくれてた、あんたのお陰で。
だからな。一旦この手に掴んだら、あの手この手であんたを束縛しようとするだろう。今度は失う事の無いように、離れていかないように……今のわたしは、そういう奴だ」
自分で解説しておきながら、何と重い不良物件だ、と自嘲が込み上げてくる。だが曖昧な憧れだけを抱かれた状態で付き合うより、醜さを理解させた上で判断してもらった方が良い。その方が傷は浅い。
そうして彼女が言葉を切ると、黙って聞いていたレオロが溜め息を吐いた。マフラーにくぐもっていない声で、彼は返答を口にする。
「お前はこれまで、理想や誇りを保つ為にやって来たんだろう。だがだからといって、これからもそのままでなければならん理由は無い。一切合切信念を貫徹出来なくても、それが凡人って奴だろう。
それとだな……俺が一体何年お前を見て来たと思っている。お前の長所も短所も大体理解して、その上で好きだと言ってるんだ。見くびってもらっちゃ困る」
真剣で真摯な声に、アージェンは目を見開いて彼を見返した。彼の紫がかった赤の瞳には、嘘やはったりの色は入っていない。本心からこう言っている──そう確信出来る表情であった。
「……半魔だぞ、わたしは」
「俺も吸血鬼だ、似たようなもんだろ」
「その上“使者”だぞ? 生まれ育った世界が違うんだぞ? あんたたちを……内心、所詮異世界人と見下してたんだぞ?」
「今はそうじゃないんだろう。……で、どうなんだ、お前の答えは」
告白に対する返答をせっつく言葉に、アージェンはぱちぱちと何度も何度も瞬きをする。焦燥、安堵、愛しさ、困惑──数多の感情が渦巻き綯い交ぜになり、彼女の鼓動を乱した。
このままではとんでもない事を口走ってしまいかねない。すーはーすーはー、と深く呼吸をして、思考回路を整える。そして訥々と言い出した。
「最初は……良い拾いもの。それから、頼れる仲間。そして良き友となり、で、つい最近、わたしはあんたに慕情を抱いているらしい事に気付いた。
うん。わたしも、好きだよ、レオロ。飽きもせずにわたしを見て来てくれたあんたが、わたしを肯定してくれたあんたの事が、さ」
確と、ハッキリと、彼女は好意を明言する。すると、レオロはほっと息を吐いて、話を始めた時からの緊張を漸く解いた。
「ま、アレだ、つーわけで、レオロよ……これからもそれなりによろしくな?」
「ああ。やる事が大きく変わるわけでもないが……これからは、そういう事で」
障害もすれ違いも何も無い、ドラマ性皆無の恋愛成就。とんだ三流の脚本だ、と内心笑いを隠せない。だが登場人物になるならば、こんな喜劇の方が良い。
悪趣味でナンセンスな悲劇は幕を閉じた。ここからは、終始笑って楽しめる物語を始めるのだ。矜持と一緒に重荷を投げ捨て、誇りを泥にまみれさせ、しかしだからこそ彼女は笑えるだろう。
「さて、こっから先どうする? もう日付は変わっちまったが、ま、夜明けくらいまでなら付き合うぜ」
「ほう。であれば、この前の貸しでも返してもらおうか」
「……あっはは。お手柔らかに」
マフラーを巻き直しながら歩き出すレオロに、アージェンは肩を竦めて微笑みながら追随する。何となく、ぎこちなく彼の方に片手を差し出してみると、すぐにそれは握って返された。
八章はここまで。漸く折り返し地点。
おまけの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/60baafc5-f461-4298-8189-30ae3b7ebded/773cb938ea0b0a0a2d72de8f5147d335




