71:残酷劇はもう終わり
相も変わらず深い雪に閉ざされたネリネのアトリエに、アージェンは訪れていた。家主たるネリネは、青い目を驚きに揺るがさせながら彼女にこうコメントする。
「……まさか、ジェンさんから訪ねて来るとは思わなかったわ。もっと時間が掛かると思ったのだけど」
酷い言い草だが、アージェン自身もあれから回復出来るとは思っていなかったし、致し方有るまい。応接室に通され、用意された椅子に座りながら彼女は返答した。
「ま、良い友人に恵まれたのさ。まだ、完全に乗り越えられたわけじゃ無いけど」
レオロに色々と吐き出してから数日、既に食べ物の匂い程度なら気にならなくなっていた。だが、まだ固形物を食べようとすると嘔吐いてしまう。特に肉は見るだけで駄目だ。
この心の傷は深い。一体どうすれば治せるのか、アージェンには見当もつかない。だが幸い飲まず喰わずでも死なない身体だし、無理に克服する必要も無い。大好きだった肉類が食べられなくなったのは辛いが。
「そりゃそうよねー……でも、またこうして話せるのは嬉しいわ。何か食べる?」
「んー、固形物はまだ無理なんだよなぁ。普通の飲み物なら、大体大丈夫っぽいけど」
「分かったわ。そうね、ならとっておきのクリームソーダを……あ、アイスはどうかしら?」
「アイスか……咀嚼する必要が無ければいけるかな」
「おっけ、なら作って来るわね。コノハズク!」
ネリネは自身の背後に佇む従者に声を掛けつつ、一旦部屋を出て行く。間もなく戻って来て、持って来た二つのクリームソーダを机の上に置いた。
細かい氷の入った炭酸飲料の上に、バニラもどきアイスが贅沢に乗せられている。添えられていた柄の長いスプーンを手に取り、アージェンは早速アイスを少し掬って口に運んだ。
「おいし……」
吐き気は出て来ない。少しずつなら問題なく食べられそうだ。郷愁を感じさせるアイスの甘さも、良く冷えたソーダの刺激も、頭をシャッキリ冴えさせてくれる。
「さて、と。あたしに会いに来た、その用件を聞かせて貰おうかしら」
ネリネもアイスに手を付け始めながら、アージェンにそう問いかける。問われた彼女は頷き、水滴の付いたグラスの表面を撫でながら語り始めた。
「そうさね……何処何処の現状、ネリネさんはどう見る?」
「まぁ、オワコンよね。まさか、同意を得るためだけじゃないでしょうね」
「勿論。自分の意見に裏付けが欲しかった、ってのも事実だけど」
数日何処何処の様子を窺った感想は、ネリネのそれと一致していた。ルシフェルの瓦解により、いよいよ何処何処にも壊滅の兆しが見えてきていたのだ。
別に元バタフライエフェクトのメンバーが悪いわけではない。元ギルマスのルシフェルや、中枢メンバーのネリネやアージェンまでもがボロボロになってる中、良く纏まってくれてた方だと思う。
ただ、如何せん状況が最悪であった。先も言ったように纏め役が不在で、その上ここ最近の激動に煽られた不安で、じりじりと残り少ない人間性が削られている状態なのだ。
「んま、終わりそうだからって、共倒れしに行くつもりはないけどね」
「ええ、それが正しいと思うわ。あたしたちだって、自分の事でいっぱいいっぱいだもの。他の人よりヒョ歴は長いかもしんないけど、スーパーヒーローなんかじゃないのよ」
言うまでも無く、何処何処の平メンバーからは、アージェンに対する希望の眼差しをこれでもかと向けられた。まだ満身創痍そうな顔をして『もう無理アピール』をしてなければ、成り行きで新マスターにさせられていたかもしれない。
「そういや、結局ギルマスはどーなってんの」
「この前まではあたしだったけど、今はもう名乗り出てくれた人に移譲済よ」
「把握。正式にその人がマスターって認識で良いのね」
不透明だった部分をハッキリさせてもらって、アージェンは一旦口を休めてソーダを飲む。アイスが融けてしまわないうちに、さっさと食べてしまわねば。
「で……ここからが本題。ネリネさん、このアトリエってどうやって作ったの?」
「えっ? えーっと、その心は?」
「何処何処がオワコンな所為で、宿舎も絶対安全は確信出来ない。だからわたしも専用の隠れ家が欲しい、っつー次第だ」
宿舎の部屋には鍵も掛けられるし、全ての部屋の中に直接転移が出来るのは、風雲とルシフェルくらいしか居ない。だがそれでも、例えば壁や窓を破れば侵入する事が出来てしまう。
だから、まだ誰にも知られてない秘密基地を作りたいのだ。有事の際、仲間たちを連れて逃げ込める場所を。
「ふーむ……あたしも、ここは風雲さんに頼んで作ってもらったからさ、あんま有益な事は言えないと思うんだけどさ」
「ああ、風雲さんなのか……」
風雲が居るうちに頼んでおけば良かったな、と一瞬思う。だが無い物をねだっても仕方が無い。ネリネに続きを促す。
「一応、建ててる所は見た事が有るわよ。まず建材を用意して、それから多分汎用魔法で組み立ててたわ」
「魔法かー……ネリネさんの見解は?」
「ん。これまでの魔法研究の結果から考えるに、十分な量の材料と土地、それから適当な設計図が有れば、魔法で組み立てる事は可能な筈、って所ね。試した事は無いけれど。
ああ、でも、建物って大規模だし、単純な構造にするとしても相当量のMPが必要になりそうね。風雲さんはこことか宿舎とか作れてたし、非現実的な量では無いと思うけど」
ふむ、とアージェンは顎を撫でて考え始める。建築の知識なぞからっきしだが、その辺は魔法の“翻訳”が良きに計らってくれるだろう。場所にも、文句を言われなさそうな所に心当たりが有る。
「ん、分かった。教えてくれてありがと、後は自分でなんとかするよ」
「そう。ま、材料とかの用意くらいなら手を貸すから、気軽に言って頂戴」
ネリネの協力が得られるのは有り難い。彼女以外の何処何処メンバーには頼り難いし、それ以外なぞもってのほかだ。最後の一口のアイス諸共ソーダを飲み干して、アージェンは一旦目を閉じる。
残るは三分の一程のソーダのみとなったグラスを、からからと音を鳴らしてみる。一番訊きたかった事を聞き出し終え、少し気が抜けているようだ。
「……そういえば、ジェンさんは仲間の様子はどうかしら? 怪我とかそういうの、無かった?」
「ああ、大丈夫だ。全員ぴんぴんしてたよ。……わたしが駄目になってる間に何も無くて、本当に良かった」
「それは重畳」
ついさっき、アージェンは仲間たちと一旦合流し、互いの無事を確かめた。幸い彼女が居ない間は平穏そのものだったらしく、フュールも晴嵐も元気そうな顔を見せてくれた。まぁ、それ以上に晴嵐に泣きつかれたりしたのだが。
明後日からは、大急ぎでウテウロイに入る予定だ。そこから先はまだあまり考えていないが、慌ててギーオットに飛ぶ必要はもう無くなっただろう。
流石のジャディスリィでも、手に入れたての国を抱えたまま別大陸に手を伸ばす事は無いだろう。根回しくらいは進めるかもしれないが、暫くはケヴルーア以外はそれ程危険ではない筈だ。
会話が途切れ、暫しの沈黙が流れる。アージェンはソーダを飲み干す。グラスの中には、融けかけた氷だけが残った。
「ネリネさん。……ルシフェルさんはどうなんだ」
ふと問う。結局彼とはまだ接触を試みていないが、話せるのか話せないのか程度は知りたい。それに対し、ネリネはやや苦い表情になって答える。
「……業務連絡くらいは出来たけど、会うのは止めた方が良いと思うわ。特にジェンさんは」
「そりゃどうして──いや、そりゃそうか」
ルシフェルは最愛の者を永遠に奪われた。だがアージェンは、自分自身が獲物となったものの、仲間たちは全員無事だった。そんな彼女がルシフェルの前に現れたら、彼は気分を悪くするだろう。それを理解し、はぁ、と溜め息を吐く。
「本当、酷い事になっちまったよなぁ……」
大型アップデートにときめいていた日々が懐かしい。あの時は、こんな目に遭うだなんてこれっぽっちも予想していなかった。
辛い現実にぶぅぶぅ言って、ヘイゼルとの会話に花を咲かせて、一時の安らぎを求めてアニメや漫画を鑑賞して──平和だった、と思う。懐かしくて涙が出そうなくらいだ。
「……そうね。それには同意だわ」
人というのは、どこまでも後悔する生き物なのだろう。ネリネも頷く中、アージェンは左肩に手を当てた。
「ま、どんなに酷い酷いと嘆いても世界は変わっちゃくれねぇし、進むしかねぇんだよなぁ」
何せ、歩みを止める事は出来ないのだから。とはいえ、今の彼女には寄りかかれる支柱が有る。何も考えず縋れる相手が居る。背水の心構えでなくとも良いのだ。
「なんか、ジェンさん、何というか……スッキリした感じの顔するように戻ったわね」
「ん、そうかな?」
「ええ。ちょっと前はずっと切羽詰まってるふうだったけど、今は足元がしっかりしてるように見えるわ」
「……そんなに分かりやすいんかねぇ、わたし……」
相変わらず、自分は感情を偽るのが下手なようだ。どこかで素直を美徳だと思っている部分が有るからだろうか、すぐに見抜かれてしまう。
今度、ポーカーフェイスの練習でもしようか。いずれ恋の駆け引きをするならば、表情を作る技術が有るに越した事は無い。
その後も大きな事件が起きる事は無く、穏やかに日々は過ぎていった。
一年が終わってしまう前に、アージェンは仲間たちと首尾良くウテウロイ入りを果たす事が出来た。晴嵐が事前にリサーチしていた、より豪勢な祭が開催されるという街に、どうにか転がり込む事にも成功した。
そして、蛍石の月30日。今年最後の日──閏年の禁色月は、今年でも来年でもない扱いが主流であるらしい──に祭が始まった。
きっと晴嵐は意気揚々と繰り出しているのだろう。フュールも、ああ見えて楽しみにしている様子だった。まだ昼間だが、夜になればレオロも動き出すのかもしれない。
(わたしはどーすっかなァ……)
まだ固形物は食べられない。そうでなければ屋台目当てにぶらつく事も出来たのだろうが、肉料理も多く並びそうな中を往くのは自殺行為だ。
歌ったり踊ったりしてる所を見物しに行くのも、いまいち気が乗らない。曰く5000年以上続いているという旧い信仰の祭典でもあるらしいが、そういう宗教の存在自体にはワクワクするが内容にはあまり興味が無いし。
祭の喧噪の外で、街のマップ画面を監視しながら、アージェンは今後の計画をひねり出そうと頭を抱える。何か予定は有っただろうか──と、その辺りで、レオロの誕生日が近い事を思い出した。
(うわー忘れる所だったわ! どーしよ、あいつからリクエストとか聞けてねーぞ!?)
今からでも大急ぎで用意するべきだろう。アージェンは少し深呼吸をした後、淡い赤の通信腕輪のスイッチを入れる。
(大体夕方だから、間が良ければ起きてるだろうが)
駄目そうだったらまた時間を改めてかけようか、と暫し相手の反応を待つ。やがて、スピーカーから何とも眠たそうなレオロの応答が聞こえて来た。
『……アージェンか。何の用だ』
「ああ、もうすぐあんたの誕生日だろ? まだプレゼントのリクエスト聞けてねーな、って」
『それか……』
彼は押し黙り、ううんと考え込む。視線を辺りに配るのも忘れずにやりながら、アージェンは彼が希望を口にするのを待つ。
『……そうだな。禁色3日、空いてるか』
「ん、空いてるぜ」
『ならその一日、俺に付き合え。祭の中をぶらつきたいが、ソロでは少し寂しいからな』
「えっ……そんな事で良いのか?」
『良いんだ。待ち合わせは──』
彼の意図が全く読めない。何か裏が有るのでは、と勘ぐってしまう。とはいえ、この場合は裏が有るとしても騙されておいてやるのが筋というモノだろう。落ち合う時間と場所を打ち合わせ、決定する。
「……よし、了解。3日ね、楽しみにしてる」
『言う側が逆な気がするが』
「別に良いだろ? どうせなら両方楽しい方がよ」
『それは尤もだが……まぁ良い、忘れたら怒るからな』
「うぃー。じゃ、そろそろ切るね。またねー」
通信を終え、彼女は腕輪を元の腕にはめる。それなりに長時間観察して、現状この街に異常は起きなさそうだと確信も出来たし、一旦宿舎に引っ込もう、と転移を発動する。
黄昏時の街から静かな夜の宿舎へと景色が一転する。月夜の帳に包まれた建物では、誰かのひっそりとした足音くらいしか聞こえない。やはりこういう静謐な空間というのは、無条件に彼女を安堵させてくれる。
「……さて」
寝台に腰掛けて、ぽつりと小さく呟く。そしてグローブやらブーツやらを外した後、ぺち、と両手で自身の頬を包んだ。
(要するに二人っきりで会うんだよな、あいつと……)
柄にも無く緊張してきた。これまでにも幾度となく二人だけになる状況は有ったが、意識しているのとしていないのとではこうも違うのか。
「……落ち着けよアージェン、いつもみたく振る舞えば良いんだよ」
未知の感情に浮き立つ心を凪がせる為に、彼女は寝台に転がり枕に顔を埋める。すると、また首筋に噛まれた時の感触が蘇って、思わずくぐもった呻き声を漏らした。
(まぁ、あれはあれで悪くなかった……って、じゃなくてだな! クールになれガッデム!!)
止め処無く襲いかかる恥ずかしさやら何やらに、手足を軽くじたばたさせて悶える。何だか本調子に戻ってからは、レオロ関連で揺さぶられっぱなしだ。
(でも、これを楽しんでる自分も居るんだよな……)
これまで悲劇ばかりに心を動かされてきたから、こういうのは何だか新鮮味を感じる。ずっとこうして浮かれていられれば良いのに、と小さく唸る。
芽生えたての恋心と、付きまとい続ける無形の不安とに板挟みになったまま、彼女はうとうとと微睡み始めた。その眠気に任せて目を閉じ、脱力する。
ここから先は、また明日考えよう。ここの所は悪夢も見ないし、安心して眠れる。




