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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第八章:パラダイムチェンジ
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67:妙なる奇縁の集束点


 宿の部屋にて、真昼の高い陽を避けるようにカーテンを閉めて引き蘢り、彼はぼうっと棒立ちになって考え事をしていた。

 なんだかんだ、アージェンは乗り越えられたらしい。腕輪経由で、近いうちに四人で集まって話す約束も伝えられた。普段通りの確かな芯を感じさせる声音だったし、大丈夫になったのだろう。


(……もう少しでこっちが大丈夫じゃなくなりそうだったが)


 あの距離の近さは、かなりヤバかった。もう少しで理性も何もかも無くなり、あのまま押し倒してる所だった。無論、更に吸血する為ではなく。


(まぁ、良かったんじゃねーか……役得だったっちゃあ役得だったし)


 雪の中死にそうな顔をしてた所を拾った時には、そのあまりの衰弱ぶりと体温の低さに、このまま本当に死んで消えてしまうのではと不安になったくらいだった。だがあんな冗談を言ったり、四人で集まろうと思える程度に回復したのなら、こっちも一安心である。

 どさくさに紛れて貸しを付けてやったし、彼女の体温とか匂いとかを間近に感じられたし、役得も多かった。温かかったし小さかったな、等と彼は思う。


(普段は何か覇気とか纏ってるけど、思いのほか小柄なんだよなぁ……あと、あいつもあんな風に泣くんだな……いや、普段強そうに振る舞う為に呑み込んでたのが、アレなんだろうな……)


 幻滅は無い。どんなに強い光を放つ人でも、どんなに裏が無さそうに見える人にも影は有るだろうし、表に出せない本音も持っているモノだ。散々突いて揺さぶって、それを露にさせておいて幻滅する程、彼は人間として終わっていない。

 寧ろ、“使者”とて人の子なのだという事が分かって安心した。同じ空間に居るのに異次元の壁に阻まれているような、そんな隔絶を感じていたが、実の所はそれ程ぶっとんだ考えをするわけでは無いのだ。

 人並みの悲しみを感じる心が有るならば、恋をしたり深い絆に安らぎを覚える心もきっと有るだろう。ならば、これまでは半ば諦めていたが、アージェンを口説き落とすのも可能なのやもしれない。


(ただあいつ、かなり鈍感なきらいがあるから……もっとガンガン攻めれば良いのか)


 全く脈無しではないだろう。多少なりとも気が有るからこその距離の近さだったのだろうし。

 と、その辺で、特大の欠伸が込み上げた。宿の部屋の中なので、牙が露になる事も厭わず大きく口を開ける。待ち合わせに合わせる為に昼型に戻ろうと不眠を決め込んでいるのだが、流石に眠くなって来た。


(くそねみぃ……)


 眠ってしまわないよう、彼は部屋の中を歩き回りながら考え事を始める。懐かしい記憶──彼が『レオロ』になった日の、未だ色褪せぬ記憶の想起を。




 幼少の頃の記憶は、殆ど残っていない。覚えていて気持ちの良い物ではないし、時間も経っているからだ。

 ただ、碌な扱いはされていなかった事は覚えている。いつもお腹がぺこぺこで、身体のどこかしらが痛くて、眠たくて仕方がなくて、昼間に駆り出されるから目や肌が焼けて痛くて──とにかく辛かった、という事は。

 右も左も分からない時分には、それを当たり前の境遇として甘受していた。自分は“悪魔”だから、“悪魔”なのに普通の人の元に産まれてしまったから、こんな目に遭うのも致し方無い、と。

 だが、幸運にも死なずに成長して大人になり、まともに物を考えられる頭が具わった頃、彼はふと己の境遇の理不尽さに気付いた。ただ身体が白く、誕生日が珍しいだけなのに、何故『悪魔』と罵られねばならないのか──幼少期からの洗脳じみた摺り込みを疑う事が出来たのは、奇跡に近いだろう。

 気付いた彼は、自由を求めた。こんな所で一生を使い潰されるなんてごめんだ、都会に出れば拾う神も居る筈だから。

 彼は自身を“飼って”いる者に気付かれないよう、脱出の準備を進めた。だがその計画が実行されるより前に、村に異変が起きた。吸血鬼によって滅ぼされてしまったのだ。


 彼が異変に気付いた時には、村人はほぼ全員グールになっていた。気付いた僅かな生き残りたちは、全て親玉の吸血鬼により捕獲され、そいつの食糧とされた。

 しかし彼は捕まらなかった。彼を気味悪がった“飼い主”が作った地下室に閉じ込められていたからだ。一度は外にも出たが、村を徘徊する死んだ筈の奴らに、身の危険を感じ、すぐに地下室に戻った。


(……何なんだアレ……尋常じゃねえってのは分かるが……)


 ゾンビ、だろうか。あまり魔物に詳しい方では無いが、死者の蘇りといえばそれ系のアンデッドが思い浮かぶ。流石にこの時点では吸血鬼という存在にまでは辿り着けなかったが、ゾンビに汚染された村に留まる理由は無かった。

 そして彼は、間もなく村からの脱走計画を敢行した。脱出の準備はまだ中途半端だったが、こんな状態になってしまった村で、これ以上に支度を整える余裕は無かった。

 だが、荷物を抱えて地下室を出たその瞬間、彼は不運にも村を視察していた親玉に発見されてしまった。獲物の取り残しが無いかと見回っていたそいつは、空腹やら何やらで衰弱していた彼をいとも簡単に捕らえ、そしてその血を啜った。

 そこで、一旦記憶は途切れる。恐らく、一度死んだりしたからなのだろう。




 次にまともな意識が戻った時には、彼は縄で拘束されて地下室に転がされていた。同時に、この世の全ての飢餓感を一所に濃縮したような飢えが、彼を襲った。

 地下室に閉じ込められているのは、いつもの事だ。だが縛られてるのはどう考えても異常だし、こんな飢えは一週間水だけだった時にも味わった事は無かった。

 それに、一切明かりが無い筈なのに、妙に視界がハッキリとしている。まともな服を着てない状態なのに、殆ど寒さを感じない。自分もアンデッドになってしまったのか、それにしては意識が明瞭だが、等と考えを巡らす。


(いや……そんなのを考えても意味が無い。とにかく脱出しなけりゃ、飢え死にだ)


 脱出用の荷物にはそれなりの食べ物も入っていたが、奪われてしまったのか部屋の中には無い。最悪、虫や鼠を食べて命を繋ぐ必要もあるやもしれない。

 地上と繋がる出入り口は、いつもなら適当な板で塞がれているのみなのだが、今はそれよりも厳重に閉ざされてしまっているようだ。頭突きをしてもビクともしない。

 腕を使えれば良いのだが、さしもの彼も腕と胴とをぐるぐる巻きに戒める縄を、何も使わずに引き千切る事は出来ない。使えそうな道具も無いし、限りなく詰んでいる状況だ。

 どうにか希望を見出せないか、とあれこれもがいている内にも、時間は容赦無く過ぎ去り続ける。いつしか彼は、衰弱によって動く事は愚か考える事もままならなくなっていた。


(こんな死に方……結局自由は得られず、俺は死ぬのか……)


 五感も鈍り呻く体力すら失せた極限状態の下、ひたすら自身の意識だけを認識し続けながら、彼は目を閉じる。主観時間が限り無く薄く引き延ばされ、飢餓の苦痛と死の悪寒が無限に彼を苛んでいた。

 こんな所で終わりたくない。その執念が、彼を生の領域にしがみつかせる。苦しいだけで終わりの人生なんて嫌だ、これまで苦しかった分を取り戻せるくらいの幸せを掴みたい、と。

 ──その辺で、一瞬で異様だと分かるレベルの熱気が叩き付けられた。残った気力を総動員して目を開けば、封じられた出入り口が焼き破られ、そこから差し込む日光が見えた。

 人の話し声が聞こえる。内容までは聞き取れないが、どうやら複数人であるようだ。間もなく、空けられた穴から誰かが入って来る。


(助け、なのか……?)


 だとすれば、こんなに嬉しい事は無い。諦めずにこの世にしがみつき続けた甲斐が有った、と彼は目を輝かさせる。

 入って来た彼らは光の球で部屋の中を照らしながら、彼の姿を発見し何やら話し合っている。やがてその中の一人、リーダーらしい小柄な者が近づいて来て、彼を縛っている縄を断ち切り解いた。


「あ**、生き*る*? *きて**なら、返*をし**れ」


 思った以上に声が高い。どうやら、この人物は女性であるらしい。頷く気力も無く少し身じろぎすると、それを返答と受け取ったのか、彼女は彼を助け起こした。

 熱いくらいの相手の体温を感じる。すると、空っぽの臓腑が痛い程の飢餓を強く訴えた。同時に、どうすればこの飢えを解消出来るかを、唐突に理解する。


(血だ)


 人の生き血だ。死の淵より這い戻り、作り替えられたこの身体が求めているのは、この温かで柔らかな身体の中を巡っている血潮なのだ。どうやればそれにありつけるかも、すぐに理解した。

 相手は仲間共々油断している。彼は吶喊と共に全力をかき集め、自身を助け起こそうとしている女の顎を殴り上げた。そして揺らめく彼女の身に体重を掛け、地面に押し倒す。

 どうやら腕力では勝っているようで、地面に縫い留めた彼女の腕はビクとも動かない。このまま露になっている首筋にかぶり付き、鮮血で腹を満たせれば、仲間共々どうにかする事も出来るだろう。顔が笑みの形に歪む。

 最早理性は無い。食欲という本能に、彼はひたすら突き動かされ続ける。柔らかそうな肉に牙を突き立てればさぞかし心地良いのだろう、溢れる血はそれこそ美味いのだろう──そんな事ばかり考えながら。


「──《魔**放》!!」


 だが牙が彼女の身に食い込む前に、彼の身体が浮いた。壁に強かに打ち付けられ、その痛みに呻く。見れば、異形のシルエットとなった彼女の姿と、肥大化した右手が彼の身体を掴んでいるのが分かった。


(ばけ、もの……)


 その思考は、彼女に対する恐怖と侮蔑だったのかもしれないし、自らに対する失望と嘲笑だったのかもしれない。そこでまた記憶は途切れる。




 次に覚醒した時には、彼の眼前に少女の顔が有った。何とも上機嫌そうな笑顔を浮かべる彼女に、意味が分からなくて彼は問う。


「……あ、あ、何故」

「やぁ、痴漢君。ハウアーユー?」


 声が出た。耳も聞こえる。飢餓の苦痛も和らいでいる。視界も、先ほどまでよりずうっとクリアだ。魔法でも掛けられたような気分だ。

 と、そこで、彼は少女が先ほど化け物になった彼女と同一人物である事に気付いて、悲鳴を上げて飛び退こうとした。だが元々虫の息状態だった上、腕を後ろ手に縛られていた所為で、その場で俯せに倒れて痛い思いをしただけだった。

 そして、いつの間にか地下室の天井が破壊され、そこから燦々と日光が入り込んでいる事に気付く。眩しさに身を捩り、日だまりから逃れようとするが、上手く動けない。

 相手の険しい視線を感じる。殺されるかもしれない。当たり前だ、彼は相手を害そうとしたのだから。


「待ちな。ちょっと話を聞きなって」

「あ、やだ、やだ、死にたくない、殺さないで」

「大人しくしてれば殺しはしない。約束する」


 思った以上に、彼女の声音は優しい物だった。同時に、彼女の背後に控えている仲間たちが武器を置いたのを見て、彼は相手を信じる事にした。動きを止め、強烈な覇気を発し続ける彼女の姿を見上げる。


「……俺はこの通り、何も持ってないぞ。叩いたって、出るのはゲロくらいだ」

「見りゃ分かるわ。ま、欲しいのはあんた自身なのよね、アルビノ君。あんた、名前は?」

「名前……」


 一体何を要求されるのかと呟いた言葉に、帰って来たのはそんな台詞だった。彼が欲しいとはどういう事なのか、『アルビノ』なる単語の意味は何なのか、訊きたい事が山ほど生まれるが、一先ず相手の問いに答え、首を横に振る。

 名前なんて物は無い。この村で『悪魔』といえば彼の事だったが、そんなのは名前とはいえないだろう。彼女は少し考え、全てを察したように頷く。


「そうか。じゃあ話は変わるが、あんた、生きたいか?」


 そんな事を尋ねてどうするのだろうか。是と答えれば生かしてくれるのか。やや細められた琥珀の双眸は、何処か心地よい、今まで向けられた事の無い未知の感情を宿している。


「俺は……」


 死にたくないし、生きたい。先ほどのわけの分からない吸血衝動から、自分がどうやらそういう魔物──吸血鬼になったらしいというのは分かっていたが、だからといって自由を諦める理由にはならない。


「外に行きたかった。ここから外に出て、自由に生きたかった。だから、その為に計画を練っていたのに……あの吸血鬼に殺されて……俺は……」


 正直に答える。嘘を吐いたって悪い展開に転がるだけだ。もう失うものも命くらいしか無いし、と半ば投げやりな気分であった。

 俯く彼に、少女は更に問いかける。


「自分がどんな生き物になったのか、ってのは分かってる?」

「……ああ。何となくだが」

「よし、説明の手間が省けた。ならさ、わたしたちに付いてこないか?」


 思わず目を見張った。冗談やハッタリの色は無い。呆然とする彼に、彼女は説明をする。


「わたしたちは見ての通り、冒険者だ。わたしの仲間になって、わたしの為に戦うというのならば、わたしはあんたの為に生きる術と居場所を与えてやろう」

「……俺は吸血鬼だぞ。魔物を匿うってのか」

「わたしも半魔だ、似たようなもんさ。それに、あんたも人を襲わなきゃ、ただちょっと強いだけのヒューマンと変わりない」


 一体どういう価値観だ。一度自分を襲った魔物を助け、味方にしようと交渉を持ちかけて来るだなんて。その辺りで、もう彼が相手を害さないと確信したのか、腕の戒めが解かれた。


「それと、あんま頻繁には無理だが──zi'e'ai cupra lo kabri」


 聞き慣れない響きの言葉と共に、彼女の手の上に小さな器が形成される。成る程、彼女は魔法使いなのか。彼女は器を一旦地面に置くと、左手のグローブを外してナイフを取り出す。


「ぬいッ!!」

「ちょっ、アージェンさん!?」


 そして躊躇い無く、彼女は左腕に深く傷を刻んだ。じっと成り行きを見守っていた仲間のエルフが、悲鳴のような声を上げる。

 傷口から流れ出す新鮮な血の匂いが、彼の食欲を刺激する。アージェン、と呼ばれた彼女は、自身の血を器に注いで彼へと差し出す。


「っはぁー……と、こんな具合で、血を提供してやるぞ」


 彼は恐る恐る器を受け取る。嗅覚やらも変化しているのか、その真っ赤な液体を見てまず『美味そうだ』という感想が浮かんだ。人の倫理観がそれを口に運ぶ事を拒むが、飢えのが勝り──一息に、飲み干す。


「ぶはっ、はぁっ、ああっ……ああ……美味しい、美味しかった……ううっ」

「そうか。si'e'ai」


 器を消滅させながら、彼女は奇妙な半透明の板を何やら弄り始める。そして何処からともなく新品の服を一式取り出し、彼の方に押し付けて来た。


「じゃあこれを着て。街に戻るからな、その格好のままじゃ連行されちまう。さっさと支度しな、レオロ」


 もう彼を連れてく事は決定事項であるらしい。まぁ、ここまで至れり尽くせりされて相手の要求を飲まない程彼は不義理者ではないし、ここで彼女の誘いを蹴ったってデメリットしかないという事が分かる程度には頭も回る。

 頷き、そして単純な構造の服をさっさと着始めながら、先ほどの台詞に有った意味の分からない単語に疑問符を浮かべる。


「れ……おろ?」

「あんたの名前だ。いつまでも名無しの権兵衛じゃ不便だろ? 気に入らなけりゃ、他のにしても良いが」


 不服は無い。ただ、歴とした名前で呼ばれるのが初めてなので、少し据わりの悪さを感じた。

 数多の未知の感情が渦巻く中、彼はふと確信する。──彼女こそが『拾う神』なのだ、と。


「いや……分かった、俺はレオロだ」


 その名を認め、受け取ると、彼女はにんまりとした笑みを浮かべた。そして差し出された手を取れば、その細い腕によって拾い上げられる。

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